5.疾風のごとく

  風薫る 母なる草原よ
  我らが 魂の故郷よ

  金菫の巡り 緑風の月
  蒼穹 俄かに掻き曇り
  轟き渡る 竜の咆哮
  鉤爪一閃 草を薙ぎ
  大地を抉り 二つに分かつ

  蒼空は泣き 大地は震え
  鳥は去り 花は頭を垂れ
  月星は 無情に巡る

  やがて鳥が舞い戻り
  豊穣の大地 蘇るも
  癒えることなき 爪痕は
  大いなる竜の姿を成し
  今も大地に刻まれる……



 澄んだ歌声が、夜空に吸い込まれていく。
 その余韻をしっかりと味わって、リファは満足げに息を吐いた。
「良い歌ですね。それに、とても素晴らしい歌声でしたよ」
「いえ、そんな。おばば様の歌に比べたら僕の歌なんて本当に下手くそで、恥ずかしいです」
 紅潮した頬を隠すように両手を添えて、ぶんぶんと首を横に振るエルク。そんなエルクの背中をばん、と叩き、謙遜すんなよと茶化すのはもちろんラーンだ。
「すっげえいい歌だったぜ! 何を歌ってるのかよく分かんなかったけどな!」
 褒めているのか貶しているのか分からない率直な感想に、エルクはあはは、と頭を掻く。
「それはそうですよ。伝承歌の歌詞はほとんど『ルーセル』――つまり西大陸の古語なんです」
 ルーセルは二百年ほど前まで使われていた古語だ。現代の西大陸語とは言い回しも異なるし、単語そのものの意味が変わっているものもあって、実はエルク自身もただ歌詞を丸暗記しているような状態だった。
「どういう意味の歌なんだ?」
「ええと……今から二百年くらい前、突然竜の咆哮が響き渡って大地が割れた。それからしばらくの間、生き物も寄りつかない不毛の大地になった、っていう話だったはずですけど、それ以上はちょっと……」
 歌詞の内容よりも旋律や響きが好きで覚えただけなので、エルクも細かいところまでは分からない。
代わって本領を発揮し始めたのはリファだ。荷物から小さな帳面を取り出し、何かを書き込みながら忙しなく口を動かす。
「『金菫の巡り』は今の暦に直すと――復活暦136年ですかね。『緑風の月』は五の月のことです。ざっくり読み解くなら……今から二百年ほど前の晩春、突如として空が雲に覆われ、竜の咆哮と共に大地が二つに割れた。鳥は怯えて草原を離れ、草花さえも力を失って、生き物の寄りつかない不毛の大地となってしまった。長い年月が流れ、やがて大地は元の落ち着きを取り戻したが、地震の爪跡はいつまでも残っている、というところですか」
 つらつらと解説を始めた金髪の魔術士に、早くもラーンは欠伸を噛み殺している。
「この『爪痕』は大地溝そのものと、地震による被害の両方を指しているのでしょう。歌われている『竜の咆哮』は地響きを現しているようにも思えますし、『鉤爪一閃』という表現は『雷』の表現にも使われます。これは色々と研究の余地がありそうですが、竜の姿に関する描写が一切ないことから考えても、恐らく当時、大地が割れる瞬間をその目で見た人間というのはほとんどいないのでしょうね。遠くから様子を見ていた、またはそういった様子が人伝てに広まって、やがてこのような伝承の形を取ったのではないでしょうか」
 そんな推察で話を締めくくったリファに、エルクは大きく頷いた。
「リファさん、すごいです! おばば様もそう言っていました。当時、あの辺りに定住している人間はいなかったから、遠くからその様子を目撃した遊牧民の間で広まっていった噂話がまとまって、こんな形の伝承になったんじゃないかって」
 部族ごとに異なる伝承歌が伝わっているが、この大地溝の件に関してはみな似たり寄ったりの内容だという。大地を割るほどの地震であれば、何らかの被害にあった部族があってもおかしくないのだが、そういった話はまったくと言っていいほど後世に伝わっていない。
