てのひらの楽園

 半壊してなお街を守り続ける石造りの城門で村長と別れ、通い慣れた石畳の道をひたすらに進む。
 かつて強大な魔法力を以て全世界を統治していた大国も、今や雪に埋もれた瓦礫の山だ。
 突然の滅亡から千余年。そのほとんどが倒壊し、風化してしまっている首都部遺跡だが、辛うじて残っている建物の中には、当時の魔導装置が生きている部分もある。
 崩れかかった螺旋階段を下へ進むごとに、薄れていく寒さ。外の吹雪が嘘のように、地下施設は穏やかに保たれていた。
 恐らくは研究施設だったのだろう建物の地下通路は、その天井や壁自体がほのかな光を帯び、彼らを最奥の部屋へと導いてくれる。
 近づくごとに空気は湿り気を帯び、心地よい熱が体にまとわりついてくる。
 一枚、また一枚と防寒着を脱ぎ捨て、最後はいつも纏っている貫頭衣さえも脱ぎ捨てて、裸足の少女が廊下を駆ける。
 服を拾いながら追いかける仲間の声など、もはや耳に入っていないのだろう。褐色の肌を惜しげもなく晒して、最後の扉に手をかけた瞬間。
 光が、溢れた。


 ねっとりとした空気。濃厚な緑と土の匂い。
 太陽など拝めるはずもない地底深くにありながら、そこには乳白色の光が満ち、まとわりつくような熱気が充満している。
 中央にそびえるのは樹齢千年を超える巨大な《母なる樹》。彼女が枝や根を隅々まで巡らせているおかげで、この楽園は千年もの時を生き延びてきたのだろう。
「相変わらずだな、ここは」
 蔓延る植物を掻き分け、唯一残った人工物である東屋に辿り着いて大きく息を吐く。この《楽園》でまともに座れる場所はここだけだ。
「これで湿っぽくなければ更に快適なんですがねえ」
「文句言うなよ。で? ここにくればアイシャが元気になるって、どういうことなんだ?」
「ああ、そのことですか」
 半分曇った眼鏡を服の裾で拭きながら、カイトは滔々と語り出した。
「これは今朝届いた本に書かれていたことなんですが、我々は元々、適度な日光を浴びることで体調を整えているそうなんです。特に南国の人間は普段から大量の日光を浴びて暮らしているため、それが極端に減ってしまうと体調を崩してしまうそうで……。今年は冬が早くて、ずっと曇り空が続いていたでしょう? それに寒がって厚着をしたり、室内にこもりがちになっていたから、余計にひどくなってしまったんですよ」
「なるほど……そういうことか。蝋燭や角灯の光じゃ駄目なんだな」
「はい。でもここなら――」
 半分抜け落ちた東屋の屋根から降り注ぐ乳白色の光。それは、蝋燭や角灯の炎とも、また魔法で生み出された青白い明かりとも違う、不思議に懐かしい暖かな光だ。
「どういう仕組みかは分かりませんが、この《楽園》の天井や壁から放たれる光や熱は、本物の太陽光と酷似しています。これなら、きっとアイシャの体調も良くなると踏んだんですよ」
 カイトの言葉通り、すっかり元気を取り戻したらしいアイシャは先程から、《楽園》の中を縦横無尽に駆けずり回っている。
 絡まる蔦に掴まって枝を渡り、流れる水を跳ね散らかして、苔むした岩に登り――。鳥の鳴き声や水音と相まって、まるで太古の精霊が奏でる楽曲に合わせて舞い踊っているかのようだ。
「すっかり元気になったじゃないか」
「効果覿面でしたね。良かったよかった」
 ほっと胸を撫で下ろす二人の目の前を、眩しいくらいに青い蝶がひらりと横切っていく。その動きはどこかぎくしゃくとしていて、エスタスは苦笑交じりに蝶を指にとまらせた。
「こいつ、前に来た時に直してやったやつか」
 色鮮やかな南国の蝶。しかしよく見れば、それが精巧な作り物であることが分かる。金属ではない、しかし強度のある不思議な素材で出来た蝶は、翅の一部が欠けたところを無理やりに繋げてあった。
