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[2]


「妖獣退治?」
 眉をひそめるエスタスに、店主はそうだ、と頷いてみせる。そして日に焼けた顔をぐい、と近づけてくると、店にいる他の客には聞こえないように声をひそめる。
「……実はな、三日前に冒険者が退治に出てったんだが、それきり帰ってこねえのさ」
「はぁ……」
 冒険者の店と銘打ってはいるが、この店はもっぱら仕事帰りの男達が集う憩いの酒場として繁盛している。夕暮れを過ぎたこの時間、店にやってくるのは誰であろう、被害者である村人達なのだ、大きな声では言えないということか。
 その妖獣が村の畑や家畜を荒らすようになったのは、つい一月ほど前からだった。それまでこの村では野獣などの被害に遭った事はあったが、今回ばかりはただの獣の仕業ではなかったのだ。
 夜、畑の番をしていた村人の目撃証言によれば、畑を荒らし家畜小屋を襲っていたのは二足歩行をする醜悪な獣だったという。背の丈は人間の子供ほどというそれを、冒険者の店『微睡みの竜亭』店主は「土鬼」と呼ばれる妖獣だろうと推測した。
「土鬼の仕業なら大したこっちゃないと思って、駆け出しを行かせたのがまずかったか……」
 苦々しく呟く店主。と、不意に背後の棚に並べられていた酒瓶が小刻みに揺れ出した。おや、と呟く間もなく揺れは収まったが、店の梁から吊るされた角灯だけはふらふらと灯りを揺らがせている。
 そんな灯りに照らされた店内のあちこちからは、またか、とか、今度は短かったな、などといった呟きが聞こえてきたが、しかし誰一人として慌てた様子はなく、すぐにそれまでの他愛もない話に戻っていった。
「随分慣れた様子だけど、この辺りって地震が多いのか?」
 彼らの落ち着きぶりに目を見張るエスタス。この東大陸は地震の少ないところだと思っていたのだが、それは自分の故郷だけに限った話だったのだろうか。しかしそんな問いかけに、店主はいいや、と肩をすくめてみせた。
「そういうわけじゃないんだが、ここんとこしばらく、こんな揺れが続いててな。おかげで家畜も怯えて逃げ出す始末だ。それで困ってるところに土鬼の被害だろ? まさに踏んだり蹴ったりさね」
 すると、それまで静かに夕食をつついていたカイトがぴくりと眉を動かした。
「断続的な地震ですか。それはまた興味深いですねえ。そもそも地震というのはですね、大地の奥深くに存在する……」
「分かった分かった」
 喋り出したら止まらない幼馴染の口をふさぎ、エスタスは話を本題に戻すべく店主へと問いかける。
「でも、まだ三日だろ? 失敗したと決め付けるには早すぎないか」
 その言葉に、店主は即座に首を横に振った。
「昨日の晩も畑を荒らされてるんだ。大方、退治に失敗して逃げ出したんだろう。まあ頼りない連中だったからな」
 どう見ても駆け出しにしか見えないひょろっとした剣士に、どうにも冴えない印象の神官、そして精霊使いだという少女の三人組だったと聞かされて、エスタスは苦笑いを浮かべた。
「それでオレ達にその話を持ちかけるって事は、少なくともそいつらよりは腕が立つように見えたって事か」
「まあな、そっちの兄ちゃんはともかく、あんたはそこそこ使えるように見えたんでね」
 『冒険者の店』を切り盛りする者というのは、得てして過去に同じ稼業に就いていた人間であることが多い。それだけに、人を見る目は確かだ。店主の言葉にカイトがむっとするのを横目で見つつ、エスタスは頷いてみせた。
「分かった、その仕事引き受けるよ」
「エスタス?」
 なんで、と言わんばかりのカイトに、エスタスはびしっと指を突きつける。
「あのなあ! ここまで来るだけで旅費のほとんどが消えてるんだ、ここで稼がなかったらこっから先どこにも行けないだろ! え?」
 故郷であるエスタイン王国を経って約二月。ライール山脈を越えてやってきたこのシュトゥルム公国で、第一の目的地である首都のルース分神殿を目指していた二人だったが、その旅路の途中で二人を襲ったのは路銀不足という厳しい現実だった。
 とはいえ、出立の際にかなりまとまった金額を二人は用意していた。カイトには神殿からの支度金があったし、エスタスも中央大陸で稼いできた金をほとんど手つかずで持っていた。それなのになぜ路銀が尽きたかといえば……。
「それも全て、お前が何かにつけて本を買い漁ったからだろうが!」
