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望まぬ再会

〜金の指輪 緑の小枝〜
《gilders》☆☆☆
 
36 etude 11:「望まぬ再会」


「げっ……」
 蛙でも踏み潰したような声に、ギルは傍らの魔術士をおずおずと見上げる。
「リダ?」
 雑踏の中、前方の一点を見つめて顔を引きつらせているリダ。一体何事だろう、と思う間もなく、リダはギルの腕を掴んで脱兎の如く走り出した。
「リ、リダ!? どうしたんだよっ」
「いいから!」
 人の流れを逆行して走る金髪の魔術士と少年の姿に、騒然となる広場。そして、次の瞬間――。
「ああ、私の可愛いリディア! なぜ逃げるんだい、愛しい人よ」
 妙に芝居がかった男声が飛んできて、リダはその場につんのめった。

* * * * *

 その噂を耳にしたのは、暑い夏の盛りのことだった。
「ベスシドの街に、腕のいい魔術士が来てるんだって」
 息せき切って部屋へ戻ってきた少年の言葉に、窓際で杖の手入れをしていた金髪の魔術士は怪訝な顔をする。
「ベスシド? ああ、あの噴水が有名な街ね」
 噴水の街ベスシド。同時に「祭の街」とも呼ばれているその街では、噴水広場を舞台に連日何らかの催し物が開かれているという。この時期ならば、恐らく夏祭の真っ最中だろう。
「で? その腕のいい魔術士がアイツだっていう確証は?」
 これまでも、さんざんガセネタに踊らされてきている。つい先日もそれで失敗したばかりだったから、さしもの魔術士も慎重に尋ねた。しかし少年は自信に満ちた表情で頷いてみせる。
「大丈夫! 今度は絶対本物だよ。こないだまでベスシドにいたっていう旅人に聞いたんだけど、長い金髪に整った顔立ちの、若いのに飛びぬけた腕を持った魔術士だったって!」
「ふぅん……」
 気のない返事をしつつ、杖の先端に取り付けられた宝玉を磨き続ける魔術士。そのやる気のない態度に、少年はむっとして続けた。
「でね、その魔術士は誰かを探してるらしいんだ。なんでも、自分とよく似た金髪の女魔術士を知らないかって聞いてきたとか……」
 その言葉を聞いた途端、魔術士の眉がぴくん、と跳ね上がる。
「自分とよく似た、金髪の女魔術士?」
「そうだよ! それって絶対リダのことだろ? きっと、あっちも俺達の噂を聞きつけて探してるんだ!」
 噂になるだけのことをやらかしてきた自覚があるだけに、自信満々に言ってのける少年。しかし魔術士の方は、どうにも気が乗らない様子で、ぼーっと窓の外を見つめている。
 いつもならすぐに「よーし、行くよっ!」と言い出すところなのに、今回ばかりは妙に大人しい。一体どうしたことだろうと首を傾げていると、リダはぼそりと呟きを漏らした。
「なーんか、いやな予感がするんだよねぇ」
「いやな予感?」
 思い立ったら猪突猛進な彼女がこんなに渋る様は初めてだったから、少年は珍しいものを見るような目つきでリダをしげしげと見つめる。そんな視線に肩をすくめて、リダは手にしていた杖をぐっと握り締めた。
「まあいいか。行ってみれば分かるでしょ。さあ、そうと決まったら行くよ、ギル!」
 途端にいつもの調子に戻って部屋を出て行こうとする魔術士。そんな後姿を呆然と見送りそうになって、ギルは慌てて長衣の裾を掴む。
「って、もう夕方だよリダ! 出発は明日の朝でいいじゃないかっ!」
「えー、思い立ったが吉日っていうじゃない」
