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1. 待ちぼうけ |
窓から差し込む太陽光が、窓辺に置かれた花瓶の影をくっきりと食卓の上に描き出す。 穏やかな日差しに背中を暖められると、あまりの心地良さについ居眠りをしてしまいそうだ。 これではいけない、と頭を振り、閑散とした室内を何気なく見渡す。 彼女らの他には誰もいない室内には、硝子の杯を磨いている店主の下手くそな鼻歌だけが響いていた。暇を持て余しているのは彼女達だけではないのだ。 マースヴァルト共和国の東、ライール山脈にほど近いここクーディスの町はこのところ平穏そのもので、お陰でこの冒険者ギルドは閑古鳥が鳴いている。ほとんどの冒険者達は仕事を求めて別の場所に移っており、現在ギルドでくだを巻いているのは彼女達だけだ。 それでも、今はまだ前回の仕事で稼いだ金があるからいい。それを使い果たしてなお仕事が舞い込んでこなかったら……! 「ふう……」 重苦しいため息を聞きつけて、向かいの椅子に陣取っていた仲間の一人、空人の戦士キューエルがばさり、と背中の翼を動かした。鮮やかな赤い羽が揺れて、まるで揺らめく炎のように見える。人間で言うと肩をすくめる所作にあたるその仕草は、彼の癖でもあった。 「なんだシェリー。アルスラーンの旦那のことでも考えてたのか?」 からかうような口調に怒ることもなく、シェリーと呼ばれた女盗賊は食卓に頬杖をついた。 「早いとこ、いい仕事にありつけないかなと思っただけだよ」 そんな言葉に、今度は隣の席に座ってじっと本を読んでいた山人が顔を上げる。大地と智の女神ルースに仕える彼は、暇さえあればこうして本に向かっているのだ。 「それは難しいんじゃないかな」 あっさりと言ってのける彼にむっとして、文句をつけてやろうとした矢先、今度は少し離れた椅子の上で瞑想をしていた空人の魔術士が口を開いた。 「ハーザの言う通りだな。主戦力を欠いた状態の我らにこなせる依頼など、たかが知れている」 「分かってるよ、そんなこと!」 ここにいる仲間はシェリーを含めて四人。しかし彼らはもともと、六人で組んでいる冒険者だった。 現在ここにいない騎士アルスラーンと戦士ギルの二人は、それぞれ所用で出払っている。しかもいつ帰ってくるかも分からないと来た。お陰で、待ち合わせ場所であるこのクーディスの町に逗留を余儀なくされて、すでに一月近くをここで過ごしている。 「ったく、あのヒゲときたら、どこで道草食ってるんだか!」 「……ギルのことはいいんだ?」 ぷりぷりと怒るシェリーに、こっそりと呟くハーザ。その時ちょうど開いた扉の軋みに紛れて、どうやらシェリーの耳には届かなかったらしいその呟きに答えたのは、瞑想を終えたらしい魔術士だった。 「なに、聞くだけ野暮というものだ」 騎士アルスラーンを"ヒゲ"と呼び習わすのはシェリー一人だ。それが不器用な彼女なりの愛情表現であることは仲間達も気づいていたから、あえて突っ込まないでいる。 やれやれとぼやいて読書に戻るハーザを横目に、魔術士は椅子から立ち上がった。その途端にすぐ脇を通り過ぎていった旅人に翼をぶつけそうになり、慌ててそれをかわす。そしてシェリー達のところへやってきた彼は、澄ました顔で言葉を続けた。 「どのみち我らはさしたる経験もない、駆け出しの冒険者だ。仕事にありつけないのも仕方あるまい」 「達観してる場合かよ、ラルフ! 大体っ――」 ふと怒鳴り声を途中で飲み込んで、シェリーは店の奥から響いてきた会話にそっと耳をそばだてた。職業柄というよりは天性の勘が、その会話を聞き逃してはならないと告げている。 奥にいた店主に話しかけているのは、先ほどやってきた旅人だ。どうやら同業者らしい彼と店主との会話から「奇病」「特効薬」という単語を拾って、シェリーはそっと眉根を寄せた。 「随分とまた穏やかじゃないな」 店主もシェリーと同じように眉をひそめて、がらんとした店内を見渡す。当然の如く、店内には彼女達四人のほかは誰もいない。 この機会を逃すまいと、シェリーは少々わざとらしく視線を送ってみた。その向かいでキューエルもまた、熱視線を店主へと向ける。逆に目を逸らしたハーザの顔には『厄介な話みたいだし首を突っ込みたくないなあ』と書いてあったが、それはあっさりと無視された。 「ああ、お前達。今、手は空いてるのか?」 