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calling 〜冬枯れの森にて君を呼ぶ〜 |
「うわっ!!」 思わず目を覆ったエスタスの耳に響く、声。 『かいと――ソウ、アナタハ《かいと》トイウノ』 なんだって、と呟きながら、そっと目を開ける。すると、そこには呆然と立ち尽くすカイトと、その目の前で妖艶な笑みを浮かべる光の乙女の姿があった。 『馬鹿、なんてことをっ!』 広場の隅まで弾き飛ばされた闇の精霊が、血相を変えて飛び掛ろうとした瞬間、カイトの体がガクガクと震え出す。 「ぅわぁぁぁぁっ!!」 頭を押さえ、叫び声を上げるカイトの姿に、思わず駆け出すエスタス。 「おい、しっかりしろ! ――てめえ、一体何をしたっ!?」 精霊相手では意味がないと知りつつ、腰の剣を抜き放つ。その気迫に押されたか、わずかに後ずさる光の乙女。それで何かが弱まったのか、カイトがやっとのことで顔を上げる。 「エ、エスタスッ……! 助けっ……」 「! 駄目!」 アイシャが再び叫ぶが、間に合わなかった。 『えすたす。アナタハ《えすたす》ネ』 嬉しそうな声が響いたかと思うと、突然雷が落ちたかのような衝撃がエスタスの体を走り抜けた。 「ぐあぁっ……!!」 まるで頭の中で光が爆発したように、何も見えず、何も聞こえない。ただ、自分が発しているのだろう呻き声だけが遠くから聞こえてくる。 (な、なんだ、これは……) 落ち着け、とにかく落ち着くんだ。そう自分に言い聞かせ、とにかく呼吸を整えようとして、エスタスは自身の体が動かなくなっていることにに気づいた。 (な、にっ……) その頃になって、ようやく視力が戻ってきた。かすむ視界の向こうに見えるのは、射るような金色の瞳。 (アイ、シャ……?) 琥珀色の瞳が、今はまるで燃え盛る炎のような激しい光を湛えて、こちらを睨みつけている。いや、正しくはエスタスではなく、その後ろに浮かぶ光の精霊を、だ。 『返して。二人は関係ない』 『カレノ ネムリヲ サマタゲル モノ、ユルサナイ!』 ただひたすらに繰り返す光の乙女。その空しい響きに、アイシャは首を横に振る。 『彼はもう、目を覚まさない』 『ソンナコト ナイ! カレハ スグニ オキル! アタシハ マッテイル!』 まるで駄々をこねる子供のように喚き散らす精霊。その叫び声と共に、ある光景がエスタスの脳裏に浮かび上がってきた。 (これは……記憶?) 若々しく、力に溢れた精霊使いの青年。その青年と共に旅をしてきた光の乙女。 彼の朗らかな笑顔を見るのが好きだった。時折聞かせてくれる歌が好きだった。暗い洞窟も深い森も、彼と一緒なら怖くなかった。これから先もずっと彼と一緒にいよう、ずっとずっと、彼の足元を照らし続けるのだと心に決めていた。 それなのに――。 (人里離れた森で、彼は死んでしまった……そういうわけですね) 聞き慣れた声にぎょっとするエスタス。 (僕ですよ。どうやら、あの光の精霊を通して繋がってるみたいですね) それは紛れもなくカイトの声だった。少しだけほっとして、エスタスは辛うじて動く目で乙女を窺う。 空虚な瞳で亡骸を見つめる精霊。彼女は今も、頑なに信じ続けているのだ。彼が起きてくるのを。「やあ、随分と寝過ごしてしまったな」と言って、照れくさそうに笑うのを。 (……よっぽど、彼のことが好きだったんだな) (みたいですね。だからこそ、こんなにも歪んでしまったんでしょう。彼女の時間は、彼が死んだ日で止まってしまった) 彼が死んだ時のことは詳しく伝わってこなかった。 光の精霊である彼女は闇に弱い。だから夜の間は角灯の中で眠っているしかなくて、外で何やら物音がしていた気もしたけれど、とにかく眠くて仕方がなかったから、そのまま蝋燭の芯を抱いて眠り続けた。 朝になって、元気よく角灯から飛び出した彼女は、地面に横たわる彼を見つけた。かけていた毛布が広場の外れまで追いやられていたけれど、さして気にも止めなかった。 きっと、まだ寝ているんだ。ここのところ旅の疲れも溜まっていたし、別に先を急いでいるわけでもない。だから、思う存分寝かせてあげよう。眠りを邪魔するものは、このあたしが許さないんだから、と――。 『アタシハ カレヲ マモル! カレノ ネムリヲ ダレニモ ジャマ サセナイ!』 『あなたは――ー』 『何を言っても無駄だ。消すよ!』 アイシャを制して、闇の精霊が再び前に出た。しかし、ゆらり、と立ち上がった人影がそれを阻むように間に割って入る。 (うわあ、なんで勝手に動いてるんですかっ?!) (まさか……この精霊に操られてるのか!) 慌てふためき、必死に抵抗を試みる二人だったが、その体は頑として言うことを聞いてくれない。背後からは嘲るような乙女の笑い声が響き渡り、対する闇の精霊は苦虫を噛み潰したような顔をして、空中でぴたりと動きを止めた。 『コノ フタリガ ドウナッテモ イイノ? アタシヲ ケセバ フタリモ タダジャ スマナイ』 勝ち誇ったような声を上げる乙女に、鋭く舌打ちをする少年。 『ったく……これだから思いつめた奴は怖いんだ。《民》を支配するだなんてさ。