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2.熱烈歓迎 |
クーディスから徒歩で二日、ようやく辿り着いたトークの村は、人口百人に満たない小さな農村である。 鄙びた村だよ、と聞かされていた一行だったから、ようやく見えてきた村の様子に、それはもう仰天したものだった。 「なんだ、あれ」 「……お出迎え?」 のどかな光景をぶち壊す、黒山の人だかり。村の正門に集まった人々は、間違いなくトークの村人であろう。ざっと見たところ、三十人は悠に越えている。 それが一斉に喋り出したものだから、辺りはにわかに騒然となった。 「ようこそトークの村へ! 歓迎するだよ!」 「お待ちしておりました!」 「ダリスさん、お帰りなさい」 「その人達が冒険者?」 「ようこそトークの村へ!」 「それさっき言った〜」 「なんだぇ、みんなでいっせーのせで言うって決めたのによぉ」 「わー、本物の剣だー!」 「あの人、魔法使い!? すっごーい」 こうなるともはや、誰が何を言っているのか分からない。 「ね、熱烈歓迎だ、な」 「……だね」 あまりの歓迎ぶりに絶句する四人を横目に、ダリスはその人込みの中から村長らしき老人の姿を見つけ出し、気遣わしげに尋ねた。 「彼らの容態はいかがですか?」 「うむ、今のところは何もない。お主の見立て通りじゃよ」 老人が口を動かすたびに、真っ白く垂れ下がった眉と髭がもさもさと揺れる。まるでむく犬のようだ、などと失礼なことを考えていたシェリーは、村人を掻き分けてやってきた彼が目の前で立ち止まったのを見て、どきっとした。 (やば、今オレってば、口に出しちゃった?) しかしそこは腐っても盗賊、動揺をぐっと押さえ込み、そ知らぬ顔で老人を伺う。すると老人は、シェリーの手をぎゅっと握り締めてうんうんと頷いてみせた。 「よく来てくれたのう。わしがこのトークの村長を務めるシャギールじゃ」 「は、はあ……どうも」 どうやら、四人の中で一番人当たりが良さそうな自分に声をかけただけ、と分かって、ほっと胸を撫で下ろすシェリー。そんな彼女を尻目に、残り三人と次々と握手を交わしていった村長は、一番最後となったハーザの手をぶんぶん振りながら、嬉しそうにダリスを振り返った。 「クーディスでは人が集まらんかと気を揉んでおったが、杞憂じゃったな。こちらの方々、若いのに大層腕の立つ冒険者ご一行とお見受けする。これで彼らは救われたも同然じゃ」 見え透いたお世辞と分かっていても、腕が立つと言われれば悪い気はしないものだ。 「そ、そうかなぁ」 「ばか、お世辞に決まってるだろ!」 こそこそ囁きあうハーザとシェリー。そんな二人を冷ややかに見つめながら、それまでじっと黙り込んでいたラルフがわざとらしくキューエルに呟いてみせる。 「昨日から歩き通しだったから、流石に足が痛くてかなわんな」 その言葉で、村長はようやく彼らが村の中にも入っていないことを思い出したようだった。 「まあ、ここで立ち話もなんだから、どうぞこちらへ」 村人を掻き分けるようにして歩き出す村長。その背中を追いかけて歩き始めたラルフに、思い出したようにキューエルが口を開く。 「それはお前、普段飛んでばっかいるからだぞ。もっと足を鍛えんとな」 「……」 何か言いたげに口を動かしかけて、やめる。そしてラルフは、隣を意気揚々と歩く同族の友へ、吐息まじりの言葉を返した。 「……ご忠告、痛み入る」 *****
