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二年前 ~entangled~
「混線したのかなあ」
 あまりにもレトロな言い回しに、一瞬何を言われているのか分からなかった。
「何を巻き込むって?」
 思わず聞き返せば、目の前の少女は違う違う、とツインテールを奮わせる。
混線(entangled)、だよ。お兄ちゃんとその子との間で混線しちゃったみたい」
 すらりとした指が空中に描く綴りを読み取って、ますます訳が分からなくなる。
 むしろ今のこの状態こそ、話が混線しているような気がするのだが、と言おうとして、背後からの足音に気づいた。常人の耳ならば恐らく聞き逃してしまうだろう、密やかな足音の主は――。
「やあ、クラリ――」
「新しい『腕』の調子はいいようだな」
 ぐい、と腕を持ち上げられ、邪魔だとばかりに上着を剥ぎ取られ、ついでに上半身のチェックを、とシャツをまくられそうになったところで、はたと我に返り、わたわたと制止の声を上げる。
「ク、クラリス、ちょっと待って――」
「そうよクラリス、せめて断りくらい入れないと」
「そうか。すまない。では改めて、先日換装したサイバー装備の点検をしたいので全部脱いでくれるか、レン」
 あっけらかんと言われて思わず同意しそうになり、大慌てで首を横に振る。
「いや、ここで全部はちょっと」
「私は気にしない」
「レミーも気にしないけど、今はこっちの話を進めていい?」
「こっちの話とは?」
 小鳥のように小首を傾げるクラリスに事の次第をざっと説明をするレミーの横で、そそくさと着衣を調える。
(まったくもう、少しは気にして欲しいなあ……。男にも一応、羞恥心ってのはあるわけで)
「恥じ入ることはない。君の体は実に美しい」
 ぎょっとして目の前の美女を見れば、クラリスは真顔でぐい、親指を突き出してきた。冗談なのか本気なのか判断に苦しむところだが、発言内容が彼のサイバー装備を指していることは明白だ。
(心を読まれたかと思った……)
 あまりのタイミングの良さに、彼女はエスパーなのかと思ったくらいだが、そう言えば件の『SOS』も、精神感応だと言われた方がよほどピンと来る。
「……というわけなのよ」
「ふむ、なるほど」
「で、話を戻すけど」
 一通りの説明を終えて、レミーは手元のコンソールを軽やかに操ると、正面のモニタに映像を呼び出した。
「あ……!」
 映し出されたのは一人の少女。そして彼女の経歴一覧。要するに、入学時に提出する個人データを持ってきたらしい。
「お兄ちゃんの話をもとに検索をしてヒットしたのはこの子だけだったけど、間違いない?」
「う、うん。この子だよ」
 話と言っても、銀髪で青い瞳、中等部の制服を着ていた、くらいしか外見情報はなかったはずだが、よくもまあこれだけの短期間で探し当てたものだ。
「名前は花梨=クロフォード。中等部一年生。お兄ちゃんと一緒で、今年の春に『LUNA-01』に来たんだね。家族はなし、現在は親戚の家に居候中……」
 映し出された少女の顔は、まるで人形のように無表情で、透き通るような青い瞳はまるでガラス玉のように硬質な光を帯びている。
「えーっと、身長150cm、体重39kg。スリーサイズは入学時健康診断時の数値で……」
 つらつらと読み上げていくレミーと、それに「細いな」「薄い」だのと突っ込みを入れているクラリス。一方のレンはと言えば、あまりにも堂々とした個人情報の流出にひたすら恐縮しつつ、ぼんやりとモニタを見上げていたが、ゆっくりスクロールしていく画面の端に並んだ素っ気ない文字列が目に入った瞬間、思わず息を呑んだ。
「え……これって……」
「あ、気づいた? 実はこの特記事項の部分、最初はロックされてたんだ。レベル3以上の権限を持つ管理者でないと開けないやつ。勿論、《Selene》にはお見通しなんだけどね」
 とんでもないことをあっさりと言ってのけるレミーをよそに、食い入るようにモニタを見つめるレン。
「《Shaman》……」
 ――それは、彼らがその力を発揮した時に皮膚の薄い箇所に浮き出る紋様が、古代地球において精霊の力を宿した者達が体に施した刺青に似ていることから生まれた呼び名。
