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封印

〜失われた王国〜
《gilders》☆☆☆
36 etude」 09:「封印」



 時計台の鐘が、高らかに昼の三刻を告げている。
「遅いなあ、リダ」
 時計台を見上げながら呟けば、大音声から逃れるように飛び立った鳩達が、平然と舞い戻ってきて石畳をつつき出した。
 黒い石畳が有名なここは、自由都市イキシア。ヒーシュテルン王国とアストアナ王国の境に存在する小国の一つであるこの国は、凄腕の傭兵が集う国としても有名だ。
 そんなイキシアに入った途端、「用事があるから」と言ってどこかへ消えてしまった女魔術士リダは、約束の時間を過ぎても一向に現れる気配がない。
「あのリダが食事の時間に遅れてくるなんて……今日は雪でも降るのかな」
 ぐーぐー鳴りっぱなしの腹をさすりつつ、陳列窓の向こうに並ぶ色とりどりの玩具に再び目を向ける。
 待ち合わせ場所を玩具屋の前にしてくれたのは有り難かった。見たこともないような様々な玩具は硝子越しに眺めているだけでも楽しくて、いい暇つぶしになる。
 素朴な風合いの積み木やままごとの道具、道化人形が飛び出すびっくり箱や硝子細工の動物達。中でも目を引いたのが、不思議な盤の上に並べられた駒だった。
 王に王妃、騎士に司祭。大臣や召使い、馬丁に庭師、馬や猫までが盤上に整列し、まるで出陣の時を待っているかのようだ。
「どういう遊びなのかな……?」
「《王国盗り》だ」
 頭上から降ってきた声に振り向けば、そこには一人の女戦士が立っていた。逆光でよく見えなかったが、リダに勝るとも劣らない長身と、そしてその背中から突き出るような大剣に、思わず目を見張る。
「おっと、驚かせてしまったか。すまないな、少年」
 ひょい、と屈んでくれたので、ようやく顔立ちが見て取れた。野牛の角がついた兜から覗く緑の瞳はとても穏やかで、埃にまみれた顔はまるで人形のように整っている。
(うわあ……きれいな人だ)
 思わず見惚れていると、心配そうに顔を覗き込まれた。
「……大丈夫か? 狐に化かされたような顔をしているぞ?」
「い、いえ、ちょっとびっくりしたというか、いつの間にか背後取られてて驚いたっていうか、あのでも、大丈夫ですっ」
 慌ててまくし立てれば、女戦士は苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
「すまない。職業柄、気配を殺す癖がついていてな。戦場にいるわけでもないのに、困ったものだ」
「……なんか分かります、その気持ち」
 これまでの旅路で、忍び足と逃げ足だけは鍛えられたギルである。やましいことをしているわけでもないのについ足音を忍ばせてしまう自分に、時々嫌気が差すこともある。
「なるほど、少年も立派な戦士というわけだな」
 からかうわけでもなく、心底感心したように言われると、なんだか照れてしまう。そんなギルを横目に、女戦士はすい、と硝子窓の向こうを指差した。
「これは《王国盗り》という盤上遊戯だ。それぞれ自分の駒を進めて戦って行き、最終的に相手の王様を倒せば勝ちという、要するに戦争ごっこだな」
 口調は勇ましいが、その声音は柔らかい。どこかの誰かさんとは見事に正反対だ。
「へえ、そうなんですか。こんな遊びがあるなんて知らなかったなあ」
「少年が知らないのも無理はない。これは古い遊びでな。この辺りでは今も盛んに遊ばれているが、駒の進み方が複雑だったり、細かな規則があったりして、なかなか難しいのだよ」
 例えば、と女戦士が指差したのは、立派なひげを蓄えた将軍の駒だ。
「あの《将軍》は猪突猛進でな、前にしか進めない。前進あるのみだ」
「はあ……」
「逆にあっちの《大臣》は慎重派で、前後に動けるんだが、一歩進んだ次は二歩下がらなければならない。あっちの《侍女》はリスのようにちょこまかと動いてな、前後左右斜めと自在に動けるが、それも一歩ずつだ」
 楽しげな解説とは裏腹に、女戦士の顔はどこか寂しそうで、思わず見つめてしまったら、まるで小さな子供のようによしよしと頭を撫でられた。
「つい熱が入ってしまったな。つまらなかったか、すまない」
「いえ、とても面白かったです。それで、その、あなたは――」
「ギル!」
 思わず飛び上がって声のした方を見れば、そこには猛烈な速さで石畳を駆けてくる金髪の魔術士の姿があった。
「リ、リダ!?」
「知り合いか?」
 土煙を上げるような勢いで、あっという間に目の前へと迫ってきたリダは、問答無用で少年の頭に手刀を叩き込む。
「ってええ……!! ってリダ!! いきなり何すんだよ!!」
「人との待ち合わせをすっぽかして、そんなところでくっちゃべってるからでしょうが!」
「すっぽかしてないだろ! 俺、ずーっとここで待ってたんだよ!」
「待ち合わせはお菓子屋の前でしょう! もう、この私を半刻も待たせた罪は重いよ!」
「そんなっ、俺だって朝からずっと待ってたんだから! もう腹減って腹減って――」
 ぐう〜きゅるる。
「あ」
 絶妙の間で鳴り響いた腹の虫は、一体どちらのものだったのか。
 思わず顔を見合わせる二人。そしてあっはっは、と笑い出したリダは、すっかり毒気を抜かれた様子で肩をすくめてみせた。
「まったく、腹が減ると怒りっぽくなっていけないねえ」
「うん。だから、早く昼ご飯を食べに行こうよ」
「それなら」
 それまで、二人のやり取りを静観していた女戦士が、ひょいと割って入る。
「うまい食事を出す店を知っているぞ。案内しようか?」
 のった! と指を鳴らすリダに、女戦士は改めてすい、と優雅に一礼してみせた。
「自己紹介が遅れた。私はダイアン。《跳ね馬》のダイアンだ」


