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結 晶

〜努力の結晶〜
《gilders》☆☆☆
36 etude」 18:「結晶」



 シャラン、と涼やかな音色が店内に響き渡る。
 のんびりと顔を上げた若き店主は、やってきた客を見てわざとらしく声を上げた。
「やァ、お嬢サン! 久しぶりだネ」
「お嬢さんはやめろって言ってるでしょうが……ああほら、早く入んなさいってば」
 最後の台詞は、彼女の後ろでもじもじしている少年に向けられたものだ。その言葉におっかなびっくり扉をくぐったこげ茶色の髪の少年は、壷を抱えてニコニコ笑っている彼を見て、慌ててぺこりと頭を下げる。
「お、お邪魔します」
「ハイ、いらっしゃイ」
 楽しそうに答えながら、やってきた少年をしげしげと見回して、ぱんと手を打つ。
「キミ、リダの恋人ネ」
「いぃぃっ!?」
「あほかぁっ!!」
 間髪入れずに突き出された杖をひょい、と避けて、彼は冗談ヨ、と笑ってみせた。標的を捕らえそこなった杖が、壁に激突して鈍い音を立てる。
 その、壁にめり込みそうな杖の先――本来なら輝く宝石がはまっているはずの部分をついと見やって、彼はおやおやと眉をひそめた。
「リダ、また壊しちゃったネ?」
「ああ、そうだよ」
 ち、と舌打ちをしつつ、杖を引き寄せて、リダと呼ばれた金髪の女魔術士は肩をすくめる。
「修理を頼むよ、ジョーカー」
「はいな、お任せアレ」


 杖をしげしげと検分する店主を横目に、ギルは改めて店内を見渡した。
 薄暗い店内にひしめき合う、不思議な品々。奥の棚には壷や皿、手前の小机には木の実の盛られた籠と一緒に煌びやかな装身具が並べられ、壁には古ぼけた絵画や曇った鏡、虫食いだらけの古地図などが掛けられている。
(一体、何の店なんだろう?)
 愛用の杖を壊してしまったリダが、行き先をわざわざ変更してまで立ち寄った町。それが街道の宿場町として賑わうルナンの街だった。しかも、表通りの店には眼もくれず、いきなり裏路地へ突入したかと思えば半刻ほど延々と歩かされ、ようやく辿り着いてみれば、このいかにも胡散臭い店構えときた。
 最初は骨董品屋かとも思ったが、それにしては訳の分からないものが多過ぎる。しかも、表の看板には店の名前も書かれておらず、下手くそな絵――どうやら三日月らしい――が記されているだけ。ただでさえ裏路地の奥の奥にあるのに、加えてこの怪しさでは、客など寄りつかないのではないか。
「はァー、よくもまあ、ここまで壊れたモンだねェ」
 不思議な抑揚をつけて喋るこの男――〈道化〉という名の店主も、相当に変わっている。見たところリダと変わらない年齢に見えるが、髪は銀を通り越して真っ白に近く、猫のような瞳は光の加減で青にも緑にも、はたまた金色にも見える。まだ春先だというのに袖なしの上着を素肌に引っかけただけで、そこから覗く両腕には不思議な紋様の刺青が彫られており、腕の動きに合わせて動くさまは、まるで生き物のようだ。
「ン? 何かナ?」
 そんな好奇の眼差しに嫌な顔一つせず、むしろ楽しげに首を傾げてみせるジョーカー。その声ではっと我に返ったギル少年は、わたわたと手を振った。
「い、いえっ! 何でもっ! あ、あれ何かなーっ」
 わざとらしく逸らした視線の先に、『今週の大特価品!』の文字。店主の背後、壁に張られた紙にはその他にも品名らしきものがずらずらと並んでいたが、どれも聞いたこともない単語ばかりで何のことやらさっぱり分からない。しかも、添えられている値段ときたら――
(……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……十万!?)