 人智を超えた力を持つ彼らを、人々は畏怖を込めてこう呼んだ。Shaman――超自然の声を聞く者、と。それが、人の作りし機械をその身に宿す者達の俗称になった辺り、何とも皮肉なものだ。
「こんな小さな子が《Shaman》――ナノマシン処理された人間だって?」
「それなら、お兄ちゃんと混線しちゃったのも説明がつくでしょ」
 確かに、ナノマシン処理された人間なら、コンピュータとの接続も自在に行えるはずだ。しかし、それでも不可解な点がいくつかある。
「なんで混線するのかが分からないよ。僕の体は確かに機械化されてるけど、情報の入出力はここからしか出来ないはずだ」
 レンのジャックイン端子は後頭部、盆の窪と呼ばれる部分にある。しかし、少女が触れたのは手の先だ。
「それは私から説明しよう」
 何やら得意げな口調で、クラリスが手元のキーボードを叩く。
「さあ、これを見てくれ」
 個人データの代わりに前面に現れたのは、何やら設計図らしきものだった。その形状に何か見覚えがあるような、と思う間もなく、クラリスにぐいと腕を持ち上げられて、厳かに宣告される。
「これは君の腕だ」
「う、うん。そうだよね」
 なぜまた腕の話に、と呟く間も与えずに、クラリスは鮮やかなキー操作で設計図の一部、その指先の部分を拡大表示させた。
「詳しい説明は省いて、簡潔に言おう」
「そうしてくれるとありがたいな」
「君の指先には、非接触型情報端末装置が装備されている」
「は?」
「要するに、こういうこと」
 有無を言わさずに手を取られて、そのままコンソールの一部分に押し当てられる。刹那、流れ込んでくる光の線条。
 えっ、と呟いた瞬間、脳裏に響き渡る穏やかなアルト。
『ごめんなさいね。レンさん』
 僅かに遅れて、モニタに映し出された電脳の女神は、ただひたすらに頭を下げていた。


「事後承諾になってすまない」
 けろりと言ってのけるクラリスを、モニタ越しに見つめて溜息をつく美女。
『ちゃんと装備の説明をしてから換装の承諾を得るように言っておいたはずなんですが、クラリスはこう見えて、かなりの面倒くさがりで……。レミーも面白がって「気づくまでナイショにしておこうよ」なんて言い出して……』
 スピーカーと脳裏で微妙にずれて聞こえる女声に、思わずこちらも頭を下げる。
「いえ、ちゃんと説明を聞かなかった僕も悪いんですから、そんなに謝らないでください、《Selene》」
 言いながら、恐る恐る手をパネルから引き剥がす。何か起こるのではないかと内心ドキドキしたが、予想に反して何事もなく手はパネルから離れ、間近に感じていた《Selena》の存在が一瞬にして遥かに遠のく。
 思わずモニタを見上げれば、相変わらずそこに映し出されている電脳の女神は、柔らかな微笑を浮かべていた。
『それでは改めて、この非接触型情報端末装置の説明に入りますが――』
「あ、あの、それは後で構わないので、話を元に戻しませんか?」
 そうですか、と少々残念そうな顔をして、《Selene》は図面を画面端に追いやった。横ではクラリスが、こちらも残念そうな様子でレンの腕をじっと見つめていたが、とりあえず無視をして話を進める。
「彼女の居候先があのビルで、彼女が《Shaman》なのは分かったよ。でも、どうしてこの子が僕の『指』のことを知ってるんだ?」
 先日、半ば強制的に換装されたクラリス特製の最新モデル。機能面の向上もさることながら、外見上は生身の腕と全く見分けがつかない機械の腕は、見ず知らずの少女に易々と看破されるような代物ではない。そして、レンのサイバー装備のことを知る者はごく限られている。
 むむむ、と考え込むレンを覗き込むようにして、レミーがにこっと笑ってみせる。
「だから『混線』なんだってば。意図して通信したわけじゃないんだと思うよ」
「えっと……つまり、彼女の心の呟きが、偶然この《指》を通して伝わってきたっていうこと?」
「うん。彼女の方は、お兄ちゃんに伝わってるなんて気づいてないんじゃないかな」
 一方的に聞こえてくる誰かの声。なるほど、混線とは言い得て妙だ。
 しかし、謎はまだ残る。そう、根本的な謎だ。
「なんで、SOSなんだろう?」
 あの時、彼女は困っているようでも、何かに怯えているようでもなかった。誰かに追われているようでもなかった。大体、セキュリティチェックの厳しい社内で不審者に追われるなんてことはそうないだろうし、そもそも――。
(あれ?)
