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【6】

 やばい。
 『遥かなる旅路亭』に入った瞬間、オレはクルッと踵を返して逃げ出したくなった。
 冒険者ギルド、『遥かなる旅路亭』。一階は食堂兼冒険者の溜まり場と情報交換所、二階は宿屋という、典型的な造りの建物だ。 その玄関を入ってすぐに目に飛び込んできたのは、カウンターの後ろの壁にでかでかと貼られた「指名手配」の紙。 ご丁寧に似顔絵つきで、金貨五千枚、生死不問と書かれてやがる。 金貨五千枚ね。当分遊んで暮らせる額じゃねえか。 しかもこの似顔絵、誰の証言をもとに描かれたのか知らないが、結構似てやがるときたもんだ。
 ―――誰にだって?そう、オレにだよ!
「ディーさん、どうかしました?」
 一瞬足が止まったオレに、エルが不安そうな声をかけてくる。やばいやばい、ここで動揺して自分で正体をばらしちゃお終いってもんだ。
「いや、なんでもないさ。ほら入りな」
 エルの体を前に押しやると、今度は一階にたむろしていた数人の人間達が好奇の視線を寄せてきた。そりゃそうだ。ここは子供の来る場所じゃない。
 エルの背中を押して、オレはカウンターまで進んだ。そこには燃え立つような明るい炎のような髪を束ねた中年の女性が、カウンターに肘をついてこっちを見ている。この冒険者ギルドの長であるレイア=スターレン。喧嘩っ早くて有名な、徒手空拳の格闘家だ。もうもう四十半ばのはずだが、美貌と鉄建の威力はちっとも衰えない、と冒険者に囁かれているその人だ。いやはや、怖い話だぜ。
 その隣で編物をしてる金髪の姉さんは、確か盗賊ギルドとの繋ぎ役の姉御だ。なんだか妙に苛ついてるように見えるのは、やっぱり『聖女の涙』を盗んだ人間がみつかってないからだろうな。 こりゃ、早いとこエルを引き渡して逃げた方が良さそうだ。
「あ、あの……」
 ギルド長の鋭い視線にエルが口篭もる。仕方ないのでオレが切り出した。
「この子は、祭を見に両親と東大陸に渡ってきたんだ。だけど、ちょっとした手違いで両親とはぐれちまって、ここで待ち合わせしてるらしいんだが……」
 オレの説明に、ギルド長はまじまじとエルの顔を見る。
「……坊や、名前は?」
「エルです。エル=ノーティス」
 その言葉にレイアが目付きを和らげた。そしてカウンターから出てくると、エルの前に立って髪をくしゃっと撫でる。
「よくここまで辿り着いたもんだ。あたしはレイア=スターレン。この冒険者ギルドの長さ」
「はじめまして、レイアさん。両親が昔お世話になったと聞いています」
 照れながら折り目正しく挨拶するエル。
「お世話になったのはこっちだと思うけどねえ。ああそう、あんたの両親はちゃんと二日前に着いてるよ。今は神殿に出向いてるけど、すぐに戻るだろ」
 その言葉にエルが安堵の表情を浮かべる。やっぱり、言葉には出さなかったが今まで不安だったんだろうな。 
「ところで、こっちの兄さんは?」
 レイアの言葉にエルは
「僕をここまで連れてきてくださったんです」
 と答える。
「そうかい。二人から事情は聞いてるけど、結構大変だったろ?兄さん、色々面倒かけたんじゃないかい?ありがとうね」
 どこまで事情を聞いてるのか知らないが、ひとまずオレは
「いえ、そんな……」
 と言葉を濁した。下手にぺらぺらと喋って墓穴を掘りたくないからな。
「それじゃエル、オレはこの辺で失礼するぜ。両親見つかって良かったな」
 早いとこずらからないと、いつここにいる誰かが、「こいつ、あの賞金首に似てるぜ」なんて言い出しかねない。
「そんな、せめて両親に会って行って下さいよ。お礼だってしたいし……」
「そうだよ。すぐに戻ってくるはずなんだから」
 エルとギルド長がそう言って引きとめようとするが、オレは笑顔で辞退してくるりと踵を返す。と、その時 ちょうど扉が左右に割れて、一人の女が飛び込んできた。
「うわっ」
 勢いがついていたらしく、そのままオレにぶつかって来る。慌てて受け止めると、白銀の髪がさらりと揺れた。
