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第一章[10] |
「じゃあ、これは謎の卵(仮称)ということにしましょう。あくまでも、(仮称)です」 帳面にそう書き込んでいくカイト。名前をつければいいというものではないのだが。 「仮称でもなんでもいいから、これをどうすればいいのか教えてくれよ」 ラウルの言葉にカイトは、ずり落ちてきた眼鏡を上げながら、 「注意深く観察する必要がありますよ。何しろ、前代未聞の卵なんですから。ひとまず形態からいって一番近いであろう鳥の卵と同じ育て方をするしかないと思いますね。即ち、暖める」 ぴっと指を立てて言うカイトに、ラウルが頭を抱える。 「なあ、それって俺が育てること前提で言ってるだろ」 「もちろんじゃないですか。育てない気なんですか?」 さも当然のことのように言ってのけるカイトに、ラウルは本気で頭が痛くなった。 (マリオといいこいつといい、どうしてこんな卵に同情的なんだ?) 見た瞬間、まず関わりたくないと思ってしまったラウルからすれば、この二人は人が良すぎるとしか言いようがない。 「暖めるったって、どのくらいの温度であっためりゃいいんだ?」 もっともなエスタスの言葉に、マリオがそれに、と付け加える。 「鳥の卵だとすればずっと抱えて暖めて、時々回してやんなきゃいけないんですよ? この大きさだとちょっとキツくないですか?」 「詳しいな、マリオ」 「僕んち、にわとり飼ってるんですよ」 えっへんと胸を張るマリオ。と言ってもこの村ではほとんどの家が鶏なり豚なり牛なり、何らかの家畜を飼っている。 「うーん、ひとまず下手に刺激を与えない方がいいんじゃないですかね? 僕も鳥は専門じゃないから詳しいことは言えませんけど、まあ暖めて悪いってことはないと思うんです」 カイトの言葉に、ラウルは一瞬自分がニワトリよろしく卵を抱きかかえて温めている姿を想像してしまった。そのラウルの胸中を察したのか、カイトはすぐに付け加える。 「まあ、鳥のようにとは無理でしょうから、ひとまず、もっと毛布に包んでやった方がいいと思いますね。まだ寒い時期ですし」 ラウルがほっと胸を撫で下ろす。 「それじゃあ、僕毛布取ってきます!」 嬉々として家を出て行くマリオ。おー、と力なく見送ったラウルの肩を、ぽんぽんと叩く者があった。 「ん?」 見ると、卵を食卓に戻したらしいアイシャが、ある方向を指し示している。 「あれ、あのまま?」 その視線の示す先では、先ほど五人で運んできたばかりの書庫の本やら祭具やらが、盛大に雪崩を起こしていた。 「うわ〜、本が! しまった、僕としたことが、卵に気をとられて……! ラウルさん、早く何とかしないと本が傷んじゃいますっ!」 カイトが慌てて走り寄り、本をまとめ出す。ラウルも慌ててそれに倣った。書庫の本は古い物が多い。ちょっとのことでバラバラになってしまうことも十分ありえる。 「ひとまずどこにおきましょう?」 「あ、ああ、奥の書斎に……」 「あの扉ですね! 分かりました。分類は後回しで構いませんよね」 持てるだけの本をがしっと持ち上げて、てきぱきと動くカイトに、ラウルが呆気に取られていると、エスタスが苦笑いを浮かべながら、 「あいつ、本に関して異常なほどこだわり持ってるらしくて……。前からゲルク様に頼み込んで書庫の本を読ませてもらってたりしたんですよ」 「なるほど……」 二百年程前に活版印刷が発明されてから、本はかつてのような希少品ではなくなった。しかし、今でも高価な品であることは否めない。まして彼らのように定住地を持たない者にとっては、嵩張る本を数多く持ち歩くこともかなわないだろう。 「そういや、あんた達は随分この村に馴染んでるようだが、いつぐらいからここにいるんだ?」 しゃきしゃきと本を運んでいくカイトを横目で見ながら、ラウルはふと気になって尋ねてみた。 「そうだなあ、もう一年半くらいにはなりますね。この村と遺跡を往復して、何か見つかった時には、ちょっと遠いエルドナって街まで行って鑑定してもらうんです。その三箇所の往復ばっかりですね」 「そうか……。でも、あの遺跡はもう発掘し尽くされてるんじゃないのか? そうそうお宝が見つかるってこともないだろうに」 「そうなんですけどね。それでも時々、新たな発見があるところが楽しいんですよ。カイトなんかは遺跡内の詳しい地図を作るのを、もう生き甲斐にしてますからね」 なるほど、彼なら舌なめずりをしてやりそうだ。 「そのうち、ラウルさんもご一緒しませんか? 話のタネにはなりますよ」 そうだなあ、と返事して、はたとラウルはあることに気づいた。そう、口止めをしておかなければならない。 「そうそう、この卵のことは――」 ひとまず村の人間には内緒に、と言おうとした矢先に、玄関の扉がバンッと開いた。 「神官さーん、ゲルク様が神殿にいらっしゃってるだよー」 神殿の復旧工事を手伝ってくれている村人達がどやどやと部屋に入ってくる。 そして、わたわたと卵を隠そうとするラウルの努力空しく、食卓の上にでん、と載った卵を見て目を丸くした。 