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第三章[13]

「なんでも、卵を盗もうとした盗賊がいたんだってよ」
「それ、結局盗みそこなった上に、盗賊ギルドの制裁を受けたんでしょう? まあ、怖い」
「いや、卵が不思議な力で盗賊を叩きのめしたって聞いただよ?」
「なんてったって、竜の卵なんだろ?」
「ああ、そうだってねえ。いやはや、ものすごいものを拾いなさったね、ラウルさんは」
 そんな噂がラウルの耳に入るようになったのは、七の月も終わりに近い頃だ。
「なんか、随分と広まってますね」
 益々人気者になりましたね、と言ってくるエスタスに、しめしめ、とほくそ笑むラウル。これだけ噂を流せば、例え卵を手に入れようとしている者がいたとしても、慎重な行動を取ることを余儀なくされるはずだ。
 しかし誤算もあった。
「神官さん、おらんとこの婆さんも見て下さいだよ」
「その次はうちの父ちゃんをお願いします」
 どうやら、エストに新しくやってきた神官は医術の心得があるという噂まで広まったようなのだ。
(くそ、あのガキめ……)
 次々にやってくる村人達に、引きつった笑顔を返しながら、ラウルは毒づく。
(余計な噂流しやがって……)
 いや、もしかしたら、シリンではなくその母親が村の人間に話し、それがどんどん広がっただけかもしれないのだが、何にせよこの噂のおかげで仕事が急増してしまったのは事実である。
「はいはい、分かってます。順番に回りますから」
 おかげで村中の年寄りやら怪我人を往診する羽目になってしまった。しまいには近隣からも往診の依頼が来て、まさにてんてこ舞いだ。
 こうなると分かっていたから、あまり大っぴらにしていなかったというのに。
「神官様も人が悪いだよ。どうしてもっと早く言ってくれなかった?」
 何年も前から関節の痛みに苦しんでいるという農家の親父は、感謝しつつもそうラウルに言ってくる。
「はあ、何分本業ではありませんし、きちんとした医師とは比べ物になりませんから」
 困ったように笑いながら答えるラウル。事実、ラウルには重度の怪我や病気の治療など出来ないし、ましてガイリア神官のように奇跡の術で人を癒すことが出来ない。
「でも、ユーク様が怪我や病気の治療まで司ってるとは知らなかったよ」
「ゲルク様はそんなこと、全然おっしゃらなかったしなあ」
 首を傾げる村人達に、ラウルは冷や汗をかきつつ、
「ここ近年、神殿の教えも変化しているんですよ。教義を見直し、癒すこともまたユークの務めという結論に達したのは、三十年程前だと聞いています」
 と説明し、ゲルクの面目を保った。ゲルクがこの村に赴任したのは今から六十年も前のことだ。その頃にはまだ、今のような教義の解釈はされていなかった。ユークはただひたすら、人の死を弔う神殿だったのだ。
 もっとも、教義を見直し、医学を神殿で教えるようになってからも、葬儀屋という印象は世間から未だ払拭されていない。仕方のないことだ。
 そんなこんなで家々を巡回する羽目になったラウルは、村長から言われていた夏祭の儀式について、すっかり忘れてしまっていた。


「おーっす」
 元気な声と共に部屋に入ってきた人影に、ちょうどお祈りの途中だったラウルは眉をひそめ、そして肩をすくめた。
「シリン。どっから入ってきた」
 さきほど村の往診を終えて帰ってきたところだから、玄関の鍵は閉まっている。
「そこの窓」
 シリンが指したのはすぐそこにある書斎の窓である。確かに閉まっていたはずの窓が開いて、爽やかな空気が流れ込んできていた。
「素直に玄関から入ってこい」
 祈りを邪魔されて不機嫌なラウルに、シリンはちっちっちっと指を振ってみせる。
「盗賊たるもの、玄関からお邪魔しちゃ失礼ってもんさ」
「妙な理屈たれやがって……」
 まあ座れ、と書斎の椅子を勧める。シリンは勧められるままに椅子に腰掛けながら、
