――桜の木の下には、何が埋まっているのだと思う?
満開の桜の下で、彼女はそう問いかけてきて、答えに窮する僕を見て微笑みを浮かべる。
「少年には難しかったかな。なに、簡単なことだ」
答えは――と言いかける彼女に待ったをかけたのは、幼い僕のささやかな矜持がなせる業だったのか。それとも、答えを口にしようとする彼女の横顔が、どこか悲しげだったからか。
「教えないで。いつかきっと答えてみせるから」
そう宣言する僕の頭をよしよしと撫でて、彼女は長い髪を掻き上げる。
「そうか。それなら私は、少年の答えを楽しみに待つとしよう」
ざあ、と桜の花びらが舞う。
一瞬の花吹雪。薄紅色に染まった視界の彼方で、彼女の笑い声が響く。
――また来年。この桜の下で。
そんな声が聞こえたような気がして、必死に目を凝らす。
しかし、桜の木の下に、彼女の姿はもうなかった。
あれから、何年が過ぎたのか。
神社の境内にあった桜の古木は、数年前に神社が取り壊され、一帯が公園に整備された今も、満開の花を咲かせている。
「さて、今年の答えは何かな? 少年」
そう尋ねてくる彼女の姿は、最初に出会った時と何一つ変わらない。長い黒髪も、すんなりとした白い手足も。どこにでもありそうなセーラー服の、今時なかなか見ない膝下十センチなスカート丈も、そのままに。
「もう少年なんて年じゃないよ」
彼女の背を越してしまったのは、もう何年前のことだろう。声も低くなり、毎朝鏡に向かって髭を剃るのもすっかり慣れた。短い青春を精一杯謳歌しようと伸ばしてみた髪は、数か月後にはばっさり切らなければならない定めだ。
「なあに。君は何も変わらないさ。初めて会った時と」
楽しげにそう答えて、くるりと回る彼女。ふわりと広がるプリーツのスカートは、まるで春風と踊っているようだ。
「覚えているかな? 初めて会った時、少年は迷子だったのに、そうじゃないと言い張って」
……そこは忘れていてほしかった。今となっては苦い思い出だ。
小学校入学を機に引っ越してきたこの町は、それまで住んでいたところよりも坂と緑が多くて、そして細い道が複雑に入り組んだ、子供の冒険心をくすぐる作りをしていた。
友達の家へ遊びに行く途中、曲がる角を間違えて、見知らぬ道を歩くこと十数分。辿り着いたのは、社務所も何もない小さな神社。
そこで、彼女と出会った。
満開の桜の下、一人佇むセーラー服の少女。
思いがけないところで人に出会った驚きと、それ以上に、あまりに美しすぎる光景に圧倒され、案山子のように立ちすくんでいたら、彼女は花がほころぶように微笑んで、こんにちはと声をかけてくれた。
それが、すべての始まり。
「顔にしっかり『迷子です』と書いてあったのに、『違う』の一点張りで、面白かったなあ」
「……恥ずかしかったんだよ」
見知らぬ人間に、一目で迷子だと見抜かれるような、そんな情けない顔をしていた自分が、とにかく恥ずかしくて。
町探検をしているのだと言い張る僕に、彼女はそれ以上の追及はせず、その代わりに地面を枝でがりがりと削って、簡単な町内の地図を書いてくれた。
ようやく帰り道の見当がついて、胸を撫で下ろしたところで、彼女は唐突に問いかけてきたのだ。
「――桜の木の下には、何が埋まっているのだと思う?」
次の年も、またその次の年も。
彼女はそう問いかけて、僕は答えを探し続ける。
「たからばこ?」
「はずれ」
「タイムカプセルだ!」
「はずれ」
「手紙とか」
「はずれ」
「防空壕」
「はずれ」
「不発弾」
「はずれ」
「肥料」
「はずれ」
「……屍体」
「はずれ」
外しに外しまくって、もう何年が過ぎただろう。
僕は大人になり、彼女は少女のまま。
それでも彼女は僕を「少年」と呼び続ける。
出会ったあの頃のままに。
「『屍体』は文学的だったな。随分と勉強したようだ」
舞い踊る桜の花びらの中、彼女は笑う。
「少年の答えはいつだって面白い。今年はどんな驚きが待っているのかな?」
新しいおもちゃを目の前にした子供のように、キラキラと瞳を輝かせて、答えを待つ彼女。いつもに増して咲き乱れる花びらが、黒髪の上をするりと滑っていく。
「さあ、少年。答えを聞こう」
腕を後ろで組み、ずいと顔を寄せる彼女。その耳元に囁くために、少しだけ屈む。昔は精一杯背伸びをしてようやく届いたその耳朶は、桜と同じ色。
「――恋心」
かすれた声でそう告げれば、彼女はふんわりと――満開の桜のように、笑みを零した。
「正解だ」
降り注ぐ桜の花びらが世界を薄紅色に染め上げる。
両手を大きく広げ、全身で花びらを受け止めながら、彼女はくすくすと笑う。
「――この桜はね。純真な恋心を糧として、美しい花を咲かせるのだよ」
だからね、と微笑む彼女。
「少年の恋が実ったおかげで、今年の桜は実に美しい」
照れ臭いことを直球で言われて、思わず頬を掻く。
「何で知ってるんだよ」
「なに、私は耳聡いんだ」
――町はずれの桜の下で告白すると、思いが叶う。
そんな話を小耳に挟み、藁にもすがる気持ちで、この木の下に意中の女性を呼びだしたのは、つい先日のこと。
今年は例年になく開花が遅れていて、蕾がほんのりと紅く染まっただけの桜の下で、一世一代の告白をした。
結果は――彼女の言う通り。玉砕覚悟の告白は、なんと相手からも同時に告白をされるという、思いがけず劇的な展開となり――二人して勢いよく頭を下げたため、危うく頭をぶつけるところだった。
ひとしきり笑って、そして「笑いすぎて涙が出た」と目頭をこする彼女にハンカチを渡したところで、ふと気づいた。
枝に一輪、ぽんと開いた桜の花。さっきまで固い蕾だったはずのその花びらは例年になく紅く――息を飲むほどに美しかった。
気づけば風は止み、舞い散っていた花びらもすっかり地面に落ちて、穏やかな春の光が世界を優しく包み込む。
「少年とのクイズ大会もこれまでだな。少し寂しいよ」
透明な笑顔が光に透ける。まるで紗幕が降りるように、現実と幻との境目がはっきりと区切られていく。
「もう会えないのかな。――おねえさん」
ここに来て、彼女の名前すら知らなかったことを思い出す。とんだ失態だが、それで良かったんだという気もした。
《僕のことを少年とよぶおねえさん》。
それはまるで白昼夢のような――手を伸ばせば消えてしまう、儚くて危うい――《憧れ》の形。
「私はいつでもここにいるよ」
だから、と笑う彼女は、悪戯っ子のようにぱちりと片目を瞑ってみせた。
「また来年、桜の木の下で――。気の抜けた恋愛をしていたら、ちゃんと咲いてあげないぞ」
鈴を転がすような笑い声が、光に溶けて消える。
とんでもない脅し文句にやれやれと頭を掻けば、髪の上に積もっていた花びらがふわりと落ちてきた。
「……おねえさんには敵わないな」
胸ポケットからスマートフォンを取り出し、満開の桜にレンズを向ける。
青空を背景に咲き誇る、薄紅色の桜。
とびきりの一枚を選んでメールに添付し、さて何と書こう、と頭を捻る。下手なことを書いたら疑惑の種になるだろうから、ここはひとまず――。