6.空を翔るもの 地を駆るもの
「はい、お代ね」
 硬貨を数えて渡しながら、エレミアは寝不足がありありと見える顔で、それでもどこか嬉しそうに続けた。
「いやあ、あんたの薬、本当によく効くよ。おかげでうちの子も大分元気になっていてね。あんたのおかげさ。ありがとうね」
「いえ、とんでもないです。お子さんの具合、早く良くなるといいですね」
 はいっ、と薬の包みを差し出してくるのは、家で寝込んでいるエレミアの一人息子と大して変わらない年頃の、あどけない笑顔の薬売りだ。つい三日ほど前から広場の片隅に店を広げていたが、最初はこんな年端も行かない子どもの作る薬など得体がしれないと、見向きもされないでいた。
 それでも、次第に物珍しさか客がつき始め、扱っているのが軟膏や熱冷ましといった、主婦に嬉しい品揃えだったこともあって、その評判をご近所さんから聞くようになった頃、エレミアの息子が季節外れの風邪を引いて寝込んでしまった。
 一向に引かない熱に、藁にもすがる思いで泣きついたところ、その薬がこれまたよく効いた。あれほど高かった熱も下がり、咳もすっかり治まってきて、今は『もう元気になったから外に出せ』攻撃にほとほと手を焼いているほどだ。
「お前と同じくらいのかわいこちゃんが作った薬なんだよ、なんて話をしたら、俄然元気が出たみたいでねえ」
 からかい半分に言ってやると、途端に顔を真っ赤にして俯いてしまう。そんなところがまた可愛らしいと評判になっていることなど、思いもつかないに違いない。
「ほんと、かわいいねえ、あんた。うちに嫁に来ないかい?」
「もうっ、エレミアさんったら。からかわないでくださいっ」
 そんな風に怒っているところもまた、実に可愛くて、ついからかいたくもなるというものだ。
 滑らかな白い肌に柔らかな薄茶色の髪。瞳と同じ明るい緑色の服に、素朴な刺繍の施された前掛けが実によく似合っている。日差しを遮るために被っている頭巾のせいで顔が半分くらい隠れてしまっているのが実に勿体ない。今は肩までしかない髪も、伸ばしてきちんと結い上げたなら、もっと垢抜けるだろうに。
「うちの馬鹿息子もアンタくらい素直で可愛ければいいんだけど、ヤンチャでしょうがなくってねえ。今日も外に出たいってごねるもんで、寝台に放り込んできたんだわ」
 実際のところは、そのかわいこちゃんに一目会いたいと言ってついて来ようとしたのだが、そこは黙っておいてやる。
「ちょっと元気になったところでまた無理をするとすぐにぶり返しますから、せめてあと二日は我慢してくださいって伝えてください」
 心配そうに答える薬売りに、確かに伝えておくよ、と笑って手を振り、踵を返そうとしたその時――。
「おや、なんだろうね」
 俄かにざわついた広場の様子に、眉を顰めて人々の視線を辿る。どうやら大通りの方から、誰かがこちらに向かってきているようだ。
 買い物客で賑わう中央広場、その雑踏がまるで鉈で割ったかのように二つに裂けて、そうして出来た道を悠々と歩いてくるのは――一種異様な雰囲気を醸し出す、黒ずくめの一団だった。
「なんだろうね、あの恰好。暑くないのかね?」
 この暑さの中、揃いも揃って黒い外套を頭からすっぽりと被り、無言で進む男達。その先頭を行くのは、ただ一人淡い色の衣装に身を包んだ長身の男だ。細く引き締まった体や整った顔立ち、そして何より颯爽とした身のこなしは、まるで物語に出てくる騎士様のようだったが、取り巻きの異様さで全てが台無しだ。更に――。
「ジャディス様! あそこに見える青い扉の店! あそこが旨い飯を出すそうですぞ! 行きましょう行きましょう、早速行きましょう!」