「お祈り途中だったろ? オレに構わず続けなよ」
「別にいいさ」
 あっけらかんと言うラウル。シリンの向かい側にある机に腰を降ろすと、
「ユーク様だってそんな、一回くらいお祈りを抜かしたくらいで目くじら立てて怒るお方じゃねえよ」
 と言ってのける。これにはシリンも呆れ顔で、
「そうなのかぁ?」
「そんなもんだ」
 これまで祈りを怠けたことは数知らず。しかし未だに見放されていないところを見ると、ユーク神も結構いい加減なのかもしれない。
「で。どうした?」
「どうしたもこうしたも、ある程度情報が集まったから報告にきてやったんじゃないか」
 ああ、とラウルは手を叩く。シリンに情報収集を頼んでからまだ十日ほどしか経っていないのだが、毎日何かと忙しいせいですっかり失念していた。シリンはまったく、と肩をすくめると、腰の小物入れから帳面を出してめくり出す。
「えっとな、突風について調査してたのは、分かっただけでも十人くらいいたみたいだぜ。この辺り、バイセムからエルドナ、フォルカ辺りまでのほとんどの町や村で――」
「待て」
 ラウルが制止をかける。
「俺はこの辺りの地理に詳しくないんだ。簡単でいいから、地図を書いて説明しろよ」
「なんだよ、この家には地図もねえのか?」
 ぶつぶつ文句を言いながら、シリンは小物入れから小さく畳み込まれた地図を取り出し、書き物机の上に広げる。
「いいか、ここがこのエストだろ」
 地図はローラ国全体の地図らしく、西側の隅にルーン遺跡が書かれている。そのすぐそばにある小さな点が、ここ最果ての村エストだ。
「ダレスはここ、エルドナがこれ。あんたがこないだ行ってたエンリカはここだな」
 まずラウルの知っている場所から説明するシリン。ふむ、と頷くラウルに、先程中断された続きを話し出す。
「バイセムはエルドナから半日くらいのとこにある村。で、俺の住んでるフォルカはそこから南に下ったところにある、街道の宿場町さ」
 エルドナから南に伸びる街道は、港町リトエルまで続いている。中央大陸へ渡る定期便はこのリトエルから出航しており、ラウルもリトエルから街道を旅して来たのだ。
「フォルカは乗り合い馬車の終点だったから知ってる。そこからエストまで、街道から外れた道を延々歩かされたんだからな」
 街道はエルドナまで伸びているが、エルドナを経由すると二、三日余計にかかると言われ、渋々違う道を行くことになった。途中の村まで帰るという行商人の馬車に乗せてもらい、ダレスまで送ってもらえたのは幸運だった。
「そのフォルカ辺りからこっち、ローラの西側に、突風について調査している人間が出没してる。調査していたのは突風について、その夜の詳しい状況や被害状況みたいで、まあケルナ神官なら当然の調査だろうってみんな思ったみたいだな」
 風を司る女神の神殿が、謎の突風について調べるのはごく自然なことだ。人々も進んで情報を寄せたことだろう。
「それにしても、お前十日足らずでよくそこまで調べたな」
 ラウルの言葉に、シリンはにやりと胸を張る。
「そこはそれ、オレの人脈ってヤツよ。ギルドの情報網も使わせてもらったんだけどな」
「ギルド? なんだお前、結局ギルドに加入させられたのか。まさに年貢の納め時ってヤツだな」
「うっせえ」
 憮然とやり返すシリン。あの後、なし崩しにギルド員となったシリンだったが、そこはそれ、使えるものは何でも利用するのが彼の信条だ。
「話を戻すけど、突風が吹いたのが四の月二十四日の深夜。最初に調査の人間が来たのがその二日後、フォルカに来たらしいんけどな」
 すっと声を潜め、一呼吸置いてこう続ける。
「……どうやら、こんなことを聞いていた奴もいたらしいんだ」
「何をだ?」
「二十四日の夜、空を飛ぶものを目撃した者はいないか、ってさ」
 空を飛ぶもの。その言葉にラウルが眉をひそめる。
「余りにも漠然としてるんで、みんな答えようがなかったみたいだけどな」
 それはそうだ。空を飛ぶものなら鳥や蝶など色々なものが当てはまる。
