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【1】

 ついてない。本当に、オレはついてないよ。
 何がついてないって、今の状況だ。
 慣れない森の中、街道から外れたのは昼過ぎだったか。そんなに深い森じゃないし、何とかなると思ったのがまず大間違いだった。
 しかも、すでに辺りは日が落ちて真っ暗。遠くからは狼の遠吠えなんかが聞こえてきやがる。まあ、それだけならまだいい。
 何しろ最悪なのは、荷物に入っていたはずの火口箱が消えてなくなってる事。更に、半刻ほど前にうっかり足に刺さった何かのトゲが、毒性を持っていたらしい事だ。
「……いてぇなぁ……」
 ひとまずトゲを無理やり抜いて、手持ちの酒で消毒はした。そのあときっちり布で覆ってみたものの、刺された右ふくらはぎは熱を持ってジンジンと鈍い痛みを訴え続けている。
 少し前まではまだ歩ける程度の痛みだったが、今となってはもう力が入らない。仕方なく、手頃な大木の根元に陣取って休憩してみたものの、日は落ちるわ人が通る訳はないわ。
 こんなところで野垂れ死になんて、冗談じゃない。折角、当分は食ってけるだけのお宝を頂戴した帰りだってのに……。
 そう。なんでこんな森で迷ってるかって、警備兵がしつこく追いかけてきたからだ。ま、警備兵に見つかったオレが悪いと言われりゃそれまでだが。
 久しぶりの大仕事だったんだ。下準備もばっちり。ケルナ本神殿に忍び込んで、宝物庫からお宝を首尾よく盗み出したまでは順調だった。
 その帰り道、本神殿の中庭でうっかり猫なんかに遭遇しなけりゃ。
 そう、猫だ。番犬ってなら話は分かる。コソドロが吠え立てられて見つかっちまうのはよくある間抜け話だ。だけど、オレが遭ったのは猫。しかも、神殿で飼われてるような感じじゃなかった。首輪もなかったし、何しろ小汚かったしな。
 猫は意外に臆病だし、別に尻尾を踏んだとか髭を引っ張ったわけでもない。ただ、ばったり目と目が合っちまった。それだけなんだぜ?普通なら逃げるか、せいぜいにらみ合いになるかその程度で終わるはずなんだ。 なのにその猫の野郎、人を見つけてけたたましく鳴きやがったんだ。近くを巡回していた警備兵が不審がるくらいにな。
 おかげで、綿密にくみ上げた脱出計画は見事にパー。慌てて神殿を逃げ出したはいいが、警備兵もしつこいしつこい。
 どうにか、首都から三日ほどの位置にあるゼストの街まで逃げ切ったものの、その先の清風街道に厳密な警戒態勢を敷かれたのが痛かった。旅人を装って隣国ウェイシャンローティへ抜ける計画だったが、旅人は魔法を使った持ち物検査までされるって話だ。
 そうなったら仕方ない。街道が使えないなら道なき道を踏破すりゃいいんだ。そう思ったのが浅はかだったよ。
 ゼストの街の北側に広がるセティナの森。森人の自治区になってるこの森をちょいと通らせてもらえば、なんとか隣国へ入れるだろうと踏んだんだが、甘かった。森人の暮らす森は、ただただ緑の深い、何の手も入れられていない自然の森だ。知識のない者が迂闊に入れば迷うのは当たり前だ。
 しかもこのトゲだ。ああ、なんだか段々熱まで出てきた気がする。
(せめて、森人の一人でも通ってくれりゃな……)
 さっきからそういう偶然の出会いってやつを待ちわびてるんだが、一向にそんな出会いは起きやしねえ。
 このまま、こんなでところ終わるのか。折角、シールズの秘宝と呼ばれる頭冠『聖女の涙』を盗み出しておきながら。
 これじゃ、『聖女の涙』もかわいそうってもんだ。せめてオレがきちんと売り払ってやれれば、どっかの金持ちに愛でてもらえたものを、このまま森の中でオレと一緒に朽ち果てるなんてなあ。
 ああ、なんだか頭までぼぉっとしてきやがった。やばいぞ、目の前が揺れてやがる。
「大丈夫ですか?」
 ああ、とうとう幻聴まで……。ん?幻聴?
「もしもし?」
 揺れる視界の中に、光が見えた。淡いランプの光がゆらゆらと、ゆっくり近づいてくる。
 その淡い光に吸い込まれるかのように、オレの意識はすぅっと遠のいて行った。
 最期に誰かに見つけてもらえたなら、まあ良かったかもしれない。そんな事を考えながら……。

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