「……それで、リダとギルは《金の魔術士》を探して旅をしているのか」
 食後の林檎酒を傾けながら、ダイアンはなるほど、と頷いた。
「あちこちで噂を聞いたよ。凄腕の女魔術士と、その従者の話をね。まさか当人達に会えるとは思っていなかったが」
「従者……」
「そう、わたしの名も大分あちこちに轟いたようね、結構けっこう!」
 落ち込むギルを横目に、ぐいと杯を煽るリダ。いつも以上に上機嫌なのは、酒と料理が美味いせいもあるが、この女戦士とすっかり意気投合したことが大きい。
 《跳ね馬》のダイアン。戦場では『勝利の女神』『戦乙女』と讃えられる凄腕の傭兵だと、酒場の主人が教えてくれた。もっとも、本人はこの大仰な異名を嫌っており、あえて『おてんば』の意味合いを持つ《跳ね馬》を名乗っているらしい。
「あんたも随分あちこち渡り歩いてるんだって? どこの酒が美味しかった?」
 飲兵衛らしい問いかけにくすりと笑って、ダイアンは杯を握り締めた。
「そうだな、あちこち飲み歩いたが、やはり故郷の酒が一番だな。もう飲めないのが悲しいところだ」
「え、もう飲めないって……いでっ!!」
 机の下で思いっきり足を踏みつけられて、のた打ち回るギル。そんな様子を微笑ましそうに見つめながら、ダイアンはリダの杯になみなみと酒を注いだ。
「なに、よくある話だ。私の故郷は戦でなくなってしまってね。実にうまい蒸留酒を作る酒蔵もあったんだが、もったいないことだよ」
「それは本当にもったいないわね」
 真顔で相槌を打つリダに、ようやく足の痛みから立ち直ったギルが恨みがましい視線を送るが、あっさりと無視されて溜息をつく。
 その溜息をかき消すように、店の奥から賑やかな歓声が上がった。ぎょっとして声の方を見れば、机を挟んで向かい合う二人の客と、それを取り囲む野次馬達の姿が見て取れる。
「あれ、何やってるのかな?」
「さあね。賭け事でもやってるんじゃないの?」
 賭博には全く興味を示さないリダが気のない返事をすると、ダイアンがご名答と頷いてみせた。
「《王国盗り》で勝負しているんだ。周りの野次馬は、どっちが勝つかに賭けているのさ」
「《王国盗り》? なあにそれ」
 聞き慣れない単語に首を傾げるリダに、ダイアンはそうだな、と呟いて、荷物の中から長方形の木箱のようなものを取り出した。
「言葉で説明するより見せた方が早い」
 木箱を開けば、中には多数の駒が整然と納められていた。その駒ひとつひとつを丁寧に取り出すと、今度は木箱を開いたままひっくり返して盤にする。
「これが《司祭》、これが《侍女》で――」
 木彫りの駒を手際よく並べていくダイアン。駒の初期位置はきちんと決まっているらしく、盤の両端に次々と駒が整列していく。片や彩色の施された立派な駒、片や彫り出しの素朴な駒。しかし、彩色の駒はどうやら揃っていないらしく、並べ終えた時には半分ほどの駒しか整列していなかった。
「なによ、こっち側は全然揃ってないじゃない」
 不満たらたらのリダに、ダイアンは肩をすくめてみせた。
「そうなんだ。だから私は、世界中に散らばってしまったこの駒を揃えるために、旅をしているのさ」
「世界中とはまた、壮大な話ねえ」
「なに、思っている以上に世界は狭い。この駒は最初、一つしかなかったんだ。それが五年でここまで揃った。この調子なら、おばあさんになる前には全部揃うはずさ」
「なんとも気の長い話ねえ」
