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夢の続き

〜終ワラナイ夢ヲ 君ヘ〜
《gilders》☆☆☆
36 etude」 17:「夢の続き」


 永久を、君に
 永久の、君へ


 冬晴れの空に、色とりどりの凧。
 やや強めの風に流されながら、石畳を走る子供達に合わせて大空を舞うその姿は、まるで巣立ったばかりの小鳥のようで、なんとも微笑ましい。
 寒風に頬を真っ赤に染め、真剣な眼差しで糸を繰る。今日は絶好の凧揚げ日和。明日からはしばらく曇り空が続くとあって、この機会を逃してはならないと、どの子も懸命に風を読み、広場のあちこちで歓声が上がる。

 カラーン、カラーン、カラーン……

 響き渡る鐘の音に、はたと手を止める子供達。短く三回、長く二回、昼の二刻を知らせる鐘は、仕掛け時計が動き出す合図。
 かつては街の象徴と呼ばれ、この仕掛け時計を一目見ようと観光客が押しかけるほどだった時計台も、今や時代遅れの骨董品。道行く人々も、賑やかな音楽に口元を緩めはするものの、立ち止まることなく通り過ぎていく。
 誰にも省みられず、それでも軽快な音楽を奏で続ける音楽隊の人形。彼らを熱心に見つめているのは、時計台に住み着いた鳩くらいのものだ。
 だからその日、正午の音楽に帰宅を急いだ子供の一人がうっかり凧を手放してしまったことも、その凧の糸が風に流され、機械仕掛けの指揮者に絡まったことも、慌てた子供がそれを力任せに引っ張って、糸が切れた凧がそのまま大空に吸い込まれていったことも、糸を絡ませたまま指揮棒を振り続けた指揮者の動きが止まり、その腕がぽきり、と折れたことも、全ては一羽の鳩だけが目撃した事実。
 くい、と首を傾げる鳩の目の前で、長年の風雪に錆びついた金属の腕はカラン、カランと落ちていき――。

 時計台のどこかで、ぎぃ、と嫌な音が響く。
 その瞬間、ぐにゃりと歪んだ空に、誰も何も、気づかなかった。


 彼がその依頼を引き受けたのは、有り体に言えば路銀が底を尽きかけていたからだった。
 だからと言って、ろくに話を聞かないまま「分かりました」と言ってしまったのは軽率だったなと、目の前に佇む少年を見下ろしながら考える。
 クローネの街から依頼された内容は時計の修理。時計職人である自分にとっては、まさに本領発揮といった仕事内容だ。
 問題は、そこにつけられた前提条件だった。
「あの、腕の立つ魔術士を探してるって聞いたんですけど!」
 橙色の瞳をキラキラと輝かせて言ってくる少年は、先ほど立ち寄った酒場の主人から話を聞かされてきたという。よほど急いできたのか、すっかり息が上がってしまっている彼に、思わず眉をひそめて問いかける。
「君が、魔術士?」
 疑問形になったのも無理はない。少年はどう見ても魔術士には見えなかった。まあ、全ての魔術士が型にはめたように同じ格好をしているわけではないだろうが、年の頃もまだ十代前半、こげ茶色の髪を布でまとめ、かなり着古した風の外套の合わせ目からは、少々不釣合いな短剣の柄が見え隠れしている。町の子供ではないことは一目で分かるが、世間一般で言うところの「魔術士」からは程遠い外見だ。
「いいえ、俺は違います。俺の……うーんと、連れが魔術士なんでっ……!」
「誰が連れだって?」
 鋭い言葉と共に飛んできた拳の一撃を脳天に食らって、その場にうずくまる少年。その背後にいつの間にか立っていたのは、眩い金髪の女性だった。手には魔術士の象徴たる長い杖。動きやすく端折った長衣の上からゆったりとした外套を纏ってはいるものの、その優美な体の線は隠しようもない。
「それじゃまるでわたしがあんたに連れられてるみたいじゃないの。人聞きの悪い」
 ふんぞり返ってそんな文句をたれていた女性は、呆れたような視線に気づいてこほん、と咳払いをし、そしてこう言ってのけた。
「わたしはリダ。あんたの探してた『腕の立つ魔術士』だよ。で、依頼ってのはなんだい?」
 ここまで自信満々に言われると、いっそ清々しい。
 苦笑いを噛み殺しつつ、流しの時計職人オリバーは、その奇妙な依頼内容を語り出した。


