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【4】

〜ノーイの手記 復活暦667年・晩春〜

 ヴェストア帝国。
 それは、東大陸ケルナの南方一帯を支配する、強大なる帝国である。
 その歴史は隣国シールズに次いで古く、ファーン復活暦71年にまで遡る。
 建国の祖は、中央大陸アストアナ王国の王位継承者。しかし継承戦争に敗れ、新天地を求めてこの東大陸に渡り、ここで新たなる帝国を樹立したと伝えられる。
 建国以降、シールズ神聖国と幾度も勢力争いを繰り返しつつ、帝国はその名を大陸に、そして世界に知らしめている。
 初代から苛烈なる帝政を敷いていたヴェストア帝国だったが、それが民衆を、更には貴族達特権階級までをも震撼させるようになったのは、数代前からのことか。
 思えば、その頃からすでに帝政は崩壊の一途を辿っていたのだ。
 圧政に耐えかね反旗を翻したシュトゥルム公爵が、飛び地として支配していた北方の公爵領を独立させたのは復活暦654年。
 ヴェストア帝国内に魔術士の塔『東の塔』が作られ、治外法権を巡って一騒動となったのが復活暦660年。
 どちらも最終的には平和的解決に至ったが、しかし帝国の圧政はなおも続き、民衆を喘がせていた。
 はっきり言ってしまおう。私には民衆の喘ぎも、帝国の衰退も興味がなかった。
 私は宮廷に仕える魔術士。魔術士にとって、魔術の研究は使命といっても過言ではない。それには資金も場所も必要で、それを提供してくれるならば誰でも良かった、というのが本音である。
 三代前の帝王が優れた魔術士であったことから、それ以降ヴェストア帝国では魔術至上主義が蔓延している。宮廷魔術士の地位も上がり、帝王を補佐するまでになっていた。
 現在の帝王は、御年67歳になられるベルトラン陛下。残念ながら魔術の素質には恵まれなかったものの、深い知識を持ち、賢帝の異名をとる。
 そして、その帝王ベルトランがおわす王城ヴィルノイエを抱く首都こそが、このエルラント。輝ける街とも呼ばれる、まさに帝国の中心地だった。
 エルラントを一望できる丘の上で、ルシィは息を飲んで眼下の景色を見つめていた。
「これが首都エルラント。今日よりお前の暮らす街だ」
「なんて……大きい街なのでしょう」
 故郷のライゼル村から、はるばるやってきた首都。村にいた頃は想像も出来なかったであろう広大な都市で、これから彼女は生きていくことになるのだ。
 都市で暮らすには、色々と知っておかねばならない常識や知識がある。彼女が不自由をしないよう、私は旅路の合間を縫い、教えられる限りの知識や礼儀作法を叩き込んだ。
 もとが聡明な彼女は、まるで乾いた大地に水が染み込むように、様々な知識を吸収していった。今の彼女ならば、何処に出しても恥ずかしくないと自信を持って言える。
 それと同時に私は、彼女に魔術士としての修行を課した。といっても、旅の途中に出来ることは基礎中の基礎でしかなかったが、訓練の甲斐あって、初級魔術士が覚える、明かりや炎、風を操る程度の術なら難なく使えるようになっていた。
 彼女はこつさえ掴めば、いとも簡単にそれらの術を行使した。今まで使い方を知らなかっただけで、彼女には計り知れない魔の力と、そして先天的な魔術の素質があった。かけだしの魔術士ならば二年も三年かかって修得する複雑な魔術理論を、感覚的に理解してしまう彼女に、驚きを通り越して畏怖の念すら覚えたものだ。
「あの大きなお城が、ヴィルノイエですね」
 ルシエラが指を指した方角には、白亜の城が聳え立っている。そう、あれこそが王国のまさに中枢、王城ヴィルノイエ。私が暮らす場所でもあり、彼女がこれから生きていく場所でもあった。
「ああ、そうだ。お前は今日から、あの城で生活をすることになる。……不安か?」
「いいえ。だって、ノーイ様もあちらで暮らしているのでしょう?」
「ああ、そうだが」
「それなら、何の心配もいりません。違いますか?」
 ルシィの言葉に思わず苦笑してしまう。まったく、この娘ときたら。
「前から思っていたが、お前は何故、私を怖がったり、恐れたりしない? 突然やってきてお前を首都に連れて行くなどという男に、どうしてそこまで気を許せる?」
 私が人攫いだったらどうするというのだ? そう尋ねる私に、ルシィはまあ、と笑う。
「ノーイ様は、悪い人攫いなんですか?」
「いや、勿論違うが……お前の住んでいた村では、魔術士などを目にする機会もないだろう? 怪しいとは思わんのか?」
 いや、何も私の風体がいかにも怪しいと言っているわけではない。
