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calling 〜冬枯れの森にて君を呼ぶ〜 [番外編]


 かさり。かさり。
 枯れた下草を踏み分けて、男はてくてくと雑木林の中を歩いていた。
 時折吹き付ける風が不揃いな髪を乱し、地味な色合いの外套を煽る。一見して、どこにでもいそうな旅人としか評せない彼だったが、ただ一つだけ周囲の目を惹くものがあった。
 それは、外套の合わせ目から覗く長剣。その柄頭に嵌め込まれた黒い宝玉は、魔力を蓄える性質を備えた希少な鉱石だ。普通はいざという時のために魔力を温存しておく目的で使われる石を、彼はまったく別の用途に充てていた。
「……少し休みますか」
 誰にともなく呟いて、足を止める。長剣を剣帯から引き抜き、手近な倒木にやれやれと腰を下ろすと、彼は鈍い光を放つ宝玉に目をやった。
「やっぱり、きついですねえ」
 この姿を取っていることをすっかり忘れて転移の術など使ってしまったものだから、彼は先程から軽い眩暈に襲われていた。それならばさっさと術を解けばよかったのだが、この姿のまま来てしまったのは、やはりあの場所に対して負い目があるからだろうか。
「……まだ吹っ切れていないんですかね、やっぱり」
 と、一陣の風が目の前を駆け抜けたかと思うと、彼の瞳に美しい少女の姿が映し出された。何故か怒ったようなその顔に、彼はおや、と頬を掻く。
「さっきの風の乙女じゃありませんか。どうしました?」
 しらっと言ってのける彼に、目の前に浮かぶ少女はやっぱりね、と呟いた。
『わたしの姿が見えるってことは、あなた、ただの魔術士じゃないでしょ』
「はあ、まあ」
 とぼけた口調に頬を膨らませ、ぐい、と詰め寄る少女。
『まあ、じゃないわよ。まったく、趣味が悪いんじゃないの、リファ!』
 その言葉に一瞬目を丸くした彼は、すぐに苦笑を浮かべて呟いた。
「おやおや、ばれてましたか。やはりあなた方の目は誤魔化せませんねえ」
『いくら魔力を切り離して石に押し込んでたって、固有の波動までは誤魔化しきれないわよ。それにわたしは昔、あなたに仕えたこともあるんだからね。気づかないわけないでしょ』
 呆れたと言わんばかりの目で見つめてくる精霊に、おどけた仕草で肩をすくめてみせる。
「やれやれ、手厳しいですね」
 次の瞬間、男の姿は消え失せていた。代わりに現れたのは、長い金髪を風になびかせた一人の魔術士。数々の異名を持ち、数多の伝説を打ち立てた人物、魔術だけでなく精霊術にも秀でた美貌の不老不死人を、人々は尊敬と畏怖の念を込めてこう呼んだ。《金の魔術士》リファと――。
「この姿で一人旅してると、やたらと人に絡まれるものですから。地味な姿をしていれば、無用の争いは避けられますからね」
『あっそ……まあいいわ、そんなことを言いに来たんじゃないし』
 するり、とリファから身を離し、少女は改まった口調で続けた。
『アイシャに手を貸してくれて、本当にありがとう。それと――手出しをしないでくれて、ありがとね』
 いくら力を抑えていたとはいえ、リファほどの技量があれば狂える精霊を瞬時に消し去ることも容易だったはず。それをせず、あえて手助けだけに止めたのは、恐らくアイシャの力量を試すため。そして、成長を促すため。
 ぺこりと頭を下げる少女に、リファはいいえ、と手を振る。
「私は頼まれたことをしたまでですよ。それにしても……お礼を言いにわざわざ追いかけてきたんですか?」
『勿論それもあるけど、あなたがなぜ姿を偽ってうろちょろしてるのかが気になったから』
 あんまりな言われように、思わず顔を引きつらせるリファ。
「……うろちょろだなんて心外ですね。私はただ、気ままに旅をしていただけですよ……と言いたいところですが」
 くすくすと笑いながら、リファは傍らの剣を取り上げる。
「彼女達に言ったことは本当ですよ。『北の塔』に用事があるんです。なんでも三賢人の二人がとんでもない問題児で、お偉方の手には負えないそうで。子守慣れしている私が呼ばれた、とそういうわけです」
『へぇ。大変そうね』
 気のない相槌を打って、少女は話を戻した。
『それで、エストに立ち寄ったのは偶然?』
「偶然といえば偶然ですね。久しぶりに遺跡を見に行こうと思ったのは事実です。それに、あの村をね」
 首だけで振り返り、目を細めるリファ。
 うっそうと茂る木々の向こう、わずかに見える石垣が、そこにかつて村があったことを示していた。朽ちた道標は下草に埋もれ、石畳をめくり上げるように根を伸ばした木々は空を突くほどに高い。
 ルシャス。それは、一千年の昔に滅びた村。リファ自身が張った結界により、長きに渡って外界から隔絶されていたその場所は、今はただ緑の懐に抱かれ、ゆるやかに朽ちて行くのを待つだけだ。
 そこは、最愛の者を失った場所。そして、再び歩き出した地でもある。
「――でも、やっぱりやめておきましょう」
 すっくと立ち上がり、おもむろに剣を地面に突き立てる。すると剣は一瞬にして杖の形に変わり、リファの手にすとんと収まった。
「降られないうちに、とっとと退散することにします。私のこと、あの三人には内緒にしておいて下さいね」
 雲に覆われた空を見上げ、今度はきちんと呪文を唱え出すリファ。そしてまもなく掻き消えた魔術士の姿に小さく溜め息をついて、少女はふわり、と宙に舞い上がった。
『まったくもう、いつだって面倒事に首を突っ込まずにはいられないあの性格、何百年経っても変わりゃしないんだから』
 遥か昔、初めて会った時からそうだった。たおやかな外見と穏やかな口調に騙されてはいけない。あの魔術士はわざわざ厄介事の中心に飛び込んで行って、余計にひっかき回すような人間なのだから。
 それでも、リファを慕う精霊は数多い。かつてその一人だった少女は、そっと胸に手を当てて呟いた。
『でも今は、アイシャ。わたしは――あなたの側にいたい』