「いつもそう言って飛び出してって、あとで文句言うんじゃないかっ。お願いだから、出発は明日にしてよ! ほんと、頼むから!」
「折角やる気になったのになあ」
 不満げな魔術士をなんとか宥めつつ、ギルはまだ見ぬ街に思いを馳せる。
(やっと、親父の仇を討てるんだ……!!)
 リダをその仇と勘違いし、そこから始まったこの旅。思えば長く厳しい道のりだった。
 各地を巡って噂や情報を拾い集める傍ら、路銀を稼ぐために様々な仕事を引き受けてきた二人。大失敗をやらかして、依頼主を激怒させたこともある。《金の魔術士》リファと勘違いされて勝負を挑まれ、術の巻き添えを食って死に掛けたこともある。はたまた、今度こそ本物だろうと、出会い頭に攻撃魔術をぶっ放した相手がやはり人違いで、それから延々とその魔術士に追い掛け回され、あわや呪いをかけられそうになったことまであった。
 聞くも涙、語るも涙の珍道中。しかし気苦労を背負い込んできたのはもっぱらギルの方だ。この女魔術士ときたら、いつだって面倒なことは少年に押し付け、自分はいたって気ままに旅を続けている。食事の支度から始まり、依頼人との交渉や宿の確保なんて当たり前、繕い物から食事に出された魚の小骨とりまでさせられて、気分はまるで召使いだ。
(これで、リダにこき使われる日々からも解放される……!)
 父の仇が討てることよりも、どちらかと言えばこっちの方が喜びが大きいことに気づいてしまい、ほんの少しだけ自己嫌悪に陥ったギルの隣で、ようやく出立を諦めたリダはやれやれ、と肩をすくめてみせる。
「でも、なんだろう。この嫌な感じ」
 複雑な胸中のギルには目もくれず、そう呟くリダ。しかしすぐに何事もなかったように、改めてギルを振り返ると、彼女はにっこりと笑って言ってのけた。
「じゃ、明日の朝までに、頼んでおいた呪符の作成、終わらせといてね」
「ええ!? そんなあ……」
 魔力を持たないものでも魔術を使えるように、予め特殊な符に魔法を封じ込めておく呪符は、彼らの旅を支える重要な資金源だ。とはいえギルは魔術士でもなんでもないから、ただリダに教わった通りに魔術語を符に書きつけることしか出来ない。かなりの根気と集中力を要する作業ゆえ、一刻で一枚を仕上げるのがようやっと。しかし、そしてリダが数日前に言いつけた枚数は十五枚だ。三枚分はすでに仕上がっているが、明日の朝までにあと十二枚を作り終えるとなると……。
「それじゃあ、わたしは食事しに行くけど、あんたは?」
「……俺はいいです」
 がっくりと肩を落として答えるギル。食事抜き、徹夜覚悟で望まなければ、どうやっても終わらない。そして出来ませんでした、などと言おうものなら……怖くて考えたくもない。
「そぉ? じゃ、がんばってねー」
 悲壮な覚悟漂うギルに、リダはまるで嫌がらせのようにひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。
「くっそー! 絶対、いつか……」
 見返してやる、という言葉だけは流石に飲み込んで、宿の部屋に備え付けられた粗末な机に向かうギル。
 結局のところ、彼が眠りについたのは空が白み始めた頃だった。

 そうして、三日後の昼下がりにようやくベスシドに到着した彼らは、早速その噴水を見物しようと広場に繰り出した。
 宿を探す前にまず噴水を見にいこうと言い出したのはリダの方で、早く休みたいとぼやくギルを引っ張って広場へやってきた、まさにその瞬間。
 『事件』は、起きた。