「つまり、奴らは突風を調査しているというより、『突風を引き起こした空飛ぶもの』を探してると考えた方が良さそうだな」
 ラウルの言葉にシリンが首を傾げた。
「なんだよ、それ?」
「竜は空を飛ぶ」
 ラウルはそう言って、足元の籠に収まっている卵を目で示した。
「だって、それは卵だろ?」
 目を瞬かせるシリンに、ラウルは先日やってきた二人の魔術士が教えてくれた竜の生態について、簡単に説明してやった。それを頭の中で整理して、シリンはまじまじと卵を見つめる。
「それじゃ、つまりなんだ。その卵は元々ちゃんとした竜で、大怪我をして卵になったっていうのか」
「そうらしいな。なぜそんな怪我をしたのか、どうしてこの小屋の前で卵になっていたのかは分からんが」
 あの二人の魔術士は、ラウルの小屋から出て行ったあと『見果てぬ希望亭』にて、自らの学説を朗々と演説して帰ったらしい。そこから噂が広まって、少なくともこの辺りでは、
「ラウルが育てているのは竜の卵」
 という情報が行き渡った。いいのか悪いのかは分からないが、怪物の卵と噂されるよりはマシだ。
「なるほどね。あ、そう言えば」
 シリンが帳面をぱらぱらとめくる。
「フォルカより東にはまだ調べに行ってないんだが、ちょっと気になった噂があるんだ」
「なんだ?」
「竜の卵というのは出鱈目で、本当は凶悪な怪物の卵で、拾った神官はそれを孵して手懐け、何かを企んでいるらしい」
 眉をひそめるラウル。
「はぁ? なんだそりゃ」
「出所はちょっと分からなかったんだけど、ここ五日くらい前からあちこちで流れ始めているみたいだぜ。まあ、かなりの眉唾ものだって信じられちゃいないみたいだけどな」
 それはそうだ。怪物云々は前から言われていたことだが、その後が突拍子もない。まさに根も葉もない噂だ。
(どこをどうやったらそんな噂が……)
「そうなんですよねえ。まあ、皆さん与太話だと思っているみたいですから、大丈夫だとは思いますが」
 突然村長の声がして、はっと振り返った先に、いつもの笑顔で村長が立っていた。
「いつの間にいらしたんですか」
 いくらシリンとの話に夢中になっていたとはいえ、人が小屋に入ってくる音や気配に気づかなかったというのは、うっかりしていたといわざるを得ない。
 別に人に聞かれてはやばい話をしていた訳ではないが、それにしても注意力が散漫だったことは否めない。それも、ラウルはともかく――
「お前、気づかなかったのか」
 小声でシリンに非難の目を向けると、シリンもわたわたと、
「気づいてたら教えてるさ」
 と弁解する。その村長は失礼、と言ってラウルの隣に座ると、
「声を掛けたんですが、お気づきにならなかったようなので入ってきてしまいました。それで、その噂話のことなんですけどね」
 なんでも、村長の耳にも同じような噂が入ってきているらしい。
「『北の塔』が認めたんですから、その卵くんが竜だということは間違いないと思います。まして、その卵くんが周囲に害を与えない存在であることは、私達が一番分かっていることですから、与太話には耳を貸す必要はないと思いますが」
 村長はすっと声を潜めた。
「……暑い季節になると、少々頭に血の昇った人間も出てきます。ちょっと注意した方がいいかもしれません。私も目を配っていますが、心無い人間に壊されたり盗まれたりしないよう、それにラウルさん自身も気をつけて下さいね」
「分かりました」
 確かに、本当に竜の卵かどうかなど、孵ってみなければ分からない。噂が本当で、孵ってみたらとてつもない怪物が出てくるかもしれない。
 しかし、不思議とラウルは、卵からそんなものが孵る気がしないのだ。
(……いつの間にか、情が移ったかな? いやいや、そんなことはない、断じてない)
 自問自答しているラウルに、村長がぼそりと、
「かつての神殿なら、そのくらいのことはやりかねませんでしたからね」
 と意味深な言葉を呟く。
(かつての……?)
