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第四章[6]

「用ってなあに、マリオ?」
 尋ねるエリナに、マリオは後ろ手に抱えていたものをばっと差し出した。
「こ、これっ、エリナにもらって欲しくて……」
 差し出された絵を見つめるエリナ。そこには、花に囲まれたエリナの姿が描かれている。時間をかけ、これ以上ないくらいに力を込めて描いた絵だ。まさに会心の出来と自負している。
「私を描いてくれたの? ありがとう、マリオ。すごく素敵な絵だわ。でも、なんで?」
 首を傾げるエリナに、マリオはがっくりと肩を落とした。
「あのさあ、エリナ。今日って何の日か分かってる?」
「夏祭でしょ?」
「そうだけど……」
 まるで相手にされていないことは分かっていたが、ここまで天然にボケられると、どうやって渡そうだとか、何と言って告白しようだとか考えて、眠れなくなっていた自分が情けなくなってくる。
 しょぼんとするマリオに、エリナは慌てて手を振る。
「いやだ、マリオ。冗談よ。分かってるってば」
 ばっと顔を上げるマリオ。しかしそこから何と言っていいか分からず、固まってしまった。
「えっと、その……」
「もらっていいの?」
 無邪気に尋ねてくるエリナ。
「その、だから……それはエリナが決めることで……」
 夏祭の夜。若者は意中の相手に、心をこめた贈り物を渡す。それを相手が受け取ってくれれば、思いが通じた証。
「……ここに来たの、久しぶりね」
 マリオの言葉には答えずに、エリナはぺたんと地面に腰を降ろした。 町外れの雑木林、その中にぽっかりと空いた小さな空間は、村の子供しか知らない秘密の場所。
「エリナ、せっかくの服が汚れちゃうよ」
 そう言いながらもエリナの隣に座るマリオに、エリナは大丈夫と笑ってみせる。
 見上げれば、急速に暮れ行く空に白い月。雑木林を通り抜ける風は、爽やかに二人を撫でていく。村の喧騒もここまでは届かない。
「……昔はよく、みんなで遊んだわね」
 この村には子供が少ない。だからこそ皆、兄弟のように育った。遊びに喧嘩、些細な悪戯と、何をするのも一緒。喜びも悲しみも皆で分け合って、これまで暮らしてきたのだ。
「いつも一緒だったから、それが当たり前だと思ってた」
 そう言って、マリオを見つめるエリナ。その表情が思いがけずに大人びていることに、マリオは一瞬どきっとする。
「エリナ……?」
「これ、貰っていい?」
 マリオが描いたエリナの絵。花に囲まれて、とても嬉しそうに微笑んでいる少女の姿。
「それって……!」
 思わず身を乗り出すマリオに、エリナがびしっと指を突きつける。
「でも、お友達からよ!」
「そんなぁ……」
 もう十年以上も前から知っている人間を捕まえて、お友達からも何もあったものではない。
 またもや落ち込むマリオに、エリナは楽しそうに笑い声を上げる。
「うそうそ! 大好きよ、マリオ」
「ほんと? でも……」
 おずおずと、上目遣いで尋ねるマリオ。
「ラウルさんの方が、かっこいいよ?」
 目を丸くするエリナ。しかしすぐに笑いながら、
「ラウルさんは、憧れの人なだけよ。だって、年が離れすぎてるもの。私が十七になったらラウルさん、三十歳のおじさんになっちゃうのよ?」
 と言ってのける。
「た、確かに……」
「マリオだって結構、顔いいもの。大丈夫、大人になったらラウルさんに負けないくらい、かっこよくなるわよ」
(や、やっぱり、顔なの……?)
 引きつった笑顔で、しかしマリオはそっとエリナの手を取る。
「もっと大きくなって、僕がカッコいい大人になったら、僕と結婚してね。僕、頑張るから」
「ええ。いいわよ」
 にっこり笑うエリナに、マリオも初めて満面の笑みを浮かべた。