 甲高い声で喚きながらやってきたのは、男達と同じく黒ずくめの小男だ。手にした杖を振り回し、尚も喋り続ける小男を煩わしそうにあしらいながら、ジャディスと呼ばれた長身の男は青い扉の店へと足を向けた。そのあとを、黒ずくめの男達が無言で追いかけ、最後に小男が続く。
「いやぁもう、ワタクシ足が棒のようでございますぞ!! いかな重要任務とはいえ、こうも歩き通しでは腰に来ますなあ! いやほら! ワタクシ! 四十をとうに超えておりますし! ジャディス様はまだまだお若いからよいでしょうが、この年になりますと……」
「……少しは黙っていられないのか」
「アアこれは申し訳ない! でもねえジャディス様、これだけ探して見つからないとなりますと、そろそろ一度戻って、上にお伺いを立てた方が良いのではないかと、老婆心ながら、いえワタクシ婆ではないのですけれどもアッハッハッハッハ」
「……何か面白いことを言ったか?」
「イエッ、これは失礼、いやもうワタクシ、林檎が転げても笑いが止まらない年頃でして、困ってしまいますなあアハハハハハ」
「もういい。今後の方針については、食事をしながら話す」
 十人を超す団体でありながら、会話をするのは長身の男と長衣の小男だけ。しかも小男の方は奇矯な言動が目立つばかりか、ずるずるの黒い長衣に節くれだった杖、落ち窪んだ眼に生白い肌と、まるで絵物語に出てくる『悪い魔法使い』が頁から抜け出て来たかのような見てくれだ。
 怪しさ満点の一団に声を掛けようという猛者はおらず、人々が遠巻きに見守る中、奇妙な一団は食堂へと入っていった。その姿が扉の向こうに消えた瞬間、まるで魔法が解けたかのように、群衆がどっと動き出す。
「何だったんだ、あの連中……?」
「あんた、迂闊に関わらない方がいいよ」
 そんなことを囁き合いながら、三々五々と散って行く人々。そうしていつもの喧騒が戻ってきた広場で、エレミアはおかしな連中だこと、と肩をすくめながら、買った薬をいそいそと懐にしまい込んだ。家では熱が下がった途端に暇を持て余して管を巻いている息子が、母の帰りを待ち侘びている。早く帰らないと、それこそ脱走でも企みかねない。
「それじゃあね、かわいい薬売りさん!」
「は、はい。お大事になさってください」


 ひらひらと手を振って群衆の中に消えていくエレミアを、若干引き攣った笑顔で見送って、エルクはふう、と溜息をついた。
「だから嫌だって言ったのに……!」
 リファが嬉々として見立ててくれた『薬師として相応しい恰好』は、誰がどう見ても年頃の娘が着るような普段着の一揃いだった。散々抗議したのだが、ラーンは大爆笑して「最高に似合ってる!」と褒めちぎるわ、リファも澄まし顔で「これなら売上げ倍増間違いなしです」と言って譲らないわで、仕方なくこの格好で薬を売る羽目になってしまった。
 しかも、これがまた二人の読み通り、お客さんの評判がいいものだから余計に腹が立つ。
「おっと、そんなこと言ってる場合じゃないや」
 周囲をさり気なく見回し、商品の陳列を直す振りをしながら、右手首に嵌めた腕輪を口元に近づけ、何度も練習した合言葉を囁く。
 その途端、腕輪に刻まれた文様が鈍く光り、そしてすぐに消えた。反応はそれだけだったが、これでリファのつけているもう一方に伝わったはずだ。あとはリファ達の動きを待てばいい。
 いつでも動けるように店仕舞いをしつつ、彼らが吸い込まれていった食堂の入口をじっと見つめる。
 ダロスの町にやって来て四日目、ついに現れた黒ずくめの一団。
 先程の会話から察するに、彼らがこの後、一度本拠地に戻るという可能性も大いにありそうだ。
(食事しながら話をするって言ってたよなあ。それをこっそり聞けたらいいんだけど)
「よっ。あいつら、見つけたって?」
 急に背後から肩を叩かれて、ぎゃっと飛び上がる。そして振り返ったそこに見慣れた顔を認めて、エルクはどっと息を吐いた。
