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【1】

〜東の塔 復活暦705年・秋〜


「……なんだって?」
 その報告を受けたとき、ディオはまだ半分ほど眠りの世界にいた。何しろここの所、会議に続く会議でろくに寝ていないのだ。せめてもの休息をと昼寝をしているところを邪魔されたとあって、かなり不機嫌そうな顔をしている。くだらない話だったらキレるぞ、といいたげだ。
 報告に来た青年も、それが分かっているだけに、下手に機嫌を損ねては大変と、慎重に言葉を繰り返した。
「ですから、改修中のシエナ劇場から、宮廷魔術士ノーイの手記と思われるものが発見された、と……」
「ノーイだと!?」
 その単語に、ディオの眠気は一気に退散する。
「そいつはどこにある? え? 一体誰が見つけたってんだ!?」
「は、はい、ええと……マースヴァルトの魔術士ギルドに保管されているとのことで……発見者については、こちらには報告されてません」
 ディオの勢いに押されながら報告するのは、彼に精霊術を師事している青年だった。この『東の塔』へやってきてすでに一年半、ディオの弟子として日々忙しい毎日を送っている。いや、弟子とというより、仕事嫌いな彼を何とか宥めすかして仕事をさせることが本業と化しているのが現状だが。
 そんな彼を、『塔』の人間は親しみを込めてこう呼んでいる。曰く、『ディオのお目付け役』と。
 シーゼスという本名で呼ばれたことなど、ほとんど皆無だ。なんとも情けないやら、情けないやら……。
「魔術士ギルドだな? 分かった」
 ディオはその答えを聞くや否や、仰々しい飾りのついた長衣をむしり取るようにその場に脱ぎ捨てると、一目散に部屋を出て行ってしまう。
「あ、あああディオ様!? 午後からの会議は……」
「知るかそんなの! リファとラァラに任せた!」
 すでに姿は扉の向こうに消え、声だけが返ってくる。
「そ、そんなあ……怒られるのは僕なんですよ!?」
 午後から予定されていた会議は、はるばる南大陸からやってきた『南の塔』三賢人の一人を交えて、禁呪についての取り扱いを決める重要なもの。だからこそ、嫌がるディオを宥めすかして正装までしてもらっていたというのに。
 しかし、一度動き出した彼を止めるのは、はっきり言って無理というものだ。それはこの一年半ちょっとで身に染みて分かっている。
「はぁぁ……」
 深いため息をつきながら、シーゼスは弁解の文言を頭の中で組み上げはじめた。


「おや? どちらへ行くんですか?」
 塔の前で掃き掃除をしていた金髪の佳人は、目の前を風のように通り過ぎていく赤い髪の青年にのんびりと声をかけた。
「え? わ、うっ……」
 呼び止められたと気づいて立ち止まったディオは、声をかけてきた人物に気づいて目を丸くし、すぐにばつの悪い顔をする。一番見つかりたくない人間に出くわしてしまったのだ、無理もない。
「もうすぐ会議じゃありませんでしたっけ?」
 ほうきを手に首を傾げてみせるその人物こそ、ディオと同じく『東の塔』三賢人を務める一人、リファである。
 ディオにもうすぐ会議だと言っておきながら、こちらも呑気に掃き掃除などしているあたり、なかなか侮れない。もっとも、その気になれば一瞬にして正装に着替え、会議の場に移動することくらい訳もないからこその余裕であろうが。
 革命の五英雄に数えられ、稀代の魔術士と称されるディオではあるが、何を隠そうこのリファにだけは魔術で勝ったためしがない。それほどまでに驚異的な魔術の腕前を持つ人物であるが、ディオが知る限り、本気で魔術を行使したところを見せたことがない。いつも温和な笑みを浮かべながら、いとも簡単に魔の力を振るってみせるリファは、ディオにとって心から尊敬できる数少ない魔術士であるとともに、敵に回したくない人物の筆頭でもある。
「ちょっと用事だ。魔術士ギルドに行ってくる」
 実力行使で捕まらないうちに、とディオは早口で答え、その場から離れようとする。そんな彼にリファはのんびりと言葉を返す。
「まあ、今更あなたの突飛な行動を止めようなんて無駄なことは考えませんが、随分急ですね? 今日でなければいけないのですか? 今回は、あなたが主役のようなものなのに」
 そう。今日から話し合われる議題は、禁呪の見直しについて。もっと詳しく言うならば、今まで禁呪と指定されていたいくつかの術を、禁呪から外すための話し合いだ。
 ディオが数年前から研究を続けていた空間転移の術。これは今まで、空間への悪影響を考慮して禁呪と認定されていたが、術の構成について研究を重ねたディオによって、影響を抑え、誰にでも行使できる段階まで改良が進められている。それを受けての話し合いだった。
「ああ、急ぐんだ。なるべく早く帰るから、頼む」
 行かせてくれ、と真剣な眼差しで見つめてくるディオに、リファは肩をすくめる。
「仕方ないですね。これは貸しですよ?」
 一度思い立ったら止まらないディオの性格。いつだって彼は自分の心に正直だ。
「げ、まじかよ」
「はい、まじですよ。いいからさっさと行って帰ってらっしゃい。どうせ話し合いは長引くでしょうしね。寄り道しないで帰ってきてくださいよ」
「ああ。……それじゃ、行ってくる」
 そう言って再び走り出すディオ。その後姿が、一年半前の出来事と重なる。
 東大陸で動乱の気配がたちこめ始めたあの時。首都マースヴァルトの様子を探るべく向かったディオは、一度も振り返らずに塔を去っていった。
 そして今もまた。彼は振り返ることなく、真っ直ぐに、心の赴くままに突き進んでいる。
「若いって……いいですねえ」
 年寄りじみた感想を呟きつつ、リファはきれいに掃き清められた玄関前を満足げに見回すと、ほうきを手に塔へと入っていった。
 ディオが抜けた分、会議の進行役はリファに回ってくる。思いがけず忙しくなりそうだ。
「全く、あなたって人はいつまでたっても、変わらないんですから」
 ディオがこの塔の前でリファに拾われて、もう三十年近く経つ。
 その間、ずっと彼の成長を見つめ続けてきたリファの感慨深い呟きは、風に乗って彼方の空へと消えていった。
 空は快晴。風は誘うように、軽やかに吹き抜ける。
「くれぐれも気をつけていきなさい、ディオ」
 そんな祈りの言葉が、届いたかどうか。

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