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「……で? 俺に何をしろってんだ」 丘の上に立って、ラウルは背後を振り返る。 眼下に広がるのは小さな村。すっかり苔むした石畳や枯れた井戸、ところどころが崩れた石垣。それでも、千年の時が経過しているとはとても思えないくらいに、村は当時の姿をとどめていた。 そして、村はずれの丘にそびえ立つ一本の大木。人が住まなくなった今もなお、村を見守るかのようにどっしりと根付いたそれは、冬の空の下、青々とした葉を茂らせている。 ラウルをここまで案内した人物は、この木を目にするなり何やら考え込んで、その場を動かないでいる。かれこれ、もう十分以上はこうしているのではないか。 「なあ、リファ」 寒さに身を竦めながら、再度ラウルは声をかけた。準備するまもなく連れてこられたものだから、彼はいつもの神官衣に薄い上着を引っ掛けただけという姿だ。少なくとも、冬空の下を歩く格好ではないだろう。このままでは風邪を引きそうだ。 「ああ、すみません」 ラウルの声でようやく我に返ったらしいリファは、彼の吐く息が白いことに気づいて、さっと杖を一振りする。 途端に寒さが和らぎ、温かい風が体を包んだのを感じて、ラウルはほっと息を吐いた。そして、改めて魔術士に問いかける。 「俺に、何をさせたい」 ここに連れてきたからには、ただ夜の散歩というわけではあるまい。ラウルの言葉に小さく頷いて、リファは目の前の巨木を見上げる。 常緑樹。冬の寒さにも耐え、その青き腕を空に伸ばす。まるで月を抱かんばかりに、高く、高く。 「ここはね、私が拾われた場所なんです」 「拾われた?」 「ええ。その時私は、記憶を失くしてこの地に倒れていたそうです。それを拾ってくれたのが、リーナという名の少女でした……」 遠い日を懐かしむように、リファは目を細める。 「私の名はね、そのリーナがつけてくれたんですよ。記憶のない、どこの誰とも分からない私を家族として迎え入れてくれて、色々なことを教えてくれました。それは楽しい、本当に楽しい日々だったんです」 そう語るリファの表情は、まるで幼い子供のようにあどけなかった。しかしすぐに、その笑顔が曇る。 「でもね。そんな楽しい時間は長続きしなかった」 「……何があったんだ」 「ラウルさん、歴史は得意ですか?」 不意にそう尋ねて来るリファに、ラウルは頭を掻く。 「いいや。大の苦手だったな」 「それでも、魔法大国ルーンの滅亡くらいは聞いたことがあるでしょう?」 それは、歴史の授業の序盤で必ずと言っていいほど耳にする単語だった。 ファーン復活暦45年。当時北大陸だけでなくファーン全土を強大なる魔力で支配していた魔法大国ルーンは、一夜にして謎の滅亡を遂げた。その理由は千年経った今でも謎のままとされている。しかし事実、大国は滅び、その首都部遺跡は今もエストの村の近くに残っている。 「……かの国ではね、魔術を使えるものは選民、使えないものは平民と区別されていました。そして少しでも魔力を持つ者は強制的に首都へ集められ、その力を国の為に振るうことを余儀なくされた」 村々を回り、魔力を持つ者を見つけては首都へと連れて行く「徴集隊」。そんな彼らがルシャスの村で見つけたのは、とてつもなく強大な魔力を秘めた一人の青年。 彼はすぐさま首都へ送られ、その余りにも強大な力を研究・解明せんとする宮廷魔術士達によって、様々な魔術実験が繰り返された。非人道的な扱いに、それでも彼は耐え忍んだ。村を守るために。少女の笑顔を守るために。それが、彼と王との約束だったから。 しかし。 ある日、彼の暮らした村が魔術士隠匿の罪で焼き払われたと聞いた瞬間。 彼は初めて、己を見失った。 何をしたのか、はっきりとは覚えていない。 しかし、その夜。 首都は灰燼に帰し、魔法大国ルーンは歴史上から姿を消した。 時を同じくして、辺境の小さな村で一人、少女の亡骸を抱いて慟哭する青年の姿が目撃されたとも伝えられている。 「……後から伝え聞いた話ですが、村が焼かれたのは青年を隠匿していたからではなく、村長の孫娘リーナが魔力を秘めていることを、長年に渡って隠していたからだそうです。