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第五章[21] | |
ばん、と勢いよく窓を開ければ、いつもと変わらぬ裏路地の光景が飛び込んでくる。 「うん。今日もいい天気」 例年、この時期はぱっとしない天気が続くことが多いのだが、ここのところ晴天続きだったから、それだけで何となく気持ちがいいものだ。 蝋燭を売って生計を立てているソーニャにとっては、曇天や雨天続きの方が売れ行きが良くて助かるのだが、天気の悪い中を歩き回るのはあまり気分のいいものではない。 「お姉ちゃん、もうお仕事に行くの?」 朝食の片づけを終えた妹の声に、ソーニャは商売道具の詰まった籠を摘み上げて頷いてみせた。 「そうよ、これから日が伸びれば伸びるほど、売上げが落ちるんだもの。稼げる時に稼いでおかないと。お洗濯とお掃除、あとお母さんの看病、よろしくね!」 体の弱い母に代わって家事を切り盛りする弟妹達にしっかりと言い含め、上機嫌で町に繰り出せば、待ちかねていたように雲間から太陽が顔を覗かせた。 「うわあ、眩しい」 北大陸の夏は短い。冬将軍の猛攻を掻い潜ってようやく顔を出したかと思えば、すぐに勢いを失って退却していく。例年だと、まだ長袖が手放せない時期なのだが、今日は半袖でちょうどいいくらいだ。 「今日は洗濯物がよく乾くわね」 気を利かせて敷布を洗ってくれればいいんだけど、などと考えながら、いつもの道を辿っていく。 蝋燭売りは地道な商売だが、お得意さんさえ掴んでしまえば食いっぱぐれることはない。今日も馴染みの宿屋と酒場を回り、他愛ない話をしながら蝋燭を売り歩く。 そうして数軒の店を回ったところで、気になる話を聞いた。なんでも警備隊詰め所が朝から騒がしいというのだ。 「なぁに? また怪盗騒ぎでも起きたの?」 一月半くらい前に世間を騒がせた怪盗《月夜の貴公子》の一件は、まだ記憶に新しい。とはいえ、町に回ってきた指名手配書はすでに子どもの落書きだらけで、半分ほど破けてどこかに行っているし、人々の関心も薄れてしまっている。 皮肉めいたソーニャの言葉に、酒場の店主は肩をすくめて答えた。 「さあねえ。よく分からないけど、聞いた話じゃ昼に広場で何かの発表があるらしいぜ」 「へえ。そうなんだ」 さして興味を惹かれず、その場はそう受け流したソーニャだったが、ちょうど昼頃に広場の近くを通ったところでふと酒場の店主の話を思い出し、ちょっとだけ覗くつもりで広場へと足を踏み入れた。 その途端、むせ返るような人いきれに思わず後ずさりし、何これ、と呟く。 どうやら、警備隊による発表がちょうど終わったところだったようで、人混みを掻き分けるようにして広場を後にする隊員達の姿が彼方に見えた。 一方、三々五々と散って行く人々は、口々に「信じられない」だの「許せない」だのと憤っており、しかし中には涙ぐんでいる人もいて、もう訳が分からない。 見知った顔でもいればと辺りをきょろきょろと見回したが、こういう時に限って知り合いの姿がどこにもない。その代わりに、広場の片隅にある掲示板に何か新しく貼り出されているのを見つけて、よし、と拳を固めた。 「ちょっと、すいません! 通して! 通してください!」 人の流れに逆らって、どうにか掲示板の前へと辿り着いたソーニャの目に飛び込んできたのは、怪盗《月夜の貴公子》の手配書の上に新しく貼り出された手配書と、その隣に並んだお触書き。 よほど焦っていたのか、看過できないくらいに曲がって貼られた手配書に描かれていたのは、紅茶色の髪の少女だった。どこかで見たことのあるような、と首を捻りつつ、隣のお触書きに目を移す。 王家の紋章が浮き出た上質の紙に記された文章は、十歳のソーニャには分かりづらい難解な言い回しを重ねていたが、どうにか読み解いて、ますます首を傾げた。 「王女様が――魔族?」
瞬く間にローラ国中を駆け巡ったこのお触書きは、初めて公にされたローラ王女の素顔と共に、人々の記憶に深く刻み込まれることとなる。 ――そして。 混迷の渦から静かに浮かび上がる、一つの疑問――。 「それじゃあ――怪盗《月夜の貴公子》は、誰だったんだ?」 |
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第五章・終◇ | |
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