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番外編 追憶の《青》 [1]

 真夜中近くなっても、この街の灯りが消える事はない。
 行き交う人の波。賑やかな楽の音と嬌声が漏れてくる酒場の扉。道端で歌う吟遊詩人の隣では、酔っ払い達が地面に座り込んで札遊びに興じている。
 《常夜通り》と呼ばれるこの一帯には、酒場や賭博場、そして娼館などがひしめき合っていた。客引きの声が飛び交い、女に腕を組まれた男達が扉をくぐる姿があちこちで見られる。
 そんな通りを闊歩する、三人の若者がいた。
 肩までの赤毛を揺らして歩く長身の青年、短く刈り込んだ金髪が夜目にも鮮やかな、がっしりとした体躯の青年、そして二人の間で楽しげに笑う、長い黒髪を一本に束ねた青年。
 それぞれ違った魅力を備えた若者達は、慣れた足取りで《常夜通り》を進んでいる。
 他愛もない話をしながら歩く彼ら。先ほどの店にいた娘がどうの、という話が切りあがったところで、それまでどちらかというと聞き役に回っていた金髪の青年が口を開いた。
「ところで、これからどうするよ?」
 そんな問いかけに、先頭を行く黒髪の青年がにやりと笑いつつ
「まだ飲み足りないんだろ?久しぶりに『跳ねるじゃじゃ馬亭』でも行くか」
 と答える。これは、尋ねてきた相手が顔をしかめるのを見越しての発言だった。
「あそこはやめとこうぜ。他にもいい店いっぱいあるだろ。なあジェット」
 案の定そう言ってきた金髪の青年リゲルは、先月『跳ねるじゃじゃ馬亭』の歌姫にこっぴどく振られたばかりだ。しかも、店の中、衆人環視の下で。それ以来あの店には近寄れないでいるリゲルを、彼らはよく話のネタにしていた。
「なに、アネッサももうお前の事なんか忘れてるだろうよ」
 からかうジェットはと言えば、つい先日新しい恋人が出来て有頂天だ。それなのにその恋人をほったらかして連日仲間と遊び歩いているのだから、別れるのは時間の問題だろうと周囲は踏んでいる。
「なあラウル、お前だってこないだ『跳ねるじゃじゃ馬亭』の女の子に逃げられたばっかりだろ?」
 リゲルの言葉に、ラウルと呼ばれた黒髪の青年は何を言う、と鼻を鳴らした。
「逃げられたんじゃない、俺から手を退いたんだ」
「よく言うぜ。二股かけられてたんだろ?」
「もう一人はいいとこの坊ちゃんだっていうじゃないか。お前なんかに勝ち目ねえよなあ」
 まぜっかえす二人をこの野郎っ、と小突くラウル。
「悪かったな、どうせ俺は厄介者の不良神官、神殿の爪弾き者だよ」
 それをちっとも悪びれずに言ってのけるのだから、なお始末に悪い。リゲルもジェットも途端に笑い出しながら、その「不良神官」の肩を叩いた。
「お前ときたら、何年神殿にいても変わらないんだもんなぁ」
「だからこそ未だに腐れ縁が続いてるんだけど」
「言ってろよ」
 彼らは、このラルスディーンに暮らす若者達だった。
 画家を目指して都に出てきたものの鳴かず飛ばずで、日銭を稼いで暮らしているリゲル。
 貧民街で生まれ育ち、十代の頃から賭博で生計を立てているジェット。
 そして、ユーク本神殿に勤める神官でありながら、日々神殿を抜け出しては遊び歩いているラウル。
 二十代のはじめ。夢を見るには世の中を知りすぎ、それでも希望を捨てるにはまだ若すぎる、中途半端な年頃の三人は、夜な夜な街に繰り出しては享楽に耽っていた。とはいえ、それに溺れない程度には、彼らはこの街での生き方を心得ているつもりだ。
 中央大陸全土を掌握するラルス帝国。その首都である《黄金の都》ラルスディーン。文化の中心地と呼ばれるこの街には、魅力的なものが山ほどある。それは賭博や薬、はたまた美貌の歌姫から、道端で売られている贋物の宝石まで、様々だ。
 この街には何でもある。夢も、未来も、そして悪夢も絶望も。