 思い出すのは、遠い日の光景。
 熱砂の砂漠で立ち尽くしていた幼い娘は、思わず駆け寄った精霊をその目にしかと捉えていた。
 砂塗れの体を一吹きしてやると、鮮やかな外套と褐色の肌が現れた。こげ茶色の髪と明るい茶色の瞳は、近隣の部族に共通する特徴だ。
 家族とはぐれてしまったらしい娘は、大丈夫かと訪ねる声にはっきりと頷き、そしてこう言ったのだ。
「あんない、してくれると、うれしい」
 驚いた。娘は「案内しろ」とも、「自分を家族の元へ連れて行け」とも言わなかったのだ。
 案内してくれると嬉しい。それは聞き慣れた「命令」ではなく、心からの「お願い」。
 だから、彼女は一、二もなく頷いた。そして――
『わたしはセルフィー。あなたは?』
 唐突な言葉に、娘はあっさりと答えた。
「アイシャ。イオ=アイシャ=ラキス」
 その瞬間、契約は成立した。
 砂漠を吹き抜ける風は、褐色の肌の娘と共に歩むことを選んだのだ。

『わたしは、いつだってあなたの側にいるよ』
 自らに言い聞かせるように呟いて、風の乙女はふわり、と空に舞い上がる。彼女達が村に帰りつく前に、先回りして洗濯物を乾かしておかなければ。
『さあ、急がなきゃ!』
 薄絹を翻し、辺境の村を目指して乙女は翔ける。高く、速く。ただひたすらに。
 やがて、誰もいなくなった雑木林に、今年最初の雪が舞い降りた。
 春は、まだまだ遠い――。


 謎の旅人の正体はリファでした(^^ゞ というネタばらしの番外編です。
 リファはそれまで東大陸をうろうろしていたのですが、『北の塔』の長老(三賢人の一人)に泣きつかれて塔へと召集されます。そしてアル&ユラ姉妹のお守りをする羽目に(^^ゞ

 当初の話では、ラウルがアイシャに頼み事をされて森へ行く予定だったので、リファの出番はなかったのですが、プロットが変更になって、ラウル以外で闇を作り出せる人間が急遽必要になったところ、やはりあの人しか思いつかなかったわけです(^_^;)
 この時は姿を変えていたので、のちに村にやってきたリファは三人組に対して初対面という態度を貫いています。
 ちなみに、精霊術は「その場に存在する精霊を使役する」ものなので、真っ昼間で影もないようなところでは闇の精霊を呼んだりできません。まして、光の精霊があれほどに力を増している状態では闇を呼び出すことは不可能。故に、アイシャは闇を作り出せる人間を頼ったんですね。(魔術は世界法則を変えるものなので、闇を「生み出す」ことが可能です)

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