* * * * *

「可愛い、リディア?」
 一緒に転びそうになったところを何とか踏みとどまり、ギルは隣で拳を震わせている魔術士をまじまじと見つめる。
「……」
 顔を真っ赤に染め、妖鬼もかくやという憤怒の表情でゆっくりと振り返る魔術士。全身から漂う殺気がまるで目に見えるようで、思わず後ずさったギルは、リダの視線の先で両手を大きく広げ、歓喜の笑顔を見せている「声の主」をそっと窺う。
 若い男だった。やけに派手な服装が目を惹くが、それ以上にギルの目を釘付けにしたのは、風になびく見事な金髪と、澄み渡った空のような瞳――。
「……あれ?」
 初めて見る顔なのに、不思議とそんな気がしない。何でだろう、と呟くギルを横目に、彼女は声の主をぎろり、と睨みつける。魔族ですら竦み上がるだろう恐ろしい形相に、しかし相手は満面の笑顔を崩すことなく、
「ああ、リディア! どうしたんだい、麗しい顔が台無しだよ」
「やかましい! なんであんたがここにいるのさ、このクソ親父!!」
 リダの口から飛び出た予想外の単語に、ギルは口をあんぐりと開け、その「クソ親父」を見つめた。
 緩やかに波打つ金の髪。すらりとした長身を風変わりな衣装で覆ったその姿は、どう多く見積もっても二十代中頃の青年にしか見えない。しかし、その豊かな金髪の間から覗く耳が僅かに尖っていることに気づいて、ああ、と呟く。
「森人の混血……?」
 森人。それは西大陸を起源とする一族だ。約五百年という寿命を持つ彼らは、若い外見をとどめたまま長き時を生きる。そしてその血を引く者もまた、彼らには及ばないながらも長き寿命を持ち、容姿の衰えも常人より遥かに遅い。故に若々しく見える彼も実は五十、六十と齢を重ねている可能性があるからして、リダが「親父」と呼んでもなんら不思議はない。ないのだが。
「お父さん、いたんだ?」
 このリダに親がいるという、普通に考えれば至極当たり前のことに、つい疑問を覚えてしまった少年を、射るような視線で睨みつける魔術士。
「あんた、わたしが木の股から生まれたとでも思ってたわけ!?」
「い、いいえ……そんなことは」
「そうだ、わが愛しい娘に向かって、なんて失礼なことを言うんだね、少年!」
 唐突に、二人の会話に混ざってくる男。そして、「わが愛しい娘」という単語にあからさまに顔を歪めてみせたリダへと向き直り、とんでもないことを真顔で尋ねてきた。
「リディア、この子は一体誰だね? まさか、お前の彼氏なんじゃないだろうな? いかんぞー。いくら最近姉さん女房が流行っているからといって……」
「あほかっ!」
 怒鳴りながら、リダは杖を握る手に力を込める。そうして小さく何かを呟いたと思った次の瞬間、石畳を赤い光が走り抜けた。
「わわっ、こんなところでっ……」
 見る見るうちに描かれていく複雑な紋様。何が起こったのか分からずに逃げ惑う観衆の中、数人が魔法陣であることに気づいて「何をするつもりだっ!?」「街中で魔法はご法度だぞ!」などと声を上げていたが、リダは勿論それらを無視し、こっそり逃げようとするギルの首根っこを掴まえる。
「逃げるな」
「はい……」
 諦めきった表情でリダの背後につくギル。そうして、リダは改めて目の前の「クソ親父」を見据えた。
 周囲が大騒ぎをする中、彼だけは悠然とした様子でリダの作り上げた魔法陣をしげしげと眺め、満足げな表情を浮かべている。
「随分腕を上げたようだね、可愛いリディア」
「その名前で呼ぶなっ! わたしはリダ! あんたの娘でもなんでもないっ!」
「なぜそんなに嫌がるんだ、昔はあんなに『父様、父様』と私の後をくっついて離れなかったというのに……。ちょっと長旅に出る時なんか『リディアも連れていかなきゃ駄目ー!』と泣いてすがってきた可愛い子が、今では『クソ親父』と罵ってくるなんて、ああなんて悲しいことだ」
 大仰にため息をついてみせる男に、リダは顔を真っ赤に染めながら杖を石畳に打ちつける。
「一体いつの話をしてるんだ!」
 思いっきり恥ずかしそうなところを見ると、どうやら事実のようだ。魔法陣を取り囲むように出来た人垣が一斉に意外そうな目で見つめてくるのを、こほん、と咳払いしてごまかし、リダは目の前の父親をひたりと睨みつけた。
「この街にいる凄腕の魔術士って、あんたのことだったってわけね」
「ああ。この辺りで金髪の魔術士の噂を聞きつけて、恐らくお前のことだと思ってね。いやあ、随分とあちこち探し回ったんだよ」
 なるほど。「自分によく似た金髪の魔術士を探している」という情報は間違いではなかったわけだ。よくよく見れば、彼とリダは髪の色だけでなく、鼻筋やあごの線、また全体の雰囲気がどこか似通っている。親子に見る人はいないだろうが、兄妹といえば誰もが納得するだろう。
 周囲がはらはらしながら見守る中、魔法陣の内と外で睨み合いを続ける二人。この親子の間に何があったのかは知らないが、少なくともリダは彼との再会を望んでなどいなかったことは確かだ。その証拠に、描かれている魔法陣は――。