「『地震は大地の竜の寝返りだ』という伝承もありますからね。竜のくだりはその辺りが混ざった可能性もありますが、事実、あの大地溝にはつい先日まで竜が眠っていたわけですし。二百年前に何らかの理由があって、あの地に竜が降り立った。もしくは元々あの地に眠っていた竜が何らかの理由で目を覚まして、それが大地溝を生むきっかけになったのかもしれません。これは、是非とも当事者に話を聞いてみたいところですねえ」
「当事者ってお前、その肝心の竜がどっか行っちまったんだろうよ」
 どうにか眠らずに話を聞いていたらしいラーンが、ようやくいつもの調子で口を挟んでくるが、リファは澄ました顔で反撃を開始する。
「このまま『黒き炎』を追っていれば、いずれ竜にも会う機会があるでしょう。いえ、むしろ彼らより先に竜を見つけてしまえば、こちらの勝ちですよ。……ちなみに、竜は相手の思考を読み取って、心に直接語りかけて来るそうですから、間違っても『こいつ食べたらうまいかな』とか、失礼なことを考えないようにしてくださいね」
「誰が食うか、誰が!」
 思わず大声を上げてしまい、慌てて口を押えるラーン。きょろきょろと辺りを見回し、近づいてくる気配がないことを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「気をつけてくださいよ。こんなところで森人に捕まってる暇はないんですからね」
「分かってるよ!」
 ぶすっとした顔で答え、どすんと木の幹にもたれかかるラーン。一方、先程の大声にも動じずに、膝の上で眠りこけているロキの背を撫でていたエルクは、ふと思い出したように顔を上げ、向かい側に座る二人をそっと窺った。
「あの……、僕ずっと不思議に思ってたんですけど」
「なんですか?」
 優しい声に促され、村を出てからずっと抱えていた疑問を口にする。
「『黒き炎』は、伝説の邪竜を復活させようとして、色々なことをしてるんですよね?」
「ああ。そうみたいだな」
 彼らは邪竜を崇め、その力を現世に顕現させるべく活動をしているという。
 邪竜とはすなわち、世界に渦巻く負の感情が凝り固まったもの。それゆえ、彼らは世間を巧みに誘導し、人々の発する負の感情を増大させようと暗躍を繰り返す。
「でも、邪竜が復活すると、世界が滅びちゃうんですよね?」
 言い伝えによれば、邪竜が顕現すると世界は瘴気で包まれ、大地も空もその力を失い、生き物の住むことが出来ない世界となってしまうそうだ。瘴気は怪物達をより邪悪な存在へと変貌させ、そればかりか人々の心すらも蝕んでいくという。
「ええ、放っておけばそうなるでしょうね。また都合よく勇者が現れるとも限りませんし」
 邪竜殺しの勇者。それは、ファーンの地に古くから伝わる伝説の英雄だ。
 かつて邪竜が姿を現した時、成す術もなく倒れていく人々を哀れに思った神々は、一人の勇者を地上へと遣わした。勇者は苦難の末に邪竜を打ち滅ぼし、いずこかへと姿を消した。 竜と相打ちになって果てたのだとも、使命を終えて神の御許へ還ったのだとも言われている。
「伝説の勇者ファーンか。存在自体、眉唾物だもんなあ」
「天下無双の英雄、剣技に優れ、魔術をも操る無敵の勇者……なんて都合のいい存在、そうそういるとも思えませんしねえ」
 よしんば、その存在が確かなものだとしても、ファーンの大地に再び邪竜が現れた時、同じように神々が救いの手を差し伸べてくれる保証はどこにもないのだ。
「それで? 何が不思議なんだ?」
 首を傾げるラーンに、エルクはおずおずと最後の疑問をぶつけた。
「邪竜を呼び出すのに成功した場合、呼び出した『黒き炎』の信者達も、一緒に滅びちゃいますよね?」
 その言葉に、ラーンとリファは目を丸くして顔を見合わせ、そして同時に口を開く。