 私は、口調こそ年寄りくさいとは言われるが、まだ20になったばかりだし、父親譲りの白銀の髪や母親譲りの深緑の瞳、そしてこれは少々不本意ながら、女性的に見られる面立ちは、宮中の女たちから羨ましがられることもあるほどだ。もっとも、それを嬉しいと思ったことなどないが。
 もっとも、女性に関心を持ったことなど生まれてこのかたない。私の人生は、研究に捧げられている。そういうと、勿体無いだの、宝の持ち腐れだの言われるが、これは性分だ。致し方ないではないか。
 自分でも人当たりの悪い、極めて利己的な人間だと自覚しているし、それを直そうと思ったこともない。
 というわけで、私に対する一般的な風評は、「見てくれはいいが冷徹で頭でっかちの小生意気な魔術士の若造」といったところだろう。
 そんな、私が言うのもなんだが、友達にはしたくない候補の筆頭に挙がるだろう私に、しかしこの少女は、首を横に振り、微笑みながら言ってくる。
「ノーイ様はやさしい人ですもの」
 やさしい? この私が?
 目を丸くする私に、ルシィは続ける。
「この一月の間、旅慣れない私をいつも気遣ってくださいました」
「それは当たり前のことだろう?」
 旅の途中で倒れられたら困る。私がいかに優れた魔術士であるとはいえ、人一人を抱えて旅が出来るような便利な魔術の持ち合わせなどない。これが体力のある人間なら背負っていこうとも考えるだろうが、魔術士というものは大概、体力には自信のないものだ。勿論、私も例外ではない。
 そういうと、ルシィはなおも笑った。私はそんなにおかしいことを言っただろうか?
「本当に冷たくて、自分の都合しか考えない人なら、私が病気や怪我で倒れようがお構いなしで旅を続けると思います」
 そんなものだろうか。
 優しいなどと言われたのは、生まれて初めてかもしれない。
 気恥ずかしさから、つい意地悪な言葉が口をつく。
「それでも、私はお前を出世の材料に利用しているかもしれないし、お前の魔力を悪用して、悪いことを企んでいるかもしれないぞ?」
 出世の材料、はあながち嘘ではない。
 私は、彼女を宮廷魔術士に推挙するつもりだった。これだけの人物を探し出してきたのだ、それだけでも上層部の覚えはよくなるだろうし、彼女が力をつければつけるほど、私の評判も上がる。
 今の私はといえば、位で言えばただの研究員でしかなく、宮廷魔術士の中でも最下層に属している。能力的にはもっと上でもおかしくないと自負しているが、何分若造だ。今は仕方がない。
 なにも頂点にまで登りつめようなどと思ってはいないが、もう少し地位が上がれば好きな研究を思う存分できるのだ。少なくとも今回のように、資料を受け取るために辺境まで足を運ぶような雑用からは解放される。
 しかし、ただルシィを利用しようと連れてきたわけではない。
  宮廷魔術士に彼女を推す理由としては、まずあの村にいては彼女の才能が生かされないことが第一。
 そして彼女の成長を間近で見たいというのが第二。
 最後はというと、魔術士ギルドに彼女を渡したくないので、必然的に宮廷を選んでいるというものだ。
 街には魔術士達が作り上げたギルドが存在し、魔術士の養成・研究機関である「塔」とも連携を取って魔術の研鑽と普及に努めている。しかし、あのギルドに彼女を置くことは考えられなかった。
 現在のギルドは、宮廷と何度も衝突を繰り返している。その一因には、帝国が課した莫大な税金があるのだが、そもそもギルドと帝国とは思念が相容れないのだ。魔術士の力を宮廷に独占したい帝国側と、あくまで民間にて魔術の普及に努めようとするギルド側。対立するのは致し方ない。
 私はといえば、ギルドの思想に反対するわけでもないが、宮廷にいればギルドの規定に縛られず、思う存分研究ができる事を理由に、宮廷に籍を置いていた。
 はてさて、私の意地悪な問いかけに、ルシィはきょとんとしていたが、すぐにこう答えてきた。
「ノーイ様は、悪い人ではありません」
 真っ直ぐこちらを見てそう断言されると、なにかくすぐったい。何故だろう。
「私は、ノーイ様を信じていますから」
 そうか。彼女はただひたすらに、私を信頼してくれている。それが、くすぐったかったのだ。
「さあ、日が暮れてしまう。行くぞ」
 くすぐったさに、ついぶっきらぼうに言って歩き出す私を、ルシィは嬉しそうに追いかけてくる。
 夕日に照らされた影が丘に伸び、まるででたらめな踊りを踊っているかのように揺れながら、首都へと繋がる道を進んでいく。

 こうして、私と彼女は運命の街、首都エルラントへと足を踏み入れた。
 彼女はすぐに宮廷に迎え入れられ、私の下で修行に励むこととなった。
 平穏な日々がしばらく続いた。それは、私の人生の中で一番充実した時間だった。

  そう、あの日までは……。

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