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第三章【5】 |
「どうだ。卵を譲ってくれんか」 革張りの椅子にでん、とふんぞり返った小太りの中年男は、いかにも成金ですという装飾品じゃらじゃらの指を組み、しまりのない顔でラウルに持ちかけてきた。 場所は村長宅の居間。その家主である村長はといえば、申し訳なさそうにラウルの隣で成り行きを見守っている。 (……くそ、呼ばれてみれば、こんな事か……) エストにやってきて既に二月ほどの時が流れている。さわやかな風を取り入れた書斎で、いつものように日誌を読んでいたラウルをマリオが呼びに来たのは、今からほんの半刻ほど前のことだった。 とにかく来てくれというマリオの焦った様子に、何事かと思って卵を背負って来てみれば、この親父がでーんと待ちかねていたというわけだ。 フォルカの町で宝石商を営んでいるという男はドルセンと名乗り、ラウルが到着してから半刻の間、自分がいかに一代で財を築き上げてきたかを延々と語った挙句に、さっきの一言を切り出してきたのだった。 「……申し訳ありませんが」 「いやなに、私は宝石商などやっているが、実は珍しいものを集めるのが趣味でな」 ラウルの言葉を聞いてもいない男に、ラウルの口元が引きつる。 「なんでも、その卵は竜の卵だというじゃないか。そんな珍しいものをこんな田舎に埋もれさせておくのは、宝の持ち腐れというものだよ」 村長の笑顔が引きつっている。確かにここは田舎だが、こうもあからさまに言われると腹が立つというものだ。 ―――ぶぅぅ――― ラウルの横では、村長が用意してくれた籠に収まった卵が不満そうな声で訴えている。 その卵を舐めるような目つきで眺めながら、男は 「それにしても、噂に違わず美しい卵だ。色といい、表面の光沢といい、芸術品といってもいいくらいだ。全くこんなところに置いておくのは勿体無い。私のところでなら、絹を敷いた特製の台座に据えて飾っておくことが出来るものを」 「……この卵は生きています。いずれ殻を破り……」 「おお、そうだ!孵ったら我が店の守り神として、店内で観賞できるよう籠に入れて大事に育てよう。そうだ、籠は職人を呼び寄せて、美しい細工のものを誂えなければ」 ラウルの表情があからさまに険しくなる。村長はそれに気づいて彼を見たが、ラウルは商人をじっと見据えている。 「なに、金ならいくらでも出そう。こう見えても私は王家ともお付き合いのある商人だ」 「……ですから」 「去年の宮廷晩餐会で、王女様が身に付けておられた首飾りを知っているかね?あれは私の……」 「……黙れ。」 強い口調に、男が一瞬押し黙る。ラウルはごほん、と咳払いをして、何事も無かったように続けた。 「申し訳ありませんが、卵をお渡しする事は出来ません。いくら金を積まれてもお断りです。あなたのしようとしている事は、命に対する冒涜と言っても過言ではありません。ユークに仕える身として、そのような事をみすみす許すとお思いですか」 店の守り神などとうまい事を言っているが、要するに竜を見世物にしようとしているだけだ。そんなこすい手段をよく考えつくものである。 「き、君……」 怯えたような目でラウルを見上げる男をよそに、ラウルはさっさと卵をおんぶ紐に戻すと、それを背負いながら 「この話は聞かなかったことにいたしましょう。あなたにユークのご加護がありますように。失礼します」 と、極めて丁寧な挨拶をして部屋から出て行こうとする。その背中に 「君!聞けば神殿の再建費用を捻出する為に苦労しているそうじゃないか。私にその卵を譲ってくれれば……」 きっと振り返るラウル。その瞳には、ありありと怒りの感情が煮えたぎっている。 「……一つの命を物として売り買いし、それで得た金で神殿を再建したところで、ユーク様はお喜びにはならないでしょう。失礼」 バンッ、と大きな音を立てて扉が閉まる。 男はしばらく呆気に取られていたが、ふん、と不機嫌に鼻を鳴らす。 「村長!なんだねあの神官は」 「はあ……」 困ったような村長の言葉に、男はそそくさと椅子から立ち上がる。 「全く、わざわざフォルカから出向いたというのに……」 「お帰りですか?」 「ああ。こんな田舎臭いところ、長居は無用だ」 吐き捨てるように言い残し、男は居間から出て行った。少しして、表に止まっていた馬車が動き出す。 