「言われてみれば、そうだよなあ」
「確かにそうですねえ」
 『黒き炎』の最終目的は、邪竜を顕現させて世界を混沌に帰すこと。これは、これまでに二人が遭遇した信者達の口からはっきり聞いたことがあるから間違いはないだろう。
 彼らは口々に邪竜復活を唱え、腐敗した為政者を、国家を、しがらみを、全て邪竜が打ち壊してくれると説く。そうして圧政に苦しむ者や虐げられている人々を巧みに扇動して、負の感情をより強く、より根深いものにしようと企んでいるのだ。
 しかし、その先は――? エルクの投げかけた素朴な疑問が、これまでただ『黒き炎』を壊滅させることしか考えていなかったラーンの心を小さく、だがはっきりと揺さぶった。
「そこまで考えてなかったなあ……あいつらの目的の先、か」
 がしがしと頭を掻きむしり、今まで見えていなかったその先を見通そうとするように、ぎゅっと目を細める。
「邪竜が信者だけ守ってくれる、なんてことは……なさそうだよなあ」
「邪竜にそんな理性があるとは思えませんね。そもそも、邪竜というのは精霊としての竜ではなく、『負の感情の集合体』だそうですから、それ自体に意思があるかどうかすら怪しいものです。そんな存在が、自分を崇める連中だけは滅ぼさないでやろう、なんてことを考えるとは思えません」
「となると――あいつら、何がしたいんだ?」
 訳が分からん、と肩をすくめるラーンに、リファもげんなりとした顔で答える。
「これは推測でしかありませんが、元々彼らは自分達をも含めた世界の破滅を望んでいる。または、自分達だけは大丈夫だと信じている、またはそう思いこまされている。このどれかでしょうねえ」
 『黒き炎』は薬や催眠術を使い、人の心を操ることもあると聞く。また、彼らは魔術や精霊術、はたまた神官達の使う神聖術とは異なる体系の術を行使し、人の心の隙間に忍び入るとも言われている。人心掌握や精神操作はお手の物だろう。
「自分を含めた世界の破滅、ですか……」
 吹き抜ける夜風に身を震わせ、ぎゅっと両肩を抱くエルク。
 己の命と共に世界の破滅を希う。それはつまり、世界を巻き込んだ自殺ということだ。
 そこまで思いつめるきっかけとなった何かが、『黒き炎』の信者達にはあるのだろうか。
「僕にはちょっと、想像できないや……」
「想像しないでいい、そんなもの」
 にゅっと手を伸ばし、エルクの頭をわしわしと掻き回して、ラーンはきっぱりと言い放った。
「訳分からん奴の考えてることなんて、分からなくていいんだ。まして、それでお前が落ち込む必要なんてどこにもない」
 実にラーンらしい、単純明快な考え方。その力強い言葉に、『黒き炎』の底知れぬ重さに引きずられそうになった心がふんわりと軽くなる。
「あなたにかかると、世の中がとても分かりやすくなっていいですね」
 ぱちぱちと拍手をする真似をするリファに、むすっとした顔で言い返すラーン。
「単純で何が悪い! 悪いやつはぶっ飛ばす! それだけだろ」
「ええ、ええ。それでいいんです。悩んだり、考えたりするのは私達の役目ですから、あなたはとにかく、いいと思った方向に突っ走って下さい」
「……褒められた気がしないぞ」
「褒めてるんですけどねえ」
 心外だとばかりに肩をすくめてから、そう言えば、と荷物を漁り出すリファ。やがて取り出したのは、例の古地図だ。
「明かり、つけるか?」
 流石に月明かりだけでは暗すぎるので、荷物から角灯を出そうとしたラーンだったが、リファはそれをそっと押しとどめて、代わりに短い呪文を唱えた。
「はい、これでいいでしょう」
 詠唱が終わった瞬間、辺りに蛍のような淡い光が灯って、ふわふわと舞い始める。角灯には及ばないが、地図を見るくらいならこれで十分な明るさだ。