 そうだ。彼女はマシンルームから出てきた。一介の中学生が、小さいとはいえれっきとした企業のマシンルームから、ごく当たり前のように。
「彼女は……あそこで何をしてたんだろう?」
 ライジングスターカンパニーはイベント企画会社だ。中学生が制服姿でうろつくような場所ではない。
『データによれば、彼女の叔父はライジングスターカンパニーの現社長です。居候先も社長のマンションになっています』
 《Selene》が穏やかに注釈を入れる。なるほど、それなら全く無関係というわけではない。
「アルバイトをしている……わけではないだろうな。中学生を働かせるのは違法だ」
「うーん……叔父さんを尋ねていったとか?」
 しかしマシンルームのような重要な場所に、身内だからといってほいほいと部外者を入れるだろうか。
「そう、そこがポイントだよね」
『そこで、先ほどの話に戻ります』
 《Selene》の声に顔を上げれば、彼女の姿はそこになく、代わりに映し出されていたのは、モニタを埋め尽くす膨大なアルファベットの羅列。
「この前、話したよね。《Selene》が何者かにハッキングを受けてるって。巧妙に消去された痕跡を辿って浮かび上がったのがライジングスターカンパニーだって」
「う、うん」
 確かに、あの時レミーはそう説明してくれた。だからこそ、レンが密偵の真似事をする羽目になったのだ。
『これは先日、ハッキングを受けた時の記録です。この時も巧妙に痕跡を消していましたが、唯一はっきりと残っていたものがこれです]
 白魚のような指先が示すのは、無数の文字列の中から浮かび上がった、アルファベットの連なり。

 ――― S O S ―――

「これも、SOS……」
 蘇る記憶。冷たい指先から伝わってきた無機質な感情は、なぜか悲しげで。
呆然とモニタを見上げるレンの隣で、うんうんと頷くレミー。その顔が妙に嬉しそうなことに気づいたクラリスが、ひょい、と眉を上げてみせる。
「これで、なんとなく繋がりが見えてきたよね」
「そうだけど……もっと分からなくなってきたよ」
 SOSの謎。そして何より、《Selene》に挑む、その目的。
「……もうちょっと、調べてみるしかないか」
 どうせ明日もシフトが入っているし、ライジングスターカンパニーはバンブー急便の上得意先だ。荷物の発送主や内容物、頻度を調べるだけでも何か分かるかもしれない。
「じゃあ、僕はこれで――なに? クラリス」
 がしっと腕を掴まれて振り返れば、そこにはいつの間にやら白衣に着替えたクラリスの姿があった。
「さあ、改めて点検といこう。全部脱いでくれ」
「えっ、ち、ちょっとクラリス――!?」
「ついでにその『指』の説明と訓練もしよう。レン、今日は帰さないぞ」
「えええええ―――!!」
「いってらっしゃーい」
 いつになく上機嫌なクラリスに問答無用で引きずられていくレンを、笑顔で見送るレミー。ただ一人、モニタに映し出された《Selene》だけが、憐憫の眼差しで呟いた。
『レンさん、お達者で……』


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