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5.遭遇 |
「何もないな」 「何もないね」 溜息交じりの声が部屋にこだまする。 通路の先に広がっていた空間は、これまた人の手が入った形跡こそあったものの、見事なまでにがらんどうだった。何かが置かれていた様子もなく、岩盤むき出しの床面には足跡一つ見当たらない。 「ふむ、まだ先に通路が続いているが……」 壁にぽっかりと開けられた穴を示してみせるダリス。すると、ハーザが誰よりも先にきっぱりと答えた。 「何もないなら素直に進む!」 言うが早いか歩き出すハーザを、シェリーが角灯を掲げて追いかける。 「おい、ちょっと待てよ! 明かりもなしに――」 唐突に途切れた台詞。どうした、とシェリーの後ろから首を伸ばしたキューエルが、うげっと奇妙な声を上げる。 「なんだ、何がいた?」 「す、す、す――」 ひっくり返ったハーザの言葉は最後まで紡がれることなく、シェリーの甲高い悲鳴によって掻き消された。 「きゃー!!!!!」 それは魔法大国ルーンの生物実験が生み出したものとも、はたまた邪悪な精霊使いが水の精霊を歪めて作り出したともされる、不定形の粘液生物。 悲鳴に引き寄せられるように天井をずるずると這ってきたのは、まさしくスライムと呼ばれる怪物だった。 「ぅ、うわぁっ……俺はぬる系はいや」 そう呟きながら回れ右をするキューエルの横を、青い顔をしたシェリーが脱兎の如く駆けていく。 「スライムか、実物を見たのは初めてだな」 こんな時でも冷静なラルフは、ゆっくりとではあるが天井を移動し続けるスライムを見て、ふと呟いた。 「光に反応しているのか……? シェリー、角灯を消せ」 そう言いながら、そそくさと自身の杖を外套で覆い隠すラルフ。すでに先ほどの通路辺りまで逃げ出していたシェリーも大慌てで角灯の炎を消し、辺りは通路の先、大広間から漏れてくる僅かな光で照らされるだけとなった。 「全然動きが止まらないよ!?」 暗闇の中もある程度なら見通せるハーザが、天井にへばりついたスライムを見上げてそう叫ぶ。 ほのかな光に照らされ、ぬらぬらと輝く透明なその体。鈍足で、さしたる知能もないスライムは一見無害に見えるが、その体は他の生き物を取り込んで吸収するという恐ろしい性質を持つ。一度取り込まれてしまったら最後、生きながらじわりじわりと溶かされて、やがては同化させられてしまうのだから、たかがぬるぬる、と侮れば命取りになる。 「この大きさだと、大分色々取り込んでいるな」 ふむふむと頷くダリスに、引きつった顔で怒鳴りつけるシェリー。 「冷静に分析しないでよっ!!」 「おっと、これはすまない」 「スライムには炎が有効……とはいえ、こんな狭いところで魔法を使うのは危険か」 不利と悟って、ラルフは鋭く叫んだ。 「ハーザ、そこからその部屋の中が見えるな? 薬草らしきものはあるか」 「えええええ、えっと、ないっ!」 おののきつつも奥の方をぐるりと見渡して断言するハーザ。それを聞いてよし、と頷き、そしてラルフはきっぱりと言い放った。 「逃げよう」 その言葉を待っていたかのように、シェリーとキューエルが先陣を切って走り出す。 「実はあっちの方が早かったりして」 ハーザの漏らした呟きに応えるかのように、頭上を移動するスライムの動きがぐん、と速さを増した、ような気がした。 * * * * *