「なにはともあれ」
 そう呟いて、怒りと共に練り上げた魔力を一気に魔法陣へと流し込む。力を得た魔法陣が輝き出し、慌てた観衆が波のように退いていくのを尻目に、リダはだんっ、と杖を陣の中央に叩きつけた。
「逃げるよっ!」
 魔法陣から立ち昇る光の螺旋。その中を、天空へと飛び立っていくリダとギル。あっという間に地上が遠ざかり、周囲を通り過ぎていく風が唸りをあげる中、リダの長衣に辛うじてつかまっているだけのギルは、振り落とされないようにと手に力を込めた。
 この高さから落ちたらひとたまりもない。これまでにも何度かお世話になってきた飛翔術だったが、その度に寿命が縮む思いがする。
「うへぇ……」
 うっかり下を見てしまい、思わず呻くギルをよそに、リダはいつになく高度を上げていく。
「リダ! どこまで行くつもりだよ!?」
「あいつが追ってこれないくらい遠くまで!」
 いつになく余裕のない口調は、嫌悪感から来るものだろうか。しかし、どうしてそこまで父親を嫌うのか、その理由が分からない。
「なんで逃げるのさ? お父さんなんだろ?」
「あれを父親だなんて思いたくないっ。あいつはねえ、ただの変態なの!へ・ん・た・い!」
「変態?」
「あいつは、人を着せ替え人形か何かと勘違いしてるんだ! どうせ今回だって、『ステキな服が出来上がったから是非とも着て欲しくって』なんて理由に決まってる!」
 はて、と首を傾げるギル。
「お父さんの仕事って、なに?」
「仕立て屋。女性用夜会服専門の」
 吐き捨てるように答え、なおも速度を上げる。しかし。
「……ぉおーい……」
 風を切る音に混じり、背後から響いてきた声に、二人は揃って目を丸くした。
「げっ、もう追いついてきた!」
「うっそぉ。あの人、腕いいんだ」
 飛翔術は魔術の中でも習得が難しく、速度は自身の熟練度に比例する。リダの熟練度は言うに及ばず、それに追いつける彼は、より一層この術に長けていることになる。
「それじゃ、なんでまた仕立て屋……わあぁぁぁっ!!」
 考え込んでしまった一瞬、手の力がほんの少し緩んだ。あっ、と思った瞬間にはすでに長衣の裾がすっぽぬけ、支えを失ったギルの体は大空へと投げ出され、急激に落下していく。
「ギル!!」
 珍しく慌てた声を上げ、手を伸ばしてくるリダ。しかしその姿はぐんぐん小さくなり、すぐに視界から消えてしまう。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ……!!」
 空を切る音だけがやたらと耳につく。襲い来る風の激しさに、息をすることさえ難しい。荒々しい風に逆らい、ようやっと瞳を開けば、恐ろしいほどに青い空と、下に待ち構える地面の両方がぐるぐると交互に迫ってきて、あまりの恐ろしさに気が遠くなっていく。
(俺、このまま地面に叩きつけられて死ぬんだ……!)
 急速に落ちていく体。全身を駆け抜ける恐怖に、頭の中が真っ白になりかけた、その時。
「目を開けなさい、少年」
「嫌です!」
 咄嗟に答えて、おやとギルは首を傾げた。
 今の声は、誰だ。そして、なんでこの状況下で呑気に声をかけてくるような人間がいるのだろう。
「大丈夫だよ。ちゃんと受け止めたからね。ほら、目を開けてごらん」
 穏やかな口調で促され、恐る恐る瞼を開く。すると、
「あれ」
 そこはまだ空の上だった。見えない力に支えられ、ギルの体はふわふわと宙に浮かんでいる。遥か下に広がるのは青々とした草の海。野原に落ちた雲の影が悠然と流れていくその様に、一瞬自分の置かれている状況を忘れて見入っていると、背後から声が響いてきた。
「まったく、リディアも無茶をする……」
 振り向くと、そこには金髪の青年が浮かんでいた。彼が魔術で助けてくれたのだと分かり、ほっと息をつくギル。
 そんな少年の様子を穏やかな瞳で見つめていた彼は、おもむろに懐から何か小さなものを取り出すと、
「少年、これをリディアに渡してくれるかい? どうやら、私はすっかり嫌われてしまっているようだから」
 寂しそうに笑う彼に、ギルはおずおずと手を伸ばす。受け取ったそれは、青い宝石が輝く小さな指輪だった。
「もうすぐリディアの誕生日なんだ。それでどうしてもこれを渡したくてね」
 そう言って、遥か頭上からこちらを見下ろしている愛娘を眩しそうに見上げる。ここからでは逆光になって、彼女の表情を窺うことは出来ない。
「で、君はリディアの何なのかな?」
 唐突に問われて、ギルは目を白黒させる。
「は? ああ、えっと……」
 召使い。雑用係。下僕。咄嗟に出てくるのはそんな言葉ばかりで、とても人に言えたものではない。
 困り果てているギルにそっと微笑んで、彼はもういいよ、と指を鳴らした。それを合図に、ギルの体がふわり、と浮かび上がる。
「あ、あのっ」
「リディアに伝えてくれ。誕生日おめでとう。いつまでも、愛しているよと!」
 恥ずかしげもなく言い放つと、彼はくるりと身を翻し、空の彼方へ飛び去っていった。

