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野薔薇に寄す

 ようやく戻ってきた息子の姿を一目見るなり、ダリス=エバスト高司祭はしかつめらしい顔でのたまった。
「随分と時間がかかったな。いい年をして、道にでも迷ったか?」
「うっせーよ。ほら、頼まれたモン」
 投げやりに言葉を返し、小脇に抱えていた荷物を押しつける。するとダリスは相好を崩して、早速包みをがさこそとやり出した。
 そこから飛び出てきたのは葡萄酒の赤と白が一本ずつに林檎の蒸留酒が一本、更には塊のままのチーズ数種類に乾燥させた腸詰と、まるでこれから酒盛りでも始めそうな品々だ。
「いつもすまないな」
「そう思うなら少しは控えろってんだ」
 神殿内は禁酒禁煙が定められている。故にどこぞの不良神官などは、日々神殿を抜け出しては酒場に通っているわけだが、多忙を極める高司祭ともなると、そう頻繁に街へ繰り出すことも叶わない。かくしてラウルは月に二、三度「おつかい」に出かける羽目になっていた。
 神殿内の自室でこそこそと飲むくらいならば、いっそのこと街中に家でも構えて、そこで堂々と酒宴を開けばいいのにとラウルは思う。本神殿に所属する神官のうち、凡そ半数ほどが神殿内で生活しているが、後の半数は街中に家を持ち、そこから毎日通ってきているのだから。
 しかしダリスに言わせると「隠れて飲むからより美味しい」そうで、家の件に関しては「ここから礼拝堂に行くのもかったるいのに、これ以上距離が伸びたら面倒で仕方ない」と公言して憚らない。更に「外出する口実になっていいだろう?」と言われては、それ以上何も言えなくなってしまうのだった。
「深酒が過ぎて中毒になっても知らねえからな」
「お前こそ、若い頃から飲みすぎると背が伸びなくなるというからな、気をつけた方がいいぞ」
 とぼけた顔で言い返して、ダリスはそう言えば、と話題を転じた。
「お前、男に言い寄られてるそうじゃないか」
「!!」
 途端に顔をひきつらせ、掴みかからんばかりの勢いで養父に迫るラウル。
「誰から聞いた、そんな話!?」
「なぁに、噂というのは実に俊足でな。人の足より早く広まることがある」
 誰が仕入れてきた噂か知らないが、まったく余計なことをしてくれたものだ。憮然とするラウルに、ダリスはとどめの一言を放った。
「貞操はしっかり守るんだぞ」
「ふざけたこと言ってねえで仕事しやがれ、このクソじじい!」
 にやけた養父の顔に怒声を浴びせかけ、くるりと踵を返すラウル。その背中を楽しそうに見つめていたダリスは、彼の手が扉にかかった瞬間、ああ、とわざとらしい声を上げた。
「すっかり忘れていた。午後の礼拝をすっぽかした罰として、西地区の墓地清掃をせよとのことだ」
「ふざけんな、なんで俺がっ……!!」
「だから、寄り道しないで早く帰って来いと言ったろう? ほら、日が暮れる前に終わらせて来い」
「ったく……分かったよ!」
 いかにも渋々といった様子で去っていくラウルを見送って、ダリスはおもむろに酒瓶を取り上げる。
「さて、今度の隠し場所はどこにするかな……」
 楽しげに呟きながら、酒豪の高司祭は本棚の隅をごそごそとやり出した。


 西日に照らされた墓地に、箒の音だけが響く。
「ちくしょう、誰だよ昨日の当番は。こんなに手ぇ抜きやがって……!」
 ぶつくさ文句を言いながら、それでも手際よく通路を掃き清め、墓石の土埃を落とす。雑用係として神殿においてもらっていた頃から、墓地清掃は彼の日課だった。神官になってからは流石に罰掃除の機会も減ったが、それでも月に一度は通っている計算になるから、墓地のことなら隅から隅まで頭に入っている。
 あの墓石のひびがどうの、こっちの墓銘はどうにも気障ったらしい、などと、いつものように点検しながら歩いているうちに、ラウルは薔薇が咲き誇る一角に辿り着いていた。
 その花がいつからそこに咲くようになったのか、知るものはいない。鉄柵に絡みついた蔓薔薇、その野趣溢れる一重の薔薇は、長きに渡り人々の目を楽しませてきた。
 そのまま通り過ぎようとして、ふとあるものが目に留まる。
 それは、咲き乱れる花々に埋もれるようにして佇む、白茶けた墓石。そこに刻まれているのは、西方の古語で薔薇を意味する名前。
「そうか、あんた……」
 真新しい墓石の前に腰を落とし、わずかに付着した土埃を払おうとして、ラウルは手を止めた。
 ゆっくりと立ち上がり、そよ風に揺れる花びらを見つめて、小さく息を吐く。
 そして、ラウルはやれやれ、と肩を竦めると、誰にともなく呟いたのだった。
「……仕方ねえな」

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