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[5]


 「―――で? 悪い知らせってのは何なんだよ」
 急に黙り込んだ養父に苛立って、自分からそう切り出す。
 懐かしむような眼差しで養い子を見つめていたダリスは、その言葉に小さく首を振る。そして彼は窓の外、俄かに曇り始めた空に目を向けて、呟くように告げた。
「……お前の処分が決まった」
 はぁ? と眉を吊り上げるラウル。
「謹慎だけじゃ足りないってか? 元はといえばあっちが仕掛けてきた喧嘩じゃねえか」
 彼、ラウル=エバストが貴族の子息と決闘騒ぎを起こしたのは、半月ほど前のことだ。正確には、入れ込んでいた歌姫を奪われた、といきり立った相手が神殿へ乗り込んできて、仕方なく「決闘」に付き合った。
 結果、派手に転んだ拍子に腕を折った相手の手当てまでしてやってから「丁重に」追い返したのだが、後日その父親から神殿宛に抗議が寄せられた、とこういうことだ。
「向こうは再三、お前の神官位を剥奪しろと言ってきたが、そんなことをしたところでお前が悔い改めるとも思えんしな」
「そりゃそうだ。俺は元々、望んで神官になったわけじゃねえ」
 あっけらかんと答えるラウルに、小さく息を吐く。そして。
 漆黒の瞳を真っ向から見据え、ユーク本神殿長ダリス=エバストは厳かに告げた。
「ラウル=エバスト正神官。そなたに北大陸への赴任を申し渡す」
「北大陸?! おい、なんだよそれ!」
「出立は三日後だ。さっさと支度を済ませるんだな」
 抗議の声を聞き流し、一枚の紙切れを押し付ける。透かしの入った書面は、紛れもなく北大陸行きの辞令。ユーク本神殿長ダリス=エバスト、と流麗な署名が入ったそれを机に叩きつけて、ラウルは猛然と食って掛かった。
「おいっ! ふざけんな、なんで俺が……!!」
「話は以上だ。下がっていいぞ」
「おいこら、じじいっ! なんで俺がそんな僻地に飛ばされなきゃなんねえ……っ! いってえな、何すんだ!」
 抗議するラウルの頭にごつんと拳骨を落として、ダリスは険しい顔を向ける。
「口を慎め、エバスト神官。今、私は神殿長として話をしているんだ」
「……失礼しました」
 何を今更と思いつつ、渋々と謝罪の言葉を述べ、それでも尚ラウルは養父へと言い募る。
「ですが、納得が行きません。何故私が北大陸に赴かねばならないのか、その理由を仰っていただかなければ……」
「これは決定事項だ」
 ぴしゃりと言い放ち、ダリスはふと目を伏せた。
「……これ以上、私を煩わせるな」
 息を飲む息子にくるりと背を向けて、深い溜め息とともに残りの言葉を吐き出す。
「頭が冷えるまで戻ってくるな。以上だ」
 それきり口を閉ざす養父。その後姿をしばし睨みつけていたラウルだったが、やがて埒が明かない、と踵を返した。
「くそっ……冗談じゃねえ」
「言っておくが、お前に拒否権はないぞ」
「うっせえな、分かってるよ! 行きゃいいんだろ、行きゃ!」
 つかつかと扉に向かい、その取っ手に手をかけてから、もう一度養父の背中を睨みつける。
「厄介払いが出来て良かったな!」
 捨て台詞と共に閉まる扉。遠ざかっていく足音に、ダリスは重い息を吐いた。溜め息と共に漏れた呟きを、風の唸りが掻き消す。
 ふと窓の外を見つめて、ダリスは目を細めた。彼方から運ばれてきた厚い雲が、あっという間に首都の空を覆っていく。
「……荒れそうだな」
 誰にともなく呟いて、ダリスは再び重苦しい溜め息を吐き出した。

* * * * *

 三日間吹き荒れた春の嵐は明け方に収まり、そうして迎えた旅立ちの朝は腹が立つほどに晴れ渡っていた。
 集まった見送りの数は、厭味かと思えるほど多く。厄介者が消えて清々する、といった面持ちの神官達、そして最後までくどくどと説教を垂れる副神殿長に馬鹿丁寧な礼を返して、足早に石段を降りる。
 最後に一度だけ振り返れば、すでにぞろぞろと引き上げている神官達の中に、養父の姿があった。
(くそじじい……)
 ラウルの視線に気づいてか、つい、と見つめ返してくる琥珀色の瞳。その眼差しは、どこまでも冷ややかで。
 射るような視線に、顔が歪むのが自分でも分かった。
(馬鹿ばかしい……)
 心の中で悪態をついてみても、込み上げてくる感情は止まらない。
(やっぱり、こうなるんだ)
 いつか、こんな日が来ると思っていた。だからこそ、馴れ合うつもりなどなかったのに。
 突き放されて初めて、養父の存在が自分の中でこんなにも大きなものになっていたことに気付かされる。
(俺は……あんたに……)
 縋るような瞳で見上げてくる我が子に、ダリスは小さく溜め息をつき、そして無言のまま背を向けた。
 その強張った横顔に失望の色を感じ取って、無意識のうちに拳を握り締める。
「くそっ……!」
 吐き捨てるように呟き、そうしてラウルは逃げ出すようにその場を去った。
 その勢いのまま乗合馬車に乗り込み、港町ヴェルニーを目指す。同乗した客は、むすっとしたまま窓の外を眺めている若きユーク神官を不思議そうに見つめていたが、結局彼は二十日以上に及ぶ旅路の間、一度も口を開くことはなかった。

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