 見えない力に運ばれ、ふわふわと目の前まで浮かんできた少年を、リダはそれはもう不機嫌極まりない顔で出迎えた。
「あの……」
 そっとその顔を窺う。眉間に皺を寄せたまま、それでも彼女はすいと手を差し伸べ、ギルの体を引き寄せてくれた。途端にそれまで体を支えてくれていた力が消え失せ、リダの手だけが少年を空に繋ぎ止める。
「手を離すなっていつも言ってるでしょうが」
「ご、ごめん……」
「まあいいわ。あいつもどっかに行ってくれたようだし」
 そうして、リダはギルの手をぎゅっと握り締めた。力強く、そして暖かい手。ギルとリダを繋ぐ絆は、この繋いだ手のように単純で、そしてとても強い。それがどんな種類のものかと尋ねられたら困ってしまうのだけれど、もう何でも良かった。
 彼女はギルの手を握り、ギルは彼女の手につかまって、そうして二人で歩いていく。《金の魔術士》を倒すという共通の目的に向かって、どこまでも。
「さあ、行くよ」
「え? どこへ」
「とりあえずは近くの町に。ちゃんと掴まってな!」
「ぅわっ!」
 ぐん、と速度を上げて、二人は空を翔ける。雲の合間をすり抜け、太陽の輝く彼方へと。