そしてリーナは、魔力はあってもそれを制御する術を持っていなかった。村を焼かれ、肉親を目の前で失い、強制的に連れていかれそうになった彼女は、魔力を暴発させ……その命を落とした」 淡々と語るリファ。しかしその言葉の陰には、狂おしいまでの後悔と自責の念がたぎっている。 「……あの時、私が村に残っていれば。いえ、せめてもっと早く、村に辿り着いていたなら……。大丈夫です、分かっていますよ。いくら後悔したところで、過ぎ去った時を戻すことは出来ない」 心配げなラウルの顔を見て、リファはようやく表情を和らげる。それでも、まだどこか悔しげな顔で、目の前にそびえる木を見上げた。 「……あの時、私はこの村を封印しました。強力な結界を張って、何人たりとも侵せないように。でもね、そんなことをしても大切な人達が戻ってくるわけではない。むしろ、この地を封印することで、私もまた過去に捕らわれていた。そのことに千年かかってようやく気づきましてね。今から百年ほど前に結界を解いたんです」 なるほど、だから千年が経過している割には原型を留めているわけだ。そう納得したところで、再びラウルは問いかけた。 「で?俺に、何をさせたいんだ」 千年もの永き時を流離ってきた金髪の魔術士。そして、千年前に潰えた村。それらに対して、まだ二十余年しか人生を紡いでいない若輩者のラウルが出来ることなどあるのだろうか。 そんなラウルに、リファは真摯な瞳で告げた。 「祈って、いただけませんか」 この地で亡くなった多くの人間は、誰に見送られることもなく、祈りの言葉を聞くこともなく、天へと還っていった。そんな彼らのために、せめて祈りを、と金の魔術士は願う。 「この地に留まっている魂は一つもない。それでもか」 闇と死を司るユーク神。その神官であるラウルには、死者の存在を、その魂の叫びを感じとる力がある。そして今、彼の耳に届くのは、夜風に揺れる梢のざわめきのみ。 静かに問いかけるラウルに、リファはゆっくりと頷く。 「ええ……。祈ってください。この村のために。そして……私のために」 リファの言葉に、ラウルは分かった、と頷く。 「ユークの祈りは死者だけでなく、残された者達への祈りでもある。この地に、そしてあんたに闇の安らぎがもたらされんことを……」 そうして、ラウルは長い長い聖句を唱え始めた。 まるで歌のように、それは丘にこだまする。 心を打つ神聖語の複雑な音韻。時に力強く、時に囁くように、抑揚をつけて唱えられる祈りの言葉。 朗々とした祈りは、夜風に乗ってどこまでも響いていく。 青い闇。それは世界を覆い隠し、大いなる安らぎをもたらすもの。 再び日が昇り、明日が始まるその時まで、全ての命は闇にその身を委ね、そして夢を見るのだ。そう、どこまでも果てなき未来を。 なれば、今はただ。深き闇に包まれて眠れ―― 最後の言葉を紡ぎ終えて、ラウルはそっと金の魔術士を伺う。 祈りの余韻が闇の中に溶け、再び静寂が戻ってくるまでをじっと待って、そしてようやくリファは口を開いた。 「……ありがとう……本当に……」 心の底から搾り出すような言葉。飾り気のない、しかし心から紡がれたその言葉に、ラウルは小さく息をつく。 「礼を言われるほどのことじゃないさ。これであんたの気が少しでも晴れたなら、それで……」 言いかけて、はっとラウルは目を見張る。 辺りを飛び交う淡い燐光。それは大地より湧き上がり、彼らを取り巻くようにぼんやりと光を放つ。 「これは……」 リファもまた驚きを隠せない表情で、ふわりふわりと漂うその光にそっと手を伸ばした。 精霊の魂。光は、そう呼ばれている。実際のところは何だか分かっていない。夜をほのかに照らす、熱を持たない幻の光。 一説によれば、それは人々が残した想いの結晶だという。夜風に舞い上がり、やがては星になるのだとも。 「きれいだな」 呟くラウルに、リファはふわり、と穏やかな笑みを浮かべる。 「……ええ。きれいですね……」 両腕を広げ、光の中をゆっくりと歩き出すリファ。闇の中、淡い燐光をまとい夜と戯れるその姿を、ラウルはただ静かに見つめていた。 |
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