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ファーンの大地に数多の魔術士あれど、異名を以って語られる者は極めて少ない。 それらは数々の逸話と共に語り継がれ、人々は畏怖と尊敬の念を抱きながらその名を紡ぐ。 ……ここに、一つの異名を冠した魔術士の物語がある。 それは気紛れな運命に翻弄された悲喜劇の主人公と、 これまた運命の悪戯によって引き合わされた、一人の少年が綴る物語。 後の世に語り継がれるその異名は、《鍍金の魔術士》――。 「とうとうみつけたぞっ」 そんな怒声が、狭い店内に響き渡った。 昼下がりの食堂。店で遅い昼食をとっていた客の視線が一斉に声の主と、そして声を掛けられた人物へと注がれる。 一番奥の席に陣取って昼食をとっているのは、目にも鮮やかな金髪の旅人。大きな帽子を目深に被り、ゆったりとした服に身を包んでいるため、性別や年齢は一見して分からない。しかし、服の袖から覗く手は細くしなやかで、少なくとも無骨な男や老人でないことだけは確かだった。 そんな旅人に食って掛かろうとしているのは、たった今、物凄い勢いで店へと飛び込んできた一人の少年。見たところまだ十代前半だろう、本人の威勢をそっくり写し取ったかのようにツンツン跳ねたこげ茶色の髪に、まるで体に合っていないブカブカの革鎧を着込み、手には短剣など握り締めて、まるで親の仇にでも会ったかのように橙色の双眸を光らせている。 「やいやい、《金の魔術士》リファ!」 少年の言葉に、辺りがどよめいた。 《金の魔術士》リファ。それは古くから人々の間に語り継がれる伝説の魔術士の名だ。金の髪に青い瞳、強大なる力を秘めた不老不死の魔術士。その名を、まさかこんな片田舎で聞くとは。 周囲が固唾を呑んで見守る中、少年はびしっと旅人を指差し、声高に言い募る。 「ここで会ったが百年目、そのく――」 ごすっ、という鈍い音と共に、少年の口上はあっさりと途切れた。 次の瞬間、板張りの床へ尻餅をついた少年は、何が起きたのか分からないといった表情で目の前を見つめ、そして顔を歪める。 突き出された杖の先端。椅子に座った状態のまま、その人物は傍らにあった杖で何の躊躇いもなく少年をど突いたのだ。 「……て、てめぇ……よくもっ!」 立ち上がり、いまだ座ったままの魔術士に掴みかかろうとした少年は、突如目の前で立ち上がったその姿に思わず動きを止めた。 「……誰が《金の魔術士》リファだって!?」 えらく怒りのこもった呟き。その響きが予想外に高かったことで、少年の目がまん丸に見開かれる。 そして。 「わたしはリダよ、リダ! ったく、人違いも大概にしろっての!!」 帽子をかなぐり捨て、少年の目の前でふんぞり返ったその人物は、紛れもなく女性で、そしてとびっきりの美女だった。 年の頃は二十代前半といったところだろうか。女性にしてはやや長身で、小さな顔がそれを更に強調している。整った顔立ちにすんなりとした首筋、そして海の青とも空の青ともつかない、不思議な色合いの瞳。飾り気のない長衣を纏ってさえ、その美しさは隠しようもない。 「うおぉ……別嬪さんだ」 「こりゃたまげたなぁ」 そんな呟きが小波のように二人を包む中、リダと名乗った女性は怒りが収まらない様子で、ぐい、と少年に迫る。 「大体ね、この世の中に金髪の人間がどれだけいると思う? 青い目の魔術士がどれだけいるか知ってる? それが偶然重なっただけで、勝手に勘違いして挑んでくるような馬鹿な連中がどうして後を絶たないわけ!? 故郷にいた頃もそう! 都に出てもそう! 仕方なく旅してれば少しは減るかと思ったら益々増える一方! わたしだっていい加減、堪忍袋の緒が切れるってもんよ!」 堰を切ったように飛び出す文句の数々。外見からは想像も出来ない彼女の言動に、顔を引きつらせる客達。そんな周囲の反応など気にも留めずに、リダは怒鳴り続ける。 「そもそも《金の魔術士》リファなんて伝説の人物じゃないの。本当にいるかどうかだって疑わしいっているのに、どうしてこのわたしがっ――」 「リファは本当にいる!」 リダの喚きを遮って、少年の怒りに満ちた声が店内に響き渡った。 「俺の父さんはリファに殺されたんだ!! だから俺はリファを見つけて、仇を討つんだ!!」 「はぁ?」 何言ってんの、と言いかけて、彼女は少年の顔がひどく真剣なことに気づいた。 「……それ、本気?」 「本気だ!」 「でもさ、あんたどう見てもただのガキじゃない。そんな付け焼刃な格好したって、すぐ分かるんだからね。そんなんでどうやって伝説の魔術士を倒そうっての?」 「何とかなる!」 自信満々に言い切られると、何と突っ込んでいいか分からない。呆れ顔で、しかしリダは更に問う。 「第一、そのリファがどこにいるかも分かんないんでしょ?」 「見つける! どんな手を使っても見つけ出して、絶対に仇をっ……!」 そこまで力説して、ふと少年はばつの悪そうな顔でリダに向き直り、そして頭を下げた。 「人違いをして、ごめんなさい。ここに金髪の魔術士がいるって話を聞いて、それで来たんだけど……本当に、ごめんなさい」 「分かればいいよ、別に」 そう言って、無造作に少年の頭に手を置くリダ。 