「ラーンさん、驚かさないでくださいよ!」
「わりぃわりぃ。ついさっき、門番のおっさんの使いだっていう奴が宿に飛び込んできてさ。それらしい集団が来たんで素性を問い正したら、警備隊発行の通行証を見せられたので、仕方なく通したっていうんだ」
「その伝言を聞き終わったところで、あなたからの合図があったので、慌てて来たんですよ」
 ラーンの後ろから響いてきた声に、えっ? と目を瞬かせる。そこにいたのはエルクと同じような明るい茶髪の、純朴そうな青年だった。しかしよく見ると、髪の色と目の色が違うだけで、その顔はリファそのものだ。
「リファさん!?」
「はい。ちょっと魔法で変装をね。持続時間が短いのが難点ですが、これなら目立たないでしょう?」
 確かに、髪と目の色が違うだけで、がらりと印象が変わる。更に服装もいつもと違うから、よほど親しい人間でない限り一目では気づかないだろう。
 一方、ラーンは目立つ赤髪を麦わら帽子で隠し、普段着の上から麻の前掛けをつけた『宿屋の下働き』の恰好だ。しかし、その長身とがっちりした体格はそのままなので、注意深く観察されたら気づかれてしまいそうだ。
「で? あいつらどっちに向かった?」
「あの青い扉の食堂です。店に入る前に、今後の方針については食事をしながら話すって言ってました」
 手短に説明すると、ラーンの目が物騒に光った。
「やっぱりな。よし、じゃあちょっと――」
「駄目ですよ。あなたとエルクはお留守番。私が行ってきます」
 ちぇ、と舌打ちをして、拗ねたように口を尖らせるラーン。
「裏口からちょっと様子を見るくらいならいいだろ?」
「うっかりすると連中に殴りかかりかねないので駄目です。エルク、ラーンと宿に戻って、彼が飛び出して行かないようきっちり監視していてくださいね」
「はい!」
 それでは、と手を振って、足早に去っていくリファ。その背中を見送って、ラーンはやれやれ、と溜息をついた。
「ったく、信用ないんだからなあ。いくら俺だって、いきなり殴りかかったりしないっての」
 それはどうかなあ、と内心で呟きつつ、曖昧な笑みを浮かべながらせっせと店仕舞いを再開する。連中がこの町に留まるつもりがないとしたら、こちらもすぐに動けるように準備しておかねばなるまい。
「やっと、お客さん達と仲良くなったんだけどな」
「俺も、ようやく宿の仕事を覚えたところだったけど、仕方ないな」
 商品を籠に詰め込み、剥き出しの地面に敷いていた布の土埃を払って、ざっくりと畳む。初めての商売は大変だったが、それでもやり甲斐があった。
 村で薬草摘みの手伝いをしているだけでは分からなかった、商売の難しさと楽しさ。エレミアのように感謝の言葉を惜しみなくくれる人もいて、それがとても励みになることを知った。
「ラーンさん。僕、まだまだ半人前ですけど、いつかはちゃんと自分で薬を作って、それで苦しんでいる人を一人でも多く助けられるようになりたいです」
 決意の籠った言葉に、ラーンはにかっと笑って、おうと頷く。
「ああ、お前はきっと、いい薬師になるよ。その時は俺用の傷薬もいっぱい作ってくれよな」
「怪我する前提で言わないでくださいよ!」
 もうっ、と口を尖らせるエルクの手からひょいと籠を取り上げて、すたすたと歩き出すラーン。
「ほら、宿に戻って荷造りだ。おっと、まずは着替えかな? かわいこちゃん」
「それを言わないでくださいっ!!」
 顔を真っ赤にして追いかけてくるエルクを肩越しに見やり、おおっとかわいこちゃんが怒った! などとからかいながら走り出すラーン。
「あー、もうっ!! ラーンさん!!」
「宿までどっちが先に着くか、競争な!」
「ずるいっ! 僕こんな格好してるのに!!」
 そうして楽しげに追いかけっこを始めた二人に鼻先を掠められて、猫が迷惑そうにニャアと鳴いた。