仕方ないなと言いたげな顔で尋ねて来る店主に、ラルフが憮然とした顔で答える。 「何日ここに通い詰めたと思っているんだ」 「そうそう、もう当然の如く空きまくってるよ」 茶化すようなキューエルの言葉に、店主は分かった分かった、と呟き、旅人へと向き直った。 「あいつらがどうも手が空いているらしいから、話をしてみちゃどうだ」 「ああ、ありがとう」 張りのある声でそう答え、その旅人は機敏な足取りで四人のもとへと歩み寄ってきた。そんな彼を見つめながら、シェリーは隣の席へと囁く。 「ヒゲ、交渉は――」 任せたぜ、と言いかけて、しまった、と口を閉ざすシェリー。そう、これまで依頼主との交渉役を引き受けていたのは、彼らのまとめ役でもある騎士アルスラーンだった。しかし彼がいない今、残っているのは気難しい魔術士にお調子者の戦士、そしてのほほんとした神官――。 (駄目だこりゃ……) 心の中で大きくため息をついて、シェリーはやってきた旅人へと顔を向けた。こいつらに交渉なんて任せられたものじゃない。ここは自分がやるしかないだろう。 「君達――」 「詳しい話をしてくれるかい? 少しだけなら聞こえてたんだけど、奇病がどうのって」 気さくな呼びかけを遮って問いかけたシェリーに、旅人は一瞬だけ目を見張ったが、すぐに穏やかな笑顔を向けてきた。 「ああ、勿論。その前に自己紹介をしておこう。私はユーク神官のダリス=エバストという。今は修行の旅の途中なのだが、たまたま知り合いを尋ねて立ち寄った村で、村人が眠ったまま目を覚まさないという奇病が蔓延していてね……」 淡々としたダリスの語り口調にふんふんと相槌を打ちながら、さり気なく視線を巡らせる。 年の頃は二十代後半か、もしかしたら三十を少し越えているのかもしれない。淡い金髪は短く刈り込まれ、琥珀色の瞳は落ち着いた雰囲気を醸し出している。ぱっと見た感じは旅の剣士といった風情で、シェリーの思い描く「ユーク神官」とは随分かけ離れた雰囲気の持ち主だった。 ユークと言えば『辛気臭い墓守の爺さん』というのが世間一般の見解だ。それなのに、このダリスはまだ若かったし、その人懐こい笑顔と快活な口調には誰もが好感を覚えることだろう。 「……というわけで、このまま放っておくわけにも行かなくてね」 そう言って一旦話を区切り、四人を見回すダリス。と、それまで黙って話を聞いていたラルフが不意に口を開いた。 「失礼。私の思い違いでなければ、ユーク神殿では近年、神官達に医術を学ばせていると聞く。もしかして、あなたも医術の心得があるのではないかな」 ラルフの言葉に、三人は揃って目を瞬かせる。ユークは死と闇を司る神。その神に仕える彼らが医術とは、一体どういうことなのだろう。 一方、問われたダリスはと言えば、少し嬉しそうな顔をしてラルフに頷いてみせた。 「よく知っているね。確かに私は一通りの医術を修めている。とはいえ、この奇病は特殊な病らしく、私には治すことが出来なかった」 「じゃあ、どうするつもりなんだい?」 今度はキューエルが問いかける。すると彼はあっさりと、特効薬があるらしいのだよ、と答えた。 奇病に冒された人々が暮らすトークの村は、このクーディスから二日ほど歩いたところにある小さな村だという。ライール山脈にほど近いのどかな農村で、村のすぐそばには森が広がっている。その森には森人達の暮らす集落があり、トークの村にもその集落出身の森人が何人か暮らしていた。 「……そのうちの一人が病に倒れる直前、『長老なら薬を作れるはずなんだが』と言っていたのを家族の者が聞いていたようでね。つまり、その森人の集落へ出向いて薬を分けてもらえれば、彼らを病から救えるというわけだ」 「簡単に言うなあ」 ぼそり、と呟いたのはハーザだった。森人の集落は、他種族には決してその場所を明かされないことで知られている。どんなに心を許した相手であっても、彼らは故郷の大まかな位置はおろか、それを隠す理由すら教えてはくれないのだ。 子供でも知っているこの常識を、ダリスが知らぬわけもない。ハーザの言いたいことが伝わったのか、ダリスはしらっとした顔で言ってのけた。 「なに。この緊急事態に、森人の掟がどうのと言ってはいられないだろう。村人の話では、詳細な場所は分からないものの、大体の位置は掴めているらしい。そばまで行けばあちらから出向いてくれるだろうから、事情を話して薬を分けてもらおうと考えたのだが、いかんせん私一人では心細くてね。