6.空を翔るもの 地を駆るもの
 その日、ダロスの町は風変わりな客を迎えることとなった。
「あんた方、どこから来なさった?」
 門番に頭の天辺から爪先までをじろじろと見られて、いやその、と頭を掻く旅人達。それもそのはず、整備された街道をやってきたはずの彼らは揃いも揃って土埃と枯れ枝にまみれ、森の中で転がって遊んでいた悪ガキ共もかくやという風体だった。
「落とし穴に落ちたんだよ。ったく、あと一歩で出口ってところに普通、罠を仕掛けるか? どんだけ陰険なんだ」
 赤髪に絡まった枯葉を叩き落としながらぼやく長身の剣士に、三人の中では比較的汚れていない長衣の麗人が、呆れたと言わんばかりに肩をすくめる。
「あそこは怪しいと言ったのに、話を聞かずに突き進むから落ちるんですよ。しかも私達まで巻き添えにして……とんだとばっちりです。ねえ、エルク?」
「いえ、僕もいくつか引っ掛かっちゃいましたし。森を突っ切ってこの程度で済んだんですから、むしろ幸運だったんじゃないかなあ」
 最後の一人、遊牧民の恰好をした子どもの言葉に、これは驚いた、と目を瞠って、門番は頬をぽりぽりと掻いた。
「あんた方、オルソンの森を抜けてきたのかね。何とまあ……」
 かの森に住まう森人達はごく少数だが非常に好戦的で、森は彼らの仕掛けた罠で溢れ返っていると聞く。通常、森人達は己が集落に近づいた者を排除するものだが、あの森に限っては、森全体が彼らの縄張りという認識のようで、昔から近隣住民や旅人との間で騒動が絶えない。
「その昔、業突張りの狩人がオルソンの森で手当たり次第に狩りをしたことがあってなあ。その時はもう、手酷い仕返しを食らったらしくて、二度と森に入ろうとはせんかったなあ」
 怖い怖い、と震えてみせる門番に、剣士は思い出すのも腹立たしいと言わんばかりの顔で、ぐっと拳を握りしめた。
「三歩ごとに罠って、仕掛けすぎだろ! 自分達が間違って引っかかったらどうするんだ」
「彼らはちゃんと、自分の仕掛けた罠の位置くらい覚えていると思いますよ」
 憤懣やる方ない剣士を鼻であしらって、長衣の麗人は月光を織り込んだかのような髪をさらりと掻き上げると、門番に向き直ってにっこりとほほ笑んだ。その眩い笑顔に思わず胸が高鳴ってしまったのは、男の悲しい性というやつか。
「つかぬことをお訊ねしますが、この町に黒ずくめの旅人達がやってきませんでしたか?」
「黒ずくめの旅人達、かね?」
 どぎまぎしつつ、大急ぎで記憶を辿る。しかし、ここ十日ほど遡ってみても、そのような怪しい一団にはお目にかかっていない。
「いんや、来てないねえ。なんだい、ユークの坊さんが巡礼でもやってるのかい?」
 からかい混じりに答えると、金髪の麗人はいえ、と首を振った。
「ちょっと、そういう話を小耳に挟んだものですから。ところで、この町の宿屋はどの辺りにありますか? しばらく逗留したいと思っているのですが」
「ああ、それなら……」
 この美人がしばらく滞在するというなら、是非とも宿泊場所を押さえておきたいところだ。値段も手ごろで評判のいい宿屋と、ついでにうまい飯屋の名も何軒か挙げてやる。
「ご親切にありがとうございます」
 深々と頭を下げた麗人は、もう一つお願いが、と申し訳なさそうに声をひそめると、ぐいと顔を近づけてきた。
「先ほど言った黒ずくめの連中がもしやってきたら、こっそり教えて下さいませんか? 実は、ちょっとした因縁がありまして、顔を合わせたくないんです」
 耳朶をくすぐる囁きに、思わず顔が赤くなりそうになるのをぐっと堪えて、厳つい表情を取り繕って頷いてみせる。
「お安い御用だとも」
 胸を張る門番に尚も深々と頭を下げて、麗人は長衣の裾を絡げると、仲間二人を急かすようにして歩き出した。
 彼らの姿が雑踏の向こうに消えるまでを見送って、はたと思い出す。
