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第七章[6]

 何か、遠くの方で話し声がする。
(……うるせえな……)
 ぼんやりする意識の中でそう悪態をつくラウル。次第にその話し声は大きくなっていき、それがすぐそばで交わされている会話だと気づく。
(ここ、どこだ……)
 馬車の中ではなさそうだ。次第に鮮明になっていく意識がそれを感じ取る。
 頬に感じるのは冷たい石の床。声が少々反響して聞こえることから、おそらくは室内なのだろうが、湿ったカビ臭さが鼻腔をつく。少なくとも、ろくな場所ではあるまい。
 いつの間にこんなところへ移されたのだろう。ぼんやりする頭で必死に記憶を辿る。
(確か……エルドナの手前で最後に休憩するって言って……)
 また肉の燻製を与えられて、最後に飲み物を渡された。渡す前に村長が飲んでいたもので、同じ器からですいませんと謝られたのだ。
(冷めたお茶だった……はずだ……まさか)
 そうだ。そこからぷっつりと記憶が途切れている。
(またか! 畜生、あの糸目親父め……)
 どうやらまた薬を盛られたようだ。同じ器から飲めば平気だろうと思ったが、そうはいかなかったらしい。まあ、盗賊ギルドの長ともなれば、薬に対する抵抗力をつけていてもおかしくない。
「……この若者が……信じられん……」
 聞き覚えのない声が頭上から聞こえてくる。うっすらと目を開けると、鉄格子とその向こうから漏れてくる明かりが目に入った。明かりの下には、四人の人影が見てとれる。
「まさか、あの時の……」
 そう呟く声には、どこか聞き覚えがあった。しかしすぐには思い出せない。
「なんだ、お前はこやつを知っているというのか?」
 三人目の声がきつく問い質す。
「い、いえ……以前、神殿に訪ねに来たのを追い返しただけでして……まさか、この男があの……」
「そんな報告は受けていないぞ!」
「い、いえ、その……ただの旅人かごろつきの類だと思いましたもので……手紙を届けに来ただけでしたから、報告の必要もないかと……」
 その言葉で、思い出した。エルドナの分神殿にゲルクの手紙を届けに来た時、ラウル達をにべもなく追い返した司祭がいたではないか。
「ふん、大した団結力だな。これでは、今まで講じてきた策とやらも怪しいものだ」
 見下したような声に、二人が押し黙る。と、最後の一人が口を開いた。
「影の方々が卵を奪還せんとした折には、彼の仲間達がいたと聞きます。今回は彼一人のみ。今までのようには行きますまい」
 わざと声を作ったような、聞き取りにくい声。
(影……そうだ、『影の神殿』……。ってことは、やっぱり……くそっ)
 エルドナの分神殿は、以前訪れた時すでに『影の神殿』の支配下にあったのだろう。盗賊ギルドが影と結託していたのなら情報が入ってこなかったのも仕方ないが、もっと早くに気づいていれば……。いや、後悔したところでもう遅い。
「では、お前達ギルドの手腕とやら、見せてもらいたいものだな」
 青年がむっとした口調で返す。しかしそれには答えずに、聞き取りづらい声は、
「気がついたようです」
 と、格子の向こう、ラウルの方を示してきた。
(ち……気づかれちまったか)
 もう少し、眠ったふりをして情報収集をしようとしたのだが、気づかれてしまったのでは仕方ない。観念して目を開けたラウルは、顔にかかる前髪を払おうとして、ようやく違和感に気づいた。
 じゃらり、と金属の擦れる音がする。しかも、両手首が重い。
(ちっ……ご丁寧なこった)
 ラウルの両手首には枷が嵌められ、それぞれ頑丈な鎖が取りつけられていた。薄暗いので鎖がどこに繋がっているかは分からなかったが、鉄格子の中にいる人間に枷を嵌めるというのは念の入ったことだ。
「ラウル=エバスト神官だね」
 鉄格子の向こうから声がかかる。ラウルは石畳から上半身を起こすと、声の主に顔を向けた。
 年は四十代半ばだろうか、恰幅のいいと言えば聞こえはいいが、要するに肥満体の男性がラウルをじっと見つめている。きらびやかな衣装に身を包んではいるが、どうにも趣味が悪い。
(成金趣味も甚だしいな)
 第一印象はその一言に尽きた。
