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「おーお、見事に変わらないな」
 二年ぶりに帰ってきた故郷は、思っていた以上に変わっていなかった。
 高い城壁に守られた首都。その正門前には警備兵が立ち、過ぎ行く者達と気さくに言葉を交わしている。
 活気のある城下町の雰囲気が、門をくぐる前から伝わってくる。行商人の威勢のいい掛け声や、広場を走る子供達の歓声。何かも変わらない。彼が物心ついた頃から。そして彼がこの街を旅立ったあの日から、ずっと。
 ここしばらくは、目まぐるしい変化の中にその身を置いていた。そのせいか、まるで時が止まったように変わらない故郷がいやに眩しく感じられる。
 ここでなら、殺伐とした日々の中でささくれ立った心をゆっくりと癒す事が出来るだろう。たったの二年で戻ってくるのは女々しいかな、とも思ったが、やはり帰ってきて正解だった。
「お、お前エスタスじゃないか。戻ってきたのか」
 感慨深げに正門をくぐろうとした赤い髪の青年を、警備兵の一人がそう呼び止めた。おや? と足を止める青年に、警備兵は兜の面当てを引き上げて、気さくな笑顔を向けてくる。そばかすの残る顔立ちに茶色の癖毛。見覚えのある顔に、エスタスと呼ばれた青年もすぐに笑顔を浮かべた。
「なんだ、リックか。どうしたよ、こんなところで」
 それは本来なら、同じく旅の空の下にいるはずの「同級生」だった。まさかここで警備兵をやっているとは。
「ああ、久しぶりに里帰りしたら、手が足りないってんでな。仕方なくさ」
 そう答えて、警備兵はエスタスのなりを上から下まで眺めて、へぇえ、と頷く。
「すっかり、いっぱしの戦士って感じだな。どこ行ってた?」
「中央さ。傭兵として働いてたんだが、契約が終了したんでね」
「ガイリア大陸か、そういやどっかで小競り合いがあったなんて話を聞いたな」
「それそれ。結構いい仕事だったぜ。楽じゃなかったけどなあ」
 そうかい、と呟いて、ふと思い出したように何か言おうとしたリックは、エスタスが不意に広場に目をやり、そしてそのまま硬直したのを見て眉をひそめる。そしてくるりと振り返った彼は、ああ、と呟いた。
「……違いますよ、東大陸に最初の国家が興ったのはファーン復活暦50年の事で、その時はまだ……」
 雑踏の中、はっきりとここまで響いてくる少し甲高い青年の声。それは、二人のよく知る人物のものだった。特にエスタスにとっては、忘れようもない声だ。
「あいつがいるのか……」
 頭に手をやって呟くエスタスに、リックはひきつった笑いを浮かべたまま頷いてみせた。
「ああ、つい十日くらい前に戻ってきてな。それ以来ずっと、というか、変わらずあの調子さ」
「……あの相手、かわいそうに当分逃げられないぞ」
 人込みの向こうに見える、茶色の髪の青年。熱のこもった解説を聞かされているのは、どうやら旅人らしい気の弱そうな中年の男だ。先ほどから何度も口を挟もうとしているが、青年のとどまるところを知らない熱弁に阻まれて、口をパクパクさせている。
「止めてやれよ。幼馴染だろ」
 そう言って来るリックに、肩をすくめる。何が幼馴染だ。この小さな国では、子供全てが幼馴染も同然ではないか。
 エスタスの言いたい事が伝わったのか、リックはほら、と言葉を続けた。
「お前、卒業試験の時あいつと同じ班だったろ? そのよしみってやつさ」
 やれやれ。もう二年も前の事を持ち出されるとは思わなかった。
 そう、暴走した彼を止めるのはいつもエスタスの役目だった。試験が終わった時は、これでやっと「お守り」から解放されると喜んだものを。
「……仕方ないな」
 そう呟きながら声の方へと足早に歩いて行く赤髪の青年を、リックは苦笑いを浮かべながら見守っていた。

