2.律動する大地
 出立は、まだ朝靄の立ち込める明け方となった。次の町までかなり距離があるから、日が落ちる前に着くにはこの時間に発つしかない。
 だから見送りは村長とその妻だけだったが、大仰にされるよりはよほどいいと旅人達は笑う。
「急いで作りましたから、形は悪いかもしれませんが、道中召し上がってくださいな」
 そう言って心づくしの朝食を詰めた籠を手渡すミルトア。出立に間に合わせるためにどれだけ早起きをしてくれたのかと思うと頭が下がった。
「本当に、ありがとうございました」
 深々と頭を下げる村長に、リファはぱたぱたと手を振った。
「お礼を言わなければならないのはこちらです。こんなに暖かなもてなしを受けたのは本当に久しぶりでした」
「まともな寝台で寝たのもな。やーほんと、よく眠れすぎてうっかり寝過ごすところだったぜ」
 茶化すように付け足して睨まれ、冗談だよと頬を掻くラーン。そして、ありがとうございましたと声を揃える。
「またぜひ、お立ち寄りください。いつでも歓迎いたしますぞ」
「ええ、本当に。きっと、またいらしてくださいね」
 切々と訴える二人と固く握手を交わして、それでは、と村長宅を後にする。ゆるやかな坂道を下れば、今にも倒れそうな木の門が見えてきた。朝靄に隠れて道の先は見えないが、このまま道なりに進めば街道にぶつかるはずだ。
「遅いですよ、二人とも」
 唐突な声は門から響いてきた。驚く風もなく目を凝らせば、朝靄の中から飛び出してきたのは、色とりどりの布を巻きつけた、薄茶色の頭。
「なかなか来ないから、寝坊してるのかと思いましたよ」
 からかうような声に、わざとらしく拳を固めて言ったなあ、と凄めば、明るい笑い声が弾ける。
 ひとしきりふざけたあとで、エルクはしゃんと背筋を伸ばすと、旋毛が見えるほどに勢いよく頭を下げた。
「僕を仲間に入れてください! 世界が見たいんです!」
 顔を上げれば、そこには好奇心に満ち溢れた瞳。きらきらと、まるで宝石のように輝く双眸に映し出される世界は、今はまだちっぽけなものでしかない。
「お話のように、なんでも都合よくいくとは限りませんよ?」
「昨日よりもっと怖い目にも遭うだろうし、下手したら二度と帰ってくることもできないぜ?」
 言葉だけは厳しく、しかしその顔は力強い微笑みに溢れていたから、エルクはただ大きく頷いた。
「はい!」
 決意のほどは、これから身をもって示せばいい。だから余計な言葉を重ねることはせず、じっと目の前の二人を見つめる。
 賑やかになりますね、と微笑む金髪の魔法使い。びしびし鍛えるからな、と指を鳴らす赤毛の剣士。そして差し出された、二本の手。
「よろしくお願いしますね」
「よろしく頼むな!」
「はいっ! よろしくお願いしますっ!」
 褐色の無骨な手。ほっそりとした白い手。順番に握りしめて、その暖かさを噛み締める。
「さあ、行きましょう!」
 朝靄の中を泳ぐように駆け抜けて、西へと伸びる街道を目指す。行く手を阻むものは何もない。目の前に広がる世界は、どこまでも続いている。
「わ、こら待て! 置いていくなよ!」
「エルク、今からそんなに急いでいたら目的地までもちませんよ!」
 慌てて追いかけてくる二人を振り返り、早くはやくと手を振る。
 やがて背後から昇る朝日に照らされて、輝きを増す大草原。
 風が駆け抜ける大地を、口笛など吹きながら。
 追い風に乗って、遥か彼方へと。
 現実から目を背けず、まっすぐに突き進んでいったなら。
 世界は、どんどん広がっていくだろう。
律動する大地・