……そこの二人も二人だ、こんな奴の前で名前を口にするなんて間抜けもいいところだよ』 (支配って、どういうことだ?) (この状態のことでしょう。まあ確かに、精霊に体を乗っ取られるなんて、聞いたことありませんね) (つまりオレらはとんだ間抜けってことか) なるほど、と納得する間にも、光の乙女によって操られた体は武器を構え、じりじりとアイシャに向かっている。それを見て更に舌打ちをした闇の精霊は、アイシャを庇うようにその前に立ちはだかった。それまでアイシャの背後に漂っていた風の乙女もまた、少年と肩を並べてやってくる二人を睨みつける。 (くそっ、何とかならないのか?! 止まれ、止まれって!) 意思に反して進む足を止めようと必死に力を込めるが、わずかに速度が鈍るだけ。汗に塗れた手は、それでも剣を手放そうとしない。 (ど、どうしましょうっ!?) うろたえるカイト。オレに聞くなと怒鳴りかけて、エスタスは視界の端に、それまで成り行きを見守っていた魔術士が剣を構えるのを捉えた。 「仕方ありません、少しだけ我慢して下さいよ」 二人にそう叫んで、小さく呪文を唱える魔術士。 『縛!』 鋭く放たれた言葉が、二人の自由を奪う。その口から漏れる呻き声に、わずかに眉を動かすアイシャ。 「大丈夫、捕縛用の術ですから命に関わるようなことにはなりません。これでしばらくは動けないはずですよ」 ところが、精霊の支配と魔術による束縛の板ばさみにあった二人の体は、それでもなお動こうとしていた。しかし、見えざる茨がぎりぎりと締め付けてきて、刺すような痛みが全身を襲う。 (いたたた……これはなかなかきっついですねえ。でも魔術をかけられることなんて滅多にありませんし、貴重な体験と思えばっ……) (そんな口が利けるくらいなら大丈夫だな。それより――) 一方、アイシャはと言えば、何故か精霊二人に叱咤されていた。 『今だよ、早くっ!』 『このままじゃ、キミがやられちゃうよ』 「駄目。そんなこと、出来ない」 『そんなこと言ってる場合じゃないだろ? ほら、早く!』 彼らは一体、アイシャに何をさせようというのだろう。怪訝そうに見守る二人の前で、、アイシャはぎゅっと手を握り締める。 「彼らは、仲間。だから、出来ない」 その言葉を聞いた瞬間、二人の中で何かが弾けた。 (そう、オレ達は仲間なんだ!) (だから、何があってもあなたを信じます!) 語りかけてくる二対の瞳。その力強い輝きを見つめて、彼女はぐっと拳を握り締めた。 「……うん」 『よぉし、いっけぇ!』 背中を押す風に大きく頷き、アイシャはすぅ、と大きく息を吸い込む。金色の瞳が鮮やかさを増し、陽炎のような力がその全身を包み込んでいく。 『ナニヲ スルノ……ヤメテ! ヤメテ!』 怯えたように明滅を繰り返す光の精霊。その叫び声に首を振り、アイシャは叫んだ。 『エスタス! カイト!』 それは、初めて紡いだ仲間の名前。 瞬間、痺れるような感覚に襲われたと思うと、柔らかな風がふんわりと彼らを包み込む。 『ほら、早く!』 「これは……あ!」 自身が漏らした呟きに驚くカイト。その隣で素早く剣を鞘に収めたエスタスは、風の乙女に促されるまま、カイトの腕を引っ張ってアイシャの後ろへと逃げ込んだ。体のあちこちが痛んだが、気にしてはいられない。 「何だかよく分からんが、助かったよ」 「本当に、ありがとうございますアイ……」 言いかけて、慌てて口を閉ざすカイト。しかしアイシャは答えずに、ただ光の乙女を見つめていた。 『ドウシテ! ドウシテ アタシノ ジャマヲ スル!』 再び耳障りな声で叫び出した乙女に、やれやれ、と闇の精霊が一歩前に進み出る。 『さあ、消えてもらうよ』 一歩、また一歩と近づいていく闇の精霊。その度に、深い闇が少年の体を包み込んでいく。 「見て下さい、《竜木》が……!」 カイトの囁きに視線を移せば、広場の傍らに聳える巨木からは七色の光が溢れ出ていた。まるで少年に力を貸しているかのように、彼が進むほどに木は輝き、闇の波動が広場に満ち満ちる。 「なるほど、精霊の力を増幅するってわけか」 「本で読んだことはありましたが、これほどのものとは……。あの木は別名を精霊樹といいまして、上位精霊である――」 「しっ、静かにしてろ」 小声で相棒の解説を制して、エスタスは対峙する精霊達に視線を戻す。広場はすっかり闇の力に満たされ、その中で光る少女の姿はまるで、闇夜に灯る蝋燭の炎のようだった。 『イヤ……キエタクナイ、アタシ ハ……アノヒトノ ソバニ イルノ』 怯えるように後ずさりながら、光の乙女は弱々しく叫ぶ。さきほどまでの眩さが嘘のように、その姿はゆらゆらと揺らめき、定まらない。 『駄目だ。《民》に害なす精霊を放置するわけには行かない』 すい、と差し上げた右手が、辺りに満ちた闇を急速に吸い上げていく。やがて少年の手に現れたのは一振りの剣。闇を凝縮したかのような刃が、鈍い光を放っている。 『……じゃあね』 『ヤメテ! アタシ ハ、アタ――!』 容赦なく振り下ろされた闇の刃が、少女の体を真っ二つに切り裂く。 弾ける光。先ほどまでとは比べ物にならない閃光が、一瞬遅れて広場を覆い尽くした。 |
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