「ほお、谷に落ちなさったか」
ひとしきり話を聞いたところで、村長はさも可笑しそうに笑ってみせた。
なんでも、この辺りでは子供の頃から谷に下りて薬草摘みの手伝いをするため、転落する者などほとんどいないらしい。逆に旅人は注意してなるべく谷に近寄らないから、近頃は誰かが谷に落ちたという話はあまり聞かないという。
「なんだよ、それじゃオレが慌てもんの馬鹿みたいじゃないか」
むくれるラーンを、まったくその通りだと言いたげに見つめるリファ。その思いが伝わったのか、ふんとそっぽを向いてしまった相棒のことは放っておいて、リファは改めて村長に向き直った。
「ところで村長さん。彼は谷底で何かが光ったのが見えて、それに気を取られて落ちたと言うのですが、何か心当たりはありますか?」
その言葉に、村長はゆっくりと首を傾げる。と、隣で話を聞いていたエルクが、ぱっと顔を輝かせた。
「分かった! 《竜の眼》だ!」
その言葉で村長も合点がいったのか、なるほどと頷いてみせる。
「《竜の眼》?」
「ええ。あの谷には昔から、岩肌に大きな石が一つ埋まっているのです。それが竜の瞳に見えることから、そう呼んでいるのですよ」
「光を反射して、きらきら輝くんです」
楽しそうに語るエルク。なんでもその石は、触れた者に幸運をもたらすという言い伝えがあるという。
「ところで、お二人は先を急がれるのですか? もしお時間があるようでしたら、ぜひ村に逗留していただいて、旅の話でも聞かせていただきたいのですが」
朗らかに切り出した村長に、むくれていたラーンがぱっと顔を上げた。
「本当か? いいのか?」
「ええ、構いませんよ。久しぶりの客人だ、村の者も喜びましょう。お願いできますかな」
顔を見合わせ、相談を始める二人。その息の合ったやり取りを、エルクはじっと見つめていた。
(仲いいんだなあ)
今までに村を訪れたのは、神官や狩人など、どちらかというと年配の旅人ばかりだった。それに比べ、この二人は遥かに若い。しかも剣士に魔術士という組み合わせは、いかにも冒険譚の主人公のようではないか。
(なんだか、とてもわくわくする)
旅人が訪れた時は、いつもドキドキする。彼らは非日常の世界からやってきて、村での生活の中では絶対に経験できないような体験談を披露してくれる。彼らにとって些細な出来事でも、刺激の少ない暮らしをしている村人達にとっては胸躍らせる冒険譚だ。
「それではニ、三日ご厄介になります」
話がまとまったのか、村長に頭を下げるリファ。一方のラーンといえば、話が終わった途端に椅子の背もたれに抱きついて、ぐんにゃりとへたり込んでいた。
「腹減ったぁ~……」
思わず吹き出すエルク。村長もくく、と笑みをこぼし、エルクを振り返る。
「エルク、食事の用意が出来たか見に行っておくれ」
急の来客を快く迎えてくれた村長宅の台所では、村長の妻がいそいそと夕食の支度をしているはずだ。
「はあい!」
元気よく返事して、応接室から飛び出していくエルク。
「元気なお孫さんですね」
あっという間に扉の向こうに消えていった後姿を見送って評するリファに、村長は穏やかに首を振った。
「孫ではないのですよ。故あって育てております養い子です。いつもはもっと大人しい子なのですが、今日はあなた方に出会えてよほど嬉しいらしい」
「おやおや。それでは、あの子が喜ぶような話のタネでも練っておくとしましょうか」
ねえラーン、と振り向けば、返事の代わりに腹の虫がぐうう、と鳴った。