「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
 涼やかな声が響く。幸いひっくり返るような無様な事にはならなかったので、受け止めた体をひょいと立たせて、改めて返事をしようとして―――オレは止まった。
 白銀の髪。緑の双眸。透けるような白い肌。 何よりも、その顔―――。
「み、巫女王……」
 昔見た時より大分大人びていたものの、その容貌は変わることがない。 シールズ神聖国最後の王。風の女神に愛された乙女。 巫女王と異名を取るケルナ本神殿元神殿長、セレンディア・アリール=フェス。 まさしく、その人だった。
「母様!」
 と、オレの後ろから歓喜の声が上がった。そしてエルがオレの目の前で彼女に飛びつく。そのあどけない双眸には、透明な涙が溢れていた。
「エル。良かった。無事にここまで辿り着けたんですね」
 エルの体を抱きとめて、彼女は笑顔を浮かべた。その顔は、確かにエルとそっくりだ。母親似っていうのは間違ってないな。
 と、開け放たれたままの扉から、数人の人間が入ってきた。その先頭にいたのは、これまたエルにどことなく似ている茶色い髪の男だ。ケルナ神殿の警備兵を引き連れたその姿は、昔とちっとも変わっちゃいない。
 そう、この人は昔、よくこの辺りを走り回ってた。 ケルナ本神殿元副神殿長、レイ=ノーティス。そう、エルの父親。そして、巫女王セレンディアの旦那。 退位した巫女王は、副神殿長と共に旅に出たと聞いた。旅の途中で結婚し、子供を授かったんだろう。それがエルって訳だ。
「セレ、『聖女の涙』の反応は……」
 そこまで言って、自分の子供に気付いたらしい。ほっとした表情で二人に歩み寄り、まとめてぎゅっと抱きしめる。
「エル……。良かった無事で。お前の事だから大丈夫だとは思っていたけど、こんなに早く着くとは思ってなかったよ」
「ここまで、ディーさんが連れてきて下さったんです」
 そう言って、エルがオレを指し示す。しまった、逃げる機会を失っちまった。
 そうだったのか、とレイは呟いて、オレに向き直った。セレンディアもエルを抱きしめたままこちらを向く。
「エルをここまで連れてきてくれてありがとう。心からお礼を言うよ」
「ありがとうございます」
 穏やかな言葉と微笑み。なんだか照れくさくなって、オレは三人をまともに見る事が出来なかった。
「いや、オレもエルに助けてもらったし、お互い様って事で……」
「何かしたのかい?エル」
 父親の問いに、エルが手短に事情を話す。二人はなるほど、とエルの頭を撫でた。
「お前に薬草の扱い方を教えておいて良かった。おかげで、お前自身の助けになったんだから」
 まあ、エルがあそこでオレを助けてくれなかったら、エルも首都までの案内人を見つける事が出来なくて立ち往生してたんだろうから、そういう事になるんだろうが。
「はい!ディーさん、本当にありがとうございました!それで父様、母様、ディーさんに何かお礼をしたいんですけど……」
「いやいや、本当にいいんだ。オレを森で助けてくれた事でチャラってことさ。それじゃ」
 警備兵がゴロゴロいる状況から早く抜け出したくて、オレはそう言って立ち去ろうとした。 と。その警備兵の一人が、おずおずと切り出した。
「あ、あの……セレンディア様、レイ様。お取り込み中のところ申し訳ないんですが、『聖女の涙』の反応は一体……」
 ―――げ。  そういや、さっきレイがそんな事言ってたか。
 もしかして、オレが持ってる『聖女の涙』に探知魔法でもかけられてたんだろうか。だとしたら、早いとこ何とかしないとオレがやばいじゃねえか!
「そ、それじゃオレはこれで……」
 慌てて出て行こうとするオレの腕を、不意に白い細腕が掴んだ。
「いっ!」
 何をどうやったのか、次の瞬間には彼女の手に、白銀の煌きが握られている。
 どうなってんだ?『聖女の涙』は懐の奥深くにちゃんとしまっておいたってのに。
「はい、ありました」
「はぁ?」
 セレンディアの言葉に、その場にいた連中が声を揃える。
 やばい、やばすぎる!
