6.空を翔るもの 地を駆るもの
 青い扉を潜って店内に入ると、混み合った店内の隅っこを占拠する黒ずくめの一団が嫌でも目に入った。わざと怪訝な顔をして一瞥してみたが、そんな反応に慣れているのか、配下の男達も、そしてジャディスと呼ばれた長身の男も、不躾な視線を完全に無視して黙々と食事を取り続けている。
 都合のいいことに、彼らの斜め向かいの席がぽっかりと空いていたので、気の乗らない様子でそこへ座ると、店の手伝いをしているのだろう若い娘が注文を取りに来た。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「ああ、軽い食事とエール酒を頼むよ。ところで……なんだい、あの連中は」
 声色を作って尋ねると、娘はちょっと困ったような顔で、こそこそっと答えてくれた。
「なんか、さっき町に着いたばかりの旅人らしいんですけど……」
「巡礼か何かかな?」
「さあ……。注文を聞くついでに世間話をしようとしても、全然取り合ってくれなくて」
 彼女なりに会話を広げようと頑張ってみたようだが、徒労に終わったようだ。
 ――と、彼らの中でも異彩を放つ小男が、空の盃をとん、と机に置くと、あの耳障りな声で娘を呼びつけた。
「お嬢さーん!! 注文いいですかねー?」
「は、はーい、ただいま! すみませんお客さん。ごゆっくり」
 パタパタと注文を取りに行く娘の背中を見送って、窓の外を眺めている風を装いながら、視界の端に彼らを捉える。
 飲み物の追加をするだけなのに、余計なことまで喋って一人でケタケタと笑い転げていた小男は、逃げるように去っていく娘にひらひらと手を振ると、不機嫌そうに盃を傾けているジャディスへと向き直った。
「いやあもうワタクシ、あまりの空腹に、あっという間に食べ尽くしてしまいましたよ! おや、ジャディス様は食が進まないようですな? 残されるくらいならワタクシが片付けますから遠慮なく仰ってくださいよ!」
「……お前が早すぎるだけだ。食事くらいゆっくりさせろ」
 げんなりとした様子で手を振るジャディスだが、小男はまるで聞いていないようにけたたましく喋り続けている。
「いやはや、それにしても、こんなに探しているのに見つからないとは、どうしてでしょうかねえ? 確かにあの時、光がこちらの方に飛んでいくのを見たというのに。ワタクシ、遠見の魔法の使い過ぎで、もうフラフラでございますですよ、ハイ」
 なるほど、彼らも闇雲に探しているだけではないという訳か。
「お前の魔法が失敗続きだからではないのか」
 辛辣な言葉に、小男は大げさに仰け反って、ひどいですよおと悲鳴を上げてみせる。
「それはないですよ、ジャディス様ぁ! ワタクシ、こう見えましてもかつては王宮でぶいぶい言わせていた、凄腕の魔術士なんでございますからねえっ」
「お前が得意なのは召喚魔術なのだろう。周辺を探るような魔術は専門外だと文句を言っていたのはどこの誰だ」
 途端にしおしおと勢いを失くすも、すぐにぐいと胸を逸らして言い募る小男。
「いえっ、専門外と言いましても、一通りの魔術は修めておりますからして! 『あの方』には到底及ぶものではございませんが、それでもその辺の似非魔法使いとは比べ物にならないのでございます!」
 その言葉に、険しい表情を浮かべるジャディス。
「ザンク。このような場所で、『あの方』の話をするな」
 鋭い叱責に、さしもの小男もはっと顔色を変え、申し訳ないとか何とかごにょごにょ言いながら指をつつき合わせる。
 そこに注文した飲み物が運ばれてきて、ザンクと呼ばれた男は思わぬ助け舟となった娘に盛大な世辞を並べると、盃を握りしめてちびちびと舐めるように飲み始めた。
「お客さん、お待たせしてごめんなさいね」
 ついでにリファの注文品も運ばれてきたので、礼を言って皿を受け取り、のんびりと食事を楽しむ風を装いながら、彼らの会話に耳をそばだてる。とはいえ、相変わらずザンクが一方的に喋り、ジャディスがそれを煩わしそうに聞き流しているだけで、話の内容も他愛のない世間話ばかりだ。
 やがて夕の一刻を告げる鐘の音が響いて来て、それをきっかけにジャディスが重い口を開いた。
「……今後の予定だが」
「はいはい! そのお言葉を待ち詫びておりました! やはり一度――」
「黙って聞け」
 ぴしゃりと遮られて、慌てて口を押えるザンク。
「『幹』まで戻っている暇はない。ただし、報告と今後の指示を仰ぐ必要があるのは確かだ。よって、レガトの『枝』に立ち寄って『幹』と連絡を取ることにする」