「ですから、ヴェストア帝国十三代帝王の政策はですねえ……」
 熱く語る青年の肩を、ぽんぽんと叩く手があった。
 え?と振り返ると、そこに思いっきり呆れ顔をした赤い髪の青年が佇んでいる。その懐かしい顔に、ぱっと目を輝かせて、彼は叫んだ。
「エスタス?!」
「でかい声出すなよ。あ、どうもすいませんでした。こいつ一旦熱が入ると止まらないタチでして、本当にすいません」
 再会を喜んでいる青年をよそに、ぺこぺこと頭を下げるエスタス。そして、カイトに気づかれないようにそっと耳打ちをする。
「今のうちに行った方がいいですよ。またいつ始まるか分かりませんから」
「わわ、分かった。そうするよ」
 これ以上続けられては大変と、旅人はエスタスの忠告に従ってそそくさとその場を去って行き、あとには感動に打ち震えている青年と、そして対照的にがっくりと疲れた顔のエスタスが残される。
「エスタス! ここで会えるなんて、これはもう神のお導きとしか思えません!」
「おおげさな……大体、なんでお前がここにいるんだ、カイト」
 幼馴染であり、同級生であり、そして卒業試験で力を合わせた仲間。
 彼、知識神ルースに仕える神官カイト=オールスは、卒業と同時に隣国のルース分神殿に配属が決まり、そこで日々研鑽を積んでいるはずだった。東大陸随一の蔵書量を誇る分神殿への配属にまさに小躍りしていたその様子を、まるで昨日の事のように覚えている。
 思えば、小さい頃から彼は知識欲と好奇心の塊だった。そのおかげで何度えらい目に合わされた事か。
「そう、それなんですよ! エスタス」
 瞳を輝かせたカイトの言葉に、何故か悪い予感がして、思わず後ずさるエスタス。そんな彼にはお構いなしにカイトは言ってのけた。
「僕の旅に付き合って下さい!」
 ……予感、的中。
 次の瞬間、まるで目眩でも起こしたようにその場にしゃがみ込むエスタスの姿がそこにあった。
「おーい、エスタス? 聞いてます? 僕、仲間を探しに戻ってきたんですよ。やっぱり一人じゃ心細くって。最近は何かと物騒だって言いますし、僕はこの通り腕っぷしには全く自信がありませんしね。ああ、なんで旅に出るかを説明しなきゃいけませんでしたね。普通の神官は神殿務めが仕事ですが、ルース神官には「知識の旅」と呼ばれる、自らの求める知識の探求に向かう事が許されていてですね。でもまさか、務めて三年目で旅を許されるとは僕も思ってなかったんですけど、分神殿長様が、若いうちに見聞を広めるのもいいことだと仰って下さって……」
 とめどなく続くカイトの熱弁は、見かねたリックが止めに入るまでの約十五分の間、延々と続く事になる。


 エスタイン王国は、東大陸ケルナの北部に位置する小国である。
 建国してからまだ百年強、領土もちょっとした都市程度の国ではあるが、その名は全世界に知れ渡っている。なぜなら、この国は国民全てが「冒険者」という、一風変わった国であるからだ。
 建国の祖はかの有名な勇者アーヴェル=エスタイン。彼は世界を恐怖に陥れた「邪竜」討伐を成し遂げた偉大なる剣士だったが、その旅路は極めて困難であったと伝えられる。特に冒険者として生きる者達に世間の目は厳しく、それが旅を終えた後も彼の心から離れなかった。
 邪竜を倒した褒賞として東大陸の北部、ウェイシャンローティ国内の土地を拝領したアーヴェルは、そこに新たな国家を興した。それがエスタイン王国。別名「冒険者の故郷」である。
 この国に生まれた者は全て王立の学園で冒険術を学び、それぞれの特性を生かした技を磨く。そして学園を卒業するに当たって行われる卒業試験はまた成人の儀をも兼ねており、これを成し遂げて初めて、国民として認められる事となるのだ。
 試験内容はその年によって異なるが、エスタスやカイトの年はこうだった。
 『学園で学んだ仲間と共に一年間旅をし、無事エスタインへと戻ってくる事』
 かくして、能力や相性その他を考慮して組まれた班の名簿が彼らに手渡され、同じ班の中にカイトの名を認めたところから、エスタスの苦労は始まったのだった……。