「わあ、綺麗ですね」
 おずおずと手を伸ばすエルクに、どこか得意げに答えるリファ。
「蛍火の魔法です。触っても大丈夫ですが、強い衝撃を与えると消えてしまうので気をつけてください」
 熱を持たない不思議な光の下に地図を広げ、リファは街道を指でなぞりながら説明を始めた。
「彼らは大地溝で儀式を行い、そこに眠る大地の竜に対して何らかの儀式を行おうとしたが、それを察知した竜に逃げられてしまった。企みは失敗に終わったが、そこから飛び立った謎の光が竜に繋がる手掛かりと考え、それを追って金風街道を進み、ラドックの町へと辿り着いた。ここまではいいですね」
 ラーン達がラドックについた時、彼らは五日前に町を出ていた。儀式を行ったのが半月ほど前と考えると、かなり念入りな捜索を行っているのだろう。
「そこから青嵐街道沿いを調査しながら、北に進んでいる。しかし、彼らが捜している『不思議な光』がロキと仮定すると、このままどんなに探したとしても見つかるわけがない。そうなった時、彼らはどう動くのか。それが気になりますね」
 リファの言葉に頷き、大体、と腕を組むラーン。
「あれだけの人数で行動してるんだ、路銀もいつかは尽きるだろうし、あのジャディスとかいういけ好かない男が『黒き炎』の首謀者ってわけじゃないだろうからな。いずれは本拠地に戻るなり何なりするはずだ」
 故郷を飛び出して三年。これまでにいくつもの『黒き炎』の一団と闘い、それらを壊滅させてきた。その経験から分かったことは、いくら末端の組織を潰しても意味がないという現実だ。大元を叩かない限り、彼らは何度でも、どこからでも蘇り、人々の心の闇につけ込んで、じわじわと侵食していく。
「彼らの組織に潜入できれば一番手っ取り早いんですが、生憎と我々は顔を見られてしまっていますし、難しいでしょうねえ」
 だったら僕が! という声が上がるかと思ったが、返ってくるのは梢のざわめきだけだ。
 おや、と傍らに目を向ければ、膝にロキを載せたまま、木の幹にもたれかかって、エルクもまたすーすーと安らかな寝息を立てていた。
「いつの間に」
「疲れてたんだろ。そのまま寝かせてやれよ」
 ラーンに言われるまでもない。胸元まで落ちていた毛布を肩まで引き上げてやって、ついでに顔にかかった髪をそっと払ってやる。
 そんな様子を何とはなしに見つめていたラーンだったが、ふわりと近寄ってきた魔法の光をぴんと指で弾くと、躊躇いがちに口を開いた。
「それにしても……これで良かったのか?」
「なにがです?」
「本人が望んだこととはいえ、あれだけ愛情をこめて育ててくれてた両親から引き離しちまってさ」
 見ず知らずの男から託された子どもを、我が子のように育て上げた村長夫妻。エルクの人となりを見れば、どれだけ愛されて育ったのかは一目瞭然だ。
 血の繋がりを超えて深く絆を結んだ親子を、こんな形で引き裂いてしまって良かったのか。こちらから積極的に誘ったわけではないにせよ、きっかけを作ったのはラーン達だ。
 しかし、珍しく悩む様子を見せる相棒に、リファは涼しい顔で答えた。
「幼く見えても、エルクは十四歳です。どのみち、あと一年で独立する年齢ですよ。大体、あなただって、家を飛び出して傭兵団に入ったのは十三歳の頃だとか言っていませんでしたか?」
 自分のことを引き合いに出されて、ぐっと詰まるラーン。
「俺はいいんだよ! 家を出た頃にはもう背丈も腕力も大人に引けを取らなかったんだし! ……そういうお前はどうだったんだよ?」
「そんな遠い昔のこと、覚えてませんねえ」
 さらりとはぐらかされて、けっと毒づく。
「俺が心配してるのは、だ! 俺達みたいな逸れ者と一緒にいたら、真っ当な人間に育たないんじゃないかってことだよ」