 そうか、さっきぶつかった時に、彼女には分かってたんだ。オレから『聖女の涙』の反応がある事を。
 畜生、早いところ逃げて置けばよかった……。
「い、一体どこから?」
 レイが目をまんまるにして尋ねてくる。セレンディアはにっこり、オレに笑いかけた。あああ、そりゃないぜ。滅多に見られないっていう巫女王の微笑みだが、こんなにも見たくないと思った事はないよ。
 ああ、そうですよ。目の前にいるオレが、トンマな泥棒さんだ。 まあいい。巫女王に会って話す光栄にも恵まれたんだし、ここで腹をくくるさ。 さあ言っちまえ、巫女王セレンディア。ここにいるのが、盗んだ張本人だってな。
「風が届けてくれたんです」
 ―――え?
「きっと、ケルナ様のいたずらです」
 そう言って、いたずらっ子のような瞳を向けてくるセレンディアに、オレはなんだか女神の微笑みを見た気がした。
「どういうこと、それ……」
 カウンターに突っ伏した体勢で、盗賊ギルドの姉御が呟く。そりゃそうだ。似顔絵まで描いて賞金首にしたのが、女神のいたずらなんて言われちゃな。
「……それでいいのかい?セレ」
 レイが穏やかに尋ね、セレンディアが満足げに頷く。そして、ギルド長と盗賊ギルドの姉御を振り返って、ね?とでも言わんばかりに笑いかけた。
「……仕方ない、賞金首は取り消します」
 疲れた表情で金髪の姉御は張り紙を引き剥がし、丸めて捨てた。ギルド長はといえば、まったくもうという顔でセレンディアを見、続いてこっちを見てくる。
 ふう、バレバレだな。でも、セレンディアがそう言うんじゃ二人ともどうにも出来ないだろう。
 オレの首はつながったって訳か。しかし、どういう気なんだ?
「ディーさん。エルを助けてくれて、本当にありがとうございました」
 『聖女の涙』を大切そうに握り締めて、セレンディアが言う。その腕に手を絡ませているエルは、きょとんとした顔をしていた。はは、状況がいまいち掴めてないな、こいつ。
 まさか、自分をここまで案内してきた人間が、自分の母親の宝を盗んだ犯人だなんて。そりゃ思わないだろうな。純真な坊やだから。
 それでも、それがこいつの美徳でもある。そういう素直な心をなくさないで欲しいと、オレは願わずにいられない。 なんだか、自分の弟のような感じがしてたのかも知れない。たった数日一緒にいただけなのにな。変な感じさ。
「なんだか良く分からないけど……。ありがとうございました!ディーさん!」
 ぺこりと頭を下げるエル。
「いや、こっちこそ楽しかったぜ。ありがとな、エル」
 そう言って手を差し伸べると、エルはちょっとびっくりして、すぐに嬉しそうに両手でオレの手を握り返してきた。
 子供の、やわらかい手。無限の可能性を秘めた手だ。
「それじゃ、神殿に行きましょう」
 セレンディアが言い、親子三人は仲良く手をつないで去っていった。最後まで何度も振り返りこちらに微笑みかけるエルが、とても輝いて見えた。
 いい親子だな。きっとこれからも三人で、仲良く旅を続けるんだろう。
「……さて。お兄さん」
 冷ややかな言葉に、背筋が一気に凍りつく。ゆっくり振り返ると、張り付いた笑顔の二人がオレを睨んでいた。
「まあ、セレンディア様がああ言うんだから、何も聞かない事にするよ」
 ギルド長が言う。そりゃありがたいこった。
「でも、このまま何もなく帰れるとは思わないで欲しいわね。アンタ、《つむじ風》のディーとか名乗って、ケチな盗み働いてるコソ泥でしょう?ようやく見つけたよ」
 殺気立った表情で言う金髪の姉御。はあ、やっぱりバレてたか。盗賊ギルドの情報収集能力はやっぱり侮れないな。
 ギルドに無断で盗みを働いたものは、ギルドが制裁を下す。それは大抵、死の制裁と相場が決まってる。
 折角命拾いしたと思ったのに、やっぱり世の中そんなに甘くないってか。
 しかし、金髪の姉御はあっさりと殺気を解いて、肩をすくめた。
「ま、セレンディア様がああ言ってるから、今回の盗みを含めた今までの所業は見逃してあげるわ。アンタみたいなコソ泥にあっさり忍び入られるような神殿の警戒態勢もどうかと思うしね」
「仕方ないさアイル。ここんとこ、どこもかしこも平和ボケしてるんだからさ」
 ギルド長がやれやれ、と手近な椅子に腰を下ろした。アイルと呼ばれた金髪の姉御も、そうねと呟いてカウンターにもたれ掛かる。
「だけど。これから下手な事できないように、指の一本でも置いていってもらいましょうか」
 さらりと言うもんだから、ついオレは頷きそうになっちまった。
「指一本だぁ?冗談じゃないぜっ」
「それじゃ、金貨一千枚にまけといてあげるわ」
 それもとんでもない話だ。一千枚なんてポンと払えるんなら、はなからコソ泥なんざやってないさ。
「分割でいいわよ。いくらでも細かく分割してあげようじゃない。ギルドで技術を身に付けさせてあげようってんだから、感謝しなさいよ」
 ……つまり、オレにギルドに所属しろと。その加入金が金貨一千枚だというわけか。
「一匹狼も結構だけど、このご時世それじゃ食ってけないんじゃない?しかも今度からはうちが送る暗殺者に怯えながらの生活になるんだからね。それを考えたら、ここで腹をくくった方が身のためだと思うけど?」
 ……まあ、確かに姉御の言う通りだ。オレにとっても損はない話だしな。
 でもそれが通るのか?