「病に倒れている者は全部で二十人。そのうち四人が純血の森人で、彼らの子供を含めた混血の人間が十六人じゃ」 手ずから淹れた茶を勧めながら、村長はふと言葉を区切り、深いため息を漏らした。 「何しろあっという間のことでな。最初の一人が倒れてから、たったの五日で森人の血を引く者全てが倒れてしまった」 「でも、寝てるだけなんだろ?」 茶器を弄びながら、シェリーが首を傾げる。 「その通り。ただ昏々と眠り続けているだけじゃが、このままではやがて死に至るだろう」 「その間栄養を取らないわけだからな」 ぼそっと呟くラルフ。その言葉に、ダリスが静かに頷いてみせた。 「最初はただ眠っているだけだと、誰もが思った。しかし、いつまで経っても目を覚まさない。それを不審に思い始めた頃には、村にいる二十人全員が同じ症状で倒れていたんじゃ」 もう少し早く気づいておれば、と嘆息する村長。吐息が紅茶の海を揺らし、林檎に似た芳香がふわり、とあたりに漂う。 「あ、これカミツレだ」 沈み込む老人の様子など気にも留めず、茶を一口含んで呟くハーザ。その呑気な台詞に気を取り直したのか、村長は傍らのダリスを嬉しそうに見上げて続けた。 「何しろこの辺りには医者もおらず、どうしたものかと途方に暮れていた折に、このダリス殿が知人を訪ねてまいられてな」 「そうだ、その知人って誰なのさ?」 思わず口を挟んだシェリーに、ダリスは肩をすくめて答える。 「古い友人がこの村で暮らしていてね。しかし、その友人も今は病に倒れている。だからこそ、なんとしても彼らを助けたいんだ」 「ほおお」 納得、とばかりに呟く男三人。そして一人、シェリーだけがにやり、と笑い、ぴっと小指を立ててみせる。 「 下世話な突っ込みに、苦笑しながら首を横に振るダリス。 「残念ながら、友人は男性だよ」 なあんだ、と呟くシェリーを横目に、ラルフが口を開いた。 「その知人から、森人の村の場所を聞いては?」 「いや、それは森人たちの禁忌とされているからね。聞こうとも思わなかったな」 むべなるかな、と肩をすくめるラルフ。その横で、ようやく真面目な顔に戻ったシェリーが村長に問いかけた。 「村人の中で、その森人の村について何か知ってそうな人はいないのかな?」 「何しろ交流が殆どないのでな。村人が知っていることと言えば、せいぜい彼らの村がどの辺りにあるか、程度じゃの。現在は協定が結ばれておるから近寄る者などおらんが、一定距離まで近づくと、森人が警告を発するのじゃよ。かつて、それを無視して彼らの領域に入り込んだ者が森人と一悶着を起こしたことがあってなあ。そう、あれは確かワシの曾爺さんが若い頃だったか、腕自慢の狩人が大鹿を追って森の奥深くまで入り込んでしまい……」 「村長」 やんわりと遮るダリス。話が脱線していることに気づいた村長は、これは失礼と頭を掻いた。 「すまぬ、森人の村の話じゃったな。その村はエシャンの村と呼ばれておって、このトークの北西に広がるレイヴァスの森、その南部にあるとされている。この村にもエシャン出身の森人がおってな、その者が「これは森人特有の「眠り病」に違いない。エシャンの村長なら薬を作れるはずなんだが」と言っておったそうな」 自分が薬を取りに行く、と意気込んでいた彼が病に倒れたのは、その直後のことだったという。 「森人特有の病気、かあ。そういやあんた達にはそういうのないの?」 ふと思いついて尋ねてみると、彼女から見れば異種族であるところの男三人は思わず顔を見合わせ、うーんと唸った。 「翼が動かなくなる病があると聞き及んではいるが、かかったことはない」 「体が岩みたいに固くなる病気っていうのがあるらしいけど、でも実際にかかった人を見たことはないなあ」 へぇ、と呟くシェリーの横で、それまで黙り込んでいたキューエルが口を開く。 「なあ、これは単純に病気であって、魔法の類じゃないの? ほら、眠りの魔法とか」 村長にというよりは、魔術士であるラルフに向けられた言葉に、問われた本人はきっぱりとこう答えた。 