「素性を問い正しそこねたな」v  ダロスの門番として、不審者には厳しく目を光らせなければいけない立場だというのに、これはまずいことをした。
(まあ、宿が分かってるんだし、問題ないか)
 元々そこまで厳しく確認しているわけでもないし、見たところ三人とも怪しげな人物ではない。それより、彼らの言っていた『黒ずくめの旅人達』の方がよほど要注意人物だ。
「しかしまあ……この暑いのに黒ずくめとはねえ。ご苦労なこった」
 想像しただけで汗が噴き出そうになり、やれやれと頭を掻く。交代の時間まであと一刻。その間にその怪しげな連中が来ないことを祈りつつ、門番は再び姿勢を正すと、街道の先に目を凝らした。


「親切な門番さんのおかげで、安心して逗留することが出来そうですね」
 弾むような足取りで宿屋への道を辿るリファに、数歩後ろを行くラーンは呆れ顔でお前なあ、とぼやいてみせる。
「純朴な門番を誑かして、ひどいやつだよな」
「人聞きの悪い。私はただ、丁寧にお願いしただけですよ?」
 くるりと振り返って、心外だと口を尖らせてみせるリファ。確かに、台詞だけ聞けば単にお願いしているだけなのだが、自分の美貌が他人に与える効果を十分に理解して惜しみなく活用する辺りが、いかにもリファらしい。
「ところでエルク、足の具合はどうですか?」
 唐突に聞かれて、エルクは二日前に痛めた左足首を軽く回してみた。もう痛みは引き、違和感もほとんどない。あの時、リファがすぐに応急処置を施してくれたのが良かったのだろう。
「はい、もうほとんど治ってます」
 森の中では、結局ほとんどラーンに背負ってもらう形になってしまったエルクだったが、最後の落とし穴で二人仲良く落ちてしまい――咄嗟に手を伸ばしたリファも巻き添えを食った訳だが――それ以降のドタバタで足のことはすっかり頭の片隅に追いやられていた。
「落とし穴で余計に痛めないですんで、良かったよなあ」
「ラーンさんの上に落ちましたから。ラーンさんこそ、よく怪我しなかったですよね」
「あの程度で怪我するような、やわな体じゃないっての」
 鎧を着た状態で自分の背丈より深い落とし穴に落ちて、しかも二人の下敷きになっても怪我一つしていないというのだから驚きだが、彼には大地溝に滑落してかすり傷程度で済んだという、とんでもない前歴がある。
「ラーンの頑丈さは今に始まったことではありませんからね。さて、計画通り、彼らより先にダロスの町まで辿り着くことが出来たわけですが、これからどうしましょうね」
「どうするもこうするも、奴らがやってくるのを見張ってればいいんだろ?」
「門番さんの横に立って、日がな一日街道を監視するつもりなら、どうぞご自由に」
 その光景を想像してしまったのだろう、げえっと顔をしかめるラーン。そんな素直な反応にくすくす笑いながら、リファはさらりと続けた。
「何のために、門番さんにお願いをしたと思ってるんです。大体、私とラーンは顔を見られているんですから、そんな目立つ真似をしたら怪しまれるじゃありませんか」
「そうは言っても、ただここで連絡を待つだけなんて、つまらないじゃないか」
 つまる、つまらないの話ではない気もするが、ラーンの言いたいことも分かる。門番に任せっきりで、ここでのんべんだらりと過ごすのは性に合わないのだろう。
「確かに、あなたの言うことも一理あります。彼らがごく普通の旅人を装ってやってきたとしたら、門番さんには区別がつかないでしょうし、監視の目は多い方がいいですからね。というわけで、ここはエルクに一肌脱いでもらうしかないでしょう」
「えっ!?」
 思わず飛び上がりそうになるエルクに、大したことじゃありませんよと笑うリファ。
「さっき、広場に行商人がいたのを見ましたか? ダロスのように旅人が多く行き交う町には、行商人も多く立ち寄るんですよ。つまり、エルクが旅の薬売りに扮して広場に店を出せば、堂々と人の出入りを監視することが出来ます。なに、ランカ村で色々仕入れてありますから、売り物には事欠きませんよ。私一人だと時間がかかるので、調合もお手伝いしてもらわなくては」