「そんなギルドにとって割に合わない話を、おたくのギルド長は許してくださるのかい?」
 オレの言葉に、レイアとアイルは顔を見合わせ、次の瞬間大爆笑する。
「アンタ、知らなかったんだ?このアイルが盗賊ギルド長さ!」
 レイアの言葉にオレは目を見開いた。この金髪の姉御が、泣く子も黙るシールズディーン盗賊ギルドの長?嘘だろ?
「ギルド長っていや、禿げデブ親父だと思ってたんだろ?お生憎様だね」
 いやだって、大体そう思うじゃねえか?
 その盗賊ギルド長はといえば、涙まで浮かべて大笑いしながら
「アンタ、ほんとに楽しませてくれるじゃない。しばらくこれで笑わせてもらえそうだよ。さ、どうする?指一本と金貨一千枚。どちらか選んでもらおうじゃない」
 どちらかと言われても、指一本なんて選べるわけがないじゃねえか。
「……分かったよ。ギルドに入れてくれ。その代わり、一千枚はなるべく分割にしてくれよ」
 オレは腹をくくった。
 いい転機なのかも知れない。コソ泥のまま一生を終えるよりか、マシってもんだ。 思えば、『聖女の涙』を盗んだ時から、オレの転機は始まっていたのかもしれないな。
 エルに命を救われて、生まれ変わったと思えばいいさ。
 オレだってまだ十八。まだまだ成長途中じゃないか。変わろうと思えば変われる可能性ってヤツを、まだ持っていると信じたっていいだろ?



  それから四日後、シールズ共和国建国十五周年記念祭は華やかに幕を開けた。
 何人かのギルド員と街の見回りをやらされながらも、オレは記念式典を垣間見る事が出来た。
 そこには、『聖女の涙』を額に輝かせた巫女王セレンディアが、晴れ晴れとした笑顔で国民を見つめている姿があった。その後ろにはレイとエルの姿もある。
 成長した巫女王の姿を見て泣く人あり、褒め称える人あり。歓喜の声が広場を駆け抜けていく。 退位して十五年も経つというのに、彼女の人気は衰える事がなかった。
 と、一陣の初夏の風が、まるで女神が愛し子の頬を撫でるように、広場を吹き抜けていった。
 巫女王の髪が風に揺れ、その深緑の双眸が一瞬だけ、オレを見て微笑む。
 気のせいかもしれない。それでも、そんな彼女の微笑みを見たオレは、知らず知らずのうちに微笑を浮かべていたらしい。
「?どうした、ディー」
 仲間が声をかけてくる。まあ、突然にやっと笑ってたら不審にも思うか。
「いや、なんでもないさ。さて、そろそろいくか」
「そうだな」
 そう言って広場を後にするオレの背中に、魔法で増幅した巫女王の声が響いてくる。
「みなさんに、風の祝福がありますように」
 広場中に響き渡る軽やかな声。なんだか心の中に涼風が吹きぬけたような感じがして、オレは一瞬振り返る。
 高く広がる初夏の青空。そこに女神ケルナがいるような、そんな気がした。
 力強く、厳しく、それでいて優しくて茶目っ気のある女神。
 そんな女神が見守ってくれるのなら、これからの人生悪くない。
 もっとも、この女神は大層気紛れだっていうけどな。
 当たり前だよな。なんせ相手は、風なんだから。

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