第1話「いつ」

 山田のおばあちゃんは昔から『おばあちゃん』で、今でも『おばあちゃん』だ。
 彼女が『おばあちゃん』ではなかった頃のことを、誰も知らない。


 三丁目の駄菓子屋と言えば、この辺の子供なら誰もが知っている人気のお店だ。本当の名前は『山田商店』だが、その名前で呼ぶ者はいない。ただ、この道数十年のベテラン店番のことは、誰もが「山田のおばあちゃん」と呼んでいた。
 ふっくらした頬に、皺だらけの優しい手。真っ白の髪をいつもちんまりまとめて、サクランボの飾りを挿している。
 この界隈のことなら知らないことは何もない、まさに三丁目の生き字引。彼女を怒らせればおやつが買えなくなるから、子供達も彼女には常に敬意を払い、どんなヤンチャ坊主も神妙な面持ちで菓子を選び、順番を守ってレジに並ぶ。
 小さな店内にひしめき合う駄菓子の数々を真剣な表情で眺めながら、少ない予算を最大限に活用すべく頭を突き合わせて計算に勤しむ子供達や、アイドルの写真に黄色い声を上げる女子達。アイスの棒が当たったとひとしきり騒ぐ男子。三丁目の駄菓子屋にはいつだって、そんな懐かしの光景が広がっている。
 しかし、いつでも賑やかな駄菓子屋にも、閑古鳥が鳴く時がある。ごくまれに現れる空白の時間帯を、彼女は『神様がくれた時間』と呼んでいた。
 その日、二人が現れた時も、まさに『神様がくれた時間』だったから、その声は角を曲がる前からご近所一帯に響き渡り、店の前にやってきた頃にはBGM代わりに流しているラジオの音が聞こえないほどだった。
「おばあちゃん!!」
「おばあちゃん!!」
 そのテンションのまま呼びかけてくる声は、ケンカしている時でも綺麗に重なっている。思わず両耳を押さえながら、レジスターの向こうから「はいよ」と返事をすれば、まるで合わせ鏡の様に指を突きつけ合った双子が、これまた同時に喋り出した。
「レンがひどいんだよ!」
「アイがひどいんだよ!」
 そこからはまた怒号の応酬だ。代名詞以外はほぼ同内容のやり取りにじっくりと耳を傾けていると、どうやら今日のケンカの原因は、母の日のプレゼントをどうするかについてらしい。議論が白熱して見事に脱線し、しまいには「ちょっと早く生まれたからって年上面して云々」「ちょっと早く生まれたせいでお姉ちゃん扱いされて云々」といういつものネタに横滑りしている。
「私の方が強いんだから言うこと聞きなさいよ!」
「何言ってるんだよ、僕だって強いよ!」
 怒鳴り疲れてぜいぜい言っている双子に目を細め、町内の調停役はやれやれ、と溜息をついた。
「あんた達は本当にそっくりだから、余計に衝突するんだろうねえ」
「似てないよ!」
「似てないよ!」
 台詞も表情も、タイミングも見事に揃った返答に苦笑を浮かべる。こういうところがそっくりと言われる所以だが、本人達には納得が行かないらしい。そして「真似した」「そっちが真似した」の無限ループに嵌っていく。
 双子の姉弟アイとレン。やっと小学生になったばかりの二人は、性別こそ違えど顔や中身は鏡に映したようにそっくりだ。その上、色違いの服を着て、髪形もお揃いのショートカット。親しい人間以外は名札を見ないと判別が出来ないほどだ。二卵性なのにここまで似るのは珍しいらしいが、本人達は頑として「似てない」と言い張る毎日である。
 ケンカするのは仲の良い証拠とは言うが、こうも毎日では周囲も迷惑だ。そろそろ手を打っておくのもいいかもしれない。
「どれ、二人ともここにお座り」
 猫のケンカのように毛を逆立てんばかりの剣幕で睨み合っている二人をちょいちょいと手招きして、帳場の前に座らせる。そして、二人の頭をよしよしと撫でながら、彼女は楽しそうに語り出した。
「おばあちゃんが面白い話をしてあげようじゃないか。あんた達みたいにそっくりで、でも中身は正反対の二人のお話だよ」
「誰? それ!」
「知りたいしりたい!」
 早速食いついてきた二人にしめた、とにんまり笑い、昔語りのようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「おばあちゃんが小さい頃のお話さ」
 その言葉に、二人は揃って目を剥いた。
「おばあちゃん、小さい頃は子供だったの?」
「ばか、当たり前でしょ! でも……なんか信じられないや」
 双子の両親が小さい頃から、山田のおばあちゃんは『おばあちゃん』だった。今と全く変わらぬ姿で、今と全く変わらぬこの店を切り盛りしていたという。
「そりゃあそうさ。私だって昔は、あんた達と同じように可愛らしかった頃があるんだよ」
 自慢げに胸を張り、そしてずれた話題を戻す。
「私が小さかった頃……この学園都市にはとても力の強い魔法使いが二人いたんだ。一人は《金の魔術士》、もう一人は《鍍金の魔術士》と呼ばれていた――」

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