第六章[1]
 北大陸北部は永久凍土の存在する極寒の地だが、それでも辛うじて四季がある。
 街道の緑は日を追うごとに濃く鮮やかになっていき、行き交う人々の服装は、いつの間にか分厚い外套から薄手の上着へと変わっていた。
「やれやれ、こんないい天気だってのに、家族ほっぽらかして仕事三昧だなんて、セイン神もひでえ試練を与えるモンだ」
「与えたのはセイン様じゃねえ、隊長だろうが。文句は隊長に言え」
「そりゃごもっとも」
 街道を進みながら軽口を叩き合う男達は、一見すると傭兵崩れの旅人のようだった。しかしその中に一人、見るからに異質な青年が混じっている。
 まるで野牛の群れに混じった鹿のような青年は、周囲が他愛もないおしゃべりに興じる中、一人口を閉ざしてひたすらに足を動かしていた。そんな彼に、遠慮のないからかいが飛ぶ。
「よぉヒューゴ、どうした? もうへばっちまったか?」
「城仕えのお坊ちゃんにはちと辛かったか」
 がはは、とわざとらしく笑い声を上げる男達に、むっとした表情で口を開くヒューゴ。
「無駄口叩いてないでさっさと進んでくださいよ。ただでさえ狭い道を塞がれたら他の人に迷惑でしょうが」
 ぴしゃりと窘められて、大仰に天を仰ぐ者あり、額に手をやる者あり。まったくこの隊はお調子者揃いだ。守備隊をお払い箱になったら、そのまま旅芸人の一座として巡業できそうな役者っぷりである。
「あーあ、可愛げがなくなっちまって、まったく」
「お前も大分、隊長に感化されちまったなあ」
 口が悪くなったことは自覚しているので、ぐっと押し黙るヒューゴ。
「先輩方には負けますよ。ほら、さっさと報告に戻りましょう。折角買い込んだ氷結酒が温くなりますよ」
「そうだったそうだった」
「隊長の分まで飲み干してやらんとなあ」
 途端にシャキッと背筋を伸ばし、速度を上げる男達。この、柄は悪いが気のいい「先輩方」のあしらい方も、この一月半でだいぶ慣れてしまった。
 白茶けた道の先、緩やかな丘のふもとに見えてきた白い天幕。その周囲には馬が何頭も繋がれており、まるで遊牧民の集落のような態をなしている。
「すっかり景色に溶け込んじまってるな」
 先頭を歩く一番の大男――ユースフが苦笑を漏らすのも無理はない。彼ら捜索隊がこの地を宿営地と定めて、すでに七日が経過している。今まで捜索のため数日間、町や村に滞在することはあったが、こんなに長い間一つの地に留まっていたことはこれが初めてだ。
「いっそこのまま、ここで羊でも飼って暮らすか」
 冗談めかして笑うユースフに、すかさず「無理無理」と手を振る仲間達。
「お前さんの風体じゃ、羊が怯えて逃げちまわあ」
「馬泥棒か山賊に間違えられるのがオチだな」
 己の風貌を棚に上げての台詞の数々に、ユースフも違いねえ、と笑ってみせた。
 ナジード率いる捜索隊のほとんどは、首都ローレング守備隊の精鋭だ――といえば聞こえはいいが、そのほとんどが傭兵上がりである。
 隊長のナジード自身、生まれこそ北大陸だが、十年ほど前までは傭兵としてあちこちの戦場を渡り歩いており、そんな彼を慕って北大陸までついてきた物好きな連中が、そのまま守備隊員として収まった訳だ。
「お、そろそろ昼飯の時間か」
 天幕の間から白い煙が立ち上っているのを目ざとく発見して、色めき立つ隊員達。
「今日の当番は何処の班だ?」
「順番から行くとシーヴェス班じゃないか。だとすると激辛か。うへえ」
「南の料理は香辛料がきついからなあ」
「ほら、さっさと行こうぜ。食いっぱぐれちまう」
「うわ、待ってくださいよ!」
 まるで子どもの駆け比べのように全速力で走り出した「先輩方」に置いていかれまいと、必死に足を動かすヒューゴ。
 天幕までは、あと少しだ。


 天幕の外から賑やかな声が聞こえてきて、ナジードは広げていた書簡から顔を上げると、誰にともなく呟いた。
「やかましい連中のご帰還か。思いのほか早かったな」
 再び椅子に背を預け、手にしていた『緊急指令書』に目を落とす。
 伝令が運んできた一通の書簡。王家の紋章の透かしが入ったその書簡には、装丁の優美さとは裏腹に、実に物騒な内容が記されていた。
「――生死不問、ねえ」
 まるで指名手配書にあるような定番の文面。しかしその内容に、その場にいた人間が声を揃えて「はあ?」と素っ頓狂な声を上げてしまったのは、つい昨日のことだ。
「何度読み返しても、ひでえ冗談としか思えんよな」
 ナジードの呟きを掻き消すように、天幕の入口から突風のごとき勢いでなだれ込んできたのは、最北端の町エンリカまで聞き込みに行っていた隊員達だった。
「隊長! 王女と神官さんを討伐って、一体何事ですか!!」
 珍しくも先陣を切ってやってきたヒューゴに、ナジードは馬でも宥めるような仕草をしてみせてから、手にしていた書簡を広げてみせる。
 食い入るように見つめるヒューゴの背後からにゅっと首を伸ばし、胴間声でそれを読み上げてみせたのは、古参兵のユースフだ。
「なになに? 『王女を騙り国王暗殺を謀った魔族―俗称:セシル―並びに、その魔族に加担した怪盗《月夜の貴公子》ことラウル=エバストの速やかなる討伐を命ずる。国王代理 ノレヴィス公爵』――ときたもんだ」
「おいユースフ、ちゃんと最後まで読めよ。……へえ、『生死不問、生きて捕えた場合は直ちに王城へ連行すること』ねえ。面白い冗談だな」
「笑えない冗談が面白いもんかよ」
 いつもならげらげらと笑い飛ばすところだが、さしものユースフも、苦虫を噛み潰したような表情で、むうと腕を組む。
「隊長! ローラ様が、魔族って!」
 混乱のあまりか、泣きそうな顔になっているヒューゴに、ナジードは書簡を机に投げ出すと、ひょいと肩をすくめてみせた。
「よく分からんが、そういうことらしい。すでに国中にお触れが出ているそうだ。この辺りまで広まるのはもう少し時間がかかるだろうがな。賞金額も上がった上に生死不問になったからな、賞金稼ぎどもがますます息巻いてるらしいぞ」
「そんなっ……だって……」
 先ほど外でヒューゴ達を迎えてくれた隊員から聞いた話では、このとんでもない指令書が届けられたのは昨夜のことだったという。
 指令書に入った日付は六の月七日。首都からこの辺境地域まで五日で届いたのだから、伝令の空人達は相当に無理をさせられたに違いない。
「どうしていつものように魔法で連絡してこなかったんですかねえ? その方が手っ取り早いでしょうに」
 首を捻るユースフに、ナジードはくく、と喉の奥で笑い声を立てた。
「大方、こないだヴァレルが怒りに任せて鏡をぶっ壊したんだろうよ。あれ以降、こっちから連絡をしてもうんともすんとも言わないからな」
「隊長! そんなこと言ってる場合じゃ――」
「まあ待て」
 激昂するヒューゴを片手で制し、ナジードは広げていた書簡を傍らに押しのけると、机の上でおもむろに指を組んだ。
「この件は後回しだ。まずはお前らの報告を聞きたい。ユースフ。エンリカの様子はどうだった」