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【3】

〜ノーイの手記 復活暦667年・晩春〜


 その噂を聞いたのは、旅の途中だった。
 高齢を理由に宮廷魔術士を辞したとある老魔術士の元へ、資料を受け取りに首都を旅立ち、一月も経った頃。
 途中多少の寄り道もして、ようやく目的の資料を受け取り、老魔術士の館を後にした私が、たまたま立ち寄った街道沿いの宿屋でそんな噂話を耳にしたのは、全くの偶然だった。
「ライゼルの村に、それは綺麗な娘さんがいるらしい」
 それは、宿屋の食堂で背中越しに聞いた、旅人たちの何気ない会話。
 しかし、何故かその言葉は私の心に響いてきた。まるで、天の啓示であるかのように。
「ライゼル? どこだ、そりゃあ?」
「ここからちょっと離れた、何もない農村なんだがな。そりゃあもう、目の覚めるような別嬪さんなんだと。艶やかな髪はまるで紫水晶の如く煌き、透き通るような肌は白磁のようとくらぁ」
「そりゃ随分な……しかしそれじゃあ、村の男が放っておかんだろうよ」
「それがな、よくは知らないんだが、言い寄った男どもは揃って、あの娘には近づかない方がいいと口を揃えているらしい」
「なんだ、そりゃ? よほど性格が悪いとか何かか? それとも、極度の男嫌いとか……」
「さあな。しかし勿体無いことだ。俺だったら是非ともお近づきになりたいもんだがな」
「やめておけ。お前なんぞじゃ鼻も引っ掛けてもらえんよ」
「はは、そりゃそうだ」
 旅人たちの話題はすぐに切り替わり、他愛もない雑談に花を咲かせ続ける。
(紫の髪の娘、か……)
 まったく、無知というのは恐ろしい。
 彼らのやりとりを聞いただけで、私には全て分かった。その娘が何者か、そして、言い寄った男達が何故、彼女には近づかない方がいいと言ったのかも、凡そ見当が付く。
 しかし、彼らの無知を笑っても仕方のないことだ。首都から遠く離れたこの辺りでは、我ら魔術士に対する知識も理解もまだまだ乏しい。
 国内には魔術士の集う「東の塔」を有するこのヴェストア帝国の領土内であるというのに、全く嘆かわしいことだが、そんなことを嘆いていても仕方ない。
 いかに魔術士が強大な力を持とうとも、それはこの世にほんの一握りしか存在しない、稀有な命。一般人にはどうしても馴染みが薄い。
 残っていた茶を飲み干すと、私は席を立った。そして、
「主人。ライゼルの村というのは、どのあたりかな」
 店の主人にそう尋ねる私に、背後の旅人達は怪訝そうに振り返った。