「おやおや、どういう風の吹き回しですか? そんなことを気にする人ではないと思っていましたが」
 楽しそうに笑って、リファは大丈夫ですよ、と力強く頷いてみせた。
「エルクはしっかりした子です。それに、あなたという反面教師がそばにいれば、むしろ真っ当に育つというものでしょう」
「お前なあ!」
 その言葉に反論しようとして口を開けたものの、うまい切り返しが思いつかず、とうとう諦めて深い溜息を吐くラーン。
「むしろ、お前に影響される方が心配だよ」
「どういう意味ですか?」
「頭の回転が速くて口が悪いくせに言葉遣いだけは丁寧な奴に育っちまったらどうしようってことだ!」
「いいじゃありませんか。世知辛いこの世の中を渡っていくのには便利ですよ、この口は」
「言ってろ」
 肩をすくめ、そうしてラーンは傍らの荷物から毛布を取り出すと、ほいよと放った。
「……何です?」
 難なく受け止めてから尋ねると、ラーンは何だとはなんだ、と言わんばかりの表情で「毛布だよ」と答え、そして違うそうじゃない、と頭を掻きむしる。
「先に寝ろよ。俺が見張りをするから」
「……いやに親切ですね。空から槍でも降るんじゃないですか?」
 空を仰いでの大げさな言い回しに、ラーンはむっとした表情で手を突き出した。
「いらないなら返せ」
「いいえ? もらえるものはもらう主義ですから」
 澄ました顔で答え、いそいそと毛布に包まるリファ。
「だったらケチつけないで、最初からそうしろよな」
「それでは、おやすみなさい」
 ラーンのぼやきをあっさり無視して、さっさと目を閉じるリファ。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる辺り、さすがに旅慣れている。寝られる時に寝ておくのは旅の基本だ。
「……まったく……」
 まだ持続時間が残っているらしく、術者が眠った後もふわふわと漂い続ける魔法の光をそっと掌で包んで、ラーンは枝の間から覗く夜空をぐいと見上げた。
 いつの間に雲が出てきたのか、先程まで煌々と地上を照らしていた月は雲間から遠慮がちに顔を覗かせる程度で、忍び寄る闇は一層その濃さを増している。吹き抜ける風もどこか寂しげだが、生憎とそれで感傷的になるような繊細さは持ち合わせていない。
 ただ、こうして闇の中で一人、ぽつんと佇んでいると、いつもは胸の奥底に押し込めて忘れたふりをしている記憶が、ふと浮かび上がってくる。
 傭兵として赴いた戦地、その野営地に飛び込んできた伝令兵から告げられた、母の訃報。
 震える声で惨劇の一部始終を告げる伝令兵の瞳は、背後に広がる夜空と同じように昏く沈んでいた。
 すぐに帰郷しようにも、遠く離れた戦場においてそれは叶わず、ようやく故郷に戻ることが出来たのは、訃報を受け取ってから一月が過ぎた後だった。すでに葬儀は終わっており、事の次第を未だ怪我の癒えぬ神殿長から聞かされて、その翌日には家を飛び出していた。
 それから三年。噂を頼りに『黒き炎』を追い続けているが、未だ核心に繋がる情報や人物に辿り着けないでいる。
「黒き炎、か……。ほんと、何を考えてやがるんだろうな」
 やれやれと首を振って、再び木の幹にもたれかかる。見張りは二交代。少なくともあと数刻は起きていなければならない。
「ま、火の番をしないでいいだけ楽でいいか」
 しかしそうなると、手持無沙汰でいけない。何かしていないと、うっかり眠り込んでしまいそうだ。
 思案した結果、剣の手入れでもしようと荷物に手を伸ばした瞬間、周囲に漂っていた魔法の光が一斉に消えて、真の闇が押し寄せる。
「……術者に似て陰険な魔法だな! 狙い澄ましたように消えやがって!」
 ぼやくラーンを労わるように、梢がざあ、と心地よい音を立てた。
疾風のごとく・終