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第三章[14]

「……続いては夏祭の由来についてじゃが、そもそも夏祭が始まったのは、今から六十年程前のことじゃ」
 ゲルク老人の声が書斎に響く。神職につくものというのは美声の持ち主が多い。声の響く神殿にて大勢を前に説法を行うため、自然に発声も発音も良くなるものらしいが、それを差し引いてもゲルクの声は、深みのある、落ち着いた声であった。
 しかし、どんな美声も長く聞けば飽きるというものだ。すでに一刻ほど続いているゲルクの話を、ラウルは少々ウンザリした表情で、しかし表面上はおとなしく聞いていた。
 夏祭まであと十日。使者の役目を引き受けた以上、きちんとこなさなければならない。という訳でゲルクにその儀式の手順などを聞きに来たのだが、この調子でなかなか本題に入らず、延々と昔話を聞く羽目になっている。
(ねむ……)
 説法を右から左に聞き流すのは得意技だが、こうも続くと流石にきつい。
「……それまで、この辺りには秋の収穫祭と新年の祭しかなく、それらも細々と行われているだけじゃった。しかしファーン新世暦五二年、時のローラ国王ウォート七世は――」
「おじいちゃま! そんな調子じゃ、日が暮れちゃうわ」
 唐突に響いた少女の声が、ゲルクの言葉を遮る。
「おお、エリナ」
 救いの手は意外なところから差し伸べられた。書斎にお茶とお菓子を運んできたエリナは呆れた顔で二人の前にお茶を並べ、お盆片手にゲルクに向かう。
「前置きはいいから、早くラウルさんに儀式の進行についてお話してあげてよ」
「しかしだな……」
 まだ喋り足りないらしいゲルクに、しかしエリナは、
「仮縫いが終わった衣装を合わせてもらいたいんだから、早く! トルテも待ってるのよ」
 と一歩も引かない。
(そっちか……)
 純粋な救いの手ではなかったようだ。しかしかわいい孫の言葉に、ゲルクは渋々ながらも肝心の儀式について話し始める。
「それでは、祭の詳しい由来などはまたの機会に話すとして、儀式について説明するとしよう」
「終わったらすぐ呼んでね!」
 釘を刺して書斎から立ち去るエリナ。扉がバタン、と閉まったのを確認してから、ゲルクは溜め息をついて再び口を開いた。
「まず、儀式は使者の口上から始まる。その文句じゃが……」
 ゲルクはたどたどしく口上を述べ始めたが、五、六節も行かないうちに溜め息をついて中断し、机の上に置かれていた薄い冊子をラウルに手渡す。
「これは?」
 表紙には、「夏祭―使者の心得―」と書かれている。大分古びているが、ゲルクの字であることは確かだ。
 ゲルクはふんぞり返ってラウルを見ると、
「進行や口上については、そこに書いてある通りじゃ。当日までに口上は暗記するんじゃぞ!」
 と、去年の自分を見事に棚に上げて言ってのけた。
 兎にも角にも、夏祭まであと十日。
(こりゃ、えらいこと引き受けちまったかもなあ……)
 今更後悔しても、もう遅い。

第三章・終
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