第六章[5]
「どーもー! お届け物でーす!」
 元気よく現れた空人の少女に、受付で雑談に花を咲かせていたゼノンとリューグは一瞬肩を震わせて、すぐになあんだと表情を和らげる。
「ティーエちゃんか。最近、忙しそうだね」
 少女はエルドナ以西の一帯を担当している配達員の一人で、担当地域への配達がない時はこうしてエルドナ市街地の配達も行っている。気持ちの良い笑顔で配達をこなす彼女は、あちこちに隠れ愛好者がいるほどの人気者なのだが、そのことに気づいている様子はない。
「また手配書?」
「いえ、今日のお届けものは、王宮からの通達です」
 そう言ってティーエが鞄から取り出したのは、紫紺の封蝋で止められた一通の手紙だ。それを見た途端、うへえと顔をしかめる二人に苦笑を漏らしつつ、どうぞと手渡す。
「またかよ。これ、国中の魔術士ギルドに送られてるんだろ? 王宮も暇だよなあ」
「《魔鏡》で連絡してくるだけでもうんざりなのに、文書もって、ホントいい加減にしてほしいよなあ」
 げんなりした様子を隠そうともせず、封蝋に手をかざすゼノン。途端に封蝋が消滅し、ぱたんと開いた封筒から便箋がするりと飛び出してくる。
「わあ、すごい!」
 思わず驚きの声を上げるティーエに、年若き魔術士はどこか照れくさそうにぱたぱたと手を振ってみせた。
「なに、こんなの初歩的な魔法だって。さて……ああ、やっぱり。また同じ文面だよ。しつこいなあ」
 王女誘拐事件が発生して以降、各地の魔術士ギルドに送られている通達文。当初は手配書と同じような内容だったが、数日前から内容が若干変わってきた。
「『魔族に関する情報を得ようとする者、また召喚魔術の使い手を探す者が現れたら、拘束の上、王宮に連絡せよ』って言われてもなあ」
「ここ半月くらいでギルドに来たお客さんなんて、ティーエちゃんくらいなもんだよ」
 叡智の粋を極めた『魔術士の塔』と連携した機関とはいえ、魔術士ギルドなど世間一般から見れば『怪しげな連中の集まり』でしかない。やってくるのは同業者か、何か魔術に関する情報を得ようとする冒険者くらいのものだ。まして、魔術があまり盛んではないローラ国内においては魔術士自体の人口が少なく、従ってギルドは弱体化の一途を辿っている。構成員も少なければ、寄せられる依頼も数えるほどだ。
「まあ、仕方ないよな。俺だって魔術士になる前は、こんな怪しげなところに近寄ろうとは思わなかったし」
「違いないや」
 自嘲めいた笑いを浮かべ、それにしても、と掲示板に視線を向けるリューグ。
 魔術士ギルドの信条や仕事の依頼、試験日程などが乱雑に張られた掲示板。そこでひときわ異彩を放っている、一枚の手配書。
 ついこの前まで、そこに描かれていた人物は黒髪の男だった。王女誘拐犯としてその名を轟かせたユーク神官、ラウル=エバスト。怪盗《月夜の貴公子》を名乗って王城へと侵入、王女ローラをかどわかして逃走中の指名手配犯。捕らえた者には金貨三百枚、しかも生死不問という破格の条件に、国中の賞金稼ぎが沸いたことは言うまでもない。
 しかし、先日新たに配られた手配書は、国中を震撼させる内容だった。
「王女様が魔族、ねえ」
 手配書に描かれているのは、紅茶色の髪の少女。それまで出回っていた肖像画とは大分印象が異なるが、その溌剌とした笑顔は、まるで太陽のように暖かく、そして眩しい。
 この少女が魔族――御伽噺に出てくるような凶暴な化物――だと言われても、いまいちピンと来ないのは、ティーエだけではないようだ。
「未だに信じられないよなあ。ここまでちゃんとした人型の魔族を呼び出すなんて、どんだけ高度な召喚術だよ」
「馬鹿いえ、これが真の姿なわけないだろ。きっと幻魔族なんだ。姿形を変えるのなんざお手の物だよ」
「そうかもしれないけど、うちの師匠が使役してた幻魔なんて、変化させても一刻と持たなかったぞ」
「あー……。あの人、召喚術はあんまり得意じゃなかったもんなあ」
「当たり前だろ、専門は魔法薬の研究だぞ」
 どんどん論点がずれていく二人の会話を聞き流しつつ、ティーエは新たな手配書をまじまじと見上げ、心の中で溜息をつく。
(一体、どうなってるんだろう……? 王女様が魔族で、国家転覆を企んでいて? それじゃあ、ラウルさんは?)