 そこは、まさに田舎の小村だった。
 ライール山脈に程近い穀倉地帯の村。街道からも外れ、旅人すら滅多に立ち寄らないという、牧歌的で閉鎖的な村。
 そこに、彼女はいた。
「あの娘が、そうだな?」
「は、はい。そうでございます」
 卑屈なまでに畏まるこの村の村長の答えに、私は頷いて歩き出す。
 村はずれの小さな水車小屋。その階段に腰掛けて、彼女は小鳥と戯れていた。
 深い紫色の髪。まるで紅玉のような瞳。抜けるように白い肌は、まさに滑らかな白磁の如く。
 あの旅人のひねくり出した精一杯の美辞麗句も、彼女にはまさにふさわしい。いやむしろ、あれだけの言葉では足りないくらいに、彼女は美しかった。
 しかし、何よりも私を驚嘆させたのは、こんなに離れていても分かる『魔』の波動。
 それは紛れもなく、彼女から発せられているもの。
 私の読みは外れていなかった。
 静かに歩み寄る私に気づいて、彼女はつい、とこちらを見つめてくる。
 深い紅の双眸が、私を射抜く。穏やかな、しかし力に満ちた瞳。
 この時、私は知ってしまった。
 彼女こそ、私の捜し求めていたものだと。
 一生をかけて仕えるべき、主君なのだと。
 何故か直感的に、そう分かってしまったのだ。
 その瞬間から、すでに運命の歯車は回り出していたのだろう。ゆっくりと、しかし確実に――。
「どなた?」
 柔らかな声。肩に、膝の上に、そして指先に小鳥を止まらせながら、彼女はこちらを見ている。
 そこには、見知らぬ人物に対する怯えや恐れはない。それだけでも、彼女が普通の少女でないことが分かる。
 滅多に訪れない旅人に、ありありと怯えや恐怖を見せた村人達。
 そして、宮廷魔術士だと名乗った途端に萎縮し、まるで腫れ物にでも触るように接してきた村長。
 無理もない。宮廷魔術士といえば帝王の側近。彼らにとっては雲の上の存在であろう。この反応は至極当然で、これが首都であっても、我ら魔術士は一目置かれる存在として扱われている。
 その服装は、見るからに普通の旅人とは異なる。旅の妨げにならぬよう軽装にはなっているが、長衣と杖だけは欠かせない。おかげでどこにいても目立ってしまうが、仕方のないことだ。
 そんな、見るからに怪しい私に対して、彼女はごく自然に接してくる。
「旅のお方?」
 小首を傾げて尋ねてくる彼女に、遅れてやってきた村長が大慌てで彼女を怒鳴りつける。
「ルシィ! この方は、首都からやって来られた宮廷魔術士様だ! 滅多な口を利く……」
「よい。下がっていろ。私は彼女に用があるのだ」
 村長の言葉を遮り、私は彼女に歩み寄った。
 見知らぬ人間に怯えたのか、小鳥達が一斉に空へと羽ばたいていく。
 残念そうに小鳥を目で追っていた彼女だったが、すぐに気を取り直してかこちらを見つめてくる。
「魔術士様が、私に何のご用でしょう?」
 年は十五と聞いていた。しかし、彼女の口調は落ち着いた、知的な印象を与える。とても、こんな辺鄙な田舎で育った少女のものとは思えない。
「私はノーイという。王宮に仕える魔術士だ」
「ルシィと申します。この村で、独りで暮らしております」
 独りで? 私が怪訝そうな顔をするのに気づいて、ルシィは付け加える。
「両親を幼い頃に流行り病で亡くしまして、それ以来、村長さんにお世話になりながら暮らしています」
「なるほど……。お前は、今の暮らしに満足しているか?」
 唐突な質問に、ルシィはきょとん、と首を傾げる。
「どういう、意味ですか?」
「私が、お前の持つ力を存分に生かせる場所へ連れて行くことが出来る、と言ったら」
 その言葉に、村長が口を挟んできた。
「失礼ですが、それはどういうことですかな? ルシィはただの、田舎娘に過ぎません。そりゃあ多少見目はいいかもしれませんが、都会へ連れて行ったところで、何の役にも……」
 ため息をついて、私は村長を見やった。少々睨んでしまったのは、致し方あるまい。この無知な男のせいで、彼女はここで無駄な時間を過ごしていたのだから。
「村長。彼女は、魔女だ」
 その言葉に、村長は飛び上がらんばかりに驚いた。
 しかし言われた方のルシィと言えば、穏やかな表情を変えずに、私を見つめている。
「お前は、自らの力に気づいていたのか」
 そう問いかけてみると、ルシィは小さく頷いてみせる。
「なんとなく……でも、意識して使ったことはありません」
 そうだろう。遠く離れていても感じられる魔の波動は、とても訓練なしに使いこなせるようなものではない。今まで無意識に発動したことは何度もあっただろうが、意識して使えなければ魔術士としては意味が無い。
「そ、それじゃ、今までお前に言い寄ってきた男が何故か怪我をしたり、川に落ちたりしたのは……!」
 震える声で呟く村長。そんなことがあれば、言い寄った男たちはみな、彼女には近づくなと言うわけだ。やはり、推測どおりである。彼女の意思とは関係なく、魔の力が言い寄ってくる男どもを撃退していたということだ。もっとも、彼女自身に男たちを厭う気持ちがあればこそ、だろうが。
「私は、そんな……」
 困ったような顔をするルシィ。村長が余計なことを言わないうちに、私は先手を打った。
「お前のせいではない。お前はただ、力を制御する術を知らないだけだ。それもこれも、お前の力に気づかなかった村長、お前の責任だな」
「そ、そんな……」
「お前には、溢れんばかりの魔の力が宿っている。それを操る術を身につければ、お前は稀代の魔女と呼ばれるほどの存在となるだろう」
 そう。彼女の力は、現在の宮廷魔術士の誰よりも強い。そう、この私よりも。
 しかしそれを妬む気持ちは、不思議となかった。いや、これほどまでに圧倒的な力の差を見れば、嫉妬心など吹っ飛んでしまうというものか。
 むしろ、この娘が魔術を習得し、偉大なる力を自在に行使する姿を、是非とも見てみたい。そんな欲求にかられていた。
「私と来る気はないか? ルシィ」
 手を差し伸べて、待つ。
 少女は私を見つめ、村長を伺い、そして少し考えた後に、そっと私の手に小さな白い手を預けてきた。
「……この力が、誰かの役に立つのなら」
 望めばどんなことも叶う力を持ちながら、彼女はそんな言葉を口にした。
 それが、無知ゆえのものでないことに、私は気づいていた。
 この少女は、生まれながらにして気高い魂を持っているのだ。
 強大な魔力を持つが故に驕り、力に溺れて堕ちていったものをこの目で何人も見てきた私にとって、彼女の存在はまさに、奇跡に等しかった。
 ああ、神よ。ファーンの大地を見守る十一の神々よ。
 私は神職に就くものではないが、今はあなた方に祈ろう。この奇跡を。この出会いを。

 そして、問おう。
 何故にあなた方は、斯様な運命を彼女に与えたのか、と。

 ……いや、神を罵る資格は、私にはないのだろう。
 なぜなら、もしも私が彼女を連れ出さなければ、このような結末は用意されなかったはずなのだから。
 しかし、歴史に「もしも」はない。時の流れは容赦なく、未来へと我らを運んでいく。
 私はルシィを連れ、首都までの長い道のりを進んでいった。
 それが悲劇のはじまりだと、気づきもしないで。

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