 まるで冗談のような金額に頭がくらくらする。金貨十万枚といったら、城の一つや二つ居抜きで買える額ではないか。
 呆気に取られてあんぐりと口を開けるギルを面白そうに見つめながら、ジョーカーは検分を終えた杖をカウンターに置いた。
「で、どのくらいで直る?」
 待ちかねた様子で尋ねるリダに、そうだネ、と頬を掻く。
「壊れたのは先端の魔導石だけのようだけド、柄の部分も大分傷んでるみたいダシ、石突も交換した方がイイね。となると……ニ月かナ」
「半月」
 リダの言葉に、それこそ呼び名の通りにおどけた仕草で慄いてみせるジョーカー。
「それは無理だヨ。この杖作った時だって、一月以上かかったでショ。他の仕事後回しにして取り掛かっても一月半だネ」
「一月」
「じゃア、一月と十日」
「一月」
「……分かったヨ、一月と五日ネ」
 仕方ない、とリダは肩をすくめた。
「いいわ。一月と五日ね。それで頼む。で、肝心の石はあるんでしょうね?」
「勿論だヨ」
 よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに、ジョーカーはいそいそと近くの戸棚を漁り始めた。
「ちょうどこないダ、いい石を手に入れたんだヨ……あァ、あっタあっタ」
 棚の上の方から小さな箱を取り出し、慎重な手つきで蓋を開ける。途端に溢れ出す、七色の煌き。
「うわぁっ……!」
「これ、輝虹石じゃない! よく手に入ったね」
 目を見張るリダに、ジョーカーは苦労したヨ、としみじみ頷いてみせた。
「これは魔力の増幅率が桁違いに高い、とても貴重な石ネ。威力も精度も上がる。それでも、リダの力にはようやっとついていけるくらいだけどネ。まァ、前のよりは長くもつと思うヨ」
 そう解説しながら石を取り出し、恭しくリダの手に乗せる。それは、子供のこぶし大ほどもある虹色の石だった。原石らしく形もいびつで輝きも鈍かったが、きらきらと七色に煌くさまはとても美しい。
「輝虹石かぁ、いつか使ってみたかったんだよねえ」
 しばしうっとりと石を眺めていたリダだったが、珍しいものを見るようなギルの眼差しに気づいて、大慌てで何でもないような顔を取り繕う。そして、彼女にしては慎重な手つきで石を箱に戻したリダは、改めてジョーカーへと向き直った。
「じゃあ、一月と五日で頼むよ」
「おーけー。昔の誼みで何とかしてみるヨ。でも前金必要ネ」
 片目と瞑ってみせるジョーカー。リダは分かったよ、と呟いて、服の隠しをあちこち探り出した。
「えっと、あれ? おかしいな、ここに入れておいたはずなのに……あそっか、ギル。あんたに渡しといたんだ。あれ出して、あれ」
「あれってどれだよ? 全くもう、だから、日頃から整理整頓しようって言ってるのに……」
 ぼやきつつ、背負っていた荷物を下ろすギル。そうして、あれでもないこれでもないと大騒ぎすること四半刻。
「あったあった……。はい、これでどう?」
 そう言いながらリダがカウンターに乗せたのは、色とりどりの宝石が埋め込まれた首飾りだった。
「どれドレ」
 どこからか取り出した虫眼鏡で検分を始めるジョーカー。それは半月前、依頼を受けて潜った洞窟で見つけた物だった。リダの目利きによれば、金貨五百枚は下らないという逸品である。それを前金代わりにするということは、全体の金額は一体どれくらいになるのやら、ギルには検討もつかない。
「魔術士の杖って、そんなに値が張るもんなんだ」
 そんな高級品をぶんぶん振り回し、数多の敵を蹴散らしてきたのだから、リダの神経も相当なものである。
 と、そんなギルの心中を察したらしいリダが、むっとした顔で言ってきた。
「あのねえ。こんなもんで驚いてたら魔術士やってられないんだから。今あんたが背負ってる袋の中身、全部売ったらいくらになると思う!?」
 え、と口ごもるギル。彼が背負わされている荷物、そこに詰まっているのは、硝子の小瓶に入った銀や紫色の怪しげな液体に始まり、得体の知れない干物だの妙な匂いのする葉っぱだの、およそ売り物になるとは思えない代物ばかりだ。
「……あれ、売れるの?」
「当たり前でしょうが。どれもこれも高価な魔術道具なんだから。そうね、全部売っ払えば金貨二万にはなるんじゃないかな」
「二万!?」
 目を剥く少年に、どうだとばかりにふんぞり返るリダ。
「あんた、わたしを金銭感覚のない魔術バカだと思ってるかもしれないけど、魔術ってのは何かと金が掛かるの! 分かった?」
「う、うん……でも」
 それらの魔術道具を使っているところなど、一度も見たことがないのだが、それは一体どうしたことだろう?