「面白いですよねえ、この部屋の中でだけ生きたように動く、魔法仕掛けの生き物達なんて」
 《楽園》の植物は全て本物だが、鳥や虫、魚といった生き物達は全て作り物だ。魔術的な仕掛けで動き続けているだろうことは確かだが、動力源は何なのか、どういう仕組みで動いているのかなど、詳しいことは何も分からない。
「魔術士の塔に持っていけば、きっとちゃんと直せるんでしょうけどね」
「お前、ここを見つけた時からずっとそう言ってるくせに、面倒がって全然連絡取ろうとしないじゃないか」
 これだけの発見を、彼らはまだ世間に公表していない。何もこの場所を独り占めしたいわけではなく、手続きが面倒だからというのがその理由だ。
 何しろこれだけの魔術装置が今も動いている場所だ。ルース神殿だけでは正確な調査ができないため魔術士の協力を仰ぐ必要があるが、この北大陸には魔術士の数が少なく、魔術士の相互扶助機関である魔術士ギルドもあてにならない。唯一まともに機能している魔術士の研究機関《北の塔》は隣国ライラの外れにあり、手紙を送るにも時間がかかるときた。
「春になって配達が再開したら手紙を送りますよ。それまではもう少し、アイシャに楽しんでもらってもいいでしょう」
 本格的な調査が始まってしまったら、ここにはもう入れない。それが惜しいという気持ちも、きっとどこかにあるのだろう。
「そうだな。《楽園》は逃げも隠れもしないわけだしって……アイシャ! カエルはどうした!?」
 慌てたようなエスタスの声に、いつの間にか《母なる樹》の枝によじ登っていたアイシャは、東屋のすぐそば、小川の畔に転がる苔むした岩をひょいと指さす。
「そこ」
「ええっ!? あんなところに置いたらどこかへ行っちゃいますよ!」
「おい、預かりもんなんだから失くしたらまずいんだぞ」
 泡を食って東屋を飛び出そうとした二人の目の前で、陶器のカエルがぴょん、と飛ぶ。
「えっ!?」
「なにっ!!」
 目を剥く二人を笑うように、滑らかな白磁の頬を膨らませ、気持ちよさそうにケロロロ、と鳴くカエル。
「なっ、なっ……なんで動いてるんですか!?」
 ずり落ちた眼鏡を持ち上げ、ぐいと身を乗り出すカイト。そんな彼をからかうように、カエルは軽やかにぴょんぴょんと跳ねて、清らかな水の流れへと身を躍らせる。
「ええええええ!?」
 すいすいと泳ぐそのさまは、生きたカエルそのものだ。
 絶句する二人に、枝の上からひそやかな笑い声が振ってくる。
「アイシャ!? これはどういう――」
「《楽園》の魔法」
 いたずらっ子のような瞳でほほ笑むアイシャ。それもまた、《楽園》の魔法なのかもしれない。
「……驚くだけ損か」
 千年前の夢が息づく場所だ。何が起きても不思議ではない。
 はあ、と大きく息を吐き、湿った空気を胸いっぱいに吸い込んで。
「しばらくはここで、冬を忘れてのんびりするとしようか」
「ですね。そうと決まれば、中断してた調査を再開するとしましょうか! さー、張り切ってやるぞー!」
 俄然やる気を出すカイトに無茶すんなよと釘を刺しつつ、東屋の長椅子にごろりと横になる。
「ああっ、エスタス! 手伝ってくれないんですか!?」
「少しはのんびりさせろよ。あとで手伝うから」
 ぶーぶーと文句を言う相棒を適当にあしらって目を閉じれば、梢のざわめきが通り過ぎていく。


 乳白色の空
 むせ返るような熱気
 生い茂る南国の緑
 鳥の囀り 舞い踊る蝶
 虫たちの囁きと カエルの合唱
 そこは きっと
 女神が掬い上げた てのひらの楽園――

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