「なんだべ、そのどでかい卵は?」 「神官さんが持ってきたのか?」 「いやー、何の卵だぁ?」 「いや、あの……」 ラウルが言葉に詰まっていると、村人達の後ろから現れたマリオが、 「凄いでしょう? 何の卵か分からないんですけど、ラウルさんが拾ったんですよ」 と、いともあっさり答えてしまう。 (おいっ……!) しまったとラウルが思ったがすでに手遅れだった。 「いやあの、皆さん……」 「ほぉ〜、こんなでっかい卵、初めて見ただよ〜」 「こんな珍しい物、一体どこで手に入れたんだ?」 「落ちてたんですよ、この家の玄関に」 持ってきた毛布で卵を包みながら、ぺらぺらと質問に答えているマリオ。 「こりゃ一大事だ。村のみんなに知らさなきゃなあ」 「そうだな」 「あ、あのちょっと皆さん……」 「いやぁ、こんな珍しい卵が落ちてきたなんて、みんな聞いたら腰ぬかすぞ」 「それじゃオラは村長さんに知らせてくるだよ」 「それじゃ俺はじいさまの所に……」 何やら、彼らの間で勝手に話がまとまっている。慌ててラウルが割って入ろうとしたが、 「それじゃ神官さん、神殿でゲルク様がお待ちだて、早く行ってあげてくだせえ」 と、用件だけ最後に言い残し、さっさと出て行ってしまった。 静まり返った部屋に、緊迫した雰囲気が流れる。 「あ、あの……。話しちゃまずかったですか?」 ラウルの視線に気づいたのか、マリオがおずおずと切り出す。 「ああ。盛大にな」 噂好きの村人達のことだ。どのくらいの速さで村中に広まることか。 「別に隠すことじゃないんじゃないですか? どっかから盗んできたんじゃないんだし」 エスタスが言うが、カイトがいやいやと言葉を返した。 「甘いですよエスタス。この噂がどんどん広がったら、物珍しさに学者や好事家がぞろぞろ押し寄せるかもしれませんよ? そんな人達に寄ってたかっていじられたら……」 そのカイトの言葉に、ラウルは希望の光明を見出した。 (そうか! そうなったら、誰かに売っちまうってことも出来るよな) 途端に表情の明るくなったラウル。マリオの頭をぽんぽん叩きながら、 「ま、言っちまったもんは仕方ないさ、マリオ。だけど、お前何でも正直に言い過ぎだぞ? その調子で俺のことまでペラペラと……」 はっと気づいて言葉を止めるが、もう遅い。三人組はにこにこと、ラウルを見つめていた。なんと、あのアイシャまでもが微妙に笑顔を覗かせている。 「あ、いやその……」 「ラウルさんって、結構気さくな人なんですね。そっちの方が話しやすくていいですよ」 「その『俺のこと』って、気になりますねえ〜」 「楽にした方がいい」 今までの苦労がなんとやら。ラウルはがっくりと肩を落とした。 (はぁ……やっぱ、慣れないとすぐにぼろが出るもんだな……) しかし、一度口から飛び出した言葉を唇に戻すことは出来ない。ちょっとなら隠せもするが、気さくな彼らの調子につい、随分素のままで話していた気がする。 「こんな辺境に、こんな若い神官さんが来たっていうのはおかしいと思ったんですよ。志願してきたようにも見えませんでしたし。となれば……」 「飛ばされた」 アイシャの言葉がぐさりと突き刺さる。慌てたカイトが、 「でも、ここはいい所ですよ。空気はきれいだし、村の人は親切だし」 と慰めてくれたが、その後を引き継いで、 「春と夏は短くて、冬は長く厳しい上に凍死者が出ることもある」 無表情にまぜっかえすアイシャ。 (このアマ……) 頭を抱えながら、ラウルは三人をしっかと見据えて懇願した。 「頼むから、村の人間に言いふらさないでくれよ。マリオ! お前もだぞ。いいな」 「何をですか?」 首を傾げるマリオの答えに、ラウルはがっくりと肩を落とす。今朝方、釘を刺したばかりだというのに、この天然ボケしたお坊ちゃまはそのことをすっぱりと頭から消去してのけたらしい。 「俺は、ここでは礼儀正しい、くそ真面目な神官でいたいんだ! だから、本当は口が悪いだの乱暴者だの喧嘩して飛ばされただの、言いふらすなよって今朝言っただろ!」 「あ、そのことですかぁ。やだなあ、言うわけないじゃないですか」 ケラケラと笑うマリオだが、危ないものである。自分からは言わないかもしれないが、聞かれたらペラペラと喋っていそうだ。 「あんた達も頼むぜ。俺は早いトコ、首都に戻りたいんだよ」 その為には、真面目に務めていたという評価が必要なのだ。 「言いふらしたりしませんよ。ルースに誓って、お約束します」 カイトが印を切って宣言した。エスタスとアイシャも黙って頷く。 この三人はマリオと違って口が堅そうだ。ラウルは頼むぜ、と頭を下げた。 「あ! そうだ」 マリオが唐突に立ち上がる。 「ゲルク様が来てるって言ってましたよね? 早く行かないと大変ですよ」 老人を待たせると後が厄介である。 ラウルはひとまず気を取り直して、椅子から立ち上がった。 「それじゃ、とりあえず神殿に戻るとしようか」 気が進まないが、行かない訳にはいかない。ラウルは溜め息をつきつつ、玄関へと向かった。 |
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