[TOP] [HOME]



2
「起きないな」
「起きないねえ」
 昏々と眠り続ける少女を前に、男達は困ったように顔を見合わせた。
 窓の外に広がる空は赤く染まり、もうじき夕飯の時間を告げる鐘が鳴り響く頃合いだ。
 仕事帰りに市場で食材を仕入れて戻ってきたオルトだったが、腕を振るう相手がこれでは張り合いがない。
「疲れが出ただけだと思うから、気が済むまで寝かせてあげればいいんじゃないかな」
「ここにずっと寝かせておくのかよ? 客が来たらどうするんだ」
 ええっ、と驚きの声を上げる店主。「来ると思うの?」と言わんばかりの顏で見つめてくる辺り、どうやら閑古鳥を飼い慣らしている自覚はあるようだ。
「せめて寝台に寝かせてやったらどうだ?」
「そんなものないよ?」
 聞けば、この建物には今いる店舗部分と台所のほかに、倉庫として使っている小部屋と、すっかり物置と化している屋根裏部屋しかないというから驚いた。
「……じゃあ、おっさんはどこで寝起きしてるんだよ」
「そこだけど」
 事もなげに指し示されたのは少女が眠る長椅子で――とうとう頭を抱えてしまったオルトに、店主はきょとんと首を傾げてみせた。
「そんなに変かな? 寝心地は悪くないんだけど」
「そういう問題じゃねえ! 店で寝るな、店で! ……っていうか、倉庫か屋根裏を片付けて寝床にすりゃいいじゃねえか」
 その言葉に、珍しく眉根を寄せる店主。顎を掴み、何か考えあぐねている様子で、しばし沈黙したかと思うと、いかにも気が進まない様子でこう切り出した。
「とりあえず……見てみる?」
 唐突に歩き出した店主を追いかけて、店の奥へと繋がる扉をくぐる。まっすぐ伸びる廊下を進めば裏庭へと続く扉。廊下を挟んで左側には台所や厠などの水回りが集まっている。そして右側の壁には『関係者以外立ち入り禁止』の札が掛けられた扉があり、ここが倉庫として使っている部屋なのだろう。
「……覚悟はいい?」
 些か緊張した面持ちで扉に手を掛ける店主に、ごくり、と喉を鳴らす。そして――。
「なんじゃこりゃああああああ!」
 扉の向こうに広がっていたのは『混沌』としか表現できない惨状であり、言葉にするにもおぞましいそれを目の当たりにしたオルトは、絶望に打ちひしがれながら、そっと扉を閉めた。
「……一応聞くが、屋根裏は……?」
「ここよりは片付いてると思うけど」
 行ってみる? と問われて、全力で首を横に振る。この男の「片付いている」などあてになるわけがない。
 謎の敗北感に打ちひしがれつつ店内に戻れば、少女は相変わらず長椅子ですやすやと安らかな寝息を立てていた。
「……とりあえず、このまま寝かしとけ」
「だよね。僕もさすがに、あそこにお客さんを寝かせる勇気はないよ」
「片付けろ! とっとと片付けろ!」
「そのうちねー」
(駄目だこりゃ……)
 店内すらこの散らかりようなのだ。この男に任せておいたら、一生かかっても片付くはずがない。
 やれやれ、と溜息をつきながら、オルトは長椅子で眠る少女へと目を向けた。
 赤ん坊のように手足を丸めて眠るその姿は、起きている時よりも一段と幼く見える。時折むにゃむにゃと言葉にならない声が唇から零れるのは、何か夢でも見ているのだろうか。
「それにしても……これが本当に『人形』だって言うのかよ」
 きめ細やかな白い肌。薔薇色の頬。赤ん坊のように柔らかな唇に、けぶるような睫。それらはとても人工的に作られたものとは思えない。
「まあ、本人がそう言ってるからね。まさか分解して調べるわけにもいかないし」
 しれっと恐ろしいことを言われた気がするが、聞かなかったことにしておこう。
「それで? これからどうするんだよ」
 どうする、と言われても、と頬を掻く店主。
「まずは彼女がどうしたいのかを聞かないとね」
「ただの家出娘だったらどうするんだ?」
「それにしては手が込み過ぎてるよ。それに、僕宛ての荷物であることは間違いないんだし」
「……だから怖いんだよ!」
 《黄昏通り》の担当になって一年あまり、骨董店宛ての荷物が引き起こした『珍事』に巻き込まれた回数は両手では収まらない。含み笑いが響く壺、あらゆるものを吸い込むランプ、怪光線を放ちながら飛び回る円盤―苦い思い出に思わず身震いしたところで、彼方から聞こえてきた鐘の音にハッと我に返った。
「もうこんな時間か。こいつも起きそうにないし、オレは帰るからな」  そう言って踵を返そうとした瞬間、後ろからぐいと引っ張られて、はたと足を止める。
「何だ……って、おい! 離せ!」
 見れば、いつの間にか伸びてきた少女の手が、制服の裾をぎゅっと握りしめていた。いつの間に目を覚ましたのかと思いきや、その瞼はしっかりと閉じられており、規則正しい寝息もそのままだ。
「すっかり気に入られちゃったねえ」
「呑気なこと言ってないで何とかしてくれ!」
 慌てふためくオルトを横目に、そうだなあと腕を組む店主。
「起きた時に、ちゃんとご飯を作ってあげるって約束したら、手を離してもらえるかもしれないよ」
「なにぃ!?」
 思わず大声を上げてしまったが、それでも少女が目を覚ます気配はなく、そして手を離す様子もない。まさかこのまま引きずっていくわけにもいかないし、こうしている間にも時間はどんどん過ぎていく。
「ああもう!」
 呑気に微笑む店主をきっと睨みつけ、大きく息を吐く。そしてオルトは裾を掴んだまま眠り続ける少女の耳元に顔を寄せると、そっと囁いた。
「目が覚めたら、ちゃんと美味いもん食わせてやるから。だから手ぇ離せよ。な?」
 まるでその声が聞こえていたかのように、握りしめた手が僅かに緩む。その隙を逃さず裾を引っ張って、なんとか離してもらうことに成功したオルトは、どこか満足げな寝顔に「このやろう」と呟いた。
「どこまでも手のかかる『荷物』だなあ、おい」
「ちゃんと最後まで見届けるのも郵便屋さんの仕事だもんねえ」
 ご苦労様です、と他人事のように頭を下げる店主を見据え、きっぱりと言い放つ。
「約束しちまったからこいつの飯は作ってやるけど、おっさんの分はないからな!」
「ええー! それはないよー」
「いい年こいて好き嫌いするやつに食わせる飯はねえ!」
「そんなあー。ニンジン一欠けらくらいなら我慢するから、ね?」
 頭上で交わされる賑やかな言葉の応酬をものともせず、幸せそうに眠り続ける少女。そのあどけない寝顔を見ていると、くだらないことで舌戦を繰り広げている自分がむなしく思えて、がっくりと肩を落とす。
「とりあえず――また明日」
「うん。また明日ね」
 嬉しそうに手を振る店主の顏には、それはもうばっちりと「明日のご飯は何かなあ」と書いてあり――。
(……明日はニンジン尽くしにしてやる)
 固い決意を胸に石畳を蹴れば、沈みゆく夕日が目に沁みる。
 茜色に染まった翼を力強く羽ばたかせ、オルトは夕暮れの空へと飛び立った。


[TOP] [HOME]