(お、おじさん……)
 その言葉にかなりの衝撃を覚えて、ラウルは近くの木によろよろともたれかかった。
(確かに、そうだろうけどよ……)
 マリオの一大告白を覗き見してやろうと、村中探し回ってようやく見つけたと思えば、これである。
(聞きたくなかった……)
 かろうじて声が聞き取れる程度まで近づいていたおかげで、どうやらマリオの告白が成功したらしいことは分かる。しかしそんな、聞きたくもないことまで聞こえてしまい、まさに意気消沈してへたり込むラウル。
 そんな彼に気づくこともなく、二人は何やら空を見上げて楽しげに話し込んでいる。
(こんなことなら来るんじゃなかったな……。見つからないうちに、さっさと帰るか……って、お?)
 近くで木立が揺れた。走り去る影は、どうやら村の方に向かっている。
(なんだ、俺以外にも誰かいたのか?)
 もっとも、この辺りで他人に邪魔されずに告白できる場所といえば限られている。この村外れの雑木林にも、マリオ達の他にお客さんがいたところで不思議ではない。
 すっかり暮れた空。雑木林の中は夕闇に支配され、走り去る人影はあっという間に闇に紛れてしまう。
 どこの誰だか確かめたい訳ではなかったが、少しだけ気になって、ラウルは短い神聖語を紡いだ。
『……闇を見通す瞳を貸し与えたまえ』
 小声で鋭く唱えられた祈り。かなりの省略呪文だが、効果はあった。
(よしよし、腕は落ちてねえな……)
 ラルスディーンではこの暗視の術を利用して、追っ手を撒いたり覗きをしたりと色々やっていた。おかげで今では一番の得意呪文となっている。いばれることでもないが。
 暗視の術がかかった瞳は、暗闇の世界を鮮明に映し出す。ただし色の識別が難しくなり、立体感もあまりでないのが難点なのだが、暗闇の中、逃げるように駆け抜けていく人間の姿を捉えるくらいなら造作もない。
(やっぱり人間か……しかし、随分と小さいな?……)
 子供だろうか、人影は足早に去っていく。それを追いかけて、ラウルもその場を離れた。マリオ達に気づかれないように足音を殺し、雑木林を駆け抜ける。暗視のおかげで足元もはっきり見えるから、つまづくこともない。
 雑木林を抜けると、村外れに出る。すぐそこには村の外に続く道があり、そのまま進めばカルダ湖という小さな湖に出るというが、まだ行ったことはなかった。おそらく今頃は、湖畔にも恋人達が集っているのだろう。
 ラウルの追いかけてきた人影は、その道を進もうとはせずに、近くにあった立ち木の陰に座り込んだ。そしてそのまま空を見上げて、何やら物思いに耽っているようだ。
 かすかな月明かりに照らされたその顔は、あどけない少女のものだった。長い白銀の髪が夜風になびき、纏った黒い衣装はまるで闇に溶け込んでいる。そんな中、少女の白い肌と紫の瞳だけが、まるで光を帯びているかのように際立って見えた。
(この辺の子じゃないな、見覚えがない……)
 物陰から窺っていたラウルは、その顔を見てそう確信した。カイトが近隣の子供達の勉強を見ていることから、ラウルも子供達と顔を合わせることが多い。しかも卵珍しさに集団で押しかけてくるものだから、顔くらいは否応なしに覚えてしまっている。第一、こんな美少女なら覚えていない訳がない。
 静かな時が流れる。漆黒に染まった空には星の光が煌き、すっかり熱気を拭い去った夜風が二人の間を吹き抜けて行く。
 少女は物憂げに空を見つめていたが、不意に大きく咳き込んだ。口を手で押さえ、そのままうずくまってしまう。
(お、おいおい、具合悪いのかよ)
 連れもおらず、こんな村外れで具合を悪くしている少女を放っておくなんてことは出来ない。しかし、ここで出て行くのは非常に不自然だ。
 物陰でどうしたもんかと思案に暮れるラウル。と、湖に続く道の向こうから、数人の人影がこちらに向かって歩いてくるのに気づいた。
 何事か喋りながらこちらに向かってくる者達に、しかし少女は気づかない様子でそのままうずくまったままだ。時折ひどく咳き込んでいるのがどうにも気になる。
(やばいなあ……)
 どんどん近づいてくる人間達は、どうも多少なりとも酔いが回っているようだ。若い男が三人。この村の人間ではないし、どうにもあまり柄の良くない連中に見受けられる。
(どうしたもんか……)
 ラウルが躊躇っているうちに、男達は少女のすぐそばまでやってきてしまった。

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