 一年間の旅を終え、成人と認められてからすでに二年余り。
 少しは人間的に成長したかと思えば、この幼馴染ときたら全くと言っていいほど変わっていない。
「お前さぁ、そののべつ幕なし喋る癖は何とかしろよなぁ」
「はあ、分かってはいるんですけどねえ。どうにもこれが性分ですから……」
 止めに入ったリックに叱られつつ、カイトはまだ話し足りなくてうずうずしているようだった。それが手に取るように分かってしまう自分が悲しい。
(絶対、厄介払いされたな、こいつ……)
 先ほどカイトが振るっていた熱弁。その内容のほとんどは右から左に聞き流してしまったが、それだけは分かる。恐らく、彼が赴任した分神殿に、あの熱弁を止められる者がいなかったのだろう。誰かが止めないと冗談抜きで一日でも喋り続けかねない彼を持て余した分神殿のお偉い方が、「知識の旅」にかこつけて追い出したに違いない。
「いやぁ、それにしても本当についてますよ。ここでエスタスに会えるだなんて、きっと日頃の行いが良いからですね」
 エスタスがそんな思いを抱いている事に気づく訳もなく、カイトは仲間が出来たと無邪気に喜んでいる。
「……仲間になるなんて、まだ一言も言ってないぞ?」
「えええ?! そんなあ、仲間になってくれないんですか? 僕とエスタスの仲じゃないですかぁ」
 さも心外だと言わんばかりのカイト。そしてその「仲」がどのようなものかについて再び語り出そうとするカイトを、エスタスは疲れ果てた顔で止めた。
 もういい。反論するのも疲れる。
 どうせ今はさしたる目的もないのだ。ほんの少しの間、この幼馴染に付き合うのも悪くない、と思いたい。
「分かったよ。付き合えばいんだろ」
「やったあ! それじゃエスタス、早速ですが……」
 嬉々として喋り出すカイトを横目に、それまで黙っていたリックがぽん、とエスタスの肩を叩いた。
「お前……いい奴だよな」
「……ほっとけ」
「え?何がですか?ああ、そういえばリック!君がこの間までいたという南大陸の……」
「わわ、俺は仕事があるから、また今度な。それじゃっ!」
 大げさに手を振り、足早に去っていくリック。その後姿を恨めしそうに見送って、エスタスはふう、とため息をついた。
「……で? どこへ行くんだって?」
「やだなあ、聞いてなかったんですか。とりあえずの目標はシュトゥルム公国です」
 ライール山脈を越えた向こうにある公国。そこまでの道のりは当然、険しいものになる。自分はともかく、この体力不足の幼馴染にあの山道を踏破する事が出来るのだろうか。途中でへこたれたカイトを背負って歩くなんて事になったら……!
 不安げなエスタスに、カイトはどーんと胸を張って言ってのけた。
「大丈夫ですよ! エスタスが一緒なら、何にも心配する事はありません!」
「……そりゃ、お前はそうだろうな」
 余りにも無責任な発言に呆れつつ、カイトが未だに、自分に対して全幅の信頼を寄せてくれている事が何だか嬉しい。とはいえ、もうお互い子供ではないのだから、そう目いっぱい頼られても困る。
「とんだ旅になりそうだな……」
「きっと楽しい旅になりますよ! よろしくおねがいしますね、エスタス」
 根拠もなくそう言ってすっと右手を差し出してくるカイトに、エスタスはやれやれ、とその手を握り返す。
「こちらこそ、頼むぜ」
 骨休めに、と戻ってきたのに、これでは体を休める暇もなく旅立つことになりそうだ。しかしまあ、この幼馴染と一緒なら、退屈だけはしないで済むだろう。それだけが救いだ。
「それじゃ、早速……」
「ちょっと待て。せめて家に顔くらい出させろっ」
「いやだなあ、すぐに出発なんていいませんよ。僕にだって準備が必要ですし、エスタスだって長旅で疲れてるんでしょう? 温泉でも浸かって、しばらく休んでて下さい」
「……そんなに時間がかかるのか、お前の準備は」
「そうですねえ、三日もあれば何とか」
「おいおい……」

 かくして、剣士エスタスと神官カイトの旅は始まる。
 そう、それは長い長い旅。しかしてこの時の彼らがそれを知る由もなく、二人はてんでバラバラの未来を見つめていた。

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