 クローネの街の仕掛け時計が有名だったのは一昔前の話で、オリバー自身、やはり時計職人である父から何度か聞かされたことはあったものの、その時はさしたる興味も覚えなかった。それどころか、実際にその街を訪れるまでは、よくある伝説や与太話の類だとさえ思っていた。
 それは、高名な時計職人アイオンが、十数年の歳月をかけて完成させた芸術品。決まった時刻になると機械仕掛けの音楽隊が軽妙な音楽を奏でるという、今ではありふれた仕掛け時計である。
 それが一躍有名になったのは、その時計の設計者が魔術士でもあったこと、そしてたった一人でその時計を完成させた彼が、その時計台を中心に新たな街を作り上げたことがきっかけだった。
 当時は「時計仕掛けの街」などと噂され、そこでは全てが機械で動いているなどという風評すら立ったという。
 しかし、それも昔の話。時と共に技術は進歩し、今ではもっと緻密で豪勢な仕掛け時計が各地に存在する。それらが有名になるにつれてクローネの仕掛け時計は人々の注目を集めなくなり、今では近隣の住人ですらその存在を知らぬものもいるという。
 それは仕方のないことだとオリバーは考える。それが時代の流れというものだ。しかし、時計職人の端くれとしては、約百五十年前に作られた仕掛け時計というものを一目見てみたいと思った。
 だから、その修理を依頼された時に、一も二もなく引き受けてしまったのだ。

「魔術による封印とはね……なんとまあ、厄介な依頼だこと」
 オリバーの話を聞き終えて、二人は盛大に息をついた。彼自身も同じ意見だったから、まったくですと相槌を打つ。
 クローネの町長が出してきた条件である「腕の立つ魔術士を連れてこい」の意味するところは、修理のため時計内部に入るには、まずその入り口に施された魔術の封印を解かなければならないということだったのだ。
「扉の封印を解くことが出来ますか」
 単刀直入な問いかけに、リダはふん、と鼻を鳴らした。
「わたしを誰だと思ってるの。出来るに決まってるじゃない」
 その言葉にほっと息をつく。とりあえず、これで魔術士は確保できた。あとは、故障箇所がすぐに見つかることを祈るのみである。
「外から見た限りじゃ、故障してるようには見えないんですよね?」
 先ほど小突かれた頭をさすりつつ尋ねてきたのは、リダの連れだというギル少年。この二人がどういう仲なのかはよく分からなかったが、少なくとも師匠と弟子というような分かりやすい関係ではないようだ。
「正確な時刻を知らせなくなったのは確かで、通常は朝の二刻から宵の二刻まで、二刻おきに動く仕掛けが不規則になったことは分かってるんですが、なにせ状況が状況なので……」
 時計台は街の真ん中、広場の中心にそびえ立っている。むしろ、時計台を中心に街が築かれたという方が正しい。通常、街の時計台や鐘つき堂は時間神ルファスの神殿を兼ねているが、この街の時計台にそういった施設は付随していなかった。それどころか管理人すら置かず、一つしかない入り口は魔術による封印がなされていて、すでに百年以上、誰一人として時計台内部に足を踏み入れたことがないという。
 そして最大の問題は、それが時計台として機能しなくなっただけではなく、ある厄介な現象を引き起こしていることだった。
「まあ、何らかの魔術が関係していることは間違いないだろうね。魔術士が作った時計なら、動力源は魔力を秘めた何かだろうから、それが壊れたとか、どこかの魔術的な仕掛けが何かの拍子に狂ったか……」
 何にせよ実物を見てみないと、と呟くリダに、少年が深刻な顔をして同意を示す。
「もう、ここでも大分噂が広まってるみたいだしね。このまま放っておいたら、大変なことになりそう」
 そう。クローネから離れたこの宿場町でも、その噂はあちこちで囁かれるようになっていた。
 曰く、「時の狂った街」と――。