 溜息をつくリダ。一方、ギルは対面しあう駒達を見比べて、これが《将軍》でこっちが《侍女》か、などと確認作業に忙しい。
「《王様》に《王妃様》、《王子》――ああ、この《王女》の駒も行方不明なんですね」
「あるといえばあるし、ないと言えばない」
 謎かけのような答えに小首を傾げるギル。するとダイアンは、ぐいと二人の頭を引き寄せて囁いた。
「いいことを教えよう。王女の駒は別名を《跳ね馬》と言うんだ」
 目を丸くする二人を尻目に、赤毛の女戦士は歌うように語り始めた。
「昔々――小国同士の小競り合いに巻き込まれたセロシア王国は、隣国の雇った悪い魔法使いによって、一夜のうちに滅ぼされてしまいました」
「それって――!」
「静かに!」
 再び足を踏まれて呻くギルを尻目に、昔語りは続く。
「突然のことに、誰もなす術もありませんでした。大陸一優美だと讃えられた小さな王国は、そこに暮らす人々ごと、ちっぽけな遊戯盤に封じられてしまったのです。そうしてセロシア王国の存在は人々の記憶から消え、やがて歴史からも抹消されてしまいました」
「そんな……」
「国ごと封印しただって!? そんなことができる魔術士なんて――いやでも、まさかそんな……」
 顔色を変える二人を前に、よくある御伽噺さ、と女戦士は嗤う。
「それがこの遊戯、《王国盗り》の発祥と言われている。だが、この御伽噺にはまだ続きがあるのさ」
 ぐいと杯を煽り、そしてダイアンは再び朗々と語り出した。
「やがて、何も知らない商人が、偶然その遊戯盤を手に入れました。ところが商人は駒をばらばらにして売り払ってしまったのです。駒は世界中に散り散りとなり、そのまま何百年もの月日が過ぎました。そしてある日、いくつかの偶然が重なって、一つの駒が封印から解き放たれたのです。彼女の名はダイアナ。『セロシアのおてんば姫』と謳われた可憐な王女――。以来、王女は全ての封印を解くために、ファーンの大地を彷徨い続けているのです。おしまい」
 わざとおどけた様子で話を終えて、女戦士はどうだ? とばかりに二人を見回した。
「つまらなかったかな?」
「い、いいえ! とても、その……」
「とても興味深い御伽噺だったわ。それで、全ての封印を解くことが出来たら、どうなるのかしら」
「セロシア王国が復活するのだと、そういう噂だよ。だから世の蒐集家はこぞって、《始まりの遊戯盤》を捜しているのさ」
 これがまた、『これぞ本物!』と言い張る代物も多数出回っているそうで、いくつもの「本物」を所持して悦に入っている蒐集家もいるらしい。
「それじゃ、ダイアンさんも……その、王国復活のために、その駒を?」
「ああ。御伽噺が現実になったら面白いな、と思ってね」
 いたずらっ子のように笑って、そして女戦士はおもむろに駒を手に取った。
「興味があるなら、遊び方を教えよう」
「いいわね。こういうの得意なのよ」
 長衣の袖を捲り上げて、リダがにやりと笑う。
「遊び方さえ分かれば、この私に勝てないものなんてないわよ。ちゃんと揃った駒を使った方がいいんじゃないの?」
 対するダイアンは、ばきぼきと指など鳴らして余裕の表情だ。
「なあに、長年共に戦ってきた仲間達だ、多少の戦力差など取るに足りんさ」
「言ったわね? 後悔しないでよ」
「勿論だとも。さあ、ではまず各駒の動かし方からだが――」
 こうして、酒場の片隅で始まった女戦士と女魔術士の対戦は、なんと夜が更けるまで続けられたのだった。


