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[6]


 そうして、ヴェルニーに辿り着いた彼が見たものは、大勢の人でごった返す大通り。
「なんなんだ、一体……」
 そんな呟きに、乗船券売り場の男はおやまあ、と笑ってみせる。
「あんた、知らないで来たのかい? あのプリムラ殿下が今日、このヴェルニーの港から出発なさるんだよ。殿下のお姿を一目見ようとあっちこっちから人が押し寄せて、もう大変な騒ぎさ」
 急なことだったから、町も港もてんてこ舞いさね、と嬉しそうに語りながら、男は運行表を繰っていく。
「ああ、あったあった。北大陸のリトエル港行き。今日の昼過ぎに出航する貨物船だが、頼めば人も運んでくれる。五日後には定期船が戻ってくるが、どうする?」
「今日の便で頼む」
 よっしゃ、と呟いて、男は紙切れにさらさらとペンを走らせると、それを放ってよこした。
「ほいよ、これを持って六番の桟橋に行ってくんな。しかし、貨物船でもいいなんてあんたも酔狂だねえ」
「仕方ないだろ。とにかく一刻も早く北大陸に渡れって命令でね」
 差し出された紙切れをひったくるようにして、足早に港へと歩き出す。その後姿を見送って、男はやれやれ、と肩をすくめた。
「神官ってのも、案外大変なんだなあ」

* * * * *

「おお、あんたかい。いやはや、物好きな神官さんもいたもんだね」
 たった一人の乗客を快く出迎えた貨物船の船長は、慌しく積み込み作業を行う船員達に指示を飛ばしながら、すまないね、と日に焼けた顔を向けてきた。
「まだ積み込みが終わらなくてね。出航は少し遅れそうだ」
「ああ、構わない。もう乗っていいのか?」
「いいともさ。積荷にけつまずかないように、気をつけてくれよ」
「分かってる」
 忙しなく往来する船員に混じって梯子をのぼり、あちこちに詰まれた荷物の間を縫って空いている場所を探す。
 どうやら旅の仲間は葡萄酒らしい。甲板に揚げられた樽からは、鼻腔をくすぐる香りが立ち込めていた。
「ヒース地方の酒か、上物だな」
 そんなことを呟きながら移動するうちに、舳先まで来てしまったラウルは、ふと近くで沸き起こった喚声に顔を上げる。
 その瞳に飛び込んできたのは、港の反対側から今まさに出航せんとする、一隻の船。
 風をはらんだ純白の帆に描かれているのは、桜草を模した紋章だ。
「殿下の船が出るぞー!」
 船員達も作業の手を止めて、大海原へ滑り出していく小さな船を眺めている。港中から上がる祝福の声。それに応えて甲板から手を振る皇女の姿に、ラウルはそっと息を吐いた。
(やれやれ、猫かぶりだけはホント上手になったな)
 取り澄ました顔で手を振り続ける皇女。その足元で何かが動くのが見えて、おやと目を凝らす。
「! ……あいつ」
 見えたのは、茶色い縞模様。すり寄ってくる愛猫をひょいと抱き上げて笑う皇女に、ラウルは思わず苦笑を漏らした。
「心強いお供もいたもんだ」
 遠ざかる白い船。風は西へ、船を誘う。
 同じ日に、同じ港を発つ。それでも、その道はもう二度と交わることもない。
 新天地に何が待つのか、それは分からないけれど。
「……元気でやれよ」
 遠ざかる船を見つめながら呟いた言葉は、潮風に乗って大海原の彼方へと運ばれていった。


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