 あの日語った 夢の続きを
君は見届けてくれるだろうか


「なるほど、こりゃおかしいわ」
 街に入った瞬間から、それは彼らの五感全てに訴えかけてきた。
 寒風が吹き抜ける広場に咲く向日葵。夏草の匂いが漂う冬枯れの花壇。夕焼けから青空へと移り行く空の下では、雀と燕が餌を奪い合っている。その異様な光景はまるで、終わらない悪夢を見ているようだ。
「異変の境界線は街壁、か。分かりやすいっちゃ分かりやすいけどね」
 高い煉瓦の壁で囲まれたクローネの街は、狂える時に支配されていた。
「異変が始まったのは大体半月くらい前だそうです」
 最初は少しずつ、次第に時間も季節もおかしくなっていって、耐え切れなくなった人達は続々と街を離れ、残った人々も家に閉じこもっているのだという。実際、入り口から広場まで歩く間、誰ともすれ違わなかった。
「俺も二、三日滞在してみたけど、やっぱり調子狂いますよ。なんせ、時計も頼りにならないんだから」
 言いながら懐から出してみせた懐中時計は、彼自身が手がけた作品だ。無駄な装飾を一切省いた文字盤の上では、短針と長針がふらふらと踊っている。つい先ほどまでは正常に動いていたものが、街に一歩足を踏み入れた途端にこれだ。しかも、町の中心に近づくにつれてどんどん動きが怪しくなっていく。
 そうして、何やかやと喋りながら三人が時計台の前に辿り着いた時には、時計の針は目にもとまらぬ速さで回転していた。
 また調整しないと、とぼやくオリバーを尻目に、リダはどこか楽しげに瞳を煌かせて、目の前にそびえ立つ時計台を見上げる。
「なるほどね、これは手強そうだわ」
「どういうこと?」
「時計台全体から魔力が漏れ出してる。こう、円蓋状に空を覆って街壁まで、まるで鳥かごみたいに街を包み込んでるような感じだね」
 その鳥かごの中がすなわち、異変の起こっている範囲というわけだ。
 そう聞くと、なんでもない青空が何か禍々しく思えてしまう。思わずごくり、と喉を鳴らすオリバーに、リダは余裕の表情で言ってのけた。
「さ、ちゃっちゃと終わらせるとしよう。作戦はさっき言った通り。いいね?」
「……要するに、行き当たりばったりってことだろ」
 ぽつりと呟くギル少年を一睨みして、すたすたと歩き出すリダ。向かった先は、魔術による封印がなされているという扉である。
 それは一見して勝手口のような、ごくありふれた木製の扉だった。長身のリダなど身を屈めなければ入れないほどに小さく、錆びついた取っ手がついているだけで鍵穴すら見当たらない。
 念のために取っ手を押したり引いたりして、どうやっても開かないことを確かめてから、リダはやおら呪文を唱え出した。先ほどまでとはうって変わって、その表情は真剣そのものだ。
 その様子をしげしげと見つめていると、後ろから服の裾を引っ張られた。
「離れておいた方がいいですよ。何が起こるか分からないから」
「? 分かりました」
 忠告に首を傾げつつ、数歩ほど下がる。その瞬間、ボンッという音が辺りに響き渡った。
 ぎょっとして音のした方を見れば、先ほどまであったはずの扉が枠ごと消滅している。壊れたのではなく、見事に消え去っているのだ。
「うーん、ちょっと失敗したけど、通れるようになったからまあいいでしょ」
「やっぱり……」
 驚いた様子もなく、やれやれと溜息をついているギル。一方のリダはといえば悪びれた様子もなく、鼻歌交じりにぽっかりと空いた穴から内の様子を覗き込んでいる。
 ここに来てようやくリダの人となりが読めてきたオリバーは、こっそりと少年に耳打ちをした。
「もしかして、リダさんって結構いい加減……?」
「結構じゃなくて、かなりいい加減です」
「なんか言った!?」
 射るような視線に、いいえ何も、と首をすくめる少年。ふぅん、と呟いてすぐに気を取り直し、リダはまるで自宅にでも入るような気軽さで扉があった場所を潜り抜けた。
「さあ、とっとと行くよ!」
「わ、待ってよリダ」
 おっかなびっくり壁に空いた穴に飛び込むギル。その小さな背中を追いかけて、オリバーも慎重に時計台へと足を踏み入れた。