 どうですか? と尋ねられて、ぱあと顔を輝かせるエルク。
「はいっ! 頑張ります!」
 道中、薬草の見分け方などは色々と教わったが、実際の調合は室内で時間をかけて行わなければならないため、今までその機会がなかった。しばらくこのダロスに滞在するのなら、リファも腰を落ち着けて調合に取り組むことが出来る。それを手伝えば知識も深まるし、それを町で売れば路銀も稼げて一石二鳥だ。
「で? 俺は何をすればいいんだ?」
 一人あぶれてしまったラーンがそう尋ねれば、リファは澄ました顔でこう言い放った。
「その赤毛は目立ちますからね、あまり町中をうろうろせず、宿で大人しくしててください」
 容赦ない一言に、むうっと不貞腐れるラーン。
「好きでこんな髪の色なんじゃねえやい」
「腐らないでくださいよ。宿屋で薪割りや酒樽運びを手伝えば、きっと喜ばれると思いますよ」
 そう言って、不意に足を止めるリファ。危うくその背中にぶつかりそうになって、すんでのところで衝突を免れたエルクに、ラーンがほら、と前方を指し示す。
「ここだな。門番のおっさんが教えてくれた『踊る子山羊亭』」
 煉瓦造りの建物には、その名の通り跳ね回る子山羊の看板が下がっていた。その下に吊るされた酒瓶と片手鍋の飾りは、この宿屋が食堂や酒場も兼ねている証だ。
「ごめんくださーい」
 躊躇せず扉を押し開けて中に入っていくリファに、おっいい匂い、などと呟きながらラーンが続く。最後に扉を潜ったエルクは、早速宿の主人とあれこれ交渉を始めているリファを横目に、衣服と同様に土まみれになってしまった背負い袋をそっと下ろすと、慎重に紐を緩めて中を覗きこんだ。
 森を抜ける間際、まさに最後の最後で深い落とし穴に嵌ったため、折角きちんと整理してあった中身がぐちゃぐちゃだ。その一番上でちょこんと座ってこちらを見上げていたロキと真っ向から目が合って、慌ててこそこそと囁きかける。
「もうちょっとだけ我慢してね」
『わかった』
 そう答えたロキの声は、悲しいかな常人には「きゅるきゅる」としか聞こえない。しかしその鳴き声自体はもちろん誰にでも聞き取れるものだから、耳ざとく聞きつけた店主がおやおや、と笑み崩れる。
「お連れさんは空腹のようだね。昼飯抜きで来たのかい?」
 昼の慌ただしい時間はとうに過ぎ、食堂に客の姿はない。あと一刻もしたら夕飯の仕込みに取り掛かるような、そんな半端な時間なのだが、店主はふくよかな腹をぼんと叩いて、豪快に笑ってみせた。
「腹が減っては何とやら、だわなあ。もう昼飯の時間は終わっちまったんだが、何か残ってるだろう。用意しておくから、まずは部屋に荷物を置いて、ついでにその埃を落としてくるといい」
 すぐに洗面用の湯を運んでやるから、と差し出された鍵は二つ。どうやらこの宿には今、大部屋の空きがないようだ。二人部屋を二つ取って、どちらかは一人で使うことになる。
「ラーン、あなたに一部屋進呈しますよ。また寝台を越えて転がってこられると困りますからね」
「だから、寝てる間のことに責任は取れないって言ってるだろ」
 文句を言いつつ、鍵を受け取ってさっさと階段を上がっていくラーン。私達も行きましょうと促されて、背負い袋を担ぎ直したエルクは、すぐに用意するからねえ、と手を振ってくれる気のいい店主に、気恥ずかしそうに会釈をして、ラーンの後を追いかけた。
「腹の音だと思われてやんの」
 にやりと笑って言ってくるラーンの背中をぼすっと叩いて、ふんとそっぽを向くエルク。
「お腹が空いてるのは本当ですからいいんですっ!」
「あの落とし穴騒動のおかげで、お昼を食べそこねましたもんねえ」
 他愛もないやり取りをしながら階段を上がり、鍵につけられた札を頼りに部屋を探し当てる。うまいこと隣同士の部屋が空いていたようで、まずはリファとエルクの部屋に集まって、荷解きをしながら今後の打ち合わせだ。