「だ、だってエスタス、他では買えない珍しい本が……」
「やかましい!」
 活版印刷技術が確立されて久しいとはいえ、本はまだまだ高級品だ。しかも旅の最中、重く嵩張る本を持ち歩くなど愚の骨頂であるというのに、この幼馴染は街に寄る毎に荷物を増やしてくれる。しかもその重さでへばってエスタスに助けを求めてくるのだ。進みは悪くなるわ路銀は減るわ、全くたまったものではない。
「僕らルースの使徒にとって、新たな知識を得るという事は……」
「知識で腹が膨れるか?! 何度言ったら分かるんだよお前は。ここは神殿じゃないんだ、黙ってても飯が出てくる暮らしがいいなら、とっととシールズの神殿に帰れ」
「そんなぁ、帰れるわけないじゃないですか。まだ僕は旅に出たばっかりなんですよ? 何も得られずにすごすごと神殿に戻るなんて」
「なら黙って路銀を稼げ。いいな」
 エスタスの言う事は至極もっともである。金がなければ食事もとれないし宿にも泊まれない。それに、欲しい本も買えない。
 このシュトゥルム公国には、山人の技術が集結している。故に、他国では見られない様々な道具や機械が存在するのだ。それらに関する知識を得られるという事も、カイトがこの国を最初の目的地に選んだ理由の一つだったりする。
「分かりましたよぉ」
 不承不承頷くカイト。それをしかと見届けて、エスタスは先ほどから二人のやり取りに目を丸くしている店主へと手を合わせた。
「ちゃっちゃ倒してくるからさ、その代わり報酬はずんでくれよな。頼むよ親父さん、ほんとこの通り!」
「あ、ああ。分かった」
 勢いに押されて頷いた店主によしっ、と拳を握り締め、エスタスはまだ今一乗り気でない相棒の背中をばんっと叩く。
「ほら、しゃきっとしろよカイト。とっとと稼いで、先に進むんだろ」
「分かってますって。それじゃあ親父さん、今の段階で分かっているだけの事を教えて下さい。まずは情報を集めないと動きようがありませんからね」
 懐から帳面と筆記用具を取り出し、店主に向き直って尋ねるカイト。情報収集と分析は彼の得意分野だ。任せて大丈夫だろうと、ようやくエスタスは手付かずになっていた夕食に手を伸ばした。
 すっかり冷めてしまった芋の煮物をつつきながら、店主が仕事の前金代わりだ、と出してくれた酒を傾ける。
(ったく……こんな調子でやってけるのかな……)
 約半月かかった山越えの時点から、エスタスの心労は積み重なりっぱなしだ。何が辛いといって、カイトと二人旅なのが一番辛い。
(いくら慣れてるとはいえ……流石に始終こいつの相手をするのは骨が折れるんだよなあ)
 かつて卒業試験の折に一年間旅をした時は、カイトの他に二人の仲間が同行していた。だから四六時中カイトの話に付き合わずとも済んでいたのだが、今回の旅は違う。聞き手はエスタス一人だけ、そしてカイトはといえば、ますます話の長さに磨きがかかっているときた。
 やれやれ、とカイトの横顔を盗み見れば、店主を相手に聞き込みを続けているカイトは、それはもう生き生きとした表情で喋り続けている。彼にとってはどんな些細な事も貴重な知識であり、それを得る事はまさに生き甲斐なのだ。広く深く、が信条だというカイトの専門分野は古代史から気象学、生物学、天文学、果ては料理に動物の躾までと、見事に幅広く節操がない。
「……ありがとうございました。エスタス、大体のところはつかめましたよ」
 ようやく店主を解放して、カイトはこまごまと文字を書き連ねた帳面をエスタスに突きつけた。そこには畑の被害状況から目撃証言の詳細、そして村への侵入経路から推測された奴らの潜伏場所までが記されている。
「ここから三刻ほど歩いたところにある森の中の洞窟が奴らの根城のようです。今日はもう遅いですから、明日の朝、出発しましょう」
 今日はここに泊めてもらえるよう交渉しときました、と胸を張るカイトに、エスタスは苦笑を浮かべて上出来だ、と呟く。
「まったく、頼りになる相棒だよ。お前は」
 皮肉を込めて言ってやったのに、対するカイトの答えは
「当たり前じゃないですか!」
 ときたもんだ。この根拠のない自信はどこから来るものなのか。いや、考えるのはよそう。時間の無駄だ。
 エスタスはひきつった笑みを浮かべつつ、酒を飲み干した。

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