 移り行く世界を眺め続ける君に
 せめて一つだけ 変わらぬものを


 廃墟と化した時計台内部を、上へ、上へ。
 オリバーとギルの二人をその身にしがみつかせて、リダは見えない翼を羽ばたかせる。
 恐れ多くもリダの腕に掴まらせてもらったオリバーは、眼下に広がる光景に呆然と呟いた。
「ひどいな、これは……」
 狂える時は、塔の内部をすっかり風化させていた。石造りの壁はひび割れ、そこから突き出した螺旋状の階段はあちこちが崩れて、すでに用を成さなくなっている。
「でも、中はからっぽなんですね。俺、もっと機械がぎっちり詰まってるのかと思ってました」
 こちらはリダの足にしがみついた状態で、きょろきょろと辺りを窺うギル。何しろ時計台内部の設計図すら事前に手に入らなかったので、そのすっきりとした内部構造はオリバーにとっても驚きだった。
「俺も、もっと大掛かりな仕掛けがあるとばっかり思ってましたよ」
 何しろ百年以上も前の仕掛け時計だ。装置は当然大型で、無駄の多いものだとばかり思っていたのに、時計台内部はほとんど吹き抜けのようになっていた。次第に近づいてくる最上階部分が、恐らく表に出ている仕掛け時計部分のちょうど裏側になっているのだろう。機械類は全てそこに収められているのだろうが、それにしても随分と小さい。最新型の仕掛け時計といえど、これほど小型化はされていないのではないか。
「見えたよ、あそこが入り口だろう」
 辛うじて残っていた踊場に降り立って、リダは崩れかかった階段の先をぐいと示した。小さく切り取られた床面から、僅かな光が漏れ出している。同時に、何やら耳障りな金属音も聞こえてきた。オリバーにとっては馴染みのあるその音が、否応にも緊張感を募らせる。
「行くよ」
 リダの言葉にごくり、と喉を鳴らし、オリバーは慎重に階段を登って行った。