 だからこそ、この街で生きていくのは難しい。ここでは誰も助けてはくれない。すべては自分の手で切り開かなければならない。それが出来ないものは、やがてこの街を去っていく。誰もそれをひき止めはしない。それが都会、このラルスディーンという街だ。
「とりあえず、適当な店で飲み直そうぜ」
「じゃあ、いつものあそこ行くか」
「おう」
 雑踏の中を歩き出す三人。その足取りは慣れたもので、深夜を過ぎても人通りの絶えないこの常夜通りを、彼らはまるで水の中を泳ぐ魚のようにするりと抜けていく。そんな彼らにあちこちからかかる、女達の声。
「あら、ラウル達じゃないの」
「リゲルったら、アネッサなんかよりアタシと付き合えばいいのに」
「最近お見限りじゃない。たまには遊びに来なさいよ」
 安っぽい化粧に薄っぺらな衣装、ここにはそんな女達が大勢いる。しかしどの顔も、自らを蔑む事なく、自信たっぷりの笑顔で道行く男達に秋波を送っている。
 したたかに、しなやかに夜を渡る女達。そんな彼女達の間で、この三人は馴染みの客として、または仕事抜きで酒を酌み交わす友人として親しまれていた。
「今日も色っぽいね、姉さん達」
「あ、つけは今度な。頼むよ」
「わりい、今日は勘弁」
 誘惑の手をひらりとかわして足を進める。建物の角を曲がって、行きつけの酒場まであと少し、というところで、彼らは人だかりに出くわした。
「なんだぁ?」
「痴話げんかか?」
 人垣の向こうから聞こえてくるのは、男の罵声。まあ、こういった騒ぎは珍しくない。
「どうする?」
 人だかりを迂回すれば飲み屋まですぐなのだが、こういった事にやたらと首を突っ込みたがる人間が一人いる。
「行ってみよう」
 好奇心丸出しでリゲルが人垣を掻き分けるのを、ラウルとジェットはやれやれ、という顔で追いかけた。この野次馬根性に富んだリゲルのおかげで厄介事に巻き込まれるのは、二人にとってもはや日常茶飯事だ。
「ったく……困った奴だ」
 舌打ちしつつ、リゲルの背中を追って人垣を抜けると、すぐに騒ぎの中心人物が目に入ってきた。

 飛び込んできたのは、目の醒めるような青。
 次の瞬間、それが青い衣装に身を包んだ女性の姿である事が分かる。光沢のある、まるで舞台女優のような派手ないでたち。しかしそれは彼女の淡い金髪を一層際立たせ、整った顔立ちを更に引き立てていた。
 そして、何よりも目を惹いたのはその瞳。
 淡い、どこまでも澄んだ蒼い双眸。強い意志を秘めた瞳は、儚げな雰囲気をそれだけで一掃し、彼女を凛とした女性に見せている。
 その瞳が一瞬ラウルを掠めた。その瞬間、まるで魅せられたかのようにラウルは一歩、前に踏み出しかける。
「おいラウル」
 その肩を掴み、ぐいと引き戻すジェット。はっとラウルは足を戻し、目の前で繰り広げられている言い争いに意識を巡らせた。
 激しい口調で怒鳴り散らしているのは、若い男。身なりからして、そこそこ裕福な人間なのだろう。年の頃はラウル達と同じくらいか。
「人を馬鹿にするにもほどがある!とんだ役者だな、お前は!!」
「違うわ、話を……」
 激しくなじられながらも懸命に言い募っている女性は、こちらはラウル達より上に見えた。恐らくは二十代も半ば、格好からしてどこかの歌姫か、もしくは男の言葉ではないが本当に役者か何かなのかもしれない。すらりとした長身を艶やかな青い衣装に包み、緩やかにうねる金髪を揺らして、必死に男へと言葉を投げかけている。その声は意外にも容姿から想像するものより低かったが、耳に心地よい穏やかな響きを持っていた。
「お願いクライド、私の話を聞い……」
「これ以上お前の話など聞きたくもない!」
「クライ……ッ!!」
 乾いた音が通りに響いた。
 頬を張られて、どっと石畳に倒れこむ女性。その瞬間、迷わずにラウルは動いていた。

 叩くつもりはなかった。
 ただ、腕にすがられそうになって、それを払いのけようと手を挙げて……その悲しそうな顔を見た途端、怒りが爆発した。そんな顔でこれまで何人の男を誑かしたのだろう。そう思ったら余計に、あっさりと騙されてしまった自分が腹立たしくて……。
