吹上坂
大学の裏手にある急勾配の坂は、その名も『吹上坂』という。
地形のせいで風が逆巻くこの場所では、スカートは捲れ、髪は乱れる。更に雨の日ともなると、雨粒が傘の中に吹きこんでくる始末。よってここでは傘など何の役に立たない。それを知っている地元民は、風が強い日には近寄ろうともしないのだが、しかし大学から一番近いスーパーへ向かうにはここを下りるしかないので、レインポンチョで出陣することにした。
強風に煽られ、ムササビのようになりながらも、何とか吹き飛ばされずに坂を下り終えて、ホッとしたのも束の間。
「いやあああああああああ!」
空から悲鳴が降ってきた。
見上げれば、大きなビニール傘にしがみついたまま宙を舞う少女の姿。まるで映画のようだ、と呑気な感想を抱いてしまったが、これはもしかして緊急事態では?
「だ、大丈夫ですかあああ!」
大慌てで着地予想地点へとダッシュする。間に合ってくれ、頼む!
「たーすーけーてぇぇぇ!!」
とうとう傘から手を離してしまった彼女は、そのままふわりふわりと風に運ばれて、まるで奇跡のように、すとんと僕の腕の中に納まった。
「ありがとうございます……」
よほど怖かったのだろう。すっかり涙目になっている。そりゃそうだ。風で傘ごと飛ばされるなんて経験、そうそう味わえるわけもない。
「空から女の子が落ちて来るなんてシチュエーション、本当にあるんだなあ」
思わず口走ってしまったら、ですよねえ! と力強く肯定された。
「まさか自分がそんなことになるとは、思いもよりませんでした!!」
ありがとうございます、と改めて頭を下げ、そして雨の中を駆けていく彼女。途中で何度も振り返っては手を振って、ぺこりとお辞儀をする。その仕草が何とも可愛らしくて。
思わず見惚れているうちに、彼女の姿は角を曲がって見えなくなってしまい――そこではたと気づく。
……ああ、なんてことだ。こんなことって現実にあるんだな。
空から落ちてきた子に一目惚れするなんて、まるで映画のような、ときめきのシチュエーション。
せめて名前だけでも聞いておけばよかった、なんて後悔しながら、とぼとぼと本来の目的地へ向かう。
――十数分後、スーパーでまさかの再会を果たすなんて思いもせずに。
吹上坂。そこは『恋に落ちる坂』。
風が吹くたび、きっと誰かの恋が始まる。
おわり