 その疑問を口にする前に、検分を終えたジョーカーとリダとの間で値段交渉が始まって、少年の素朴な疑問はうやむやのまま立ち消えることとなった。
「ウン、なかなかいい護符だネ。この形は珍しいシ、それに保存状態もいい。四百五十でどウ?」
「冗談! 隠し部屋から取ってくるのに物凄い骨が折れたんだからね。それに製造者の刻印を見ただろう? ルーン大国にその人ありと謳われた細工師オルレーンの魔具だよ? それがこんな完全な状態で発見されるなんて珍しいんだから。つーわけで、五百五十!」
「分かったワカッタ、それじゃ五百二十出すヨ。それを前金に当てるとして、あとはこんな感じネ」
 ぱちぱちと算盤を弾くジョーカーに、その珠が示す金額を見て唸るリダ。
「うーん……もうちょっとまからない?」
「これ以上はムリだネ。もうちょっと時間くれるならマケてもいいケド」
「それは駄目。早いトコ向こうの大陸に渡りたいんだ。……ま、しょうがないか。じゃあ――」
 ぱちりと珠を一つ動かしてみせるリダ。不満の声が上がる前に、それともう一つ、と言い足して、ぐいとギルの肩を抱く。
「これもつけるわ」
「えええええっ!?」
 慌てふためくギルをよそに、ジョーカーはうんうんと頷いてみせる。
「いいネ。この少年、よく働きそうだヨ。じゃあそれで商談成立ネ」
「ち、ちょっとリダ! 俺を売る気ーっ!?」
「売るだなんて人聞きの悪い。杖の代金分、ちょっとここで働いて欲しいだけよ」
 大慌てで食って掛かる少年を軽くいなし、あっさりと言い放つリダ。しかし、そんな説明で納得の行くはずもない。
「なんでだよぉぉぉぉっ!! 俺のせいで壊れたんじゃないのにー!!」
 理不尽な言いつけに憤慨するギルの頭をがしっと――万力のような力で――掴み、涙の滲んだ瞳をしかと見据える。そしてリダは満面の笑みを浮かべ、こう言ってのけた。
「いいから働け」
「うわぁぁぁぁん!!」
 泣きべそをかくギルをジョーカーにえいや、と押し付けて、くるりと踵を返す。
「それじゃ、頼んだよ」
「って、ホントに置いてく気かよーっ!? リダの薄情者ー!!」
 絶叫を右から左に聞き流し、軽やかな足取りで去っていくリダ。その後ろ姿を見送って、ジョーカーは尚も喚き続けているギルの肩をぽんぽんと叩いた。
「だいじょぶヨ、ここ客ほとんど来ないカラ」
「それじゃ商売にならないじゃないですかっ! って、そうじゃなくて――」
「ここで店番すれば、魔術の知識、自然と身につくヨ」
「え?」
 唐突な言葉に眼を見張るギル。そんな彼を面白そうに見つめて、ジョーカーはぴっと人差し指を立てた。
「ここ、魔法の店ネ。表の看板、見なかったカイ?」
 弾かれたように扉へと走る。リダが開けっ放しにしていった扉をくぐり、そこに吊るされた看板を見上げるが、先ほども見たとおり、そこに文字らしきものは何ひとつ刻まれていない。
 どういうことだろう、と首を捻っていると、やってきたジョーカーが手を伸ばして、ひょいと目隠しをした。
「え、なに!?」
「ハイ、見てごらん」
 ぱっと手が離れて、言われた通りに看板を見ると、そこには光り輝く不思議な文字で《ジョーカー魔法店》とはっきり記されているではないか。
「これって、どういう……?」
「ルミニュスの燐粉、特別な魔法使わないト見えない魔法の塗料だヨ。これが見える人だけガ、うちの本当のお客ネ。リダは付き合いの長い上客なんダ。宮廷魔術士になる前からだカラ、かれこれ十年にはなるかナ」
 でも、とジョーカーは意地の悪い笑みを浮かべて続ける。
「リダが恋人連れてきたのは初めてネ」
「いやだから、俺は全然そんなのじゃなくって! ただの連れっていうか相棒? っていうか、その――」
 慌てふためくギルに、ジョーカーは冗談ヨ、と笑った。
「でも、リダが人を連れてきたの、ホントに初めてダヨ。誰かと組んでること自体、多分初めてじゃないかナ。よほどキミのこと、気に入ったんだネ」
「え?」
 何気ないその言葉に、何故だか胸が熱くなる。
(そう……なんだ……?)