「それじゃ、元気でな」
 昼を告げる鐘の音を背に、女戦士は颯爽と外套を翻して石畳の道を行く。
「お元気でー!」
「またどこかで会ったら勝負よ!」
 悔しげなリダの声に手を振って応え、雑踏の中に消えていくダイアン。その背中に手を振りながら、ギルはえへへと笑った。
「結局、一勝も出来なかったね」
「ふん、もっと戦略を練る時間があったら絶対勝てるわよ!」
 真夜中まで続いた勝負は、二人合わせて零勝三十四敗一引き分け。これまで頭脳戦で負けたことなどないと豪語するリダにとっては、かなりの屈辱だったに違いない。
「さ、そろそろ俺達も行こうよ」
 ただでさえ、寝坊したせいで出発が遅れてしまっているのだ。早くしなければ、日暮れまでに次の町に辿り着けなくなる。
 そう考えて、スタスタと歩き出したギルを、意外な台詞が引き止めた。
「ちょっと待ちなさいよ、ギル!」
「ええっ!?」
 振り向いて、更に仰天するギル。なんと、あのリダが玩具屋の陳列窓に張りついて、熱心に品定めをしているではないか。
「リダ? どうしちゃったの?」
「《王国盗り》を買っていくわよ。ほら、携帯用の小さなやつも売ってるみたいだし」
 リダが指差した先には、遊戯盤の上で縦横無尽の戦いを繰り広げる駒達の姿。先陣を切って突撃しようとしているのは、やはり《跳ね馬》だ。
 その勇ましい横顔を睨みつけて、ぐぬぬと唸るリダ。
「次に会った時には絶対、こてんぱんに負かしてやるんだから!!」
「それじゃ俺は、リダに勝てるようになるまで頑張るよ!」
「何言ってるの! 私を負かそうなんて百万年早いわよ!」

 それからというもの、街道のあちこちで、遊戯盤を挟んで唸る二人の姿がしばしば目撃されることとなった。
 その白熱した戦いぶりに、いつしか人が集まるようになり、やがて世界中に《王国盗り》を広めるきっかけにもなるのだが、それはまた別の話だ。

「あーっはっは! 私に勝てるなんて思ってないでしょうね!?」
「くっそお、いつか絶対負かしてやる!!」



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