3.幕間の町
「うわあ……!!」
 思わず歓声を上げて立ち尽くすエルクに、ラーンはやれやれと苦笑を漏らした。
「このくらいの規模で驚いてちゃ、この先が思いやられるな」
「ランカ村から出たことがなかったんですから、驚くのも当たり前ですよ。ほらエルク、道の真ん中に立っていると馬車に轢かれますよ」
 エルクの袖を引き、石畳の歩道へと誘うリファ。その間もエルクは行き交う人や馬車の多さに目を丸くして、とにかく感嘆の声しか出てこない有様だ。
 ランカ村を出発して半日。大地溝に潜む妖獣を一掃しながら西へとひた進み、どうにか日暮れ前に辿り着いたラドックの町は、別名『幕間の町』と呼ばれていた。大陸各地から集まった品物や人々がここで荷を積み替えて新たに出発していく様が、まるで舞台の幕間の慌ただしさに似ていることから名づけられた名前だ。街道が交差する宿場町としてはさほど大きくはないが、今までランカ村以外を知らないエルクの目には、首都もかくやという大都会のように映っているのだろう。
「ほら、さっさと情報収集だ。宿も早めに取っておかないと埋まっちまう」
 エルクの肩を叩き、スタスタと歩き出すラーン。その隣にリファがすっと並ぶ。息の合った二人の背中を追いかけながら、エルクは瞳を輝かせて尋ねた。
「情報収集は酒場でするんですよね? 定番ですもんねっ」
 冒険譚に出てくる旅人達はみな、酒場兼宿屋に集って酒を酌み交わしながら情報を交換するものだ。そう説明せずとも分かったのだろう、リファがくすくすと笑いながら頷いてみせた。
「ええ。旅の基本ですね。酒場には町の住人だけでなく旅人もやってきます。町中の情報も、街道や他の町の情報もいっぺんに手に入るから便利なんです。規模が小さい場合は、そこを治めている方のところに行った方が早い場合もありますが、このくらいの町ならまず酒場でしょう」
 ただし、と人差し指を立てるリファ。
「酒を酌み交わす場所ですから、柄の悪い輩や酒癖のよろしくない人もいます。という訳で、情報収集はラーンに任せるとして、私達は先に買い物に行きましょうか」
「その方がいいな。じゃ、宿は適当に取っておくから、夕の四刻に鐘つき堂の前で待ち合わせってことで」
「頼みましたよ」
 任せとけ、と手を振って、人混みの向こうに消えていくラーン。燃えるような赤い髪はあっという間に雑踏に紛れ、見えなくなってしまった。
「さあ、私達も行きましょう。日が暮れる前に買い物を済ませてしまいましょうね」
「買い物って、何を買うんですか?」
 昼の休憩時に荷物を解くところを見たが、不足しているものはないように見えた。エルクが差し入れた携帯食料もあるし、今夜は宿に泊まるのだから寝床の心配もしなくていい。
 不思議がるエルクに、リファはそうですねえ、と指折り数えながら不足の品を挙げていく。
「角灯の油に蒸留酒が一瓶、あと薬草が何種類か。それと古着屋にも寄りたいところですね」
 旅の荷物は必要最低限の量に抑えなければならない。故に、こまめな補充が必要となる。衣類などが最たるもので、季節ごとに買い換えて、それまでの服は処分してしまうという。
「そろそろ暑くなってきましたから、涼しい服を用意しておかないとね。あなたの荷物もあとで点検して、足りないものを確認しましょう」
 エルクの背中にちらりと視線を送って、苦笑いを浮かべるリファ。愛読書の数々を参考にエルクが選び出した、背負い袋いっぱいの荷物。ぎゅうぎゅうに詰め込まれたそれらの中には、足りないものどころか旅に必要ないものが色々と含まれていることは明白だ。
「はい、お願いします」
 神妙な顔で頷くエルク。これがラーンだったら意固地になって「これはどうしても必要なものなんだからいいんだ!」とそっぽを向くところだが、まだすれていないエルクの素直な反応に思わずくすりと笑ってしまってから、リファはほら、と雑踏の先を指さした。
「市場に着きましたよ」
 急に目の前が開けて、市場の賑わいが飛び込んでくる。石畳の広場に簡素な露店が軒を連ねるさまは、まるで祭のようだ。広場をぐるりと囲む店々の軒先には様々な品物が陳列され、真正面には大きな鐘つき堂がそびえ立っている。夕暮れ時のこの時間は夕飯の材料を買い求める主婦や遊び帰りの子供達、そして仕事を終えて帰宅する男達でごった返しており、ちょっと気を抜けば人の波に揉まれてあらぬ方向へ押し流されてしまいそうだ。
「すごい……!!」
 目を瞠るエルクの腕を引き寄せ、リファは小さな子供を諭すように、しっかりと言い含める。
「いいですか。この人混みです。はぐれたらもう会えないと思ってくださいね」
「は、はいっ! ちゃんとついていきますっ」
 意気込むエルクによろしい、と澄まし顔で答えるリファ。そして二人は意気揚々と広場へ繰り出した。