てのひらの楽園

 《楽園》――。
 今から千年以上前に滅びた魔法都市ルーン。その首都部遺跡の地下深くに、それはあった。
 樹木の根と苔に覆われ、元の床などとうに見えなくなった地面。生い茂る木々を掻き分けたその先に流れる、清らかな水の流れ。
 むせ返るような熱気を切り裂くように極彩色の鳥が飛び、緑の葉には蝶が羽を休め、色鮮やかな魚が水面を跳ねる。
 それは千年もの時を経て、未だ色褪せぬ魔法大国の夢――。
 初めてこの部屋を見つけた時、カイトがまるで楽園のようだと騒いだことから、その部屋はそのまま《楽園》と呼称され、遺跡探索の重要な中継地点となっていた。


「それにしても、一体何の目的で作られた部屋なのかしらね?」
 首を傾げるレオーナに、待ってましたとばかりに口を開いたのはカイトだ。
「あそこには貴重な熱帯の植物が多く植わっていますから、研究用の温室だったんじゃないかと思うんですよ。もしくは娯楽用に、人工の熱帯雨林を再現して冬でも真夏の気分を味わえるようにしたとか、もしくは南方から来た――」
「つまり、古代の施設が運良く崩壊を免れてそのまま残り、生い茂った植物が部屋を埋め尽くして独自の生態系を確立し、今に至るということですか。いやはや、興味深いですね」
 長くなりそうな話をあっさりまとめて、うんうんと頷く村長。
「で、なぜ《楽園》なんです?」
 ひょい、とアイシャを振り返れば、パイの欠片を名残惜しそうにつついていた少女は、胸にそっと手を当てて呟くように告げる。
「帰りたがってるから」
「帰りたがってる? 誰が」
「この子」
 胸元に手を突っ込み、ごそごそと取り出したのは先程のカエルだ。勿論陶器のお守りが喋るはずもないが、この少女が冗談や嘘を口にする性質でないことは、ここにいる誰もが知っている。
「カエル君の件は置いておいても、《楽園》に行くというのはいい案だと思いますよ。アイシャのために」
 きゅ、と眼鏡を持ち上げて断言するカイトに、はあ? と間の抜けた声を上げるエスタス。
「なんでそうなるんだよ?」
「もう、さっきから言ってるじゃないですか。この本に書いてあったんですよ、アイシャがずっと調子を崩している理由が! 要するに南大陸の日照時間と北大陸の日照時間には――」
「だからもっと簡潔に喋れ!」
 いつものやり取りに苦笑いを浮かべ、まあまあと割って入る村長。
「つまりこういうことでしょう。そのお守りのカエルさんは故郷が恋しい。アイシャさんは長く故郷から離れたために体調不良を起こしている。両者のためにも《楽園》へ向かうのが望ましい、と」
 いかがでしょう? と一同を見回す村長に、カイトとアイシャが頷きを返す。
「……やっぱりよく分からないんですけど」
「行けばわかりますよ。そうと決まれば、早く動いた方がいいでしょう。レオーナ、ソリを貸してもらえますか?」
「構わないけど?」
 突然の言葉に目を瞬かせるレオーナの隣で、ぬっと立ち上がるエドガー。そのまま外へと出ていくのを、おやつを食べ終えた子供たちが賑やかに追いかけていく。
「遺跡までの道は雪に閉ざされていますからね。馬車ではもう入っていけませんが、ソリならまだ大丈夫でしょう」
「いや、あの、いつもみたいに歩いて行きますから……」
 遠慮しようとするエスタスに、村長は珍しく厳しい表情で駄目ですよと首を振る。
「北大陸の冬を舐めていてはいけません。今年は去年以上に雪が多い。途中で嵌って立ち往生なんて洒落になりませんよ。それに、アイシャさんを遺跡まで歩かせるのは酷というものですし、天候によっては何日か滞在を余儀なくされることも考えると、食糧も積んでいった方がいいでしょう」
「そうよ。エスタスならアイシャを背負って往復できるかもしれないけど、カイト君に食料を背負わせたら遺跡に辿り着くのも難しいんじゃない?」
 的確な指摘にぐうの音も出ない二人。二人が押し黙ったのを是認と受け取って、レオーナは勢いよく椅子から立ち上がった。
「当座の水と食糧を用意してくるわ。あなた達も急いで支度をしてらっしゃい。ほら、駆け足!」
「は、はいっ!」
 "母の号令"に逆らえるはずもなく、わたわたと階段を駆け登って行く三人。そんな彼らを見送って、村長もまた立ち上がった。
「マーティンさんのところから馬を借りてきます。御者は誰が適任でしょうかね?」
「やってあげたら? どうせ暇でしょ?」
 きっぱりと断言されて、思わず苦笑を漏らす村長。
「まあ、あとは新年祭の打ち合わせくらいしかやることはありませんからね。たまには若者の手助けでもしてみますか」
「たまには体を動かさないと鈍っちゃうものね。ちょうどいいじゃない、一緒に遺跡探索でもしてきたら? 凄腕の冒険者さん」
 十五年ほど前、辺境の村にふらりとやってきた胡散臭い旅人が、今やエストの長だ。当時を思い出し、くすくすと笑みをこぼすレオーナ。
「遺跡探索に来たって言いながら、結局ろくに潜らずに廃業しちゃったでしょ? 若かりし頃の夢をもう一度追いかけてみてもいいんじゃない?」
「さすがにもう無理ですよ。それに、彼らの楽しみを奪ってしまったらかわいそうでしょう?」
 言うわねえ、と肩をすくめ、厨房へと消えていくレオーナ。その麗しい後姿を見送りながら、村長は手早く外套を羽織ると、雪の舞う広場へと駆け出して行った。


<<  >>