 王女誘拐事件はすっかり鳴りを潜め、世間では第二王妃ソフィアと王女になりすましていた魔族の話でもちきりだ。
 主要な街道には検問所が設けられ、首都への出入りも厳しく制限されていると聞く。
「召喚系の魔術は難しいからなあ。魔法陣を描くだけでも一苦労だし」
「しかも、十年以上の長期契約だぜ? どんだけの代償が必要なんだよ」
「術者の寿命を削るしかないんじゃないか。ああ、だからソフィア様はあんなに早くに亡くなったのかもなあ」
 白熱していく論議の内容が気になって、ティーエはおずおずと二人の会話に割り込んだ。
「あ、あのっ!」
「ん? どうしたの、ティーエちゃん」
「私、魔法のことってよく分からないんですけど、魔族を呼び出すのって、そんなに大変なことなんですか?」
 ティーエの言葉に、魔術士二人は揃ってこくこくと頷いた。
「そもそも、召喚魔術――つまり、月に住んでる魔族をこの地上へと呼び出す魔法なんだけど、それを使える魔術士自体すごく少ないんだ。すごく難しいし、生まれ持っての適性みたいなのがあってね。魔術士なら誰でも使えるわけじゃない」
「俺達も一通りの理論は学んだけど、召喚できたのはごく低級の魔族だったし、それもほんの一日か二日使役するのがようやっとだったよ」
 主の命令なしでも自立行動がとれるほどの知性を持った上級魔族を呼び出せる魔術士など、魔術士の教育・研究機関である『魔術士の塔』にもなかなかいない。
「あー、そういや『北の塔』に、他の魔術はそこそこなのに、召喚魔術だけやたら上手い奴がいるって話だよ」
「それもまたすごいな。一種の才能だよ、才能」
 また違う方向に逸れていく魔術士達。そんな二人をたしなめるように、壁掛け時計がぼーん、ぼーんと昼の二刻を告げ、ティーエは弾かれたようにあたふたと鞄の蓋をしめると、ありがとうございます、と頭を下げた。
「長話をしてしまってすみません! それじゃあまた!」
「はいよ。ご苦労様!」
「また天気が悪くなるみたいだから、気をつけてね」
「はい! ありがとうございます」
 それじゃあまた、と愛想よく手を振って去って行ったティーエを見送って、はたと顔を見合わせる二人。
「あー。今の場合も『魔族に関する情報を得ようとする者』ってことになるのか?」
 先ほどの通達を思い出し、慌てるゼノンに、いやいや、と手を振るリューグ。
「顔なじみの子なんだし、あの程度なら構わないだろ」
「だよなあ。ティーエちゃんが連中と知り合いなわけないし」
 あっはっは、と笑いあったところで、再び正面の扉がぎい、と開いた。
「あれ、ティーエちゃん、忘れも――」
「馬鹿! お客さんだよ!」
 浮かれた声を出すゼノンの頭を叩きつつ、愛想笑いを浮かべるリューグ。
「魔術士ギルドへようこそ!」
 一日のうちに二人も来客があるとは珍しいこともあるもんだ、とシャキッと背を伸ばす二人。
 おずおずと入ってきたのは、どうやら遠方からの旅人のようだった。外套についた頭巾を目深に被り、裾からは長剣の鞘が見え隠れしている。なかなかに怪しげな風貌だが、魔術士ギルドに来る客は変わり者が多かったから、二人は特に気にも留めず、立ち止まってじっとこちらを窺っている客人に愛想よく声をかけた。
「ご用件は?」
「依頼ですか? それとも魔術に関するご相談ですかぁ?」
 そんな問いかけに、 旅装の客人は少し考えて、意を決したように口を開いた。
「すみません。至急『北の塔』の魔術士と連絡が取りたいのですが、可能でしょうか?」
「『北の塔』ですか? ええ、可能ですとも」
 魔術士ギルドにやって来る客人の依頼としては珍しい類だが、北大陸にある魔術士ギルドのうち、主要な支部には《魔鏡》と呼ばれる魔具が設置されていて、緊急時の連絡のみならず、ちょっとした打ち合わせや個人的な近況報告など、日常的に使用されている。
「うちにいらしたとは運がいい。ここには『塔』で使われているものと同じ、最高峰の技術を詰め込んだ《魔鏡》があるんですよ!」
 単に、当代のギルド長が魔具制作に凝っており、趣味で作ったものが置いてあるだけなのだが、こんな辺境地域の寂れたギルドには似つかわしくない、まるで王宮の貴婦人が使っていそうな華美な装飾つきの巨大な《魔鏡》は、設置できる場所が見つからず、わざわざ倉庫を一つ潰して専用の部屋を用意したほどだ。
「それは助かります。是非お願いいたします」
 ほっとした様子の客人に、おずおずと問いかけるゼノン。
「それで、その……『北の塔』のどなたにお繋ぎすれば宜しいですか?」
 『塔』に所属する魔術士は、責任者である『三賢人』から倉庫番に至るまで、すべてがファーン全土から集められた腕利きの魔術士達だ。一介のギルド員からすれば、それこそ「雲の上の人物」である。そこに繋げと言ってくるこの客人も、恐らく只者ではあるまい。
 固唾を飲んで返答を待つ二人に、客人は玲瓏たる声で答えた。
「――『北の塔』三賢人のアルメイア・ミラ=ロスマリヌスをお願いします。もし彼女が不在なら、ユリシエラ・リル=ロスマリヌスを」
 とんでもない名前が二つも飛び出てきて、思わず震え上がる二人。
 『北の塔』三賢人のアルメイアとユリシエラ。北大陸の魔術士ならば、その名を知らぬ者はいない。
「き、『北の魔女』のお知り合いですかァ!?」
「馬鹿! 失礼だろ! すみません、失礼ですがお名前を……」
 思わず声が裏返ったゼノンをどつきつつ、恐る恐る尋ねれば、客人は美しく整えられた眉を僅かに顰めてしばし沈黙し――そして意を決したように口を開いた。
「『竜の巣の番人』と伝えてください。それで分かるはずです」