変わらない世界を 君に
 終わらない夢を 君へ


 無数の歯車と、得体の知れない部品達。
 ぎしぎしと軋むような音を立てて動き続ける機械は、床から天井までをびっしりと埋め尽くしている。
 中でも一際目を惹いたのは、部屋の中央部に据えられた不思議な装置と、そこに繋がれたあるものの存在だった。
「箱庭……?」
「いや、この街の模型でしょう。ほら、ここがこの時計台で、広場があって役場があって……」
「こうやって見ると、この街ってすごく整ってるっていうか……なんかの模様みたいだ」
 大きな机いっぱいに広がった街の模型をしげしげと眺めるオリバーとギルを尻目に、リダはその隣で不気味な音を立てている不思議な装置へと近づいていった。
「魔晶石か。こんなに大きいのはわたしも初めて見たよ」
 リダが指差した先、硝子の筒の中には、紫色の水晶が浮かんでいた。内側から溢れる怪しげな光は律動的に明滅を繰り返し、そのたびに心臓の鼓動にも似た音がどこからか響いてくる。
 その、ギル少年の頭よりも大きな水晶――魔力を溜め込む性質を持つ特殊な石こそが、仕掛け時計の動力源に間違いない。
「見てごらん、ここにひびが入ってる。ここから魔力がおかしな風に漏れ出してるんだ」
 魔晶石の組み込まれた装置からは、いくつかの管が伸びていた。一番太いものは街の模型に、そして次に太いものは壁際に埋め込まれた巨大な時計に繋がっている。時刻を示すもの、暦を示すもの、そして太陽の運行を示すものが三つ組み合わされた時計は、もとは仕掛け時計の基礎としてこの街の時を司っていたものだろう。それも今は、オリバーの懐中時計と同じく不規則な動きを繰り返している。
「じゃあ、その魔晶石を直せばいいってこと?」
「いや、直そうとして直せるもんじゃないし、そもそも魔晶石は物凄く硬いんだ。外部からの衝撃でひび割れるようなものじゃないんだよ」
 加工する時は同じ魔晶石で研磨するくらいなんだから、と薀蓄をたれるリダに、少年は素直に感嘆の声を上げる。
「でも、それじゃあどうして割れたんだろ?」
「一定以上の負荷を掛けると――例えば、無理やり大きな力を引き出そうとしたりすると割れることがあるけどね」
「つまり――ここから動力を得ている時計の方に何か問題が生じて、そのせいで石に負荷がかかった、と?」
「そういうこ――」
 リダの台詞を遮るように、ピシリと鋭い音が響き渡った。
「見て、ひびが!!」
 ギルの叫びに魔晶石を振り返れば、そこには新たなひびが走り、紫色の霧にも似た何かが漏れ出している。
「どうして急に――!?」
「わたしの魔力に反応したんだろう」
 あっさりと言ってのけたリダだったが、その表情は硬い。
「やばいね、このままじゃ砕け散るよ!」
 慌てた様子で杖を握りしめ、口早に呪文を唱え出すリダ。杖の先端に埋め込まれた青い宝玉が不思議な光を帯びていき、その光が魔晶石を包み込んだところで、一旦詠唱を中断して二人を振り返る。
「わたしが押さえ込んでる間に、壊れてる部分を見つけ出すんだ! 早く!」
「分かりました!」
「うん!」
 再び始まった詠唱を背中で聞きつつ、機械だらけの部屋を駆けずり回る。設計図も何もない、しかも見たこともない部品が大半を占める機械の故障箇所を探すなど、砂漠で一粒の砂金を見つけ出すようなものだ。
 それでも、やるしかない。次第に掠れていくリダの声を聞きながら、小さな歯車一つ一つを調べていく。
「オリバーさん、これ!!」
 唐突にギルの怒鳴り声がした。振り返ると、装置の合間を縫うようにして伸びる梯子の上から、ギルが手を振っている。
「ここ、なんか挟まってます!」
「今行く!」
 そう怒鳴り返し、大急ぎで梯子を登る。梯子を登り切ったところはからくり人形達の格納場所に当たるようだったが、ギルが指差しているのはその少し下、人形の動きを制御する装置らしき部分だった。
「これか!」
 梯子に掴まった状態で、必死に上体を乗り出して装置に顔を近づける。そこでギリギリと不快な金属音を奏でているのは、歯車と歯車の間に挟まった棒状の物体。すっかり錆びついているが、かすかに残った塗装の後から、どうやらからくり人形の腕であることが見て取れる。
 歯車の間でジタバタともがき、今にもへし折れそうな金属の腕。咄嗟に手を出しかけて、はっと動きを止めたオリバーは、眼下で詠唱を続けるリダに向かって叫んだ。
「リダさん! 少しの間だけ、動力を止めることは出来ますか!?」
 この状態で下手に手を出せば、かえって状況を悪化させかねない。オリバーの言葉に少しだけ考える振りをして、リダは分かった、というように大きく頷いてみせた。
「ギル君。手を貸してもらえますか」
「何をすればいいですか」
「ちょっとだけでいいから、俺の体を支えてて下さい」
「わ、分かりました!!」
 ギルが体勢を整える間に、腰袋から愛用の道具を取り出す。異物を取り除き、歯車を正しく噛み合わせる。たったそれだけのことだが、どのくらいの間リダが動きを止めていられるか分からないから、とにかく迅速に、そして的確に行わなければならない。
 と、不意に詠唱が止み、一瞬静まり返った部屋にぶん、と風を切る音が響いた。
「行くよ!!」
 パァァァ……ンッ!! 
 何かが割れるような音と共に、眩い光が部屋を埋め尽くす。全てを飲み込むような光の中、懸命に瞳を凝らして、オリバーは動きの止まった装置へと手を伸ばした。


「終わらない夢を君へ、かあ……」
 すっかり退色した墨を目で追って、感嘆とも呆れともつかない溜息を漏らす少年。その横では、先端の宝玉を失った杖をぶんぶんと振り回して、リダが息巻いている。
「ったく、どこまで迷惑なヤツなのよ、あいつはっ!!」
「いや、この場合はアイオンのせいであって、その人は無関係なんじゃ……」
「関係あるわよ! あいつが妙なこと口走ったせいで、こんな仕掛けを作って、街まで作り上げて、挙句の果てに暴走だなんて! ぜーんぶあいつが! あのリファのヤツが悪いんじゃないのよー!!」
 あれだけの魔術を行使したあとで、これだけ悪態をつけるのだから元気なものだ。
 彼女の癇癪には慣れているらしいギルが何も突っ込まないので、自分もそれに倣うことにして、オリバーはもう一度、手にした冊子を読み返し始めた。
 それは、この時計台の設計者にして街の創設者アイオンの手記だった。全てが終わった後、塔の最上部に設けられていた隠し部屋で見つけたものだ。
 彼は全てを作り上げた後、この隠し部屋でひっそりと生涯を閉じていた。作業机に腰掛け、手記の最後の頁に自身の名を書き終えたところで絶息したのだろう彼の遺体は既に白骨化しており、リダが手を掛けた途端に砕け散って、風の中に消えていった。
 唯一残った手記には仕掛け時計の設計図のほか、彼の半生が簡単に綴られていた。彼がどうしてこの時計台を、そして街を作ろうとしたのか、その理由も。