 首を傾げるラウルに、村長は再びいつもの飄々とした表情に戻り、そう言えば、と言葉を続ける。
「そちらの方は?」
 いきなり話を降られたシリンが慌てふためくが、ラウルは動じることなく、
「知り合いのもので、シリンといいます。フォルカに住んでいまして、色々気になる話を持ってきてくれるんですよ」
 と紹介した。村長はそうですか、と笑顔を見せる。
「時々村で見かけるから、どなたかの知り合いだとは思っていましたが、ラウルさんのお知り合いでしたか」
 村長の観察力は、ラウルも舌を巻くほどだ。
(ただの糸目な親父じゃないってことか……)
「そう言えばラウルさん、ゲルク様のところにはいかれましたか?」
 村長のその言葉に、ラウルは一瞬首を傾げたが、次の瞬間はっと思い出して気まずい顔になった。
「すいません、往診に気をとられて、すっかり忘れていました」
 夏祭はもうすぐだ。儀式となればそれなりの手順や祈りの言葉を覚えなければならないはずなのだが、すっかり失念していた。 申し訳なさそうなラウルに、村長はいえいえ、と手を振る。
「まだ日はありますし、さほど大仰なものではありませんから大丈夫ですよ。それと、村のお年寄り達が、ラウルさんが診てくれるのでとても助かると仰ってました。ユークの神官様が医学に通じていらっしゃるとは私も存じなかったもので……」
 ラウルが来るまで、この村で怪我人や病人の手当てをしていたのは村長その人である。しかし彼も医者ではなく、応急処置程度しか施せないという。
「大変かとは思いますが、これからもよろしくお願いしますね」
「は、はい。私のような者がお役に立てるのなら、幸いです」
「それでは、私はこれで……」
 そう言って席を立つ村長。来た時のように足音もなく去っていく村長の背中を追っていたシリンも、それじゃ、と言って立ち上がった。
「また何かあったら知らせに来るぜ」
「ああ、頼む」
 ラウルの言葉を背中に聞いて、素早く小屋を出る。そうして丘を下る道を歩いていくと、そこに村長の姿があった。
「よろしければ、途中までご一緒しましょう」
 笑顔で話しかけてくる村長に、シリンは黙って頷く。そして並んで歩き出した二人は、周囲には聞き取れないほどの音量で言葉を交わし始めた。
「……ギルドを敵に回そうなどとは思っていないでしょうね」
「……ああ。オレもそんなに馬鹿じゃないさ。あのすけべ神官には借りもあるしな」
「すけべ神官はかわいそうですよ。あの人は確かに女好きのようですが……」
 くすくすと笑う村長。
「……なんであんたが長なんだ」
 こちらは硬い表情のシリン。村長は笑いを消して、答える。
「私も別に好きこのんでやってるわけじゃありませんけどね。こんな平和な国にだって、盗賊ギルドは必要なんですよ」

 ラウルがギルドからの手紙を見せてくれた、その次の日。
 ダレスの実家で久々にくつろいでいたところに、深夜音もなくやってきた人物は、笑顔で自己紹介をしてのけた。
「私がギルド長です。なんのギルドかは、言わなくても分かりますね?」
 猫のように細めた瞳のその奥には、全てを見通すような瞳。
「フォルカでのお仕事、そして卵を盗み出そうとした一件についても、ひとまず不問にしましょう。その代わり今後はギルドの一員となり、ラウルさんの力になることを命じます」
 ギルドへの加入金は特別に免除しましょう、と笑う男を、シリンはエストで見かけたことがある。いや、見かけたどころの話ではない。彼は村でも有名な男だ。それもそのはず、
「村長……あんたが」
 それは紛れもなく、エスト村長ヒュー=エバンスその人だった。
「『眠り猫』と呼んでもらいましょう。それが私の通り名です。ラウルさんに頼まれた仕事、ちゃんとこなして下さいね。あと、報告は私の方にもするように」
 必要なことだけ告げて、村長はシリンの家を後にした。最後に、こう付け加えることを忘れずに。
「逃げられやしませんよ。それをお忘れなく」
 その言葉の裏にある、ひんやりとした感触を、シリンは忘れない。

「八の月に夏祭があります。遊びにいらっしゃい」
 いつもの飄々とした顔に戻ってそう言ってくる村長に、シリンは苦笑いを浮かべつつも頷いてみせた。
「おめかししてこなきゃいけないのか?」
「当たり前でしょう? おじい様の残した衣装でも着てらっしゃい」
 シリンの祖父、盗賊団最後のお頭は、盗賊にあるまじき派手好きだったことで一部に知られている。
「あの方は本当に、派手な格好がお好きでしたからねえ」
 懐かしそうに呟く村長の言葉を、しかしシリンは聞いていなかった。

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