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第六章【2】

「……なにか進展はあったかの?」
 尋ねるゲルクに、ラウルは首を横に振る。
「残念ながら、さほど……」
「そうか……。まあ、焦っても仕方のない事じゃな」
 言いながら、ゲルクはラウルの背中から覗く卵を見て目を細めた。
「卵もあいかわらずじゃな。元気か?」
―――らう!―――
 声をかけられた事が嬉しいのかはしゃいでいる卵の声は、やはりラウルにしか届かない。そして発する単語も「らう」のみだ。これではどこら辺の成長が進んだのやら、さっぱり分からない。
(あのキザ野郎、適当な事言ったんじゃないだろうなぁ?)
 その「キザ野郎」炎の竜キーシェの来訪は幸い誰にも目撃されなかったため、彼らだけの秘密にしてあった。下手に騒がれて、それが原因で今度はキーシェが影の神殿に狙われたりしたら洒落にもならない。
「はあ……おかげさまで」
 曖昧に笑ってごまかすラウル。卵にしばし声をかけてやっていたゲルクは、ふと思い出したようにラウルに向き直った。
「して、今日はどうした?」
「それがですね……」
 ラウルが話し出そうとしたその瞬間、書斎の扉を叩く音が聞こえてきた。
 すぐに口を閉ざしたラウルは、何事もなかったように扉を開ける。すると、両手にきらびやかな布やら紐やらを抱えたエリナが、扉が開くのを待ちきれなかったように飛び込んできた。
「エリナ、なんじゃそれは」
 目を丸くするゲルク。エリナは持っていたそれらをはいっ、とラウルに押し付けると、それは楽しそうに言ってのけたのだ。
「お待たせしましたぁ!!さ、早く合わせてみてくださいっ!!」
 そう、今日はゲルクに呼ばれたのではない。エリナに呼ばれていたのである。
「は、はぁ……」
 渡されたのは、エリナがありったけの情熱を込めて縫い上げた衣装。夏祭の時より色合いは抑え目だが、凝りに凝ったものである事は確かである。
「でもエリナ、仮縫い段階で一度合わせましたよね?」
 もう着てみなくてもいいのではないか、と言いたげなラウルだったが、勿論エリナは頷かない。
「あれからまたちょっと直したんです!これで大丈夫だったら、仕上げちゃいますから」
 それはもう嬉しそうなエリナを見ていると、嫌だとも面倒だとも言えない。彼女の勢いに押されるように、衣装を抱えて書斎を後にする。
「そ、それではゲルク様、また後ほど……」
「お、おお……」
 そう言って二人が書斎から出て行くのを見送り、ゲルクは深いため息と共に椅子に腰掛けた。
(影の……神殿か……)
 心の中だけで呟かれる言葉は、ゲルクの顔に陰りをもたらす。
 六十年前に死闘を繰り広げ、ようやく勝ち取った平和。 それがまた打ち破られようとしている事をラウルに聞かされたのは、半月前の事だ。
 その前日、隣村までの往診に出かけたラウルが何者かに襲われたというのをエリナから聞いてはいたが、どうせまた卵を狙う不埒者なのだろうと思い、気にも留めなかった。幸いにも近くにいた魔術士が助太刀に入り、卵は無事、ラウルもかすり傷で済んだというし、ゲルクが心配する事ではないと思ったのだ。
 その日は北の塔の魔術士やら隣村の小僧やら、やたらとラウルのもとを尋ねるものが多かったらしい。更には小屋のある丘一帯が突如眩い光に包まれるという珍事も起きたようだが、あの卵が成長している証なのだと説明されて、村の皆も納得をしたものだ。
 そんな事があった次の日。やけに重苦しい顔で尋ねてきたラウルに、ゲルクは何かただならぬものを感じ取った。
 そして。
 ラウルの口からもたらされた衝撃の事実に、ゲルクはしばし言葉を失った。

「それは、本当か」
 信じられない様子で尋ねるゲルクに、ラウルは苦々しい表情で頷く。
「はい……」
 卵の見せた夢。そして卵を狙った宝石商の背後に潜む影。小さな村が突如壊滅した事実。そして極めつけに、ラウルが遭遇した黒い装束の者達。
「彼らは何らかの理由で、卵を狙っています。私はなんとしても、それを阻止しなければなりません」
 硬い表情のラウルに、ようやく事実を受け入れたゲルクは、そうか、と呟いた。
 影の神殿。それは、同じ闇の神ユークを崇めるゲルク達にとっては、まさに宿敵とも言うべき相手である。教義を歪めユークの名を貶める彼らを、のさばらせておく訳には行かないのだ。
「この事はまだ、私を含めた数人しか知りません。村長もその一人ですが、村の方々には知らせぬ方が良いと仰られまして」
「ああ、そうじゃな。収穫祭も控えておる。無駄に人々を不安がらせる事はない。当分の間、ワシも口をつぐもう。そして出来うる事ならば、村人の知りえぬうちにすべてを終わらせたいものじゃ」
「はい、そのためにも全力を尽くす所存です。幸い、エスタス達も力を貸してくれます。北の塔にもすでに事の詳細をしたためた手紙を送ってありますし、盗賊ギルドも情報を提供してくれています。勝算が全くないわけではありません」
 ほぉ、と目を細めるゲルク。まだこの地にやってきて半年ほどの彼が、よもやそこまで人脈を広げているとは思いもよらなかった。しかも、盗賊ギルドとは。
「随分と見込まれたようじゃな。この辺りの盗賊ギルドは、気に入った相手としか手を組まないので有名じゃったと思ったが」
 その言葉に驚いた様子を見せたラウルだったが、何も言わずに続ける。
「ですが、何分にも相手が相手です。まだ彼らの目的や人数、活動場所すら明確になっていません。それさえ分かれば……」
「焦ってはいかんぞ」
 静かに宥めるゲルク。
「焦れば隙が生じる。おぬしが第一に考えるべき事は、卵を守る事じゃ」
「はい」
 重々しく頷くラウルに、ゲルクはよし、と頷き返す。そして、
「ワシも戦う、と言いたい所じゃが……」
 ちらりとラウルを見る。ラウルの顔にはありありと、「それだけはやめてください」と書いてあった。
 ふん、と鼻を鳴らし言葉を続ける。
「なにしろこの年じゃ、足を引っ張るのは目に見えておるな」
 その言葉を聞いて、あからさまにほっとした顔のラウル。思わずむっとするゲルクだったが、今はそんな事を言っている場合ではない。すぐに真剣な表情に戻って続けた。
「その代わり、ワシの知っておる事、その全てをお主に伝えよう」
「はい、それをお願いに参りました。日誌は全て目を通しましたが、あの日誌に書かれていない事もあるはずです。それを……」
「皆まで言うな。そうじゃ、あれはあくまで記録。あそこに書かれていない数多くの出来事を、お主に語ろう。それがワシに出来る唯一の手助けじゃ」
「お願いいたします」
 見つめてくる力強い瞳。それは、六十年前の自分と同じ輝きを秘めていた。
 信念さえあればすべてを乗り切る事が出来ると信じていたあの頃の自分。そして、それが間違いであった事に気づかされた、あの戦い。
 この若者に自分と同じ轍を踏ませてはならない。そのためには、全てを話す必要がある。彼が見たもの、触れたもの、そして経験したものの全てを。
「何から話せばいいのか……」
 脳裏に浮かぶあの苦難の日々を、ゲルクは静かに語り出した。

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