 気づいたら、彼女は石畳の上に崩れていた。そして。
「おい」
 人ごみの中から突如現れた青年に、クライドは眉をひそめた。
 黒髪に黒い服。まるで闇から抜け出てきたかのような青年の瞳は、まるで抜き身の刃を思わせるような危険な光を帯びている。その冷たい視線に一瞬気圧されそうになったが、酒の勢い、そして込み上げる怒りが、思わず後ずさりそうになった足を辛うじて踏みとどまらせた。
「……なんだ、お前は」
 尋ねたクライドに、青年は
「通りすがりのもんさ」
 とだけ答えて、クライドからあっさりと視線を外すと、地面に倒れたままの女性に歩み寄っていく。
「なっ……!」
 拍子抜けしているクライドなどお構いなしに、女性に手を差し伸べ、
「大丈夫か?怪我は……ああ、口ン中切ったか」
 驚いたように見上げてくる女性の口の端から血が滲んでいるのを見て、眉をひそめる青年。
「あ、あの……」
「いい、喋んな」
 恐る恐る手を伸ばしてくる女性の手を半ば強引に取り、立ち上がらせる。そして今来た方を振り返ると、人垣の最前列で呆れ顔をしている仲間達へと女性をそっと押しやり、改めてクライドを見据えてきた。
「何があったか知らねぇが、道のど真ん中で修羅場演じるのは無粋ってもんだぜ」
「う、うるさい!お前には関係のないことだ、引っ込んでいろ!」
 おそらくは一、二歳年下であるだろう青年。着崩した服装は意外にも上質のものだったが、そんなところにまで気は回らなかった。この辺りに山ほどいるゴロツキの手合いと思ったが、それにしては下卑た感じもしないし、それに一見してさほど強そうな相手でもない。それなのに、返す言葉が上ずってしまうのはなぜだろう。
「ま、確かに関係ないことだけどな」
 不意に通りを吹き抜ける夜風に黒髪が踊る。それをすい、とかきあげた青年は、不敵な笑みを浮かべてクライドをねめつけた。
「目の前でいい女が殴られてるの見て、黙って見てるわけにもいかねぇな」
「なにを……!」

「たく、相変わらずなんだから」
「厄介事に首を突っ込みたがるのはあいつの方だよな、絶対」
 ラウルの言葉を聞きながら、ジェットとリゲルは呆れた声で囁きあった。その二人にラウルが押し付けた女性はといえば、赤く腫れた左頬を押さえながら、はらはらと目の前のやり取りを見つめている。
「どうしましょう、私……」
「ああ、気にしないでいいよお姉さん」
 リゲルがそう言って、安心させるように笑ってみせる。
「あいつのお節介はいつものことなんだ。女には優しいからな」
「心配しなくても、あいつ強いから」
「いえ、そうじゃなくて……」
 
「何が「いい女」だ、あいつは……っ!」
 言葉が途切れ、クライドの体が大きく後ろに吹き飛ぶ。取り囲んでいた野次馬達が咄嗟に遠のき、彼らを取り囲む人の輪が大きく歪んだ。
「だ、大丈夫か……?」
「一発かよ、さすがはあの……」
 石畳に思いっきり背中を打ち付けてしまったのか、呻き声を上げているクライドの周りで、野次馬達が囁いている。
 この《常夜通り》において、ユーク本神殿の不良神官ラウル=エバストの名と顔を知らぬものはいない。その喧嘩早さと、そして腕っ節の強さも。
「うるせぇんだよ」
 蹴り一発であっさりとクライドを黙らせたラウルは、起き上がってこない彼に目もくれず仲間のもとへと戻っていった。そして困り果てたような顔でこちらを見ている女性に、優しく声をかける。
「大丈夫だったか?何だか知らないが、災難だったな」
「い、いえ、その……」
 口ごもる女性に、ラウルは深くは聞くまいと話題を変えた。
「あんた、見ない顔だけどどっかの店に新しく入った歌姫かなんか?」
「いえ、私は街外れの《猫足広場》で興行をしている、マレイン一座のものよ」
 そう答えた女性は、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。ラウルや後ろの二人を見回し、丁寧に頭を下げる。