「今まで勘違いしてくれた連中も、あんたくらい素直だったら良かったのに……それにしても」 にんまりと笑って、リダはうそぶく。 「面白いじゃないの」 「え?」 きょとん、と見上げてくる少年の頭をぐりぐりと撫で回す彼女の顔には、それはもう異様なほどに爽やかな笑みが浮かんでいた。 「いやぁ、考えてみればそうよね。何もかも、そのリファが悪いんじゃない。あっちこっちで色んなことやらかしてさ、あとでわたしがどれだけ迷惑するかなんて考えてないんだから。そう、それなら取るべき道は一つ! そいつをぶっ倒して、わたしの名を新たに世界に轟かせてやればいいわけよ。なぁんだ、こんな簡単なことにどうして今まで気づかなかったのかなぁ」 「あのー、もしもし?」 笑顔でとんでもないことを言ってのけた彼女に、先ほどまでの怒りはどこへやら、素の表情で突っ込む少年。しかし彼女にはそんな言葉など聞こえていないようで、更に機嫌よく言葉を続ける。 「さぁて、そうと決まったら早速行動開始ね! まずは情報を集めなきゃ。とりあえずは手当たり次第に聞き込みかな。ほら、なにぼさっとしてんの。置いてくよ、少年!」 「え? は?」 呆然とする少年を尻目に、すたすたと歩き始めるリダ。風になびく金の髪が少年の鼻先を掠め、その黄金のような輝きに一瞬目を奪われる。 少年がついてこないことに気づいて振り返ったリダは、立ち尽くす少年に首を傾げ、そしてポン、と手を打った。 「そうだ、あんたの名前聞いてなかった。なんて名前?」 「ギル。ってそうじゃなくて!」 思わず素直に答えてしまってから、慌ててギルはリダに食って掛かる。 「な、なんであんたがついてくるんだよ! これは俺のっ」 「ちがーう」 あっさりと言葉を遮って、リダは杖をどん、と突く。板張りの床がみし、と嫌な音を立てたが、彼女は聞こえなかった振りをして続けた。 「あんたが、わたしについてくるの」 「はぁ?」 「だって、あんたはリファの居場所も倒す手段も分からないんでしょう? わたしには、それが探し出せると思うし、多分倒せると思うわよ。なんたってわたしはヴェストア帝国一の天才と謳われた魔術士、リダなんだから!」 その言葉に、周囲の客がどよめく。ヴェストアといえば、東大陸の南部を占める強大な帝国だ。かの国は魔術至上主義を掲げており、宮廷には数多くの魔術士が集っているという。 「そういや、なんか聞いたことがあるなあ」 「ああ、魔術の実験だっていって建物を一つ吹き飛ばしたとか、王の御前でとんでもないもん呼び出して宮殿中大混乱になったとかって……」 「なんでも、とんでもなく破天荒な人間で、やることなすこと突拍子もないもんだから、とうとう宮廷魔術士の任を解かれたっていう……」 「やかましいっ!」 そんな周囲を一喝して、改めてリダはギルを見る。そして、その右手をひょいと伸ばしてきた。 「わたしについてくれば、あんたの親の仇、絶対討てるわ。どう? 悪い話じゃないでしょ」 「で、でも……」 すっかり威勢を削がれ、困り果てた顔のギル。リダはしょうがないなあと呟いて、強引にギルの右手を掴むと力いっぱい握り締める。 「はい、これで商談成立! いくよ、ギル!」 「ええええ!? なんだよそれぇ!」 「ほら、行くよー!」 「そんなぁ〜!!」 意気揚々と店を出て行くリダ。そして、そんな彼女に半ば引きずられるように去っていく少年の後姿を、居合わせた客はただ呆然と見送っていた。 「かわいそうに、あの子……」 「……人違いとはいえ、とんでもないのに当たっちまったねえ」 「あれがあのリダとは……いやはや、恐ろしい」 ぼそぼそと囁き合う声が食堂に響く。そして。 「あー!! 食い逃げっ!!」 ようやくその事実に気づいた女将が叫んだ時、魔術士と少年の姿は通りの彼方に消え失せていた。 「やー。助かったわぁ。ちょっと持ち合わせが少なくってね、どうしようかと思ってたわけ」 「そ、それじゃ俺、食い逃げのダシに利用されただけ!?」 「いや、違うよ」 そう言って、リダは満面の笑みを浮かべる。 「わたしたちの手で、絶対にリファを倒すんだ!」 「う、うん!」 思わず頷いたギルの頭をよしよし、と撫で、そしてリダはぐっと拳を握り締める。 「そして、このわたしの名前を世界に轟かせてやるんだー!!」 「……俺、もしかしてとてつもなくマズいことをやらかしたんじゃ……」 今更後悔しても、もう遅い。 ちょっとした勘違いが引き起こした出会いは、少年の運命を大きく揺るがすこととなる。しかし、彼はまだそのことを知らない。 後に嫌というほどそれを思い知らされ、激しく後悔することになる少年も、今はただ、傍らのリダをひきつった顔で見上げるだけ。そして女魔術士は、やる気満々といった表情で固めた拳を空へと突き出す。 「さー、やるぞー!」 「あ、あのさ」 「ほら、行くよっ!」 さっさと歩き出すリダ。これはもう、何を言っても無駄だろうと諦めて、ギルはその後を追いかける。 (手伝ってくれるんだから、まあいっか) そう思ってしまったのが、運の尽き。そして、運命の歯車はガタピシと音を立てて回り始める。 「おい、ちょっと待てよ!」 「早くしなー。おいてっちゃうぞー」 そうして、なし崩しに二人は旅に出た。 《金の魔術士》リファを探す、とてつもなく長い旅へと――。 終☆ |