こうして、同行してくれる仲間を探しに来たのだよ」 さほど深い森ではないものの、近年は妖獣や魔獣の目撃例もあると言う。このダリスがどれほど腕の立つ人間かは分からないが、確かにたった一人で行くのは無謀かもしれない。 「なるほど。要するに、森人を一人とっつかまえて締め上げればいいってわけだ」 「それはいかんと思うぞ。」 「う、うるさいねっ」 鋭いキューエルの突っ込みにばつの悪い顔をしながら、シェリーは仲間達をぐるりと見渡す。特に不満を訴えるものはなかったから、話を進めるべくシェリーは再びダリスに向き直った。 「で、ダリスさんよ」 その伝法な口振りに苦笑を浮かべながら、ダリスは何だね、と首を傾げる。そんな彼に、シェリーは人差し指と親指で丸を作ってみせた。 「 いかにも彼女らしい質問に、思わず噴き出したのはキューエルだ。 「そっからいくのか」 「まあ、盗賊だからいいんじゃないかな」 「彼女が金にうるさいのはいつものことだ。今更驚くこともない」 「うるさいな。これが一番重要なことだろ! で、どうなんだ」 言いたい放題の仲間達を一喝し、更に尋ねるシェリーに、ダリスは笑いをかみ殺しながら答える。 「トークの村長が金貨二十枚なら出せると言っている。私は報酬を必要としていないから、薬を持って帰れたらその金は君達で分けてもらって構わない。どうだろう、一緒に来てもらえないか」 金貨二十枚と聞いて、四人は顔を見合わせた。一人辺り金貨五枚。それだけあれば、しばらくは金の心配をしなくて済む。森人の村を探すのがどれくらい困難かは分からなかったが、悪い話ではなさそうだ。 しかし、そう安請け合いをするわけにもいかない。慎重を期すためには、聞き出せるだけの情報を得なければ、とシェリーはわざと渋面を作ってみせた。 「とはいえ、まずその病気がなんなのか分かってるのか? もしその村に行って、オレ達までそれにかかっちまったりしたらどうするのさ?」 「なに、その心配はないだろう」 四人を見回して、ダリスは自信たっぷりに続ける。 「見たところ、君達の中に森人の血を引く者はいない。あれはどうやら森人の血を受け継ぐ者のみが感染する病のようだからね。その証拠に、同じ家に暮らしている人間には全く伝染っていないんだ」 「なるほど、特定の種族のみが感染する病気か。それは興味深い」 腕組みをして頷くラルフ。何でもかんでも知識として詰め込みたがるのは、魔術士の悪い癖だ。 「どうだろう、行ってもらえるかね?」 尋ねられて、仲間達は一斉に、まずシェリーを伺ってきた。 「まあ、別にいいんじゃない」 目的地も近いことだし、ここでくだを巻いているよりはよほど有意義だ。そう答えて、シェリーは後の三人の返答を待つ。 「もし見つからなかったら、空から探すか」 それなら得意分野だ、と自信満々なキューエル。 「私も構わんよ。知識を深めるいい機会になりそうだしな」 ラルフもそこそこ乗り気なようだ。 「反対する理由も特にないし」 やる気があるのかないのか分からないハーザの発言はいつものことだったので、シェリーは最後にダリスへと向き直り、ぱちりと片目をつむってみせた。 「その依頼、引き受けたよ」 その答えを受けて、ダリスはありがとう、と微笑んだ。 「それではみんな、よろしく頼む。……出発はいつにする?」 「なんなら、今すぐでも構わないぜ。なあ」 そんなキューエルの言葉に「ひえぇ」と素っ頓狂な声を上げるハーザ。大量の本を持ち歩いているせいで誰よりも荷物の量が多い彼は、いつも荷造りに時間がかかるのだ。 「ったくもう。ちゃんと手伝ってやるから、とっとと支度しな! 冒険者だろ? いついかなる時でも機敏に動けなくってどうするんだよ!」 情けない顔をしているハーザの背中を乱暴に叩いて、シェリーは食卓の上に散乱した本やら手帳やらを手早くまとめ出す。それを見てわたわたと手にしていた本を鞄にしまい込むハーザの様子にくすりと笑みをこぼし、そしてダリスは茶目っ気たっぷりの瞳で、恭しくお伺いを立てた。 「それでは冒険者諸君。早速、出立しても構いませんかな?」 芝居がかった口振りに苦笑いを浮かべる三人。そんな中、ただ一人ラルフだけはごくごく真面目に、 「ああ、行こうではないか」 と、実に偉そうな答えを返してみせた。 |
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