「どうもありがとう」
 少しだけ微笑んだその顔に、三人の顔が思わず緩む。ラウルが言った通り、確かに彼女は「いい女」だった。この辺りの歌姫や娼婦達とはまた違う、清楚で可憐な美しさ。それでいてどこか艶めいた色香をも漂せた不思議な女性は、更に言葉を続ける。
「なにか、お礼を……」
「いや、大した事したわけじゃないし」
「気にしないでいいって」
 へらへらと笑うジェットとリゲル。一方、騒ぎが一段落した事であっという間に散っていった人だかりの方を見ていたラウルは、よろよろと起き上がろうとしているクライドを鼻で笑いつつ、わざと彼に聞こえるような声で女性へと言葉を返す。
「礼がしたいってなら、一杯付き合わないか?その後、あんたの一座が泊まってる場所まで送ってく。また馬鹿な奴に絡まれたりしないようにな」
 答えも聞かずにさり気なく腕を彼女の背中に回し、二人に目で合図をして歩き出す。
「そんな、それじゃお礼にならないわ」
 ラウルに促されて歩きながら、困ったように言う女性。しかしラウルは首を横に振って、片目をつぶってみせた。
「野郎ばっかで顔つき合わせてても面白くないからな。あんたみたいないい女に酌してもらえりゃ、酒もうまくなるってもんさ」
「でも……」
 まだ納得がいかないらしい彼女に、ラウルはそれじゃ、と付け加える。
「そうだな。口づけくらいしてもらっても罰はあたらないかな。あとは、もしあんたが俺を気に入ってくれたなら、一晩付き合ってくれよって言うぜ?」
 本気とも、冗談ともとれない軽い口調。その瞳は、いたずらっ子のように輝いている。
 彼女が商売女でない事は雰囲気で分かる。分かっていて言っているのだから人が悪いが、それが嫌味や卑猥な台詞に聞こえないところは、まさに彼の人柄がなせる業であろう。
「その綺麗な瞳を一晩中拝ませてくれたら、俺としちゃこの上なく幸せなんだけどな」
 どうだい?と尋ねるラウル。一方、リゲルとジェットはやれやれ、また始まったと言わんばかりにそれぞれ肩をすくめていた。よくもまあ、そんな気障な台詞がほいほいと出てくるもんだ、と言いたげなリゲルを、ジェットがいつもの事だろ、と目で告げる。
 そして、女性の方はといえば、ラウルの言葉に目を丸くした後、茶目っ気たっぷりの瞳で笑ってみせた。
「それなら……」
「おい、お前ら!!」
 唐突に背後から声が飛んできた。
「あぁ?なんだよ」
 会話を遮られて不機嫌そうに振り返ったラウルは、ようやく立ち上がり、憤怒の表情で睨みつけてくるクライドをせせら笑う。
「振られたからって、負け惜しみは見苦しいぜ?」
 しかし、クライドは首を横に振ると、衝撃的な一言を告げた。
「そいつは、男なんだぞっ!!」

「は?」
 一瞬の沈黙の後、ようやく口から出てきた言葉はそれだけだった。
 背中に回していた手をそっと離し、クライドの言葉に悲しそうな顔をして立ち尽くす彼女をまじまじと見つめる。
「おとこ?」
「嘘だろ?」
「冗談きついぜ、あんた」
 リゲルとジェットもラウル同様彼女を眺め、そう呟く。
 この、どう見ても可憐な女性が男だなどと、嘘をつくにも程がある、と言い返そうとしたその時。
「ごめんなさい……」
 申し訳なさそうな顔で、彼女はクライドの言葉を肯定するように、そうとだけ呟いた。

 気まずい雰囲気が流れる。
 それを打ち破ったのは、意外な事に彼女だった。
「クライド。私、あなたを騙すつもりなんてなかった。私は、確かにこの体は男だけど、心は、本当に女なの。分かってほしかったけど……無理ね。ごめんなさい」
 最後の方の台詞は、かすかに震えていた。その美しい双眸はすでに滲み始めている。それでも涙を堪えて、彼女は別れの言葉を紡ぐ。
「忘れて下さい。私も、忘れます。それじゃ……ごきげんよう」
 くるりと踵を返し、立ち尽くしたままの三人に切なげな顔を向ける彼女。
「ありがとね。お礼が出来なくて残念だわ」
