<< ◇ >> |
第二章【8】 |
「……という訳で、十日ほど留守にしますので」 事情を説明するラウルなどお構いなしに、ゲルク老人は読書に熱中していた。 (このくそじじい……聞いてやがるのか?) 背中で拳を握り締めつつ、平静を装って続けるラウル。 「その間何かありましたら、お休み中のところ申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。司祭」 「お?お、おお。わかっとるぞ」 一応聞いていたらしいゲルク老人は、いかにも渋々といった具合に頷く。 「留守はワシに任せて、しっかり稼いでくるんじゃぞ」 (このじじい……。やっぱり俺に神殿再建資金の捻出を押し付けてたんだな) 「はい。一刻も早く神殿を再建し、司祭にお戻りになって頂かないと」 ラウルの言葉に、笑顔とは裏腹の凄みを感じ取ったのか、ゲルク老人はごほん、と咳払いすると、読んでいた冊子をぱたりと閉じた。 「エルドナか。あそこにはユーク分神殿がある。ワシの古い知り合いが神殿を預かっておるんじゃが……」 ふと考えて、ゲルクは机の引き出しをごそごそ探り出した。 「そういえば、最近とんと連絡がないんじゃよ。手紙を書くから、すまんが届けてくれるかのう?ついでに挨拶の一つもしてくればいい」 同じ神を崇める神殿同士といっても、あまり交流がないのが一般的である。とはいえ、街に立ち寄った際に挨拶に行くくらいは当然の礼儀だ。 「はい、同じ神を崇める者同士、交流を深めるのは素晴らしい事です」 心にもないことを言いながら、ゲルクが短い手紙をしたためるのを待つ。意外なほどに達筆なゲルクが手紙を仕上げるのに、そう長くはかからなかった。封蝋で留め、ラウルに渡してくる。 「確かに承りました。そのお知り合いのお名前は、なんと?」 「ヨハンじゃ。ヨハン=バルトス。ワシの名前を出せばすぐに飛んでくるじゃろうて。なにせ五十年来の仲だからの」 それはなかなか、年季の入った知り合いである。ラウルが封書を大切そうに服の隠しにしまいこむのを見て、ゲルクは満足げに頷いた。 「出発は早いのじゃろ。はよ帰って、明日の準備をするといい」 「はい、それでは失礼致します」 一礼して書斎を離れようとするラウルの背中に、ゲルク老人の声がかかる。 「そう言えばお主、妙な卵を拾って育てとるそうじゃな」 ラウルの歩みが止まる。 「……はあ」 恐らくエリナが教えたのだろう。老人はにやりと笑って言ってきた。 「妙なもんが出てこないといいのぉ」 「は、はあ……」 「まあ、拾ったのも何かの縁じゃろ。責任もって育て上げるんじゃぞ」 「はい、頑張ります……」 それでは、と去っていくラウルの後姿が、はるか昔共に戦った仲間に重なって見える。 (ワシもあの頃は若かった……。今となっては、過去の約束にこだわり続けるただの年寄りになってしまったがな……) かつて。ゲルク老人がラウルと同じくらいの、若く希望に溢れた神官だった頃。 この地には悪しき影が蔓延っていた。 共に戦った友も今はなく、ゲルクだけが取り残されたように、この地に生きている。 それでも、懐かしいあの日々は、目を閉じれば鮮明に蘇るのだ。 ゲルク老人は遥か遠い過去に思いを馳せる。それは懐かしく、そして悲しい過去。 (若いうちは、その時が永遠に続くような錯覚に陥る。しかし時間など、あっという間に過ぎ去っていくものよ……) 時間は、決してとどまる事がない。 良くも悪くも、時は流れつづける。 家に戻ると、何やら居間から楽しげな女性の笑い声が聞こえていた。 (あの声はエリナと、レオーナさんと……まだいるみたいだな) 何事だろうと思いつつ、居間の扉を開ける。途端に 「おかえりなさーい!」 という大合唱が響いた。 みれば居間には、三人組にマリオにエリナ、レオーナと、知り合いが勢揃いしている。 「一体、なんの集まりですか?」 とりあえず一番近くにいたレオーナに聞いてみると、レオーナは笑顔で 「まだラウルさんには内緒よ。