 変わらない世界を 君に
 終わらない夢を 君へ

 この世界をどこまでも見つめ続けるのだと 君は言った
 それが己の宿命であり 償いなのだと

 変わり続ける世界で ただ一人不変であり続けること
 その苦しみを分かち合うことも出来ずに
 我は君を残して逝く

 ならば
 移り行く世界を眺め続ける君に
 せめて一つだけ 変わらぬものを
 君に託された あの力を以て

 あの日語った 夢の続きを
 君は見届けてくれるだろうか

 永久を、君に
 永久の、君へ


「決められた通りに循環する季節。変わらぬ日々、変わらぬ世界か……」
 時計職人から魔術士になったという異色の過去を持つ彼は、かつて不老の友人に「永久の時を刻む時計」の構想を熱心に語ったという。それが自身の、生涯をかけた夢なのだと。
 その途方もない夢を、ただ一人笑うことなく応援してくれた友のため、仕掛け時計に禁呪を施して創り上げた不変の街――。それが、魔術士アイオンの残した夢。
 時計台を中心に設計された街は魔法陣の役目を果たし、古代遺跡から発掘した巨大な魔晶石を動力として、彼は終わらない夢を紡ごうとした。
「時を支配する禁呪が生物――街の住人にまで及ばなかったのは、技量が足りなかったのか、それとも良心の欠片が残っていたのか……なんにしても、所詮魔術には限界がある。永久なんて、それこそ夢だ」
 ひとしきり喚き散らしてようやく気が済んだのか、真面目な表情で呟くリダ。
「そのリファって魔術士は、この街のことを知っているんでしょうか」
 ふと呟いたオリバーに、リダはさあね、と肩をすくめた。
「一つだけ言えることは、知っていてこれを放置したのだとしたら、あいつは本当に最低なヤツだってことだよ」
 時空系の魔術が禁呪指定されているのは、それが空間に――世界に及ぼす影響が甚大であるからだ。今回は物理的な故障で時が狂ったが、あのまま正常に動き続けたとしても、いつかは周囲の空間、ひいては世界全体に影響を及ぼしていたことだろう。
「確かに、生物にまで影響する魔法だったら、誰も年を取らなくなっちゃうもんね」
 それはそれでいいって人もいるかも、と笑う少年に、オリバーはそうかな、と呟く。
「もしそんな魔法が使われていたとしたら、あの暴走でもっと甚大な被害が出ていたでしょう。俺達だって、街に入った途端に赤ん坊まで逆戻りしたり、いきなりよぼよぼのじいさんばあさんになってたかもしれない」
「うっ……」
 何やら恐ろしいものを想像してしまったらしく、ぶるると体を震わせるギル。それを笑うかのように、高らかな鐘の音が降ってきた。
「お、鳴ったね。もうお昼か」
 鳴り響く鐘の音は、百五十年前と同じ。それでも時は確実に流れ、世界は変わり続ける。
「ひとまずの補強はしたけど、いずれこの動力は他のものに変えないとならないよ」
「はい、その辺りは町長や、他の技師と相談して何とかしてみます」
 リダの放った渾身の一撃で、ほんの数秒だけ動きを止めた魔晶石は、付け焼刃の補強がなされて今も時計に魔力を送り続けている。ただし、街を制御していた魔法装置への動力供給は打ち切られて、時計台は時を刻むという時計本来の役目のみを果たすようになった。
 鐘が鳴り止み、音楽隊が久々の晴れ舞台へと向かう勇ましい音が響いてくる。賑やかな演奏が始まったのを合図に、リダはよいしょ、と立ち上がった。
「さて、町長とやらにどのくらい吹っかけてやろうかな〜」
「リダってば、あんまりかわいそうなことしないでよ?」
「せめてこの杖の修理代くらいは出してもらわないとねえ」
「……自分で壊したくせに……」
「壊したんじゃなくて壊れたの!」
 何やら物騒なことを言い合いながら歩き出す二人。オリバーも手にしていた冊子をそっと机の上に戻し、主のいなくなった小部屋を後にした。


