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 春に半壊したユーク分神殿は、瓦礫の撤去が終わり、屋根の仮補修だけは済んだ状態で放置されていた。
『石造りの建物を倒壊させるほどの突風ですか。それで死者が出なかったのは幸いでしたね』
「全くだ。怪我人も数えるほどしか出なかったし、壊れた建物はほとんど修理が終わってるからな」
 言いながら扉を潜り、がらんとした礼拝堂へと歩を進める。薔薇窓から降り注ぐ柔らかな光が、何もない祭壇を照らしている様は実に美しく、そしてどこか物悲しい。
「書庫の整理がなかなか終わらなくてな。分類したものから前任の司祭に渡してるんだが、とにかく量が多いんでね。運ぶのも一苦労だよ」
『なるほど。整理に時間がかかり、尚且つ置き場所をとるというのは、紙媒体の不便な点ですね』
「魔法使いなら、こういう仕事もパパッと済ませちまうんだろうが、生憎と俺の仕える神はそういう便利な術を授けちゃくれないもんでな」
 神々の息吹が息づく世界。この世界はそう呼ばれているという。神や魔法といった存在を抜きにしても、この世界はガーディにとって未知の世界だ。
 神殿までの道すがら、エスト村の様子もつぶさに観察してきたが、この世界には電気やガス、機械といったものがない。照明は蝋燭、調理は竈、機械と呼べるものは時計くらいか。
 そして何よりもガーディを驚かせたのは、『宇宙』という認識が一般的ではないことだった。ほとんどの人は、この青い空の上には神々の世界がある、程度の認識しかないらしい。
 その『宇宙』からやってきた来訪者を一目見ようと、先ほどから分神殿にはひっきりなしに村人が訪れていた。純朴を絵に描いたような村人達だが、謎の卵のおかげで不思議な存在に慣れてしまっているのか、一見して奇妙に映るだろう白銀の球体を見ても怖がったりすることもなく、親しみを込めて声をかけてくれる。
「事故で卵と入れ替わっちまうなんて、えらい目にあっただな」
「でも神官さんのところに落ちてくるなんて、ついてるだよ。神官さんは面倒見のいいお方だからなあ」
 などと、面映いことを面と向かって言われ続けているラウルは、さっきから顔が引きつりっぱなしだ。
 やっと野次馬がいなくなってほっと一息ついたところで、彼方からけたたましい足音が聞こえてきた。振り向けば、長い神官衣の裾を絡げて走ってくるカイトの姿が見える。仲間達を引き離し、驚異的な速度で飛び込んできたカイトは、開口一番こう告げた。
「ラウルさん! 月です! 月だったんですよ!」
「はあ?」
「だから! 月です! 今夜は、満月、なんですよ!」
 息を切らしながら、もどかしそうに言うカイト。ようやっと追いついてきたエスタスがその背中をさすりながら、もっと順序だてて話せとたしなめる。
「はあ、すみません。つい、興奮してしまって」
 ぜいぜいと息を整えつつ、カイトが説明するところによると、全ての原因は月にあるという。
「月は魔神リィームの居城。満月の夜は、月に満ちた魔力が最大限に高まるんです」
 魔力は世界律を自在に書き換える力。故に、満月の夜には時空の歪みが多く発生するという資料を見つけたのだと、カイトは喜色満面で続けた。
「それにもう一つ、アイシャ曰く、あの卵は光に反応しているというんです」
「光に?」
 やっと追いついてきたアイシャを窺えば、無表情のままこくりと頷いて、珍しくも補足説明など入れてくれる。
「晴れの日は、元気。夜になると、静か。月の夜は、わくわく」
 確かに、言われてみればその通りだ。そして昨日  満月に程近い夜は、妙に浮かれた感じではなかったか。
 と、じっと黙り込んでカイトの話を聞いていたガーディが、おもむろに口を開いた。
『今のカイトさんの発言を受け、事態解決の手掛かりを発見しました』
「手掛かり?」
 四人の声が重なる。四対の視線を一身に受け、ガーディは話を続けた。
『私の元いた世界、というよりは元いた場所ということになりますが、そこには衛星――月が二つあります。こちらの世界の月よりも大分小さいものですが、その二つがもうじき満月を迎えます』
 勿論、ガーディの世界に『魔法』という概念は存在しない。しかし、異なる世界に同じ鍵が揃っているとすれば  。
「光に反応するという特性を備えた卵が、月の光に呼応していたとしたら? そこに、魔力の高まりを受けて時空の歪みが発生したら?」
「二つの世界で同時に起こった時空の歪みが繋がって、その場にいた者同士が入れ替わった、か。可能性は高いな」
「今夜は満月です。そして、ガーディさんの世界でも月が満ちる。これは偶然とは思えません。月が満ちる瞬間を狙って、再び大きな力を使えば……。そして、これは希望でしかありませんが、向こうの世界に行った卵が、同じように帰還の手段を講じていれば、双方からの同時干渉で時空の穴が開くかもしれません!」
 拳を振るっての力説に、どっと拍手が沸き起こる。
「仮定でしかありませんが、試してみる価値はあると思うんです」
「そうだな。今夜を逃したら一月も待つことになるし」
 ガーディの動力があと三日しかもたないことを考えると、今夜を逃せば永久に機会が失われる可能性の方が高いのだ。
『時空を歪ませる力を、ということでしたら、私本体の超光速ドライバをもう一度作動させれば良いと推測します』
「それじゃ、月が完全に満ちる時間をきちんと計算しないと」
「場所はどこがいいかな? 月の光が良く当たる場所がいいだろうし」
「地図を持ってきて検討しましょう。あとはそうですね……」
 一度動き出した歯車は、滑らかに時を刻む。
 てきぱきと帰還方法が検討され、何度も試算を繰り返した結果、決行は満月がもっとも冴え冴えと輝く深夜となった。


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