でも、エルドナから帰ってくる頃には出来上がってると思うから、楽しみに待っててね」 と、何やら意味深なことを言ってくる。これはますます怪しい。 居間の机の上には、籠に入った卵。その周りには、カイトがいつも計測に使っている布紐製の定規やら、針や糸、布切れなどが散らばっていた。なにやら設計図のような物も広げられていたが、ラウルが視線を向けた途端にカイトがさっとしまってしまった。 (何をやらかしてるんだ?こいつらは……) カイトをひとまず問い詰めたい気分だったが、レオーナ達がいるのでそうもいかず、代わりに少々引きつった笑顔を浮かべるラウル。 「なるほど。それでは楽しみに待っているとしましょう」 「絶対気に入りますよ、ラウルさん」 「そうそう」 エリナとマリオが楽しげに言っているが、どうにも嫌な予感がするラウルだった。 (妙なもん作る気じゃないだろうなあ……) 卵の服など作られた日には、さすがのラウルも参ってしまう。 「それじゃ、あんた達が出かけてる間に作っておくから、楽しみにね」 裁縫道具を片付けて、レオーナが椅子から立ち上がる。 「あ、私もそろそろ……」 「僕達も、明日の準備があるんで失礼します」 レオーナにつられるように、どやどやと人が去っていき、ラウルと卵が取り残された。 「おい。マリオ達には人見知りしないのか?」 ふと聞いてみると、 ―――ぴぃっ――― と肯定的な返事が返ってきた。 (まあ、あいつらは見慣れてるんだろうしなぁ……) はた、とラウルはあることに気付いた。 「……お前、見えるのか?」 そう。卵なのだから目があるはずもない。それなのに人を判別しているというのは、不思議な話だ。 ―――ぴぃ…――― 今度は否定とも肯定とも取れない鳴き声が返ってくる。 (気配とか足音なんかで分かるのか……?) しかし、その気配や足音をどこで感じ取っているのかも甚だ疑問である。 しばらく悩んだ末、ラウルはため息をついて卵を籠に戻した。 (考えたって分からねぇや……やめよ) 明日は早い。旅の支度をしようと寝室に移動するラウルの後ろで、卵は楽しそうに明滅していた。 朝早くの出発とあって、見送りはコーネル一人だった。 「よろしくお願いしますね」 そう言っていつまでも手を振りつづけるコーネルに、カイトとアイシャが手を振り返している。 幌なし馬車の綱を握るのは、綱裁きも手馴れたエスタス。馬も馬車も農家からの借り物だが、乗り心地はまあまあだ。 「馬車を使えば、エルドナまで三日で着きますよ」 エスタスの言葉に、ラウルはそうか、と相槌を打つ。馬車の振動が、寝不足の身には何とも心地よい。 (結局よく寝られなかったなあ……) 昨日ふと思いついてしまった疑問が、結局どうしても頭から離れず、なかなか寝付けなかった。おかげで見事に寝不足である。 欠伸をかみ殺しているラウルに、カイトが話し掛けてきた。 「この卵、馬車の振動で割れちゃったりしませんよねえ?」 「大丈夫だろ?殻も随分硬そうだし……。これだけ毛布やら布やらで包んでるんだから心配ないさ」 卵はいつもの籠に入れられて、更に人目をひかないよう布を被されている。一見何かの荷物にしか見えないはずだ。 かく言うラウルもいつもの神官衣から、エスタス達と似たような旅装束に着替えていた。ユークの神官衣は黒尽くめで、ある意味目立つのだ。ただでさえ噂になってしまっているのに、自分から宣伝するような真似はしたくない。 「昼前には隣村に着きますから、そこで昼食をかねて休憩しましょう。それまで寝ててもいいですよ、ラウルさん」 「そうか?それじゃ、着いたら起こしてくれ」 エスタスの言葉に甘えて、ラウルはごろんと荷台に寝転がった。 雲ひとつない青空が視界一杯に広がる。五の月に差し掛かったばかりの北大陸は、ようやく春本番を迎えたくらいだ。 「今日は暖かくて気持ちいいですね。この北大陸は、春と夏が極端に短いんですよ。あっという間に寒くなって、長い冬に入っちゃうんです。それというのも北大陸の……」 カイトの解説を聞きながら、ラウルは心地よい眠りに吸い込まれていった。 |
<< ◇ >> |