馬車が村の外まで出た頃を見計らって、村長は深いため息をつくと、そそくさとラウルの小屋へ向かい出した。 「ったく、なんだあの男は!」 小屋に帰っても怒りが収まらないラウルに、エスタスがまあまあ、とお茶を差し出す。 「これでも飲んで落ち着いてくださいよ。アイシャが入れてくれたんですよ」 渡されたお茶は、この辺りで一般的に飲まれている紅茶ではなく、どことなく刺激的な香りのする乳白色の液体だった。 (アイシャが?) 隅にいるアイシャを見ると、何だと言わんばかりに藍色の瞳で見つめ返してくる。 「アイシャの故郷で飲まれてるお茶だそうです。結構おいしいですよ」 「へえ……」 カイトのおいしいという言葉を信じて、一口飲んでみる。濃厚な牛乳の味と、なにか香辛料のような刺激、そして濃い目に入れられた紅茶の味が口の中に一斉に広がって、新鮮な味わいをもたらしている。 「本当だ。面白い味だけど、結構いけるな」 もう一口、二口飲んで、ラウルはふとアイシャを見た。 「アイシャの故郷って、どこなんだ?」 エスタスとカイトの二人は東大陸出身と聞いていたが、アイシャに関しては何も聞いた事がない。故郷どころか、家族や生い立ちなども普段の会話に全く出さないアイシャには聞くだけ無駄だと、ラウルも今まで敢えて聞こうとはしなかったのだが。 「南大陸」 意外なことに、アイシャはすんなり答えてくれた。 (なるほど……。褐色の肌だから暑い国の生まれだとは思ってたが) 言われてみれば、健康的な褐色の肌も、色鮮やかな染めや刺繍の施された風変わりな装束も、南大陸特有のものだ。 長年の付き合いである二人も初耳だったらしく、へぇぇとしきりに頷いている。 と、そこに、玄関の扉が申し訳なさそうに開く音がした。 「すいませーん。ラウルさん戻ってますよねー?」 村長の声である。 「どうぞ」 不機嫌な声を隠そうともせずに答えると、おずおずと村長が居間に入ってきた。 そして、ラウルの前にくるや否や、がばっと頭を下げる。 「先程は不愉快な思いをさせてしまって、本当にすいませんでした。ラウルさんに会う前になんとか帰っていただこうとしたんですが、力不足で申し訳ない」 「村長のせいではありませんよ。頭を上げてください」 慌てるラウルに、村長は申し訳なさそうな顔のまま頭を上げ、カイト達が進めるまま椅子に腰を降ろす。 「その商人は帰ったんですか?」 「ええ、こんな田舎臭いところには長居できないそうですよ」 苦笑しつつ、村長。 「フォルカだって大したことない町のくせに、よく言うよ」 肩をすくめるエスタス。この辺りの地理に詳しくないラウルが首を傾げていると、カイトが 「フォルカ近辺では宝石がとれるんです。川や湖なんかで採取できるんですよ。それで宝石の町なんて別名が付いてるんですけど」 と教えてくれた。エスタスやカイトの口ぶりから察するに、名前は大げさだが大したことはない町なのだろう。 「いきなり馬車で乗り付けてきまして、卵を譲れの一点張りでして。私が持っているわけではないと話すと、それじゃ持っている人間を呼んで来いと……。お引取り願おうとしたんですけどねえ」 余りの押しの強さに、さすがの村長も負けてしまったのだという。 「まあ、あれだけラウルさんが強く言えば大丈夫でしょう。いや〜、立派でしたよ、ラウルさん」 村長の言葉に頭を掻くラウル。ついボロが出そうになったが、なんとか取り繕えてよかった。 しかし、あと一言でもあの男が何かほざいたら、村長の前という事も忘れて怒鳴りつけていたかも知れない。 「ドルセンって言えば、フォルカでも有数の宝石商ですよね。かなりしつこいって噂だから、一度断られた位で諦めますかね」 カイトが首を捻る。 「何でも、王家の装飾品を一手に取り扱う事になったのも、宰相にしつこく交渉して、根負けした宰相が渋々、御用達の看板を与えたって話ですよ」 そう言えば、あの男は王女の首飾りがどうの、と言っていた。 「まあ、何度来ても同じ事ですよ」 嫌がる相手に卵を譲ることなど出来ない。うっかり譲って被害を被るのは、誰であろうラウル自身なのだから。 「そうそう。お詫びにと言ってはなんですが、お仕事の話を持ってきたんですよ」 笑顔になって言う村長に、ラウルの顔が輝く。 「レオーナさんの依頼なんですけどね。エルドナの先にエンリカという村があるんですが、その村で買い付けをしてきて欲しいんです」 エンリカまでは馬車で十日ほど。