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第一章[11] |
「遅い! 何しとったんじゃ!」 顔を見るなり一喝してきたゲルクに、ラウルは一瞬怯みながらもどうにか笑顔を取り繕って答える。 「すいません、祭具の点検をしていましたもので」 しらっと嘘をつきつつ、近くにいたエリナをそっと窺うと、申し訳なさそうな顔をしたエリナは、 「ごめんなさい、ラウルさんが出て行って少ししたら、急に来ちゃって……。今日は釣りに行くって言ってたんですけど……」 と囁いてきた。 「そうなんですか……」 そんな二人のやりとりに気づいているのかいないのか、ゲルク老人はふん、と鼻を鳴らして、大事そうに抱えていた何冊かの冊子と、古びた鍵をラウルに差し出してくる。 「これは?」 ひとまず受け取って尋ねると、ゲルクは見て分からんか、という顔で、まず冊子の方を指差した。 「日誌じゃ。ワシがこの分神殿に赴任して六十余年、一日も欠かさずつけておった」 一番上の冊子は新しいもので、表紙に『ファーン新世暦一四〇年』と記されている。つまり今年だ。 失礼、と断ってから頁をめくる。中には、その日に起こったことが事細かに記されていた。誰が相談事を持ちかけてきた、どこどこの馬が集団で逃げ出したなど、神殿には関係ないことまでが細かく記されている。今年のものだから、まだ半分以上が白紙のままだ。 「ワシの代わりにお前さんが続きを書くんじゃ。一日も欠かさずじゃぞ!」 ゲルクの言葉にラウルは神妙に頷いた。この日誌には、ゲルク老人とこの村のこと全てが詰まっている。つまりは―― (引継ぎってことか……) 日誌を託し、続きを書けと命じたことこそが、ゲルク老人なりの引継ぎなのだろう。いかにも頑固で融通の利かない老人のやることだが、彼なりにラウルに対して態度を軟化させた証であろう。 「残りの日誌は家にある。それを読み終えたら取りに来るといい」 そう言って、今度は鍵を指差す。 「これは金庫の鍵じゃ」 そう言ってゲルク老人は奥の部屋に向かって歩き出した。そしてくるっと振り返ると、来い来い、とラウルを手招きする。 奥の部屋は、ここで暮らす神官の部屋となっているようだった。先程本を運び出した書斎と、そこから続く寝室、そして台所や物置などがあるが、突風のおかげでぐちゃぐちゃに荒れている。 散乱した瓦礫やら家具をひょいひょいと避けて、寝室の本棚まで辿り着くと、 「ここじゃ」 と、ゲルク老人は本棚の下の方を指差した。ラウルがしゃがんで覗くと、そこには本と本に挟まれるようにして、小さな金庫が据え付けられていた。 「神殿の運営費用や重要な書類を保管しとった。重いものじゃて、運び出せんでな」 小ぶりだが、金属製のかなり重そうな金庫である。ゲルク老人が運び出せなかったのも無理もない。 「それじゃ渡したぞ。ここでは無用心だ。おまえさんの小屋にでも運んで、責任持って管理せい!」 ゲルク老人はそれだけ言うと、くるりと踵を返してさっさと部屋を出て行った。 そして思い出したように振り返り、まだ部屋の中にいるラウルに、 「そうそう、神殿再建には時間もかかるだろうて、おまえさんも神殿の仕事だけではなく、副業でも持った方がええぞ」 と付け加える。 おや? とラウルが考える間もなく、ゲルクは軽快な足取りで歩き出していった。 「おじいちゃま、どこへ行くの?」 「釣りじゃ。大物を釣り上げてくるからな。楽しみにしとるんじゃぞ、エリナ」 「うん。でも、気をつけてね」 心配そうな孫娘の声に送られて、楽しそうに去っていくゲルク老人。 (副業を勧めるなんて、意外だな……) 勤めに専念しろと言われるかと思っただけに、少々面食らったラウルだったが、さほど深く考えずに礼拝堂へと戻る。するとそこには、尊敬の眼差しでこちらを見つめる村人達の姿があった。 「神官さん、スゴイだなあ。あの頑固じいさんからよく認められたもんだ」 「ホント、ほんと。これで村の年寄りも一安心だで」 「若いのに凄いお人だなあ。こんな田舎にいるのが勿体ないだよ」 もう、べた褒めである。誉められて悪い気はしないが、 (認められたっていうか、ただ言いくるめただけだしなあ) 面の皮の厚いラウルでも、少々気が咎めた。 |
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