 昨日と変わらぬ今日が幕を開け、同じ夕陽が地平線に沈む。
 それでも確実に時は流れ、世界は少しずつ姿を変えていく。
 片手を失った指揮者は軽快な音楽を奏で、凧はゆったりと空を舞い、鳩は石畳に集う。
 ようやく戻ってきた日常を謳歌する人々を眺めながら、オリバーは目の前に立つ二人に改めて頭を下げた。
「本当に、お世話になりました」
「こちらこそ」
 予想以上の報酬を得たリダは、いつになく上機嫌だ。リダの口から事の顛末を聞かされ、更に禁呪のことを魔術士協会に報告したらどうなるかなあ、などとにこやかに言われて大いに震え上がった町長は、こちらから言い出す前に当初の金額以上の報酬を提示し、オリバーの懐も久々に暖かくなった。これでしばらく滞っていた実家への仕送りが出来そうだ。ついでだから、二人の妹達に何か添えて送ってやろうか。
 そんなことを考えていると、にこにこ顔のギル少年と目が合った。
「オリバーさんはしばらくここに残るんですか?」
「ええ。あの時計台の修理が終わるまでは残ってくれと町長に懇願されたんで。……それにしても、本当に魔術士協会に報告しなくていいんですか?」
 もう終わったことだから、と町長にはそういう約束をしていたが、それでまかり通るものなのだろうか。
「なぁに、わざわざわたしが報告しなくても、どうせあっちから調べに来るよ。あれだけ噂になってりゃね」
 実にあっさりと言ってのけるリダ。それって詐欺なんじゃ、という少年の呟きを黙殺して、にかっと笑ってみせる。
「なに、調べに来るって言ったって、協会ってやつはとにかく腰が重いんだ。それまでにあの装置をどっかに隠すなり、壊すなりすればわかりゃしないよ」
 要するに、うるさく突っ込まれたくなければ何とかしろということだ。
「それじゃわたし達はこれで」
 くるりと踵を返す魔術士に、オリバーは慌てて待ったをかけた。
「面倒なことに巻き込んだお詫びというか、お礼です。俺が作ったものですけど、杖の修理代の足しにでもして下さい」
 そう言って差し出した懐中時計に、リダの顔がぱぁ、と輝く。
「もらっていいの?」
 言うが早いかそれを受け取り、蓋を開けたり裏をひっくり返したりと、まるで子供のように喜びを顕わにするリダ。
「掛け時計なら家にあったけど、こういうのはまだ持ったことないんだ。売り払うなんて勿体ない、修理代なんて他で稼ぐからいいけど、本当にもらっていい? あとで返せって言っても返さないよ?」
「ええ。気に入ってもらえて、嬉しいです」
 あまりの喜びように驚きつつも、自分の時計がこんなにも気に入られたのだから、勿論悪い気はしない。
 と、はしゃぐリダの手元を覗き込んだギルが、裏面の刻印を指差して首を傾げた。
「ここに彫ってある『オリーヴ=イクスリュート』って……?」
 ああ、と笑って、照れくさそうに頭を掻く。
「俺の本名です。オリーヴって、なんか女性的な響きだから、通称はオリバーで通してるんだけど」
「そう? いい名前だと思うけど……まあ、なんでもいいわ。ありがたくもらっておくよ」
 大切そうに懐中時計を懐にしまい込むリダに、ああそうだ、と付け足す。
「一日一回、ネジを巻いて下さい。そうしないと止まってしまう。これはただの、機械仕掛けの時計だから」
「その方が断然いいよ。時計に振り回されるのは、もうこりごりだもん」
 のどかな広場に響き渡る、明るい笑い声。一斉に飛び立つ、無数の鳩達。
 白い鳩が舞う空は、今日も青い。



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