 その言葉に歓声を上げそうになり、再び両手で口を押えている小男を白い目で見つめ、ジャディスはふんと鼻を鳴らした。
「お前が《鏡》を使えれば、今この場でも連絡が取れるものを。肝心なところで役に立たん奴だ」
「無茶を仰いますなあ。あれは受信と送信双方の術者に力量がないとうまくいかない、非常に高度な術なんでございますよ、ハイ。この大陸にいる魔術士で、あの術が使えるのは片手ほどもおりますまい」
「ふん、大げさな奴だ」
 ばっさり評したジャディスだったが、斜め向かいの席でその会話を聞いていたリファは、ザンクの評価を少しだけ上方修正した。
(奇矯な性格はアレですが、魔術に関する知識は割とまともですね)
 ジャディスが《鏡》と呼んだ伝達魔法は、水面や鏡面に互いの姿を映し出して会話することが出来る高度な魔術だ。ただ遠くに声を伝えたり、遠くの景色を見たりするだけならそれほど難しくはないが、姿と声を遠くまで届けるのは非常に難しく、また長時間それを維持するには魔力の量と、それを制御する技術を問われる。
「レガトの町でしたら、明日には辿りつけますかな。となると、明日の夜は久しぶりにまともな寝床で眠れますなあ! いやあ、今から楽しみで仕方ありませんヨ」
「お前は馬小屋でもいいぞ」
「ジャディス様ぁ、ご勘弁くださいよぉ~。ワタクシ、お役に立っているじゃございませんか!」
 情けない声を上げるザンクに、冷ややかな目を向けるジャディス。
「そもそも、お前が儀式を失敗するから、こんな面倒なことになっているのだぞ」
「それこそワタクシのせいではございませんよ! 術式は成功しておったのです! 例の鏡が割れたりしなければ……イエ、そもそも『あの方』より授かったこの――」
 ごそごそと長衣の隠しを探り、取り出した布きれを机の上に広げる。途端、顔色を変えたジャディスが制止しようとしたが、生憎とザンクの手の方が早かった。
「祭具の力が彼奴に見合わなかったのが、最大の原因かと――」
 小汚い布の中から現れたのは、燃え盛る炎を凍らせたかのような、精巧な水晶細工だった。ただしその色は――血のような黒。
「!」
 途端、眩暈に似た感覚に襲われて、思わず大きく息を飲んだリファだったが、ジャディスの怒鳴り声がそれを掻き消してくれた。
「ザンク!! すぐにしまえ!」
「はっ、ハイィッ!!」
 あまりの剣幕に、わたわたと水晶細工を布で包み、懐へとしまい込むザンク。射るような目つきで睨まれて小さくなっている長衣の小男を視界の端に捉えながら、リファはこっそりと深く息を吐いた。
(今のは……!?)
 水晶細工を覆っていた布が取り払われたあの瞬間、明らかに周辺の空気が変わった。それはリファだけでなく、周囲の客も同じことを感じたようで、あちこちから「何だ今の?」「急に気分が悪くなったような……」などといった囁きが聞こえてくる。
「……出るぞ」
 苛立ちを隠せない様子ですっくと立ち上がり、足早に店を出ていくジャディス。黒衣の男達が無言で続き、一人出遅れたザンクに、店主が恐る恐る「あの、お勘定を」と呼びかける。
「はっ、はいちょっと待ってくださいね。ああああ、ちょっとジャディス様、待ってくださいよぉ~」
 あたふたと支払いを済ませ、よろよろと店を出ていくザンク。その背中が扉の向こうに消えた瞬間、店内にどっと溜息が溢れ返った。
「……なんだったんだ、あの連中」
 呆気にとられて呟く店主を横目に立ち上がり、懐から財布を取り出して代金を机の上に置く。
「親父さん。お代はここに置いておくよ」
「あ、ああ。毎度どうも!」
 思い出したように愛想笑いを浮かべる店主に手を振って店を後にし、さり気なく周囲を見回せば、どこにいても目立つ黒衣の集団は広場を横切って、正門へと向かっていた。このまま町を出て、街道の先にあるレガトの町へと向かうつもりなのだろう。
何にせよ、連中の目的地は分かった。あとはラーン達と合流して、連中の後を追うだけだ。
 くるりと踵を返し、宿への近道を辿り始めたところで、ちょうど角を曲がってきたラーンとばったり鉢合わせたものだから、リファは思わず目を見開き、素っ頓狂な声で相棒の名を呼んだ。
「ラーン!?」
「ぅお!? そっか、リファか! いいところへ!」
 こちらはどうやら宿から全速力で走ってきたらしい。僅かに肩を上下させつつ快哉を叫ぶラーンの後ろから、まだ薬売りの衣装のままのエルクがよろよろと走ってくる。
「ラーン、さん、待って……! って、あれ? リファさん!」
「エルク、どうしました? 何故まだ着替えてないんです」
「その話は後だ! ロキがどっかに飛んでっちまった!」
「ええ?」