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3 穏やかな日常
「今年も薔薇が綺麗に咲いたわね」
 噴水の端に腰を下ろして、ジーナは今日も笑っている。
 儀典用の正装が汚れようがお構いなし、踵の高い靴さえ放り投げて、白い素足をぶらぶらさせながら、僕の仕事を見守る彼女。
 病床に伏した父王の後を継ぎ、独身のまま即位してライラ七世となった彼女は、徹底した合理主義と隙のない政治手腕から《氷雪の女王》《冷血の女帝》などという二つ名で呼ばれているらしい。
 その冷笑を目にした者は一様に凍りつき、ただ慈悲を願うしかない――そんな噂が流れるのも無理はない。即位したその日に大臣数人の首を挿げ替え、何百人もいた使用人を大量に解雇した。
「無用なものはとことん省く。我が国にそんな余裕などない」
 そんな彼女が唯一省こうとしない『無駄』。それこそがこの小さな庭と、園丁の僕。
 口さがない連中に何を言われようとも、彼女は意に介さない。当たり前だ、連中が言うような「やましいこと」など、何もないのだから。
 祖父が亡くなってから、庭仕事を一手に引き受けることになった僕は、それこそ結婚のことなど考える暇もないほどに忙しく。
 一方、政務を精力的にこなすジーナは僕以上に忙しいはずなのに、仕事の合間を縫うようにして、息抜きにやってくる。
「せっかくのドレスが汚れるよ」
「いいの。どうせ座ってしまえば後ろ側なんて誰にも見えないもの。汚れてようが破れてようが分からないわよ」
 こういうところでも、彼女の合理主義は遺憾なく発揮されており、ばあやさんなどは「飾り甲斐がない!」と嘆いているらしい。
「ああもう、定例会議ごときで正装する必要なんてないのに、面倒くさいったら」
 即位して五年。荒野を隔てた隣国ローラとの関係は相変わらず良好だが、貴族達の権力闘争や西の自由貿易都市メイルとの通商問題、果ては人知の及ばぬ災害への対応など、彼女を悩ませる問題は山積みで。寝る間も惜しんで政務に励んでいる彼女の目の下には、もう何年もクマが張り付いている。
 それでも。
「ねえテオ。遊びましょう!」
 変わらない言葉。変わらない笑顔。だからこそ僕も、同じ言葉を返す。
「駄目だよジーナ。まだ剪定作業が終わってないんだから」
「もう、テオったらいっつも仕事ばっかり。たまには私のわがままを聞いてくれてもいいじゃない」
 幼子のように頬を膨らませて、形ばかりの抗議をするジーナ。その眼が笑っていることに、気づかないふりをして。
「ドレス姿で木登りをして、裾を破いたのはいつだったっけ? 鬼ごっこではしゃぎすぎて噴水に落ちたのは?」
 綺麗に結ったばかりの髪を茨に引っ掛けて、ぐしゃぐしゃにしたのも。
 巣から落ちた雛を戻そうとして、納屋の屋根から転がり落ちたのも。
 花冠が上手く編めなくて、悔し涙を流したのも。
 お互いの足を何度も踏んづけながら、踊りの練習をしたのも。
 どれもこれも、僕達だけの、大切な思い出。
 二人だけの『秘密の庭』で紡いだ、大切な青春の日々。
「いつの話よ。私だってもう立派な大人なんだから」
「はいはい、立派な大人のジーナ。もう少ししたら終わるから、ちょっとだけ待っていて。そうしたらお茶にしよう」
「はあーい」
 ふてくされたように返事をして、つま先で引っ掛けた靴をえいっと宙へ放る。哀れな靴がうまいこと落ち葉の山に着地したのを見て、けらけらと笑い声を上げる。
 ここにいるのは、ただのジーナとテオ。だから僕は彼女のわがままを聞かないし、彼女は僕に命令したりしない。
「そうそう、今日はお菓子を焼いてきたのよ。ちょっと焦がしてしまったけど、食べられないほどではないと思うの」
「この前みたいに、消し炭と大差ないようなのは困るよ」
「大丈夫だってば!」

 ここにあるのは、ただの穏やかな日常。
 たとえ国が滅びようとも。たとえ世界が終わろうとも。
 その最後の一瞬まで、僕はこの庭を守ろう。それが僕に出来る、ただ一つのことと信じて。

 青春を閉じ込めた『秘密の庭』で、僕らは今日も、穏やかに笑い合う。


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