走る、走る、走る。 滑りながら頭上を追ってくる粘液生物から逃れるべく、通路を抜け、大広間を越えて、最初の広間まで戻ってきた一行は、ほとんど勢いのままに、先ほど後回しにしたもう一つの通路へと突入していた。 通路はすぐに幅を広げ、薄暗い空間が目の前に広がる。ようやく一息つけるか、と思った矢先――。 「奥に何かいるぞ!!」 キューエルの声にはっと顔を上げ、薄闇の向こうに複数の気配を感じて、シェリーは素早く身構えた。 「またスライム!?」 「いや、違う――土鬼だ」 覆いを外し、杖を高々と掲げるラルフ。その青白い光に照らし出されたのは、今まさに食事中――献立については言及を避ける――の土鬼の姿だった。 数は三頭。突然の乱入者に驚いて不快な唸り声を上げる姿は、まさに鬼と呼ぶに相応しい。どこで調達したのやら、体に合わぬ防具を身につけ、床に放り投げてあった武器を手にしてこちらを威嚇する二頭。残る一頭はずたぼろの長衣を纏い、手にはさび付いた杖を握りしめていた。 「まずい、あいつは――」 焦ったようなラルフの声を遮り、どこか怨念めいた唸り声がこだまする。次の瞬間、ラルフの杖に宿った光が弾け、そこから分裂した光の玉がキューエル目がけて襲い掛かった。 「うわっ、なんだこいつは!?」 「光の精霊だ! あいつは、精霊を使うんだ!」 叫びつつ、対抗すべく呪文を唱え始めるラルフ。その横で素早く弓を構えたシェリーが、今にもこちらへ飛び掛ろうとしていた土鬼の足を射抜く。悲鳴が響き、鮮血が辺りに散ったが、致命傷には程遠い。 「ええい、このっ!」 一方、光の玉を器用にかわしながら、キューエルはもう一頭の土鬼と切り結んでいた。鋭い剣戟の音が飛び交うたびに、愛用の円月刀が真紅に染まっていく。 不意の戦闘とはいえ、土鬼三頭如きに手こずる彼らではなかった。最後の一撃で土鬼の首を刎ね飛ばしたキューエルが辺りを窺えば、左胸を射抜かれた土鬼がどう、と倒れ伏し、ほぼ同時に魔法の稲妻に貫かれた最後の一頭がぐらり、と床に転がった。 「ふぅ、危なかった」 「いやあ、見事な腕前だな」 すっかり傍観を決め込んでいたハーザとダリスの呟きに、何か言ってやろうと口を開きかけたシェリーが、次の瞬間ぴき、と凍りつく。 「き、き――」 「え?」 見事にひっくり返った声に眉をひそめ、彼女の視線の先を追った一行は、そこにぬらりと照り輝く物体を見出して背筋を凍らせた。 「きたー!!」 「しつこいヤツだな、まったく!」 彼らの声に反応するかのように、入り口付近の天井からずるり、と地面に滴り落ち、にゅるんと立ち上がるスライム。その体積たるや、一行を飲み込んで余りあるほどだ。 「通路をふさがれたぞ!」 「これは、なんとかしないとな」 些か真剣味に欠ける口調で柄に手をかけるダリス。音もなく引き抜かれた白刃が、魔法の光を受けてきらりと輝く。 「行くぞ!」 キューエルの掛け声を合図に、剣が、槍が、そして弓矢と魔法が一斉に浴びせられる。しかし、そのことごとくをスライムはのらりくらりとかわし、攻撃の合間を縫うようにしてその粘液質の腕を伸ばしてくる。 「あれー、土鬼より手ごわいよこいつ」 「全然効かないぞ!?」 「いや、少しずつだが動きが鈍っている」 その言葉を証明するように、ラルフの放った電撃を浴びてスライムの動きが止まった。すかさず矢を番えたシェリーに、ハーザが後ろから芝居がかった声をかける。 「先生、とどめをどうぞ」 「うむ、いくぜっ」 裂帛の気合と共に放たれた矢の、その矢羽根までを飲み込んで、粘液質の体はぐずぐずと形を失い、どろりと地面を流れていった。さしもの魔法生物といえど、ここまで原型を失えば復活することはないだろう。 「何とか倒せたね」 ふうやれやれ、と額を拭ってみせるハーザを睨みつけ、シェリーは弓を背負い直した。 「さて、あのスライムの部屋には何もなかったということは、残る道はさっきの大広間だな」 「戻るとしようか。こんなところに長居はしたくないしな」 休憩するにしても、死骸が転がる場所をわざわざ選ぶこともない。すたすたと歩き出す一行を、しかしダリスはすぐに追いかけはしなかった。 物言わぬ躯と成り果てた怪物達に短く祈りの言葉を呟き、ゆっくりと踵を返す。 「ちょっと、おいてくよ!」 通路の向こうから飛んできたシェリーの声にああ、と応え、そしてダリスは死者の眠る広間を後にした。 |
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