* * * * *

「……で、これ。誕生日の贈り物だってさ」
 差し出された指輪に、リダはふぅんと目を細める。
「あのクソ親父、ほんとマメなんだから」
 嵌められた宝石はリダの瞳と同じ、空の青。黄金の台座に留められた石は、角灯の光を反射して静かに輝いている。
 小さな町の小さな食堂。辺りは夕食を囲む家族や、仕事を終えての一杯を楽しんでいる男達で賑わっていた。そんな中、片隅の席で食後酒に舌鼓を打っていたリダは、片手で杯を傾けながら、もう片方の手で指輪を弄ぶ。酒が回っているからだろうか、その顔はいつになく上機嫌で、口では文句を言いながらも指輪を離そうとはしない。
 誕生日といえば、はたしてリダはいくつになったのだろうか。ふと気になって、口を開きかけた、その時。
「ふざけんなっ!!」
 急に指輪を床へと叩きつけ、これでもかと踏みつけるリダに、店中の注目が集まる。
「リ、リダ!? 急にどうし……」
「魔具だ! あの親父、人の居場所を突き止めようとして、こんなものっ!」
「まぐ?」
「出るよ! 急がないと、あいつがっ」
「ち、ちょっとリダ! とにかく落ち着いて」
 訳の分からないまま、何とかリダを宥めようと立ち上がった、その瞬間。
「我が愛しのリディア! ちょっと早いけど三十歳の誕生日おめでとう!!」
 バンッと扉を開けて入ってきた金髪の男に、リダは燃え滾るような瞳を向ける。
「こんの、クソ親父!!」
「おお、またそんな怖い顔をして。笑っておくれ、愛しい娘! ほら、君のために仕立てたこの……」
「やっかましい! とっとと出て行けー!!」
「そんな酷いことを言わないでおくれ、可愛いリディア! ほら、君のために心を込めて縫ったんだ、是非これを着て……」
「誰が着るかー!!」
 奇天烈な衣裳を広げて浮かれている父親に向かって手近な椅子を投げつける女魔術士と、それをひょい、と踊るような足取りでかわして更ににじり寄る金髪の仕立て屋。
 派手にやり合いながらも、どこか楽しげな二人の様子に、ギルはやれやれと肩をすくめて呟く。
「親子喧嘩は、犬も食わないってね」
 それを言うなら夫婦喧嘩だろう、と突っ込む余裕のあるものは、誰一人いなかった。
 突如始まった「見世物」に喝采を上げ、てんでに応援などしている酔っ払い達。はたまた、しまいには魔法まで使い出した二人の巻き添えを食って、悲鳴を上げながら逃げ出す人々。騒ぎを聞きつけて奥からすっ飛んできた店主も、想像を絶する光景にぽかんと口を開け、その場に立ち尽くしている。
「何でそんなに嫌がるんだい、愛しいリディア」
「誰がそんなこっぱずかしい服着るかってのよ、このド変態! いいからさっさと国に帰れー!」
「つれないなあ。でも、そんなところもまたステキだよ。ますます母さんに似てき……」
「うるさーい!」