「……いかにも、私はラウル=エバストですが」
 あくまでも冷静に、猫を被って答えてやる。その様子を見て男は、ほう、と意外そうな声を漏らした。
「この状況下で取り乱したりしないとは、なかなか肝の据わった男だな。感心したよ」
 感心したと言っているが、その口調はどこまでも人を見下したような印象を与える。
「こんな形で神官をお迎えする非礼を許して欲しい。私はあくまでも穏便に事を済ませようとしたのだがね。君が一筋縄ではいかない相手だと 聞かされて、このような手段を取らせてもらったのだよ。こんな乱暴な手を好むと思われたくはないのだが……」
「地下牢をお持ちとは、あまり良い趣味とは言えませんね」
 遮ってラウル。男は話を中断されたことへの不快感を顔に出しつつも、ラウルの言葉に答える。
「地下牢とは言葉の悪い。ここはただの地下室だよ。時折客間になることもあるがね」
「最近では鉄格子の嵌まった部屋でも地下室と呼ぶんですか。さすが、身分のあるお方は仰ることが違いますね」
 痛烈な皮肉に、男は渋面を隠そうともしない。
「……なるほど、ただの神官ではないらしい。報告通りだな」
 報告という言葉にラウルが眉をひそめる。と、ギルド員らしい男が静かに口を開いた。
「ラウル=エバスト神官。ファーン新世暦一一四年、中央大陸はラルスディーンの貧民街にて生を受ける。八歳の折に同場所にて死傷事件を起こしたところをユーク本神殿が身柄を預かり、以後神殿で育てられる。十二歳で神の声を聞き、神官としての修行を開始。本年に本神殿から北大陸の分神殿に転任して今に至る。性格は粗野で乱暴。神殿内での評判は悪かったが、神官としての実力は高いものである」
 ラウルは心の中で舌打ちをした。他国のことにも関わらず、よくぞ調べ上げたものだ。しかも、
(あのことを、どこから調べたんだ……)
 彼がユーク神殿に引き取られるきっかけとなった事件。それは、ユーク神殿でも知る者の少ない、まさに極秘事項だったはずだ。
「……よくお調べになりましたね」
 押し殺したラウルの声に、男は満足げに言ってみせた。
「盗賊ギルドを侮らないことだ、神官。金さえ積めば緩む口は多いということもな」
「ならば、その盗賊ギルドに卵の隠し場所も探らせればいいでしょう。私をわざわざこんなところまで呼び寄せるより、余程手間が省けるはずです」
 男は肩をすくめて、先ほどラウルの素性をすらすらと語った男を横目で見る。赤銅色の布を頭に巻きつけたその男は、よく見ると顔全体を覆い隠す硬質な仮面を被っていた。盗賊ギルドの幹部以上は決して素顔を晒さないと言われているから、恐らくはギルド内でもかなりの地位に立つ者なのだろう。
「ギルドも強情でね。卵には手を出さないという約束を先に君と取り交わした以上、何があっても約束を違えることは出来ないというのだよ。たかだか口約束ごとき、破ったところでどうということもないと思うがね。仕方ないので、代わりに君をここに呼んで尋ねるという手段に出るしかなかったのだ」
 非常に効率の悪いことだよ、と溜め息をついている男だが、その瞳はおもちゃを与えられた子供のように光っている。
「私としても紳士的な態度を取りたいのだが、それには君の協力が必要だ。分かるかね?」
 痛い目に会いたくなければさっさと話せと暗に告げる男に、ラウルは口の端を持ち上げて笑ってみせた。
「……冗談じゃねえ。どうしても聞きたいなら、力づくで吐かせてみな」
 素性を知られている以上、今更猫を被っても労力の無駄だ。挑発的に言い捨てるラウルに、男は残念だよ、と肩をすくめてみせる。
「やれやれ。物分りの悪い男だ。……やれ」
 後ろに控える仮面の男に合図を送ると、何やらガラガラと錨を巻き上げるような音が響き出す。
 ラウルはけっと毒づきながらも、次第に上へと引き上げられる鎖を面白そうに見つめていた。その余裕の表情に、男が苦虫を噛み潰したような顔になる。
「後悔しても遅いぞ」
「ふん、陳腐な台詞だな」
 嘲笑を浮かべるラウルの瞳には、それまでとはまったく違った、まるで研ぎ澄まされた刃物のような光が宿っていた。

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