 嬉しいような、困ったような、複雑な表情を浮かべる少年の肩を叩き、楽しそうに続けるジョーカー。
「これからもリダと一緒に旅をすルなら、魔術の知識は役に立つヨ。リダも多分、そのつもりでキミをここに置いていったネ」
 だから頑張ってみないカイ。そう言われて、ギルは逡巡したものの、こくんと頷いた。
「……俺がしっかりしなきゃ、リダってばずぼらだし、喧嘩っ早いし、加減ってものを知らないし、いつも暴走気味だし……」
 だから、せめて術のとばっちりを受けないように。足手まといにならないように。そして、もっと彼女の役に立てるように。
 そう、自分はリダの相棒なのだと、胸を張って言えるようになるために――!
「頑張らないと!」
「そう、その意気だヨ。それじゃ、ハイ」
 ぽん、と手渡されたのは、先ほどの結晶と不思議な光沢の布。
「はいって、これをどうするんですか?」
「まずはその結晶を磨くことから始めるヨ。虹色の輝きが出るまで、その特製研磨布で心込めて磨いてネ。まァ十日も磨けば仕上がるヨ」
「えええええ!!」


 杖を預けてちょうど一月と五日後、上機嫌で店を訪れたリダは、仕上がった杖を手に満足げに頷いた。
「うん、ばっちりじゃない。それじゃこれ、残りのお金ね」
 そう言って取り出したのは、大量の金貨が詰まった布袋。早速中身を取り出して数え上げ、毎度アリ、と笑うジョーカー。
「それにしても、一月でよく稼いだネ」
「あんたねえ、わたしを誰だと思ってんの? 本気出せばこの程度、ちょちょいのちょいよ」
「リダが本気出したラ、大陸一つは消し飛ぶヨ。よく依頼主ごと吹っ飛ばさなかったネ。えらイえらイ」
 軽口を叩くジョーカーを一睨みで黙らせて、狭い店内をキョロキョロと見回すリダ。
「で? 預けといたヤツは?」
 どこか不安げなその様子に、ジョーカーはくすくす笑いながら答えた。
「彼ならあそこだヨ」
 そう言って指差したのは、店の奥。絨毯の上に胡坐を掻き、壷を片手に居眠りをしている少年を見て、リダは目を丸くする。
「あらら」
「彼、とっても働き者だネ。彼のおかげですっかり店が片付いたヨ」
「それは良かった――って、そうじゃなくて! その、さ……」
 言いにくそうな様子に笑いを噛み殺し、ジョーカーはうんうんと頷いてみせた。
「とりあえず基礎的なことは教えたヨ。それにしてモ、基礎もなしに呪符の書き方ダケ叩き込んだなんテ、リダも無茶苦茶だネェ」
「仕方ないだろ! ……わたしは人にモノ教えるの、からっきし駄目なんだから」
 ふいっとそっぽを向くリダ。そんな彼女をにこにこと見つめながら、ジョーカーはわざとらしく声を張る。
「それにしてもいい子だネ、彼ハ。真面目だシ勘がいいシ、飲み込みも早い。もう、このままずっとうちで働いて欲しいくらいだヨ」
「駄目だよ」
 即答してから、照れくさそうにごにょごにょと付け加えるリダ。
「だって、わたしについてこられるヤツなんて、そういないんだからさ」
「そうだネ」
 穏やかに答え、そしてジョーカーはおもむろにリダの手から杖を取り上げた。
 石の大きさが変わったこともあり、その形は以前のものと大きく異なっている。先端に取り付けられた虹色の石、それを守るように取り囲む金属の輪。金属で補強された柄は以前より長く、石突部分にあしらわれた竜の細工は眼を見張るほどに繊細だ。
 それは、彼女の手と力に馴染むよう細部までこだわって作り上げた、まさに究極の杖。
「この輝虹石を研磨したのは彼だヨ。とても丁寧に、一生懸命心を込めて磨いてくれタ。まさに努力の結晶ネ。だから、大切に使ってヨ」
「分かってる」