『ここ、せまい。とべない』
 背負い袋から飛び出したロキは不満たらたらで、それでも窓際の日当たりのよい一角までほてほてと歩いていくと、気持ち良さそうに日向ぼっこを始めてしまった。半日ほど袋詰めだったのがよほど堪えたらしい。
 一方、何気なく寝台に座ろうとしたラーンを見咎めて、リファが鋭く釘を刺す。
「ラーン、その埃まみれの体で寝台に腰掛けないでくださいよ」
「うっ、分かってるよ」
 ぎくりと動きを止め、中腰のまま近くにあった腰掛けを引き寄せるラーン。長身を折り畳むようにして小さな腰掛けに座っている様は、まるで南国の鳥が短い枝に無理やり止まっているようで、妙に滑稽だ。
 一方、窓際の小机を占拠して荷物を解き始めたリファは、まず小分けにした薬草の束を机の上に並べ、そして荷物の奥から乳鉢や擂粉木、はたまた携帯用の秤といった道具類を取り出していた。あの小さな背負い袋によくもこれだけ詰め込んだな、と思うほどに、次から次へと出てくる道具の数々に、エルクは目を輝かせている。
「うわあ、そんなに色々持ち歩いているんですね」
「だからこいつの荷物、地味に重いんだよな」
「ちゃんとした薬を作ろうとすると、どうしてもこのくらいの道具は必要になってくるんですよ。でもラーンの荷物に入れると扱いが乱暴だから、自分で持つしかないんですよね。まったく、がさつな人と組むと苦労が絶えません」
 数倍になって返ってきた文句に顔をしかめ、やれやれとばかりにエルクの方を振り返るラーン。
「お前はこういう、口煩い大人になっちゃだめだぞ、エルク」
「は、はあ……」
 何と答えていいものか分からず、曖昧に頷くしかないエルクに、リファは聞こえなかったふりをして机の上をぐるりと眺め回し、さあて、と弾んだ声を出す。
「手持ちの材料で作れそうなのは……手荒れに効く軟膏と熱冷まし、それに咳止めですかねえ。蜜蝋と蝋燭が残り少ないので、あとで買い出しに行かないと。あとは――」
 リファの言葉を遮るように、威勢よく扉を叩く音が響き渡って、ぎょっと扉を振り返る三人。
「おーいお客さん方、洗面用の湯はどっちに運べばいいかね?」
 扉の向こうから聞こえてきた声は、気のいい店主のものだ。すぐさまラーンが扉を開けて、店主からなみなみと湯を張った桶と洗面器を引き取る。そのまま部屋の中に運び込もうとしたところを、リファが止めた。
「いえ、隣の部屋にお願いします。薬草が湿気ると困るので」
「それもそうだな。ああ親父さん、俺が運ぶよ」
「そうかね? じゃあ、飯が出来たら呼ぶから、それまでゆっくりしてるといい」
 そう言って店主が部屋を出ていき、それを追うように湯桶を抱えたラーンが廊下へと姿を消す。
 何か手伝おうかと、後を追おうとしたエルクに、リファが何かをふんわりと放ってきた。
「うわっ」
 咄嗟に手を伸ばしたが間に合わず、顔面で受け取ってしまってから、それが清潔な手拭いであることに気づく。
「お先にどうぞ。顔を洗うついでに、体を拭いて着替えてくるといいですよ。私達は荷物の整理をしていますから、終わったら声を掛けて下さいね」
「……そんなに汚れてます?」
「雨上がりの水たまりに突っ込んで、ひとしきりはしゃいだあとの子犬程度には汚れてますよ」
 いやに詩的だが容赦のない言葉に、とほほと肩を落としつつ、素直に頷く。そこにラーンが帰ってきて、同じようにエルクを促した。
「ほらよ、先に顔洗って来い。真っ黒だぞ」
 こちらはもっと直截的だったが、言った当人も似たような格好だから、どうにも締まらない。くすくす笑いながら荷物から着替えを取り出し、それじゃお先に、と部屋を出ると、すぐ隣の扉を開けて薄暗い部屋の中へと足を踏み入れる。
「ご飯の前に洗濯かなあ」
 まだ昼過ぎだし、この初夏の気候なら夜までにはどうにか乾いてくれるだろう。
「さあ、さっさと洗っちゃおう!」