 延々と繰り広げられた親子喧嘩は、しまいには町の警備隊までが出動する大騒ぎとなった。
 流石に疲れたのか、翌日の昼過ぎになってようやく起き出して来たリダに、ちょうど外から戻ってきた少年は小さな箱をはい、と差し出す。
「なによ、これ」
「お父さんから。昨日預かったんだけど、リダ先に寝ちゃったから。……これはちゃんとした贈り物だって」
「……怪しい」
 受け取る前にわざわざ探知の術までかけ、今度こそ魔具でないことを確かめてから、リダは小箱の中身を取り出す。
 それは、またもや指輪だった。金の台座に空色の石。位置を知らせる魔術がこめられていたという前の指輪とよく似ていたが、今度のものには内側に小さく「我が愛しの娘へ」という文字が刻まれている。
「性懲りもなく……」
 手の上で指輪を転がし、鼻を鳴らす。そのまま指に嵌めるのかと思いきや、彼女はおもむろにそれを服の隠しへと放り込んだ。
「……大きさが全然合わないじゃないの。ったく考えなしなんだから、あの馬鹿親父」
 ぼやきながらも満更ではなさそうなリダに、おずおずともう一つの箱を差し出すギル。
「なあに、まだあんの?」
「誕生日おめでとう」
 照れくさそうなギルの言葉に目を丸くして、リダは差し出された小箱とギルの顔を見比べる。
「なに……これ、あんたが?」
 頷く少年の手から箱を受け取り、ゆっくりとふたを開ける。中から出てきたのは、小枝をかたどった硝子細工の髪飾りだった。見るからに安物だったが、それでもギルが悩みに悩んで選び抜いた贈り物だ。
「あの、その……市場を色々回って見てみたんだけど、何がいいか分からなくって……リダってあんまり髪の毛いじったりしないから、こんなのしないかなとも思ったんだけど、他に思いつかなくて」
「あっそ」
 いらない、と突っ返されることを覚悟していたギルだったが、そんな少年を前にリダはしばし小箱の中身をじっと見つめ、そしておもむろにそれを髪に挿す。
 硝子で出来た小さな小枝は、彼女の金髪によく映えた。
 ――そして。
「……ありがと」
 ぼそり、と呟かれた言葉に、思わず目を見張る少年。二年近く一緒に過ごしてきて、彼女の口から感謝の言葉を聞くのはこれが初めてだったように思う。
「ど、どういたしまして」
 どぎまぎしながらようやっと答えるギルに、リダは寝台の上でうーんと大きく伸びをして、よいしょと立ち上がる。
「さ、とっとと支度して、次に行くよ!」
「支度って、あとはリダが着替えれば終わりなんだけど……」
「う、分かったわよ」
 もそもそと着替え始めるリダに、慌てて背中を向ける。彼女は気にしなくても、こっちはこれでも年頃の男なんだから、少しは恥らってほしいものだ。
(まあ……恥らうような歳でもないのか)
 森人の血を四分の一だけ引いている彼女。その姿は、初めて出会った二年前となんら変わってはいない。それに対しギルの方は日に日に背を伸ばし、今ではリダの肩に届くようになった。このまま行けば、いつか彼女を追い越す日も来るのだろう。そんな日が来る前に目的を果たしたいと思う反面、自分より小さくなったリダの姿を見てみたい気もする。
 ――そんなことになったら、きっと彼女は猛烈に怒るのだろうけど。『あんた、わたしを見下ろすとはいい度胸じゃない』とかなんとか……。
「よし!」
気合の入った声に振り返れば、そこにはいつも通りのリダの姿。その髪に挿された緑の小枝が、天窓から差し込む日の光を反射してキラキラと輝く。
「さあ行くよ、ギル!」
 いつもの朝がやってきて、いつものように旅に出る。
 そんな当たり前のことが、なんだかとても嬉しい。
「ほら、ぼさっとしてないで動く!」
「はい!」
 杖を手に歩き出すリダ。その後を、いっぱいの荷物を背負って追いかけるギル。宿を出発し、町を離れ、地平線の果てまで続く道を、どこまでも――。

「わわ、待ってよリダ! そんな、走らなくったって……!」
「いいから走れっ! 若いんだからっ」
「……そりゃあ、確かにリダに比べたらかなり若いけどさあ」
「ほぉお。何が言いたいのかな」
「……ごめんなさい俺が悪かったです」
「そういやギル、あんたいくつになった?」
「リダの半分」
「……ふぅん……若いねえ、確かに。じゃあ、もうちょっと荷物が増えても大丈夫かなぁっ」
「げっ、お、重い……!!」
「さあ、いってみよー!」

 そうして、二人の旅は続いていく。


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