 その言葉に頷いて、ジョーカーは杖を差し出した。それを両手で受け取って、よし、と呟く。そして――
「それじゃギル、行くよ!」
 力強い声にばっと跳ね起きるギル。壷を取り落としそうになって、慌ててそれを抱きとめた少年は、一月振りに見たリダの姿に目を丸くした。
「リダ!? この一月なにやってたんだよ!」
「何って、杖のお金稼いでたに決まってるでしょうが。それよりほら、杖も直ったことだし、さっさと行くよ!」
「ええっ、もう!?」
 困ったように見上げてくるギルに、ジョーカーは苦笑を浮かべつつ、こくりと頷いた。
「キミのおかげでとても助かったヨ。また手伝いに来てネ」
「は、はい」
「それじゃ、しゅぱーつ!」
「って、待ってよリダ! 荷物取ってこなきゃ。それに着替えっ。ああもう、いいからそこで待っててよ! 置いてっちゃ駄目だからね!」
 どこか嬉しそうにまくし立て、慌しく店の奥へ掛けていくギルを見送って、リダとジョーカーはそっと顔を見合わせる。
「いやホント、リダについていこうナンて奇特な子、滅多にいないヨ? だから大事にネ」
「……あんた、さっきからさり気なく暴言吐きまくってるけど、そんなに月に戻されたいわけ? この野良魔族が」
 おお怖イ、と肩をすくめるジョーカー。
「それはごめんだヨ。それにボク野良じゃないネ。ちゃんと契約守ってここにいるんだかラ」
「契約者が死んでるのに、律儀なこと」
「そういう契約だからネ。リダもそのうち、やってみるといいヨ」
「ご免被るわ。無期限契約だなんて疲れるだけじゃない」
 召喚魔術の中で最も難易度の高い上級魔族との無期限契約を「疲れる」の一言で切って捨て、リダは目の前に佇む男をつい、と見上げた。
「ま、アンタがいないと何かと不便だしね。くれぐれも妙なことして、そこらの魔術士に倒されるんじゃないよ」
「そんなヘマはしないヨ」
 どん、と自信たっぷりに胸を叩いて、ジョーカーはふと思い出したようにカウンターから身を乗り出すと、すっと声をひそめた。
「ギルの父親の話、聞いたカイ?」
「多少はね。それがどうかしたの?」
「実はネ……」
 耳打ちされた言葉に、思わず眉根を寄せるリダ。
「それ、本当?」
「ボクも人づてに聞いた話だからネ、確かじゃないケド。調べてみる価値はあるんじゃないカナ」
「……そうだね。覚えておくよ」
 神妙な面持ちで頷いたところで、ようやく店の奥からギルが戻ってきた。
「お待たせ!」
 旅装束に着替え、大荷物を背負ってやってきたギルは、ジョーカーの目の前までやってくると、深々と頭を下げる。
「お世話になりました!」
「こちらこそ、助かったヨ。またおいでネ」
「はいっ!」
「じゃ、行こうか」
 そう言ってさっさと歩き出すリダ。それを慌てて追いかけるギル。何とも慌しく旅立っていった二人を見送って、ジョーカーはふぅ、と息を吐いた。
「やれやれ、これでまた当分は暇だねェ」
 この店に訪れる「客」は一月に一人がいいところだ。しばらくは閑古鳥と顔を突き合わせることになるだろう。
「あ――いけナイ、忘れてタ」
 ふと思い出したように呟き、近くの戸棚から硬貨の詰まった小袋を取り上げる。
「お給金、渡しそびれちゃったネ」
 寝る間も惜しんで働いてくれたのだ、せめて小遣いにと用意しておいたのに、渡す機会を逸してしまった。
 まいったネ、と苦笑いを浮かべた次の瞬間、盛大な金属音が鳴り響く。
「いらっしゃいマセー」
 営業用の笑みを浮かべて振り返ったジョーカーは、やってきた客人の姿に眼を細めた。
「おやマァ――久しぶりだネ。百年ぶりくらいかナ?」


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