「実際に見てみなければ何とも言えない」 ラルフの返答に小さく頷いて、ダリスがそれに、と続ける。 「よしんば魔法だとしても、森人だけを狙って魔法をかける理由が分からないな」 「ある意味謎か」 ハーザの呟きを遮るように、ラルフがすっくと立ち上がった。翼が壁に触れて、ばさりと音を立てる。 「念のため、魔法が掛けられているかどうか、調べてみたいんだが」 「ああ、それなら――」 腰を浮かしかけた村長を手で制し、立ち上がったのはダリスだった。 「私が案内しよう。彼らの様子をこの目で確かめておきたいことだしね」 *****
不思議な響きの言葉が、粗末な部屋の中にこだまする。 部屋の中央に置かれた寝台には、静かに寝息を立てる一人の青年。その髪から突き出た長い耳こそ、森人たる証。ファーンに息づく種族の中で、森人こそは最も優美で長命な一族とされている。 「……こうやって見ると、ただ昼寝してるみたいだね」 「しっ、静かに!」 ハーザの囁きを窘めつつ、同意を示すように小さく頷くシェリー。 事情を知らないものが見れば、午睡を楽しんでいるようにしか見えない森人の青年。しかし彼は、かれこれ五日も眠り続けているのだという。 長々と続けていた詠唱が、ふいに途切れる。集中を解き、大きく息をついたラルフは、見つめる四組の視線に肩をすくめてみせた。 「魔法は感知できなかった」 「じゃあ、やっぱり病気なんだ」 ハーザの呟きに、恐らく、と頷いてみせるラルフ。 「じゃ、その森人のところに行きゃいいんでしょ」 さっさと行こう、と言いたげな彼女に、ラルフがやれやれと呟く。 「正確な位置が分からないと言うのであれば、近くまで赴いて森人を探すしかないのか」 「どうせ、近くまで行けば警告が来るんだろ?」 「恐らくね」 答えたのはダリスだった。それまで彼らのやり取りを少し離れたところから見守っていた彼は、むっとした顔のシェリーにおどけた仕草で肩をすくめてみせる。 「何しろ協定が結ばれてからは、近づく者など殆どいないというからね。向こうさんも安心しきって、警戒していないかもしれない。まあそれはそれで、すんなり村に近づけるだろうから楽かもしれないよ」 そう語る横顔が、ふいに黄金色に照り輝く。 窓の向こうに沈み行く夕陽に目を細めながら、ダリスはさて、と呟いた。 「今日はもう遅いし、出発は明日の朝にしよう。今晩は村長の家に泊めてもらえることになっているから、そろそろお暇しようじゃないか」 ちなみに村長の奥方は大層料理が上手でね、と語るダリスに応えるように、どこからか可愛らしい腹の虫が鳴る。 「オ、オレじゃないよっ!」 仲間の視線を一身に浴びて、シェリーがばっと顔を赤くした。しかし、腹を押さえながらでは説得力がない。 「オレじゃないったら!」 珍しく狼狽する彼女に、ぱちりと片目を瞑ってみせるダリス。 「腹の虫の大合唱になる前に、奥方の手料理を堪能しに行こうじゃないか」 「だから、オレじゃないっての!」 「誰でもいいって。ああ、腹減った」 「夕飯の献立、何かなあ」 いそいそと部屋を後にする欠食冒険者達。最後に扉を潜ろうとして、シェリーはもう一度だけ、寝台に横たわる森人へと瞳を向けた。 夕陽に照らされた寝顔は、光線の具合か、まるで泣いているようにも見えて。 「……もうちょっと、待ってなよ」 呟くシェリーの背中に、能天気な声が響く。 「おーい、早くしないと置いていくぞ」 「分かってるよ!」 くるりと踵を返し、後ろ手に扉を閉めて、シェリーは仲間達のもとへと走り出した。 |
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