 そうとだけ言って、足早に歩き出す。
 去っていくその後姿を呆然と見送った三人は、街角に彼女の姿が消えるまでを見届けて、誰からともなく顔を合わせた。
「……あれが、男……?」
「うそだろ……」
「……まじかよ」
 がっくりとうなだれるラウルに、リゲルが首を傾げる。
「なんだよラウル」
「……ちくしょう……オカマ口説いたなんて、一生の不覚……っ!!」
 やれやれ、と大げさに肩をすくめてみせたジェットが、お?と呟く。
「どうした?ジェット」
「なんだ、あれ」
 ジェットが指差す先は、先ほどまでクライドと彼女が口論をしていた場所だった。
 いつの間に消えたのかそこにクライドの姿はなかったが、その代わりに小さく輝く何かが落ちている。
 誰かに踏まれぬうちにと足早にその落し物に歩み寄り、ひょいと摘み上げるジェット。月明かりにそれを翳し、なんだと呟く。
「……襟留め、だな」
「どれどれ……ああ、そうだな。随分年代物っぽいが上物だなあ。細工もいいし、それにこれ、見ろよ」
 リゲルが横から手を出す。緻密に細工された蓋を開けると、そこには小さく束ねられた亜麻色の髪の毛が入っていた。上流階級の女性などが好んで身に着ける装身具の一つだ。中には恋人や家族など、大切な人間の髪を入れてお守り代わりにするのが流行っているのだという。
「この意匠だと女物だよな。じゃあ、あの……」
 彼女が、と言いそうになって、口ごもるジェット。そして、未だ衝撃から立ち直っていないラウルへとそれを放った。
「…っと、なんだよ」
 反射的にそれを受け止めて、ラウルが尋ねる。ジェットはにやにやと笑いながら、
「彼女の落し物だ」
「彼女じゃねぇだろうが……。なんで俺に寄越すんだよ」
「薄情な奴だな、一度は口説いた相手だろ」
 ジェットの言葉に、ラウルが眉を吊り上げる。
「ふざけんな!俺は男色の気なんざねえ!」
「心は女だっつってたじゃん。あんなに別嬪さんなんだ、体が男でも構わないだろ?」
「構うに決まってんだろうが!!」
「ま、まあまあ」
 今にもジェットに掴みかからんばかりのラウルを、慌てて宥めるリゲル。
「ジェットの言うことなんか本気にすんなよ。ほら、飲みに行こうぜ?な?」
「俺はホントのこと言っただけじゃーん」
「てんめぇ……その減らず口が利けないようにしてやろうか…!」
「だーかーら!もうその話はやめて、な?飲みに行こう。ほら」
 喧嘩が始まってはたまらないと、リゲルは二人の腕を強引に取って、馴染みの酒場へと引っ張っていく。
「お、おいリゲル……」
「ひっぱんなって、こら……ったく、仕方ねえなあ」
 文句を言いつつも、ジェットとラウルは大人しくリゲルに引っ張られていった。今までの険悪な雰囲気はどこへやら、顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。お互い相手の反応が分かっていてじゃれているだけなのだが、リゲルにはそれが本気の喧嘩に見えているらしい。まあ、いつも半分以上は本気だが。
「山羊の蹄亭でいいだろ?ほら、早く行こう」
 二人を急かして一軒の酒場を目指すリゲル。街はさっきの騒動など最初からなかったかのように、いつものざわめきを取り戻している。この街は、そういう街だ。
(さっきのことは、忘れよう。なかった事にすればいい)
 そう心に決めて、ラウルは辿り着いた酒場の扉をぐい、と押した。
 ガラン、と大仰な鐘の音を立てて扉が開く。
「いらっしゃーい」
「おう、なんだお前達か」
「よお親父さん、席空いてる?」
「ああ、すわんな」
 足繁く通っている酒場の、これまたすっかり定位置と化した奥の席にどっかりと腰を下ろし、注文を聞きにきた看板娘と他愛もない会話をするうちに、先ほどの事は三人の頭の中からすっぱりと消えていた。
 消えていたのだが……。

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