買い付けるのは、そこでしか作られていない酒の樽五つだという。 「そろそろ夏祭ですから、今のうちから用意しておかないといけないんですよ。詳しくはレオーナさんに聞いて下さい」 「そうか、もうそんな時期ですよね」 カイトが呟く横で、エスタスが嬉しそうな顔をしている。 「今年もエンリカの氷結酒が飲めるのかあ。楽しみだなあ」 「氷結酒?」 「エンリカは大氷原に一番近い村で、その極寒の土地柄を利用した酒を造っているんです。まあ、行けば分かります。とにかく美味しいらしいですよ。僕はお酒飲めないんで分かりませんけど……」 カイトの言葉にラウルも口元を緩ませる。美味い酒は人生の楽しみだ。 「分かりました。ありがとうございます」 「いえ、私にはこのくらいしか出来ませんから……」 申し訳ない、とまた頭を下げて、村長は帰っていった。 「ラウルさん、待ってたわ」 『見果てぬ希望亭』で嬉しい言葉をかけてきたのは、店主のレオーナその人である。これが旦那と子供付きでなかったら、そして仕事がらみでなかったら、たまらない台詞だ。 「村長からお話を伺ったんですが……」 まだ夕飯には早く、店内にはラウル達しかいない。 「僕達も一緒で構いませんか?ラウルさん一人じゃちょっと大変そうだし」 エスタスの言葉に、レオーナは勿論よ、と頷く。 「エンリカまで行った事のある人は?」 四人全員が首を横に振る。レオーナはあらまぁ、と意外そうに呟くと、奥の棚から地図を持ってきた。 「ここがエスト。隣村のダレス、エルドナを通って、そこから北上したところがエンリカよ。ここでしか造れないお酒だから手に入りにくいんだけど、うちはずっと昔から、アシュトさんっていう方から氷結酒を卸してもらってるの」 「へえ、そうだったんですか。知らなかった」 カイトが言う。 「いつもはうちの旦那が仕入れに行ってるんだけど、他の用事で十日前から首都へ行ってるものだから、他の誰かに頼もうと思ってたの。夏祭はあと一月ちょっとだし」 ここから首都までは、乗り合い馬車で二十日ほどかかるという。 そういえば、もうここに来て二月も経ったというのに、レオーナの旦那に一度も会ったことがない。厨房で腕を振るっているのは誰であろう旦那その人のはずなのだが、表に出る事をあまり好まないらしく、村人ですらなかなかその姿を見る事はないという変わり者らしい。 (この美人を射止めた相手っていうんだ、さぞかしいい男なんだろうなあ) などど思いながら、レオーナの説明に耳を傾けるラウル。 「出発は、そうねえ。こっちもお金の工面なんかがあるから、五日後でどう?馬車は村長さんから借りてもらって、それでエンリカまで大体十日ってとこね」 行って帰って二十日、祭には間に合う。 「報酬は、諸経費込みで一人金貨十枚でお願いできるかしら。その代わり、途中の村や町には何軒か知り合いがやっている宿屋があるから、そこで安く泊まれる様に紹介状を書いておくわ」 あまり儲からない話だが、まあ仕事にけちをつけられる立場でもない。 「分かりました。お引き受けします」 ラウルの言葉にレオーナが顔をほころばせる。 「お願いするわね。それじゃ五日後の朝までにお金を用立てておくから、取りにきてもらえる?アシュトさんへの紹介状もその時お渡しするわ」 ふと、レオーナは何か楽しそうな表情を浮かべると、こんな事を四人に言ってきた。 「きっと、驚くわよ」 「何がですか?」 きょとんとするカイトに、ついてからのお楽しみよ、とレオーナは笑うだけだった。 話がまとまったところで、ちょうどいいから夕飯をご馳走するわといわれて、顔をほころばせる四人。 出てくる料理はおいしかったが、いつもの味とは一段落ちるものだった。凄腕の料理人がいない時は長女のトルテが腕を振るっているらしいが、やはり父親の腕にはまだ及ばない。 それほどまでの腕を持ちながらこんな片田舎の酒場で働いているというレオーナの亭主とは、一体どんな男なのか。ますます興味が湧いてくる。 「これで、とんでもない醜男だったりしたら、泣くな……」 ラウルの呟きが聞こえたのか、アイシャが片方の眉をひょい、と上げてみせる。 「彼女は、趣味がいい」 「あっそ……」 アイシャの言葉では、いまいちあてにならないと言うものだ。 |
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